「ただいま!」
アイリス視点
わたしとシンさんがもう1度家族になってから、30分位の時間が経過した。
わたし達は現在、以前のように手を繋いで、王都の大通りを並んで歩いていた。
「えへへ~! シーンさん!」
「なに、アイリス?」
「えへへ~! 呼んでみただけです!」
「はははっ。そっか、そっか。まったく。かわいいなー、アイリスは!」
ーーワシャワシャ
「キャー!」
そんなわたしのイタズラにも、シンさんは気を悪くした様子は無く、むしろ笑顔でわたしの頭をワシャワシャと乱暴に撫できた。
わたしは悲鳴を上げつつも、嫌がる素振りは一切見せずに、シンさんからのナデナデを受け入れる。
(えへへ~! 幸せだなぁー…………!)
1週間ぶりにシンさんと手を繋いで。1週間ぶりにシンさんに頭を撫でてもらえて。
すっかりご機嫌になったわたしは、シンさんと繋いだ手をブンブンと大きく振りながら歩く。
(シンさんともう1度家族になれて、本当に良かったぁ…………!)
そんな風に、再びシンさんと一緒に過ごせる幸せを噛みしめる、わたし。
(えへへ~! シンさんの体、温かかったなぁ…………)
そしてそのまま、わたしはシンさんと仲直りした後の事を、思い出していたーー
ーー
ーーーー
ーーーーーーーー
「ならーーもう1度、シンさんと一緒に暮らしても良いですか? もう1度ーーわたしを家族にしてくれますか?」
「ああ。こんな俺で良ければ、喜んで」
そうして、シンさんともう1度家族になった後も、わたし達はしばらくの間、お互いに抱き締め合って過ごした。
わたしにとってそれは、離ればなれになっていた1週間の寂しさを埋める為のものなのだったけれど…………時間が経つにつれて、わたしはシンさんと抱き合っているという事に、だんだんと気恥ずかしい気持ちを感じ始めてきたんだ。
(結局、いたたまれなくなって、10分位でわたしから体を離しちゃったけど…………何だか、惜しい事をした気がするな…………。って、なに恥ずかしいこと考えてるの、わたし!?)
ーーコホン。
そ、それで、その後に王都へと戻ったわたし達は、シンさんのーーううん。わたし達の家に帰るよりも先に、今回お世話になったフィリアさんにお礼を言う為に、まずギルドに立ち寄った。
「アイリスからいろいろ聞きました。今回の件では、本当にお世話になりまりました。ありがとうございます、フィリアさん!」
「わたしも…………ありがとうございました、フィリアさん! おかげでわたし、またシンさんの娘になれました!」
シンさんと一緒になって、フィリアさんに感謝の言葉を伝える、わたし。
特にわたしは、フィリアさんにとてもお世話になった。
こうして、わたしがまたシンさんの娘になれたのは、フィリアさんがわざわざ孤児院に来てくれて、1歩を踏み出す勇気をくれたおかけだ。
だから、わたしはシンさん以上に、何度も何度も感謝の言葉を口にして、フィリアさんへと頭を下げた。
「いえ、気にしないでください。私にとって、シンさんとアイリスちゃんは、2人一緒に居るのが当たり前だったので…………だから、お2人がまた親子になれて、まるで自分の事のように嬉しいです! …………だけど…………」
と、そこでフィリアさんは屈んで、わたしの耳元に顔を寄せる。
そして、わたしにだけ聞こえるような小さな声で、コソッと囁いた。
「アイリスちゃんには…………ごめんなさい。もう少し上手くやれれば良かったのだけれど…………私には、この方法しか思い付かなかったの」
「? どうして、フィリアさんが謝るんですか?」
「だって、これでアイリスちゃんは、シンさんと親子にーー」
「はい! フィリアさんのおかげで、シンさんと親子になれました! ありがとうございます、フィリアさん!」
「そ、そう? なら、良いのだけど…………」
満面の笑みを浮かべて再度お礼を伝えるわたしに、どこか歯切れ悪い調子で言い淀む、フィリアさん。
(? 変なフィリアさん)
そんな風に、フィリアさんの様子がちょっとだけおかしくなる1場面があったけど…………その後、すぐにいつもの調子に戻ったフィリアさんに別れの挨拶をして、わたし達はギルドを後にしたのだったーー
「アイリスちゃん、まだ自覚が無いのね。まあ、アイリスちゃんの年齢を考えれば、仕方がないのかもしれないけれど…………これは後々、苦労する事になりそうね…………」
ーー
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(ギルドを出る直前、フィリアさんが何か呟いていた気がするんだけど…………結局、あれは何だったのかなぁ?)
シンさんと仲直りしてから、今に至るまでの事を思いだしていたわたしは、直前に立ち寄ったギルドで、フィリアさんが言っていた意味深な言葉を思い出して、首を傾げてしまう。
「? どうしかした、アイリス?」
そんなわたしの様子に、シンさんが気付いたようだ。わたしの頭を撫でる手を止めて、問いかけてくる。
「あ…………いえ。何でも無いです」
「? そう?」
わたしは、ちょっとだけ気になったものの…………今は、シンさんに甘えたい気持ちの方が強く、とりあえずは気にしない事にした。
だから、わたしはそう答えたのだけれど…………残念ながら、シンさんはそのまま、わたしの頭から手を離してしまった。
わたしは名残惜しく思いつつも、シンさんから思いっきり撫でられた事で乱れてしまった髪の毛を、手櫛で整えていく。
「あ…………そういえばアイリス、フィリアさんから戸籍謄本を貰ったって言ってたよね。それ、俺にも見せてよ」
「はい、良いですよ」
その途中、わたしはシンさんから、そんなお願いをされた。
わたしは、すぐに頷いたものの…………わたしの両手は今、シンさんと手を繋ぐのと、髪の毛を整えるのとで、どちらも塞がってしまっている。
だけど、シンさんと繋いだ手を離したくなかったわたしは、迷わず髪を整えていた方の手をーー左手の方を、一旦止める。
「『収納・アウト』。…………はい、どーぞ」
「ありがとう」
わたしは、『収納』の中に大切に仕舞っていた戸籍謄本を取り出して、シンさんへと手渡す。
シンさんも、わたしの手を握っている左手ではなく、空いている右手で戸籍謄本を受け取ってくれた。
ーーピタッ
今までは、家に向かって歩いていたけれど、戸籍を読みながら歩くのは危ないと思ったのだろう。シンさんが立ち止まる。
わたしとしてもちょうど良かったので、シンさんが戸籍を読んでいる間に、髪を整える事にしたのだけれど…………うーん? これで良いかなぁ…………?
(鏡は、家に帰らないと無いからなぁ…………。それに、やっぱり手櫛じゃ、キレイに整えられないし…………)
と、わたしが髪を整えるのに、悪戦苦闘している時の事だったーー
「ーーえっ!?」
突然、戸籍を読んでいたシンさんが大声を上げた為、驚いたわたしは、髪を整えていた手を止めてしまう。
「ど、どうしました、シンさん!?」
わたしが、慌ててシンさんへと問いかけると…………シンさんは、呆然とした表情で戸籍を見詰めながら、呟いた。
「アイリス…………今日が誕生日なの?」
あ、そうか。戸籍には、わたしの誕生日が書いてあるんだった…………。
わたしは、コクリと頷く。
「言ってよ! 俺そんな事、全然知らなかったよ!」
「そ、そういえば、言ってませんでしたね…………」
顔を近付けて、慌てた様子で問いただしてくるシンさんから、わたしはソッと視線を逸らしつつ、とぼけた答えを返す。
…………正直に言えば、わたしはシンさんに、意図的に自分の誕生日を伝えていなかった。
伝えようと思えば、いつでも伝えられた。例えば、シンさんと一緒に暮らし始めてか、2日目の夜ーーシンさんのベッドで一緒に横になって、お互いの事を質問し合っていた時なんて、伝えるには最適なタイミングだったと思う。
では、何故そうしなかったのか。それはーー
「こ、こうしちゃいられない! 誕生日のプレゼントと…………あと、ご馳走も用意しなくちゃ!」
ーーわたしに甘い所があるシンさんなら、絶対にこうなるって思ったからだ。
それに、誕生日の直前にその事を伝えたら、プレゼントを催促しているみたいで、伝えられなかったのだ。
(って、冷静にそんな事を考えてる場合じゃ無いよ、わたし!)
シンさんは今にも、来た道を引き返しそうた勢いだ。きっと、商店街に向かおうとしてるのだろうけど…………。
「お、落ち着いて下さい、シンさん! 大丈夫です! わたし、プレゼントなんていりませんから!」
「…………う、ううん…………」
わたしが慌てて引き止めると、シンさんは1瞬だけ悩んだ様子を見せる。
だけどーー
「…………いや、やっぱり駄目だ…………」
シンさんは首を振ると、屈んでわたしと視線を合わせる。
そして、優しい声音と表情で、静かに語りかけてきた。
「今日は、俺が父親になって初めて迎える、娘の誕生日なんだ。だから、記念に何か贈らせてよ。ねっ」
…………ズルい。そんな風にお願いされちゃったら、断れないじゃない。
「ねぇ、アイリスは誕生日プレゼント、何が欲しい?」
わたしが何も言えずにいると、それを肯定と受け取ったのだろう。
シンさんは改めて、そう尋ねてきた。
(…………うーん。何が欲しいって言われてもなぁ…………)
正直に言えば、こうしてもう1度シンさんの家族になれたことで、わたしは充分に幸せなのだ。
それなのに、これ以上を望んだらバチが当たっちゃうよ…………。
(…………うーん。どうやって断ろうかなぁ…………。…………………………………………! そうだ!)
しばらく悩んだ末に、1つのアイデアを思い付いたわたしは、先程のシンさんの質問に答えを返す。
「えへへっ! それならせっかくですから、シンさんが考えてくれたプレゼントが欲しいです!」
「えっ!? 俺が!?」
わたしの答えを聞いて、困った様子を見せる、シンさん。
「俺、女の子にプレゼントなんてした事ないから、何をプレゼントしたら喜んでくれるのか分からないし…………それに俺、そういうセンスも無いだろうから、出来ればアイリスがリクエストしてほしいんだけど…………」
「イヤです。わたしだって、シンさんから誕生日プレゼントを貰うのは、初めてなんですもん。せっかくなら、シンさんが一生懸命考えてくれたプレゼントが欲しいです!」
「う、うーん…………。困ったなぁ…………」
予測通り、シンさんはこの場に立ち止まると、腕を組んで悩み始めた。
(えへへっ! 作戦通り!)
しばらく答えは出ないだろうから、後日に回す事を提案して…………そのまま、うやむやにしてしまおう。
そんな事を考えながら、わたしは髪を整えるのを再開しーー
「ーーあ。そうだ…………」
そんなわたしを見て、シンさんは何かを思い付いた様子を見せるのだったーー
ーー
ーーーー
ーーーーーーーー
「ありがとうございましたー! またお越し下さいませー!」
数十分後ーー
商店街の中にある、とある雑貨店から出てきたわたしの手には、15センチ程の細長いケースが握られていた。
「プレゼント、ありがとうございます、シンさん! すっごく嬉しいです!」
「どういたしまして。アイリス、早速使ってみてよ」
「はい!」
シンさんに促され、わたしはケースの蓋をパカッと開く。
すると中には、用途に応じて使い分けられるよう、さまざまな形や長さの木櫛が数本入っていた。
更に、ケースの蓋の内側には鏡が取り付けられていて、いつでもどこでも髪を整えられるようになっている。
(えへへっ! シンさん、女の子が喜ぶプレゼントを選ぶセンスが無いって言っていたけど…………ちゃんと、あるじゃない!)
最初は、シンさんからプレゼントを貰う事に抵抗があったけれど…………わたしだって、女の子だもん!
こうして、オシャレに気を使えるアイテムを貰えたら、素直に嬉しいよ!
「ふんふんふーん」
「はははっ。気に入ってもらえたようで、良かったよ」
すっかりご機嫌になったわたしは、鼻歌を口ずさみながら、プレゼントしてもらったばかりの木櫛を使って、髪の毛をといていく。
そんなわたしを、シンさんは温かい微笑みを浮かべながら、見守ってくれていた。
(…………うん! こんなものかな!)
手櫛でといていた時とは違って、あっという間に整え終わってしまった。
それに、ケースの蓋の内側に鏡が付いているから、髪の毛の状態をちゃんとチェック出来るのも、ありがたい。
「えへへっ! シンさん、どうですか!」
「…………うん! かわいいよ、アイリス!」
「えへへ~!」
シンさんから、かわいいと褒めてもらえた事で、すっかり頬が弛んで、だらしのない笑みを浮かべてしまう、わたし。
ーーと、
「はははっ。ホント、かわいいなぁ、アイリスは!」
そう言って、わたしの頭へ手を伸ばしてくる、シンさん。
(えへへっ! やった! またシンさんから、頭を撫でてもらえる!)
そんな期待をしたわたしは、シンさんが撫でやすいようにと、少しだけ頭を前に傾ける。
ーーが、
「っと、イケない、イケない。せっかく髪を整えたばかりなのに、また乱れちゃうね」
シンさんはそう言うと、伸ばしかけていた手を引っ込める。
「さっ! 買い物も全部終わったし、帰ろう。アイリス」
そしてそのまま、繋いでいたわたしの手を引いて、帰路に着き始めてしまった。
(…………むー…………)
お預けをくらう形になってしまったわたしは、隣を歩くシンさんに気付かれないよう、小さく唇を尖らせる。
(別に、撫でてくれてもいいのに。どれだけ髪の毛が乱れても、後でとかせばそれで良いんだから…………)
…………そうだ! せっかくだから、シンさんと一緒に居る時は、この木櫛セットをいつでも持ち歩くようにしよう!
(そうすれば、いつシンさんから頭を撫でられても大丈夫だし…………それに、シンさんにもそう認識してもらえれば、頭を撫でてもらえる頻度が増えるかもしれないしね!)
そんな風に、シンさんに隠れて、ちょっとズルい事を企む、わたし。
それで、不機嫌だった気持ちが少しは和らいだのだろう。気付けば、先程まで尖っていた唇は、元に戻っていた。
「ところで、アイリス。本当に良かったのかい?」
ちょうどそのタイミングで、わたしの方を向いて、声をかけてくる、シンさん。
わたしは、内心の企みがシンさんに気付かれてしまわないよう、普段通りに応じる。
「え? 何がですか?」
「何って、今日の晩ご飯だよ」
シンさんはそう言うと、わたしの手を握っている方とは反対の、右手を掲げる。
その手には手提げ袋が握られており、中にはジャガイモにニンジン、タマネギやシメジといった野菜が入っている。
他にも、今はシンさんの『収納』に仕舞ってあるけれど、クーラーボックスの中には牛乳と鶏肉が入っている。
これらの品々は、雑貨店に立ち寄る前に、お肉屋さんや八百屋さんで買った物でありーーわたしがシンさんにリクエストした、今日の夜ご飯に必要な食材だ。
つまりーー
「本当に、シチューで良かったの? せっかくのアイリスの誕生日なんだし、もっと豪華な物でも良かったんだよ?」
ーーそう。シンさんの言う通り、わたしは今日の夜ご飯に、シチューをリクエストした。
本当は、プレゼントと一緒に遠慮するつもりだったんだけど…………シンさんがプレゼントの内容を決めてしまったので、もう遠慮するのは止めて、素直に甘える事にしたんだ。
「アイリス、もしかして遠慮してる? 前にも言ったけど、お金は余る程あるんだから、大丈夫だよ」
「あはは! もー、なに言っているんですか、シンさん! 遠慮なんて、全然していませんよ! わたしは本当に、シチューが食べたいと思ってるんです!」
未だに心配そうにしているシンさんを安心させてあげる為に、わたしは心からの笑顔で応じる。
実際に、今のわたしの言葉にウソはない。わたしは今、どんな豪華な料理よりも、シンさんが作ってくれた、愛情たっぷりのシチューを食べたいと思っている。
(数時間前ーー孤児院の片隅で蹲っていた時には、もう2度と食べる事が出来ないと、諦めていたんだもん!)
だからこそ、シンさんから夜ご飯のリクエストを尋ねられた時、わたしは迷わず、シチューと答えたんだーー
「そ、そう? なら、良いんだけど…………」
そんなわたしの気持ちが、シンさんにも伝わったのだろうか。
シンさんは、しぶしぶといった様子ながらも、納得したように頷いてくれた。
(よーし! そうと決まればーー)
ーーグイッ!
「さっ! 早く帰りましょう、シンさん!」
わたしは、繋いでいるシンさんの手を引いて、小走りで駆けて行く。
このまま商店街に居れば、またシンさんの気が変わるかもしれないし…………それに、シンさんを心配させないために言ってはいないけれど、実はわたし、お昼ご飯を食べていないんだ。
現在の時刻は、昼と夕方の間。さすがにもう、お腹がペコペコだ。早くお家に帰って、シンさんの手料理を食べたい。
「はははっ。分かったよ、アイリス。早くお家に帰ろうか」
急に駆け出したわたしに、最初は驚いた様子を見せていたシンさんだったけれど…………すぐに歩くペースを上げて、わたしの隣に並んでくれた。
わたしは小走りで。シンさんは早歩きで。お家への道を急ぐ。
するとすぐに、商店街の出口が見えてきた。
わたしはそのまま、商店街を出ようとしたのだけどーー
「ちょっと待った、アイリス!」
ーーピタッ!
「ーーきゃっ!」
突然、シンさんが立ち止まった。
一緒に走ってくれるならともかく、こうして立ち止まったシンさんを引っ張れる力が、わたしにあるはずが無い。
急ブレーキをかけられる形になってしまったわたしは、勢い余って前につんのめりかけてしまった。
「もー! 何で急に立ち止まっるんですか、シンさん!?」
「ごめん、ごめん。実は、1つ買い忘れた物がある事に気付いてさ」
「? 買い忘れた物、ですか?」
「うん。あれ」
ーーピッ
そうして、シンさんが指差した先には、1軒のお店があった。
そのお店に、わたしは見覚えがある。あのお店は、以前シンさんにシュークリームを買ってもらった、ケーキ屋さんだ。
「せっかくのアイリスの誕生日なんだし、お祝いに、あそこでケーキを買おう」
「……………………え…………」
「って、何でそんなに驚いた顔をするの、アイリス?」
「だ、だって…………」
まさか、シンさんの口から『ケーキを買おう』なんて言葉が飛び出すなんて、思わなかったんだもん。
『シンさんが食事を選ぶ基準はね、味や好き嫌いじゃないの。いかに栄養のバランスが取れているか。ただそれだけなの』
わたしは、以前フィリアさんから言われた言葉を思い出す。
事実、その後の帰り道で、わたしがシュークリームを買ってもらおうとした時も、シンさんは自分の分を買うのを渋っていた。
それ、なのにーー
(そんなシンさんが、まさか自分から『ケーキを買おう』って言ってくれるなんて…………!)
驚きのあまり、言葉に詰まってしまう、わたし。
そんなわたしを見て、シンさんは何か勘違いしたのか、不安そうに問いかけくる。
「…………も、もしかして嫌だった、アイリス?」
「ーーい、いえ! そんな事ないです!」
わたしは、慌ててシンさんの言葉を否定すると…………念のために、シンさんに質問してみる事にした。
「…………え、えと…………。も、もちろん、シンさんも一緒に食べてくれるです、よね…………?」
「? 当たり前だろう?」
「~~ッ! ありがとうございます、シンさん! さぁ、早く買いに行きましょう!」
ーーグイグイ
シンさんの返答を聞いた瞬間、わたしの心に、物凄く嬉しい気持ちが沸き上がってきた。
そうして、すっかりテンションが上がったわたしは、シンさんの手を引っ張って、ケーキ屋さんへと急ぐ。
『シンさんは、アイリスちゃんに心許してくれている。アイリスちゃんが側に居てくれるだけで、シンさんの困った1面も大分無くなってくれるだろうって、私は正直、期待しているの』
フィリアさんは以前、こうも言ってくれていた。
(もしーーもし、シンさんのこの変化に、わたしが少しでも関われていたとしたら、嬉しいな)
だって、わたしはかつてこの場所で、こう誓ったのだからーー
『だから、覚悟していて下さいね、シンさん! 過去に何があったのかは分かりませんが…………シンさんがわたしを幸せにしてくれたみたいに、わたしもシンさんを幸せにしてみせますから!』
そうしてーー
わたしは、シンさんと相談した結果、中にイチゴが入ったホールのチョコケーキを買ってもらった。
多分、今日中には食べ終われないだろうから、冷蔵庫に入れて、数日かけて食べる事にしよう。
ーー
ーーーー
ーーーーーーーー
それからーー
ケーキ屋さんを後にしたわたし達は、もう寄り道する事なく、まっすぐに家に帰って来た。
「ちょっと待っててねー、アイリス。今、カギ開けるから」
「…………………………………………」
そう言って、玄関のカギを開けようとするシンさんを、わたしは1歩後ろから、無言で見守る。
ーーガチャリ
「開いたよー、アイリス。さっ、入って入って」
先に、わたしを家に入れようとしてくれているのだろう。
外側に開いた扉を押さえて、わたしの方を振り向く、シンさん。
「……………………………………」
だけど、わたしは家に入る事なく、この場に無言で佇み続ける。
「? アイリス?」
「…………え、えーと…………。と、とりあえず、先にシンさんが入ってくれませんか…………」
ーーグイグイ
「? あ、ああ…………」
わたしは、不思議そうにしているシンさんの背中を押して、先に家に入ってもらう。
実は、わたしは今からシンさんに、ある2つの単語を言おうと思っているのだけれど…………1つ目の単語を言う為には、先にシンさんに家に入ってもらう必要があるのだ。
(そういえば、シンさんにこう言うのは、初めてなんだよね…………)
わたしが初めてシンさんの家に足を踏み入れた時には、そう言う機会があったけれど…………あの時はまだ、シンさんの家をわたしの家だとは思えなくて、そう言う事が出来なかった。
そして、2日目以降は、ずっとシンさんと一緒に行動していたから、そう言う機会がそもそも無かったのだ。
(…………まあ、問題なのは、2つ目の単語の方なんだけどね…………)
元々、『血染めの髑髏』を殺して、お母さん達の仇を討ったら、シンさんの事をそう呼ぼうって決めていたんだけど…………や、やっぱり、恥ずかしい!
今わたしの顔、絶対真っ赤になってるよね!?
(…………うぅ…………。やっぱり、2つ目の単語を言うのは止めようかな…………)
1つ目の単語と同じく、2つ目の単語もシンさんに言うのも初めてなんだけど…………恥ずかしさは、1つ目の単語の比じゃなくて。
つい、わたしの脳裏に、そんな弱気な考えが浮かんできてしまう。
だけど、今シンさんをそう呼べなかったら、わたしはいつまでもシンさんをそう呼べない気がするし…………それに、このまま他人行儀な呼び方を続けていたら、いつかまた、シンさんとの関係が壊れてしまうかもしれない。
(そんなの、絶対にイヤだ! わたしはもう2度と、シンさんの側から離れたくない!)
ーーダッ!
ようやく決心がついたわたしは、家の内側に居るシンさんの胸に、勢い良く飛び込んで行く。
「ーーおっと!? アイリス?」
そんなわたしを、相変わらず優しく抱き止めてくれる、シンさん。
わたしは、シンさんの胸に数回頬擦りをする事で、少しだけ気恥ずかしい気持ちを紛らわすとーー顔を上げて、シンさんと瞳を合わせる。
きっと、わたしの頬はまだ赤いままだろうけれど…………それでも、わたしはもうそれを誤魔化す事なく、シンさんへと笑いかける。
そうして、わたしは頬を真っ赤に染めたまま…………それでも、今まで人生の中で1番の笑顔と共に、大好きなシンさんに対して、こう口にするのだったーー
「ただいま! お父さん!」
第1章 少女の復讐、青年の想い ~END~