「ごめんなさい」と「ごめんなさい」
シン視点
時刻は、午後2時過ぎーー
本日の売れ残り依頼は2件。どちらも、場所が王都近郊であったため、珍しく陽が高い内に、俺は王都への帰路に着いていた。
(…………そろそろ、馬から降りた方が良いかな…………)
王都までの距離は、あと数百メートル程。
ここまで人気がほとんど無かった街道にも、王都に近付くにつれて、だんだんと賑いが出てきた。
スピードは全く出していないものの、万が一人にぶつかっては危険だ。
「ーーよっと」
そう判断した俺は、ここまで乗っていた馬ーーニール君の背中から飛び降りる。
そして、手綱を握り直し、改めて共に歩き出した。
「…………はぁー…………。それにしても、やっと王都に帰り着くな…………」
その途中、俺の口から思わず、溜め息が漏れてしまう。
だが、それも仕方ないだろう。なにせ本来なら、1時前には王都に帰り着いていたはずなのだ。
(…………まあ、未だに王都に帰り着いていないのは、ただの自業自得なんだけどな…………)
なにせ、2件目の依頼が終わった後、俺はニール君を走らせずに、のんびりと歩かせてここまで来たのだから…………。
もちろん、ニール君を走らせて、早く王都に帰って来る事も出来た。
それなのに、そうしなかった理由ーーそれは、ゆっくりと考える時間か欲しかったからだ。
(…………アイリスに、何て言って謝ればいいんだろう?)
ヴィヴィさんに、ちゃんとアイリスに謝るよう言われてから、もう2日も経っている。
早く謝らなければいけないと、分かってはいる。だからこそ、家に居る時間だけでなく、こうして仕事の帰り道の時間を使ってまで考えていたのだが…………残念ながら、未だに答えを見つける事は出来なかった。
「…………しかしまあ、本当に情けないなぁ、俺は…………。なあ、ニール君」
隣を歩くニール君の体を撫でながら、独り言ちる、俺。
(…………こうしてニール君を借りたのも、その証拠だよなぁ…………)
以前は、アイリスとの2人乗りにも耐えられるよう、借し馬屋の中で1番大きいニール君を選んだのだが…………今回は俺1人だ。本来ならニール君を借りる必要は無い。
それなのにニール君を選んだのは、たぶんアイリスに対して未練があるからだろう。
だからこそ、アイリスの面影を感じられるニール君を、わざわざ選んだのだ。
「ーーさん! シンさーん!」
ほら。現に今も、俺の名前を呼ぶアイリスの幻聴が聞こえている。
まったく。本当、女々しいなぁ、俺は…………。
「シンさん! シンさんってば!」
ーータタタッ
…………あ、あれ? 幻聴にしては、だんだんアイリスの声がハッキリ聞こえるようになってきたような…………。
(っていうか、俺の方に走って来る女の子が遠目に見えるんだけど…………あれ、アイリスじゃないか?)
幻聴だけでなく、幻覚まで見え始めたか?
そう思った俺は足を止め、ゴシゴシと目を擦ったのだが…………うん。やっぱり見えてるな。
と、そうこうしている内に、女の子は大分近付いて来たようで、その姿がハッキリ捉えられるようになってきた。
(太陽の光を受けてキラキラと輝く銀髪。将来はかなりの美人になるであろう事が窺える、かわいらしい顔立ち。そして、年齢の割には小柄な体格ーー)
間違いない! あの女の子はーー
「…………ぇ…………。アイリス!?」
「ーーっ! シンさんッ!」
ーーガバッ!
こちらへ走って来ている女の子が、アイリスである事をハッキリ認識した瞬間、俺は驚きのあまり、大きな声を上げてしまう。
そんな俺に、アイリスは走って来た勢いのまま飛び付くとーー
ーーギュ~ッ!
「シンさん! シンさんシンさんシンさん! 良かったぁ…………シンさん、無事だったぁ…………!」
俺の体を痛いぐらい力強く抱き締め、胸の中でわんわん泣き始めたではないか!?
「…………え? アイリス、どうしてここに!? …………と、とりあえず泣き止んでくれよ! ねっ!」
ーーサス、サス
「…………う、うぅ…………。シンさぁん…………」
あまりにも唐突な状況の変化に、俺は困惑してしまうも…………それでも、泣いているアイリスを見るのは嫌だったので、俺はそう言って背中を撫でてあげる。
だけど…………ダメだ! アイリス、全然泣き止んでくれないよ!?
「ーーやれやれ。やっと帰って来ましたね。遅いですよ、シンさん」
そうして、困惑のあまり、ただアイリスの背中を撫でてあげる事しか出来ない俺に、突然呆れたような声がかけられた。
顔を上げると、物珍しそうに俺とアイリスを眺めている人混みの中に、見知った顔が1人。
あれはーー
「…………え…………。フィリアさん…………?」
「はい。おかえりなさい、シンさん」
「ただいまです…………じゃなくて!」
フィリアさんが余りにも普通に挨拶をしてくるものだから、俺もつい挨拶を返してしまったけど…………今、絶対そういう状況じゃないですよねぇ!?
「あの…………どうして、アイリスとフィリアさんは、ここに?」
「そうですね…………とりあえず、場所を移しましょうか」
俺が尋ねると、フィリアさんは辺りをキョロキョロ見回しつつ、そう提案してきた。
「確かに、その通りですね」
俺達が今居るのは、王都の西門まで、あと10メートル程といった場所だ。
当然、人混みは凄まじく、先程から俺達には奇異の視線が向けられていた。
とてもじゃないが、落ち着いて話せる雰囲気では無いだろう。
「では、こちらに。…………アイリスちゃん、歩ける?」
「…………ぐす…………。はい…………」
フィリアさんが優しい声音で尋ねると、アイリスは涙混じりではあったものの頷いて、俺から身を離した。
そうして、フィリアさんの先導の元、俺達は歩き出したのだがーー
「…………ぐす…………」
アイリスは、目尻に溜まった涙を左腕で拭いつつも、右腕で俺のコートの袖をギュッと握り締めていた。
まるで、絶対に俺から離れないと、言うようにーー
「ーーアイリスちゃん、心配していたのですよ」
王都への街道はしっかり整備されているものの、周りは草木に囲まれていて、人気は無い。
だからこそ、俺達は街道を外れ、木々の中を分け入っていたのだが…………その途中、突然フィリアさんが声をかけてきた。
「シンさん、本来なら1時には王都に帰って来るはずだったのに、全然姿を見せないから。『シンさんの身に何かあったんじゃないか』、と。アイリスちゃん、顔を真っ青にして、ずっと不安そうにしていました」
「そ、そうだったんですね…………。それは、すいません」
「いえ。私は構いませんよ」
「…………アイリスも、ごめんね」
「…………ぐす、ぐす…………」
正直、どうしてフィリアさんが俺の帰宅時間を把握しているかは謎なのだが…………だけど、その情報を教えてもらった事で、1つ得心がいった。
(なるほど。だからアイリスはさっき、俺を心配するような発言をしたのか)
だからこそ、俺はフィリアさんとアイリスに、帰りが遅くなった事を謝罪したのだが…………すぐに返事を返してくれたフィリアさんに対し、アイリスはただ顔を俯かせて涙ぐむばかりだ。
(うぅ…………。アイリス、やっぱり俺を許してくれてないのかなぁ…………?)
そうして、俺が気まずい思いをしている間に、前を歩いていたフィリアさんが立ち止まる。
「それでは、ここにいたしましょうか、シンさん」
「そうですね」
辺りを見回すと、木々が少ない開けた場所だった。
フィリアさんの言うように、話をするにはちょうど良い場所だろう。
「それでは、早速本題に入りましょうか。…………と言っても、シンさんに話があるのは、私ではなくアイリスちゃんなんです」
「…………え…………。アイリスが…………?」
「はい。アイリスちゃん、あの日シンさんに酷い事を言ってしまった事を謝りたいそうですよ」
「…………は…………?」
フィリアさんの言葉を聞いた瞬間、俺は間の抜けた声を上げてしまう。
(…………ちょっと待てよ…………。あの日って、あの日だよな…………。アイリスがギルドから飛び出して、1人で『血染めの髑髏』に挑みに行った日…………)
確かに、俺はあの日、アイリスにいろいろな罵詈雑言の言葉を投げ掛けられた。「だいっキライ!」とも言われた。
だけど、それはそもそも、俺がアイリスに『計画』の事を話さなかったのが原因だ。
(謝るべきなのは俺で、アイリスじゃないだろう…………)
そうして、俺が呆気に取られて固まってしまっている間にも、フィリアさんは動き出すーー
「それじゃあ、私はお邪魔虫だろうから、ギルドに帰るわ。…………頑張ってね、アイリスちやん」
ーーポンッ
そう言って、アイリスの背中に軽く手を添える、フィリアさん。
フィリアさんの手に力は全く加わっていなかったものの、その光景はまるで、アイリスが勇気を出せるよう背中を後押ししているように見えた。
「……………………」
ーーコクリ
フィリアさんの後押しを受け、小さくーー本当に小さくだったけれど、アイリスは確かに頷いた。
もう大分落ち着いたのだろう。いつの間にか、アイリスから嗚咽の声は止まっていてーー
(ーーって、ちょっと待てよ…………)
フィリアさん今、「私はお邪魔虫だろうから、ギルドに帰るわ」って言ったような…………。
「それではシンさん、私はこれで失礼しますね。この子は、私が借し馬屋さんに返しておきますので」
「ーーって、フィリアさん!? ちょっと待ってください!」
ニール君の手綱を握って来た道を引き返そうとするフィリアさんを、俺は慌てて引き止める。
(気まずい雰囲気の俺とアイリスを置いて、帰らないでくださいよ!)
そんな情けない事を考えている事を、見透かされたたのだろうか?
フィリアさんは1度も俺達の方を振り返る事もなく、ニール君と共に足早に立ち去ってしまった。
「…………………………………………」
「…………………………………………」
そうしてこの場には、気まずい雰囲気の俺とアイリスだけが残された…………。
(ど、どうしよう…………!? ーーって、ダメだダメだ! こういう時こそ、年上の俺がしっかりしないと!)
1瞬は取り乱してしまった俺だったが、すぐに冷静になって気を取り直す。
それに、半ば無理矢理ではあったものの、フィリアさんがせっかく、俺とアイリスが話し合う場をセッティングしてくれたんだ。
この機会を活かして、アイリスにあの日の事を謝らなければーー
(ーーよし!)
俺は覚悟を決めると、未だに俺のコートの袖を握り締めて俯き続けているアイリスを見据える。
そしてーー
「…………なあ、アイリーー」
アイリスの名前を呼びかけた、その瞬間だったーー
ーークイッ、クイッ
アイリスが、今まで握り締めていたコートを袖を下方向に引っ張り始めた。
「? な、なに? アイリス?」
「…………………………………………」
ーークイッ、クイッ
出鼻を挫かれた形になってしまった。
とりあえず、アイリスに疑問の言葉を投げ掛ける俺だったが…………アイリスは無言で、コートの裾を引っ張り続けている。
(? 屈めって事なのかな?)
そう判断した俺は、屈んでアイリスの目線の高さに合わせると、改めて問いかける。
「どうした? アイリス?」
「……………………シンさん…………」
少しの時間を置いて、ようやく顔を上げてくれる、アイリス。
(こうしてアイリスと瞳が合ったのは、1週間ぶりか…………)
それはすなわち、アイリスが俺と瞳を合わせるのも、1週間ぶりという訳でーー
(…………相変わらず、クリクリとした可愛い瞳だな…………)
場違いにも、そんな感想をいだいてしまう、俺。
だけど、すぐに気付いたーー
(アイリス、目が真っ赤になってるじゃないか…………)
当然だよな。つい先程まで、ずっと泣いていたんだから…………。
「アイリス、大丈夫?」
ーーナデ、ナデ
心配になった俺は、空いている右手で、アイリスの左目の周りーーこめかみの辺りを優しく撫でる。
その、瞬間だったーー
「ーーっ! シンさぁん…………!」
アイリスの瞳から、ボロボロと大粒の涙が溢れ出す。
そしてーー
ーーギュ~ッ!
「ごめんなさい…………! わたし、こんなに優しいシンさんに、酷い事をあんなにたくさん…………。ごめんなさい…………ごめんなさい、シンさぁん!」
両腕を俺の背中に回してーー
顔を俺の肩に預けてーー
謝りながら、わんわんと泣き続ける、アイリス。
そんなアイリスの姿を見て、俺はようやく、悟ったーー
(…………ああ…………。バカだな、俺は…………)
ヴィヴィさんに、アイリスに謝るように言われてから、今日までーー
俺は、アイリスに誠意を伝える為に、どれだけ沢山の言葉を尽くせばいいのかを、ずっと考えていた。
だけど、違ったんだ。たくさんの言葉なんて必要なかった。今のアイリスみたいに、「ごめんなさい」と、ただ1言だけでいい。
それだけでも、気持ちは充分に伝わるんだーー
(…………まったく。そんな単純な事を子供のアイリスに教えられるなんて、大人なのに情けないな、俺は…………)
きっと、今までずっと1人で強さを追い求め続けていたから、そんな当たり前のことすら学べなかったんだろう。
だけど、気付けたのならーー今からでも遅くはない。俺も、アイリスに謝ろう。
ーーギュ~ッ!
アイリスの想いに応える為に、この子の体を思いっきり抱き締め返す。
こうして、この子の体を抱き締めた事は、これまでも何回かあった。その時は、力強く抱き締めたら、女の子であるアイリスの体を壊してしまいそうで恐かったから、優しくソッと抱き締めてきた。
だけど今は、たとえ痛くても、力一杯抱き締めた方が良いと思ったからーー
「ーーもう。バカだなぁ、アイリスは…………」
お互いに抱き締め合っているしーー何より、アイリスは俺の肩に頭を預けている。
だから、小さな声でも充分にアイリスに届くだろう。俺は、優しく静かに、アイリスに語りかけていく。
「アイリスが謝る必要なんか無い。悪いのは、アイリスに黙って1人で勝手に決めてしまった俺だ」
だからーー
「ごめんなさい、アイリス」
先程のアイリスと同じように、このたった1言に、俺はたくさんの気持ちを込めた。
「…………………………………………」
アイリスからの返答は無い。
ちゃんと、俺の気持ちは伝わっただろうか? そうな不安を抱いてしまう。
だけど、そんな心配は杞憂だったようだーー
ーーギュ~ッ!
間もなく、アイリスが俺の体を抱き締める力を、更に強めてきた。
男の俺でさえ、ちょっと痛いと感じる位だ。まったく。その小さな体の、どこにそんな力があるんだか…………。
「…………シンさん…………」
今度は、アイリスが俺に語りかけてくる。
その声は、少しだけ震えていたーー
「わたし、あの時シンさんに酷い事をたくさん言ってしまいましたけど…………そんな事、これっぽっちも思っていません」
「…………そうか」
「わたし、シンさんに『だいっキライ!』って言ってしまいましたけど…………本当は、昔も今も、ずっとずっと大好きです」
「…………そうか。俺もアイリスの事、昔も今も、ずっとずっと大好きだよ」
「ならーー」
そこまで言った所で、俺の体を抱き締めるアイリスの力が、フッと緩んだ。
俺も、アイリスの体を抱き締める力を弱める。すると、アイリス少しだけ体を離して、俺の瞳を目と鼻の先ほどの至近距離から覗き込む。
「ならーーもう1度、シンさんと一緒に暮らしても良いですか? もう1度ーーわたしを家族にしてくれますか?」
頬を微かに赤く染めて、そんなお願いをしてくる、アイリス。
(…………ははっ。何だか、まるで愛の告白みたいだな)
ーーって、そんなくだらない事を考えている場合じゃないな。早く返事をしないと、アイリスを不安にさせてしまう。
(と言っても、俺の返事は、考えるまでも無く決まっているんだがーー)
俺は、アイリスの瞳をしっかり見詰めてーーコクリと頷く。
「ああ。こんな俺で良ければ、喜んで」
「~~ッ! シンさん!」
感極まった様子で再び俺に抱き着き、わんわんと泣き始める、アイリス。
そんなアイリスに感化されたのか、気付けば俺の頬にも涙が伝っていた。
(ああーーこうして泣くのは、一体何年ぶりだろうか?)
たしか…………15歳になる前だったから、7年ぶり位か。
あの時は、もう2度と泣かないと誓ったものだがーー嬉し涙なら、悪くはないな。
ーーギュ~ッ!
(ーーって、今はそんな昔の事は、どうでも良いか)
アイリスに再び痛い位の力で抱き締められた事で我に返った俺は、お返しとばかりに抱き締め返す。
「えへへ~。シンさぁん…………!」
ーースリスリ
すると、まるで甘えるかのように、アイリスが俺に頬擦りをしてきた。
そのアイリスの瞳には、未だに涙が滲んでいたけれど…………それでも、その表情には幸せそうな微笑みが浮かんでいた。
俺もまた、アイリスと同じような表情をしているのだろう。
「シンさん」
「なに、アイリス?」
唐突に、俺の名前を呼ぶ、アイリス。俺は、すぐに尋ね返したのだが…………何故か、アイリスはすぐには答えてくれず、たっぷりと間を置いている。
(なんだか、アイリスがそうしていると、以前「だいっキライ!」って言われたのを思い出してしまうな…………)
だけど、今回はその心配は無いだろう。
何故なら、今のアイリスの表情は、あの時とは違うんだからーー
「えへへ~」
やがて、俺にふにゃふにゃと蕩けた笑みを向けてくる、アイリス。
そしてそのまま、あの時とは正反対の言葉を、口にしたーー
「だ~いスキ!」
そうして、俺達はもう1度家族にーー
もう1度、親子になったのだったーー




