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アイリスとフィリア

アイリス視点

孤児院の自分の部屋の片隅で(うずくま)りながら、考えるーー

シンさんに捨てられてしまってから、一体どの位の時間が経ったんだろう?

たぶん1週間位だと思うけど…………わたしにはこの1週間が、何ヵ月にも、何年にも感じられた。


(……………………わたし、どうしてシンさんに、あんなヒドイ事を言っちゃったんだろう…………)


大好きだったのにーー

優しく、強くて、頼りがいがあって、格好いいーーけど、意外と子供っぽかったり、かわいい1面もある、シンさん。

物心つく前に実の父親を亡くしたわたしにとって、シンさんは2人目のお父さんみたいな存在だった。

この人と、ずっと一緒に居たい。この人と、家族になりたい。ーーそう思っていたはずなのに、わたしは1時(いっとき)の怒りに身を任せて、シンさんに酷い事をたくさん言ってしまった。


『アイリス、あなたはカッとなりやすい所があるから、気を付けなさい』


昔、お母さんによくそう注意されたけれど…………確かに、その通りだと、自分でも思う。

わたしは、いつもそうだ。小さな事ですぐにカッとなって、感情のままにヒドイ事を言ってしまう。だけど、すぐに冷静になって、その時の自分の言動を後悔するんだ…………。


(…………たしか、シンさんと初めて出会った時も、そうだったっけ…………)


フィリアさんから、お母さん達が『血染めの髑髏(ブラッディスカル)』に殺されたと聞かされた、あの時ーー

わたしは、『どうして、もっと速く来て助けてくれなかったの』と言って、シンさんを叩いてしまった。

すぐに、それがただの八つ当たりだと気付いたわたしは、翌日にシンさんに謝った。その時は、シンさんはすぐに許してくれたけど…………今回は、許す気は無いのだろう。

だからこそ、シンさんはこうして、わたしを孤児院に捨てたのだ。


(…………誓ったはずなのになぁ…………)


いつかSランク冒険者になって、シンさんから受けた恩を何倍にもして返す、と。

シンさんがわたしを幸せにしてくれたみたいに、わたしもシンさんを幸せにしてみせる、と。


(…………だけど、これじゃあもう、あの日の誓いを果たす事は出来ないね…………)


はぁー、と。わたしの口から、深く重たい溜め息が漏れる。

とーー


ーーカーン、カーン、カーン、カーン


まるでタイミングを合わせたかのように、お部屋の外から鐘の音が聞こえてきた。


(……………………そっか。もう、お昼なのか…………)


今の鐘の音は、この孤児院に併設された学校から鳴ったものだ。

鐘の音は、4回。午前中の全ての授業が終わり、お昼休みの時間だ。

この学校は、孤児院で暮らす子供だけでなく、王都に住んでいる子供なら誰でも利用出来るらしい。

王都に住んでいる子供は、1度お家に帰ってお昼ご飯を。孤児院で暮らしている子供は、皆一緒に孤児院の食堂でお昼ご飯を食べる事になっている。

孤児院で暮らしているわたしは、食堂に行かないといけないんだけどーー


(……………………いいや。お腹空いてないし…………)


わたしは食堂には行かず、この場に(うずくま)り続ける事にした。

この1週間、わたしはずっとこの調子だ。食堂にも学校にも行かず、1日のほとんどの時間、自分のベッドの上で(うずくま)り、あの日の事を後悔し続けている。

心配したシスターさんが、毎回食事を持って来てくれるけど…………何故だか食欲が全然湧かなくて、ほとんど手をつけていなかった。


(…………自分でも、このままじゃイケないって、分かってはいるんだ…………)


孤児院のシスターさん達も、こんなわたしを心配してくれている。

だから、早く元気にならないといけないって、思ってはいるんだけど…………今はまだ、元気になれそうにない。


(…………まあ、もしかしたら、ずっとこのままかもしれないけどね…………)


それでも良いかなー、と。わたしが、そんな自虐的な事さえ考えているとーー


シスターさん(お母さん)、お腹空いたー」「今日のお昼ご飯は、なにー?」「今日のお昼ご飯は、シチューよ」「やったー! わたし、シチュー大好き!」


お部屋の外から、大勢の人の気配と、楽しそうな話し声が聞こえてきた。


(孤児院の子供達が、学校から食堂に移動している所なのだろうな…………)


その会話を聞いていると、イヤでもシンさんと過ごした日々を思い出してしまう。

わたしもよく、料理中のシンさんに、ご飯の内容を聞いたっけ…………。


(…………それにしても、シチューか…………)


シチューは、わたしの好物だ。

お母さんがよく作ってくれたシチューは、具が少なくてスープばかりだったけど…………それでも、わたしはお母さんのシチューが大好きだった。


(思えば、シンさんがわたしに作ってくれた初めての手料理もまた、シチューだったな…………)


シンさんが作るシチューは、お母さんが作るシチューとは違って具がたくさん入った豪華な物でーーそして何より、傷付いたわたしの心をポカポカ温めてくれる程に、たっぷりの愛情が詰まった物だった。

わたしにとって、シンさんが作るシチューは、お母さんが作るシチューと同じ位…………ううん。もしかしたら、お母さんのシチュー以上の大好物なのかもしれない。

だけどーー


(…………わたしはもう、お母さんのシチューも、シンさんのシチューも食べられないんだね…………)


もう1度、シンさんが作るシチューを食べたいなー、と。

そんな、もう叶う事のない願い事をしているとーー


ーーコンコン


扉から、ノックの音が聞こえてきた。

 

(きっと、シスターさんが、わたし用のシチューを持って来てくれたんだろうけど…………今は、食べたくないかな)


もちろん、食欲が無いというのもある。だけど1番の理由は、ちょうど今、シンさんが作ってくれた愛情たっぷりのシチューを思い出していたからだ。

そんな時に、他の人が作ったシチューを食べたいとは、失礼だけれど思えなかった。


「…………………………………………」


だからこそ、わたしはノックの音に返答をしない事で、拒絶の意思を示す。

なのにーー


ーーガチャ


「…………え…………」


扉が開く音が聞こえてきたので、ビックリしたわたしは、顔を上げて扉の方を見る。

そして、来訪者の姿を見て、わたしは更に驚く事になる。


「アイリスちゃん? 居ないの?」


「ーーっ!? フィリアさん!?」


わたしの部屋を訪れたのは、シスターさんじゃなくて、フィリアさんだったのだ!


「良かった。居たのね、アイリスちゃん」


扉を少しだけ開き、室内を覗き込んでいたフィリアさんは、わたしの姿を確認すると、ホッと安心した様子で部屋の中に入って来た。

ーーって!


「ど、どうして、フィリアさんがここに!?」


「とりあえず、隣に座っていいかしら、アイリスちゃん」


「ど、どうぞ…………」


困惑するわたしを余所に、いつもの調子で尋ねてくる、フィリアさん。

わたしが頷くと、フィリアさんは「ありがとう」と言って、ベッドサイドに腰掛けた。

そんなフィリアさんに、わたしは改めて問いかける。


「そ、それで、フィリアさんは、どうしてここに?」


「あら? 友達に会いに来るのに、理由なんているかしら?」


「…………え…………」


フィリアさんの友達発言を聞いた瞬間、わたしは不意をつかれたような気持ちになってしまう。

と、そんなわたしの反応を見たフィリアさんが、からかうような笑みを浮かべる。


「あら? その反応…………もしかして、アイリスちゃんは私の事を、友達と思ってくれてなかったのかしら? 私はアイリスちゃんと、結構親しいつもりだったのに…………残念…………」


「ち、違いますよ! わたしだって、フィリアさんとは親しかったつもりです! た、ただーー」


「ただ?」


「そ、その…………。わたしとフィリアさんって、結構歳が離れてるじゃないですか。だから、わたしにとってフィリアさんは、友達というより、お姉さんっていう感じでした」


「お姉さん、か。…………ふふっ。それも悪くないわね。私、1人っ子だったから、アイリスちゃんみたいな可愛い妹が出来て、嬉しいわ」


そう言って、フィリアさんは本当に嬉しそうに微笑んでくれた。

もちろん、わたしも嬉しかった。


(シンさんとの関係は壊れてしまったけど、フィリアさんとの関係はまだ残ってるんだ…………)


そう考えると、何だか少しだけ救われた気がした。


「…………えーと…………。どこに入れたかしら…………?」


ーーゴソゴソ


ふと気付くと、フィリアさんが持参した手持ちカバンを開けて、何かを探している所だった。


「? フィリアさん、何を探してるんですか?」


「…………ふふっ。ねぇ、アイリスちゃん。今日が何の日か分かる?」


気になったわたしが尋ねるも、逆にフィリアさんから問い返されてしまった。


(? 今日が何の日って…………あれ? そもそも、今日って何日だっけ?)


この孤児院に来て、だいたい1週間位の時間が経っていると思うけど、具体的に何日かまでは分からなかった。


「ーーあっ! あったわ!」


わたしが首を(かし)げている間に、フィリアさんはどうやら、探し物を見付けたようだ。

顔を上げて、カバンからわたしに視線を移すフィリアさんだったけど…………両手は未だに、カバンの中だ。


(? 何なんだろ? フィリアさんのあの、何かを勿体ぶるかのな仕草は?)


わたしが不思議に思っていると、ようやく今日の日付を教えてくれる気になったのか、フィリアさんはこちらに笑顔を向けながら、口を開く。


「ーーふふっ。アイリスちゃん。今日はね…………4月17日よ!」


「…………え…………4月17日…………? それって…………」


「そう! 今日、4月17日はアイリスちゃんの誕生日よ! 13歳の誕生日おめでとう、アイリスちゃん! はい! これ、誕生日プレゼントよ!」


そう言って、カバンの中から1通の封筒をわたしへ差し出す、フィリアさん。

わたしは呆然としつつも、半ば反射的にフィリアさんから封筒を受け取る。


「…………フィリアさん、覚えててくれたんですね…………」


「もちろんよ! アイリスちゃん、以前教えてくれたわよね。4月17日の誕生花は、アイリス。だから、お母さんはわたしにアイリスという名前をつけたって」


確かに、フィリアさんには以前、わたしの名前の由来を説明した事がある。

でもそれは、もう2週間は前ーー『ルル』の村でのお葬式の後、毎日売れ残り依頼がないかチェックするため、シンさんと一緒にギルドを訪れた時の、数分間のフィリアさんとの雑談の中でのはずだ。


(まさか、それを覚えててくれたなんて…………ふふっ。嬉しいなぁ…………)


と、そうだ。ちゃんと、フィリアさんにお礼を伝えないと。


「ありがとうございます、フィリアさん! この封筒、開けてみていいですか?」


「ええ。もちろんよ」


フィリアさんから了承を貰ったわたしは、改めてプレゼントされた封筒を見つめる。


(あっ! この封筒、かわいいっ!)


たぶん、プレゼント用の封筒なんだろう。

封筒には、リボンとロウソクの付いたケーキがデザインされていた。


(…………んー…………中身は何かなぁ…………)


せっかくなので、わたしはすぐに封筒を開かず、中身を予想してみる事にした。


(うーん…………封筒に入ってる訳だし、お金かなぁ…………)


最初はそう思ったけど…………どうやら違うようだ。

硬貨が入っているにしては、この封筒は明らかに軽すぎる。


(まあ、誕生日のプレゼントがお金だと、何だか寂しいか…………)


わたしは続いて、封筒を指で撫でみる。


(感触は…………うーん…………紙、かなぁ…………)


ただ、封筒には厚みがないから、入っている紙はたぶん1枚だと思う。


(…………………………………………! そっか、分かった! これ、バースデーカードだ!)


『ルル』の村で暮らしていた頃に、聞いた事がある。

王都では、誕生日にお祝いの言葉を綴った、バースデーカードというものが流行っている、と。


(よーし! それじゃあ、中身を開けてみよう!)


中身を推理し終えたわたしは、ワクワクしながら封筒を開く。

予想通り、封筒の中には折り畳まれた紙が1枚入っていた。


(という事は、やっぱりバースデーカードなのかなー)


ーーペラッ


十中八九そうだろうなー、と。

そう思いながら、わたしは折り畳まれた紙を開きーー


戸籍謄本(こせきとうほん)


「…………え…………」


ーー1番上に書かれている文字を見て、絶句した。


(…………こ、これ、バースデーカードじゃ、ない。戸籍だ…………)


戸籍には、2人分の名前と生年月日などの情報が記されている。

まず、上に書かれている名前はーー


『シン・シルヴァー』

『世帯主との続柄 本人』


そして、その下にはーー


『アイリス・シルヴァー』

『世帯主との続柄 長女』


「…………フィ、フィリアさん。こ、これ…………」


手に持った戸籍を読み終えたわたしは、おそるおそる顔を上げて、震える声でフィリアさんへと尋ねる。


「ふふふっ。驚いたかしら、アイリスちゃん。どうやらね、『ルル』の村の葬式の日に、シンさんがセンドリックさんに頼んでいたみたいなの」


そう教えてくれたフィリアさんの顔には、まるでイタズラが成功した子供のような笑みが浮かんでいた。


(そ、そうだったんだ…………。あの時は、自分の事にいっぱいいっぱいで、全然気付かなかったな…………)


わたしが呆気に取られていると、フィリアさんは「やれやれ」と肩をすくめる。


「やれやれ。お役所仕事って、遅くて困るわよね。シンさんがセンドリックさんに頼んでから、もう2週間よ。私がセンドリックさんを急かさなかったら、もっと遅かったかもしれないんだから」


「……………………………………」


はぁー、と。ため息を吐きながら、この戸籍についての経緯を教えてくれる、フィリアさん。

それでも、わたしが何の言葉も(はっ)せずにいると、フィリアさんは表情を真剣なものへと変え、静かに語り始めた。


「シンさんからーー正確にはヴィヴィさん経由でなのだけれど、あの後に何があったか聞いたわ。アイリスちゃん、助けてくれたシンさんに、いろいろ酷い事を言ってしまったみたいね」


「ーーっ! そ、それは…………」


フィリアさんの口からシンさんの名前が飛び出した瞬間、ビクッと体がすくみ、わたしは顔を(うつむ)かせてしまう。


「アイリスちゃんはそのせいで、シンさんとの関係が壊れてしまったと思っているのでしょうけど…………でもね!」


だけど、フィリアさんの口調は、すぐに明るいものへと変る。

釣られてわたしが顔を上げると、口調に合わせるように、フィリアさんの表情も、満面の笑みへと変わっていた。


ーーピッ


そして、フィリアさんはわたしが持つ戸籍を指差すとーー


「少なくとも、書類の上ではまだ、アイリスちゃんはシンさんの娘なのよ!」


ーーそんな、まるで夢みたいな事を言ってくれた。


「ーーっ! で、でも…………!」


それなのに、わたしはフィリアさんの言葉を素直に受け入れる事が出来ず、反論しようとしてしまっていた。

何故なのか、自分でも分からない。だけど、もしかしたら…………そんな虫の良い話がある訳ない、と。そう思ったのかもしれない。


(…………そうだ。虫が良すぎる…………)


だってーー


「わたしは、シンさんに酷い事をたくさん言ってしまいました。今更謝った所で、シンさんが許してくれるはずーー」


「ーーあら。なに言ってるの、アイリスちゃん」


「え? な、何って…………」


「アイリスちゃんが謝る必要なんて、無いわ! 謝るべきなのは、アイリスちゃんに嘘を吐いていた、シンさんの方よ!」


「ええっ!?」


わたしの言葉を途中で遮って、とんでもない事を言ってくる、フィリアさん。

そんなフィリアさんに、わたしは驚愕の声を上げてしまう。


「いやいやいや!? 悪いのは、どう考えてもわたしの方ーー」


「私は、ちゃんと説得しようとしたのよ。アイリスちゃんを本当に想うなら、正直に話した方が良いって。それなのに、私の意見に全然耳を傾けてくれないしーー本当、酷い人よね、シンさんって!」


わたしは、必死にフィリアさんの言葉を否定しようとしたのだけれど…………フィリアさん、わたしの話を全然聞いてくれないよ!


「それに、アイリスちゃんーー」


「な、なんでしょう…………」


「確かに、アイリスちゃんはシンさんに酷い事をたくさん言ってしまったかもしれないけれど…………でもその中には、アイリスちゃんの本音も含まれていたのではないかしら」


「ーーっ! そ、それは…………!」


フィリアさんからの指摘を、わたしは否定する事が出来なかった。


(だって、フィリアさんの言う通りだから…………)


『わたし、シンさんに沢山の愛情を貰ってるって思ってたけど…………どうせ、それもウソだったんでしょ!』

『言い訳しないで! ウソつきのシンさんの言葉なんて、信じられる訳ないでしょ!』

『…………シンさんなんて…………シンさんなんて…………』

『だいっキライ!』


これらのセリフは、カッとなったわたしが勢いで言ってしまった、心にもない言葉だ。

酷い事を言ってしまって、シンさんには本当に申し訳ないと思っている。


『シンさん、わたしにウソを吐いていたんですね…………。わたしはシンさんを信じていたのに…………。ヒドイ…………ヒドイヒドイヒドイッ! シンさんのウソつき!』


だけど…………このセリフはだけは、フィリアの言う通り、(まぎ)れもないわたしの本音だ。

もちろん、冷静になった今なら、わたしを想ってくれたシンさんの、不器用で優しいウソだったと理解はしている。


(けど…………たとえそうだとしても、信じていたシンさんにウソを吐れてショックだった事に、やっぱり変わりはないから…………)


でも…………たとえシンさんのウソが、全ての原因だったとしてもーー


「それでも、わたしがシンさんに酷い事を言ってしまったのは、間違いない事ですから。フィリアさんがわたしを庇ってくれる嬉しいですけど…………やっぱり、謝るべきなのは、わたしだと思います」


「ーーそう。自分の間違いを素直に認めれるなんて、まだ13歳なのに、アイリスちゃんは強いわね」


わたしの結論を聞いて、まるで(まぶ)しい物でも見るかのように、瞳を細める、フィリアさん。

その言葉通り、フィリアさんは自分よりも遥かに年下であるばずのわたしを、本当に尊敬しているような眼差しで見つめていて…………わたしは、何だか気恥ずかしくなってしまう。

そんなわたしに、フィリアさん柔かく優しい微笑みを浮かべると、改めて提案してきた。


「でも…………それならやっぱり、アイリスちゃんはシンさんに会いに行くべきよ。もう1度会って、シンさんはアイリスちゃんに嘘を吐いた事を。アイリスちゃんはシンさんに酷い事を言った事を。お互いに謝りましょう。そして、お互いに許し合って、仲直りしましょう! ねっ!」


「…………………………………………」


フィリアさんからの提案を受けて、わたしは再び、顔を(うつむ)かせる。

だけど、今回はマイナスの気持ちからじゃない。

わたしは、見ていたのだ。未だに両手の中にある、フィリアさんからの誕生日プレゼントをーー


『シン・シルヴァー』

『世帯主との続柄 本人』


『アイリス・シルヴァー』

『世帯主との続柄 長女』


何でだろう? この戸籍を見ていると、勇気が湧いてくる。


(まるで、今まで『絶望』の闇に覆いつくされていたわたしの心に、『希望』の光が射し込んだみたい…………)


わたしは、先程のフィリアさんの言葉を思い出す。


『少なくとも、書類の上ではまだ、アイリスちゃんはシンさんの娘なのよ!』


(…………たしかに、その通りだ…………)


これは、証明だーー

わたしとシンさんが、未だに父娘(おやこ)である事の、証明ーー

それなら…………もしかしたら、戻れるのだろうか? シンさんと父娘として過ごした、あの楽しかった日々に…………。


「…………フィリアさん…………」


「何かしら? アイリスちゃん?」


「…………シンさんは、わたしを許してくれるでしょうか? もう1度、わたしを家族として迎え入れてくれるでしょうか?」


それでも、あと1歩が踏み出せなかったわたしは、フィリアさんに背中を押してもらいたくて、そう尋ねてみた。

すると、フィリアさんは本当におかしそうに笑い始めた。


「なに言っているのよ、アイリスちゃん。私、前に言ったじゃない」


「?」


わたしが不思議に思っていると、フィリアさん昔の事を思い出しているのか、視線を上に向けながら、告げる


「『大丈夫、大丈夫。シンさん優しいから、こんな事じゃ怒らないわよ』。あとは…………そうね。『大丈夫。シンさんは優しくて、器の大きい男だから』」


「ーー! そう、ですね…………」


それは、シンさんがわたしを引き取ってくれた、まさにその日の出来事ーー

商店街での買い物中、シンさんに対して遠慮をして他人行儀だったわたしに、フィリアさんはそう言って諭してくれたのだ。


(そうだーーシンさんは誰よりも優しくて、器の大きな人。それは、誰よりもシンさんの近くで一緒に過ごしたわたしが、1番知っている!)


ーーガバッ!


「フィリアさん! わたし、シンさんに会いに行きます! 連れて行ってください!」


「ええ! もちろんよ!」


フィリアさんに最後の1押しをして貰ったわたしは、勢いよく立ち上がると、この1週間で1番力強い声で、そう告げる。

フィリアさんも、まるで自分の事のように喜んで、頷いてくれた。


「心配しなくても大丈夫よ、アイリスちゃん。孤児院への手続きは、もう終わっているし…………ここだけの話、今日シンさんがギルドに来る前に、売れ残り依頼の数を調整しておいたの。今から西門に向かえば、タイミングよくシンさんに会えると思うわ」


「ずいぶん用意がいいですね…………」


きっと、最初からそのつもりだったのだろう。

茶目っ気たっぷりに告げてくるフィリアさんに、わたしは思わず苦笑しながらも、未だに1人思い悩む。


(ーー本音を言えば、怖いんだ…………)


もし、シンさんがわたしを許してくれなかったら、どうしよう?

もし、シンさんがわたしを娘にしてくれなかったら、どうしよう?

そんな想像をしてしまうと、怖くて怖くて(たま)らなくなる。


『せめて、もう少し勇気が出るまで待ってみよう』


そんな弱気な考えも、頭に浮かんできてしまう。

だけど、それでもーー


(わたしはもう1週間も、大好きなシンさんと離ればなれだったんだーーたとえ拒絶されたとしても、今すぐにシンさんに会いたい!)


そうして、わたしは覚悟を決めるとーー


ーーガチャ


まるで、今まで閉じ籠っていた殻を破るように勢いよく扉を開き、これまでとは違う、力強い1歩を踏み出したのだったーー


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