シンとヴィヴィ
シン視点
「こんな時間までお疲れ様、シルヴァー殿。ここの料金は私が持つよ。ゆっくりしていってくれ」
ーーコトッ
「あ、ありがとうございます、ヴィヴィさん。いただきます」
優しい労いの言葉と共に、俺の目の前にお茶が入ったグラスを置いてくれる、ヴィヴィさん。
俺は、そんなヴィヴィさんにお礼の言葉を伝えると、目の前に置かれたグラスを手に取り、口に含んでいく。
ーーグビ、グビ、グビ
「…………はぁー…………」
意識はしていなかったが、仕事から帰って来たばかりという事もあり、喉が渇いていたのだろう。
俺は1口で、グラスの半分程のお茶を飲み干すと、まるでビールを1気飲みしたかのようなリアクションと共に、グラスをテーブルに置いた。
ーーコトッ
「さて、シルヴァー殿。1息ついたようだし、少し良いだろうか?」
「は、はい。何でしょう…………」
その瞬間、タイミングを見計らっていたであろうヴィヴィさんが、早速そう切り出してきた。
俺が動揺しつつも了承の返事を返すと、ヴィヴィさんは表情を真剣なものへと変えて話始めた。
「もう遅い時間なので、早速本題に入らせてもらう。…………シルヴァー殿。キミは、私達との約束を破ったな」
「や、約束? な、何の事でしょうか?」
てっきり、アイリスの事について責められると思っていたのだが、ヴィヴィさんからは予想外の単語が飛び出し、俺は困惑してしまう。
「惚けないでくれ、シルヴァー殿。アイリスちゃんがギルドから飛び出した後、キミはセンドリック殿に、『必ず、アイリスと一緒に帰って来ます』と言ったのだろう」
「な、なるほど…………。そういう事ですか…………」
確かに、俺はセンドリックさんに、ヴィヴィさん達にそう伝えてもらえるよう、お願いしたけれどーー
「でも、俺はちゃんと、アイリスを連れて帰って来ました。…………約束は、破っていないはずですけど…………」
「…………そうだな。だが、キミはその後に、アイリスちゃんを孤児院に預けたではないか」
「…………そうですけど…………。でも、アイリスを連れて帰って来たのは、事実です」
「……………………屁理屈だな…………」
「…………そうですね。屁理屈ですね…………」
ヴィヴィさんが言っている通り、俺が言っている事は、ただの屁理屈だ。
その自覚があるため、俺は目を逸らしつつも、素直にヴィヴィさんの言葉に頷いた。
そんな俺に対し、ヴィヴィさんは「やれやれ」と呆れた様子を見せながら、続ける。
「では、質問を変えようか、シルヴァー殿。…………何故キミは、アイリスちゃんを孤児院に預けた。私達は誰も、その後の事を聞いていないのだぞ」
「そ、それは…………」
確かにヴィヴィさんの言う通り、俺はアイリスを孤児院に預けた経緯や、王都の西門でセンドリックさんと別れた後に何があったのかを、誰にも説明していない。
(…………いや。説明したくなかった、と。そう言う方が、正しいだろうか…………)
…………だって、説明したら思い出してしまうから…………。
あの時、アイリスからかけられた、俺を拒絶する罵詈雑言の言葉を…………。
(……………………覚悟していた、はずなのにな…………)
アイリスを傷付ける覚悟をーー
アイリスに嫌われる覚悟をーー
アイリスに憎まれる覚悟をーー
(それらを覚悟した上で、俺はアイリスに『計画』を話さないという道を選んだはずなのに…………)
アイリスの言葉に傷付いたーーなんて、言うつもりはない。
…………そもそも、アイリスを傷付けた俺には、そんな事を言う資格は無いのだから。
だけどーー
(…………やっぱり、堪えたよなぁ…………)
はぁー、と。その時の出来事を思い出して、俺が無意識に溜め息を吐いているとーー
「だ、大丈夫なのか、シルヴァー殿。急に顔色が悪くなったが…………」
先程まで、静かに怒っていたはずのヴィヴィさんが、心底心配した様子で尋ねてきたのだが…………そんなに、俺は悪い顔色をしているのだろうか?
(…………うーん…………。このまま何も話さずにいると、必要以上にヴィヴィさんを心配させちゃうよな…………)
ヴィヴィさんも、エドさんと同じく優しい人でーーエドさんとは違い、ヴィヴィさんはその優しさが態度に現れる人なのだ。
(そんなヴィヴィさんをこれ以上心配させるのは、心苦しいよな…………)
…………………………………………仕方ない。どうせもう、半ば思い出しているようなものなのだ。
覚悟を決めて、その後の経緯を話すとしよう。
「いえ、大丈夫ですよ、ヴィヴィさん。ーーそして、ちゃんとお話します。俺がセンドリックさんと別れた後、何があったのか、全て…………」
そうして、俺はヴィヴィさんとエドさんに、その後の出来事を順に話していく。
1時間半以上前に王都を出たアイリスに追い付くため、俺は通常とは違うルートで『血染めの髑髏』の根城へ向かった事。
俺の予想よりも時間がかかってしまったものの、アイリスが『血染めの髑髏』相手に思っていた以上に善戦していたため、アイリスが殺される直前でギリギリ間に合った事。
その後、気絶したアイリスに代わり、俺が『血染めの髑髏』を全滅させた事。
そしてーーその後に、意識を取り戻したアイリスから、ウソを吐いていた事を責められ、「だいっキライ!」と拒絶された事。
「ーー以上です…………」
俺なそう言って、話を締めくくったのだが…………やっぱり、どうしても暗い気持ちになってしまうな。
「…………はぁー…………」
再び重たい溜め息を吐きつつも、話を聞き終えたヴィヴィさんとエドさんがどういう反応をするか気になった俺は、おそるおそるお2人の様子を伺う。
「…………………………………………」
エドさんは、神妙な顔を浮かべながら、腕を組んでいた。
きっと、何か思う所があるのだろうが…………先の言葉通り、今回の件に関しては口を出さず、無言を貫くつもりのようだ。
ーーチラッ
俺は続いて、ヴィヴィさんの様子を伺う。
たしか先程までは、ヴィヴィさんは目を瞑って、静かに俺の説明を聞いてくれいたが…………。
「…………はぁー…………。なるほど。だいたいの事情は分かったよ」
小さな溜め息と共にそう言って、閉じていた目を開く、ヴィヴィさん。
そして、ヴィヴィさんはそのまま、俺に視線を移したのだがーー
(…………な、なんだが、ヴィヴィさんが視線で、俺を非難しているような気がするな…………)
そしてどうやら、俺のその予想は正しかったようだ。
「ーーまあ、今回の件に関しては、キミが全部悪いと思うよ、シルヴァー殿」
「ーーうっ…………!」
ヴィヴィさんは、俺の目をしっかりと見据えると、本来なら言いにくいであろう事を、はっきりと言ってくれた。
「お、おい、ヴィヴィ…………」
さすがに見かねたのか、ヴィヴィさんに咎めるような声を向けるエドさんだったがーー
「エドは黙っててくれ」
ーージロッ
「あ、はい。…………すいません…………」
ヴィヴィさんに1睨みされ、すっかり言葉を失ってしまうのだった。
(…………エドさん…………)
こんな状況にも関わらず、相変わらず尻に敷かれているエドさんを見て、何とも言えない気持ちになってしまう俺だったがーーすぐにヴィヴィさんが視線を戻して来たため、俺は気を引き締め直す。
そんな俺に、ヴィヴィさんはまるで諭すような口調で話始めた。
「シルヴァー殿。今回の件で、キミの1番の失敗は何だか分かるかい?」
「…………えっ!? そ、それは…………」
「答えはね、キミが真っ先に、アイリスちゃんに謝らなかった事だよ」
ヴィヴィさんからの突然の問いかけに、咄嗟に言葉に詰まってしまう俺だったがーー答えを教えてもらって、思わず納得してしまう。
(確かに、ヴィヴィさんの言う通りだ…………)
俺は、アイリスのケガの心配をしたり、家に帰ろうとは言ったけれど…………1言も、謝っていないじゃないか!
(こんな当たり前の事に、ヴィヴィさんに言われて初めて気付くなんて…………。本当、情けないな、俺…………)
…………サァーッ…………
自分自身の不甲斐なさを自覚して、ショックのあまり、顔から血の気が引いていくのを感じる。
「シ、シルヴァー殿!? 顔が蒼白になってるが、大丈夫なのか!? わ、私が言うのもなんだが、あまり気に病み過ぎないでくれ!?」
よほど、俺は酷い顔色をしているのだろうか?
先程までの態度を1転させ、フォローの言葉をかけてくれるヴィヴィさんだったけどーーやっぱり、気に病むなっていうのは、無理だよなぁ…………。
「…………ほら見ろ。言い過ぎなんだよ、お前は…………」
「うるさい…………!」
落ち込んだままの俺を見て、エドさんとヴィヴィさんは、小声でそんなやり取りを交わしている。
(いけない。お2人を心配させないようにしないと…………)
そう思った俺は、何とか「大丈夫ですよ」という言葉を絞り出すもーーやはり、顔色は戻っていないのだろう。
ヴィヴィさんは変わらず、心配した表情のままだ。
「そ、それに、今からでも遅くない! アイリスちゃんに謝ろう?」
それでも、何とか俺を元気付けようとしてくれたのだろう。
ヴィヴィさんは、そんな提案をしてくれた。
だけどーー
「……………………無理、です…………」
「ど、どうしてだい、シルヴァー殿?」
俺は、今にも泣き出してしまいそうな声で、ヴィヴィさんの提案を拒絶する。
当然のように、ヴィヴィさんは困惑した様子で、疑問の声をあげている。
(……………………出来れば、その理由は話したくないんだけどなぁ…………)
だってその理由は、どう取り繕っても情けのないものだから…………。
(…………でもまあ、今更か…………)
だけど、俺はすぐに思い直す。
だってーーどうせもう、恥ずかしく情けない姿を、ヴィヴィさん達にはいくつも見せてしまったのだから。
(それなら、今更1つ増やした所で、変わらないよな!)
そんな風に開き直る事にした俺は、アイリスに謝れない理由を正直に打ち明けていく。
「…………情けない話なんですけど…………俺は、怖いんですよ」
「? 怖い?」
「…………はい。アイリスに謝りに行って、もしまた『だいっキライ!』って拒絶されてしまったら…………。それを想像すると、怖くて怖くて堪らないんです…………」
話してて、情けないなと自分でも思う。
俺は今まで、『血染めの髑髏』を始めとした残虐な盗賊団や、高位の魔物と幾度となく対峙してきたというのにーーそんなどの相手よりも、1人の女の子と対峙する方が、何倍も怖いと感じてしまっている。
(…………だけど、それが俺の、嘘偽りのない本音だから…………)
こんな情けない事を言っている俺に、ヴィヴィさんはどんな反応を返すのだろうか?
気になった俺が、ヴィヴィさんを注視するとーー
「…………………………………………」
ーープルプル
ヴィヴィさんは顔を俯かせた状態で、小刻みに体を震わせいた。
(? どうしたんだろうか?)
そう思った俺が、ヴィヴィさんに声をかけようとした、その瞬間だったーー
「ーープッ…………アッハッハッハッハ!」
今まで、ほとんど何も話さずに沈黙を守っていたエドさんが、ギルド中に響き渡る程の大声で笑い始めたのは。
「…………ふ、ふふふ…………。おい、エド。そんなに笑ったら、シルヴァー殿に失礼だろう」
「いやいや! ヴィヴィも、オレのこと言えないだろ!」
そんなお2人のやり取りを見て、気付く。
(…………俺、もしかして笑われてる?)
その事に気付いた瞬間、先程まで血の気が引いていたのがウソのように、ボッと俺の顔が熱くなる。
「ちょ、ちょっと! そんなに笑わなくても良いじゃないですか!」
「い、いや、すまない。だが、誤解しないでくれ、シルヴァー殿。私は決して、キミをバカにしている訳では無いんだ。…………ただ、キミが以前にも増して人間味が出てきたのが、嬉しくてな。ーーなあ、エド」
「ああ、ヴィヴィの言う通りだ。ホント、人間臭くなったな、お前…………」
そんなお2人に、俺は抗議の声を上げるが…………エドさんとヴィヴィさんから、そんな意外な返事が返って来て、俺は何も言えなくなってしまう。
(そうか…………お2人からは、そう見えるのか…………)
俺は、今の自分が以前よりも弱くなった、と。そうマイナスに解釈していたけれど、お2人はプラスに評価してくれているらしい。
人が変われば、見方も変わる。当たり前の事なのかもしれないが、この1年、1人でがむしゃらに強さを求め続けていた俺にとっては、まるで目からウロコが落ちたような気分だった。
まあ、それにしてもーー
「いい加減、笑いすぎじゃないですかね!」
俺は、未だに笑い続けているお2人に対し、先程よりも声を荒げて抗議する。
いくら、バカにされてる訳ではなかろうと、プラスに評価をしてくれていようとも、恥ずかしいは恥ずかしいのだ。
「す、すまない、シルヴァー殿」
俺の本気の怒りを感じ取ったのか、謝罪の言葉と共に笑うのを止めてくれる、ヴィヴィさん。
そんなヴィヴィさんに対し、エドさんは未だに「くくく」と忍び笑いをしている。
(…………もう、いいや…………。気にしないようにしよう)
そう決めた俺は、エドさんからヴィヴィさんへと視線を移す。
すると、ヴィヴィさんは慈愛に満ちた表情で、こんな質問をしてきた。
「…………なあ、シルヴァー殿。どうして、アイリスちゃんを孤児院に預けたのだ?」
「それは…………決めていたからです」
「? 決めていた?」
「はい。ヴィヴィさんからの提案を蹴って、『計画』を実行に移すと決意した時にーーもしアイリスが許してくれなかったら、孤児院に預けよう、と。その方が、アイリスにとって幸せだろう、と思って…………」
「なるほど。…………はぁー…………」
俺がアイリスを孤児院に預けた理由を聞いたヴィヴィさんが、溜め息を吐く。
どうやら、そんな俺に呆れ果てている様子だ。ヴィヴィさんは「やれやれ」と、首を振りながら、続ける。
「やれやれ。少しは人間味が出てきたかと思ったが、1度身に付いた悪いクセは、そう簡単には抜けないか」
「悪いクセ、ですか…………」
「そうだ。キミの、1度決めた事は曲げない所ーー1見、美徳に思えるかもしれないが、キミの場合は行き過ぎている。私達から見れば、キミは人の意見を聞かない、独りよがりな男だよ」
「そうですか…………」
確かに、ヴィヴィさんの言う通り、俺にはそういう所がある。それは俺自身自覚していたけれど、どうやらヴィヴィさん達には、俺の想像以上に、悪い印象を持たれていたようだ。
(以前の俺なら、何も感じなかったんだろうけど…………アイリスと出会った事で変わった今の俺にとって、ヴィヴィさんの言葉はショックだな…………)
そんな風に俺が落ち込んでいると、ヴィヴィさんは「とにかく」と言って、話のまとめに入り始めた。
「今回の件に関しては、キミとアイリスちゃんの問題だ。アイリスちゃんをもう1度引き取りなさいとは言わない。…………ただ、私から1つお願いがある」
「お願い、ですか…………?」
俺がおうむ返しに尋ね返すと、ヴィヴィさんは表情を真剣な物に変え、口を開く。
「ちゃんと、アイリスちゃんに謝りなさい。怖いかもしれない。また、拒絶されてるかもしれない。勇気が出ないと言うのなら、今すぐではなくていい。ーーそれでも、いつか絶対に謝りなさい」
「……………………そう、ですね…………」
たしかに、そのとうりだ。
アイリスを想っての行動だったとはいえ、あの子を傷付けた事に、変わりはない。
悪い事をしたら、謝る。当然の事だ。
(ヴィヴィさんが言うように、今すぐは勇気が持てないけれど…………それでも、勇気を振り絞って、近いうちにアイリスに謝りに行こう!)
もしかしたら、またアイリスに拒絶されるかもしれない。その時は、アイリスの気がすむまで、いくらでも罵詈雑言を受けよう。
そう決意した俺は、その旨をヴィヴィさんに伝える。ヴィヴィさんは、安心した様子で、笑ってくれたーー
…………
……………………
…………………………………………
(ーーあれ?)
それから、俺はエドさんヴィヴィさんと別れの挨拶を交わしてギルドを出ようしたのだがーーその直前になって気付く。
(そういえば、フィリアさんも俺に用事があるんじゃなかったっけ?)
たしかエドさんは、俺に用事があるのは、ヴィヴィさんとフィリアさんだと言っていたはずだ。
気になった俺は、フィリアさんとセンドリックさんが居る、カウンター席の方へと視線を向ける。
「それで……………………は、…………されましたでしょうか?」
「いえ。…………の方へ確認しましたが、まだ…………」
「では、可能な限り急いでもらえるよう、お伝え下さい。…………………………………………の、17日までに」
「はい。伝えておきます」
ーーと。何やら、真剣な様子で会話を交わしている、フィリアさんとセンドリックさん。
カウンター席まで多少距離があるせいか、所々聞き取れなかったけれど、どうやらフィリアさんがセンドリックさんに、何か頼み事をしているらしい。
(今日は14日…………いや、もう日付が変わっているから、正確には15日か。明後日だな)
17日に、何かあるんだろうか?
気になったものの、お2人はまだ、真剣な様子で会話を続けている。
(……………………とりあえず、帰るか…………)
お2人の間に話を中断させてしまうのは申し訳ないし、それに、もう深夜だ。
(フィリアさんからのお説教は、また後日聞くとしよう)
そう決めた俺は、ギルドの扉を開き、帰路に着くのだったーー




