シンの選択
シン視点
「『炎矢』!」
目標に向けて右腕をかざし、鋭い声で魔法名を唱える、アイリス。
すると、アイリスの右手の先に、炎で造られた5本の矢が出現した。
「…………っ! いっけぇ!」
ーードッドッドッドッドッ!!
どこか痛々しさを感じさせる、苦痛に満ちた声でアイリスが叫ぶと、5本の『炎矢』は放たれ、事前に俺が造っていた『障壁』の壁に命中した。
「…………はあ…………はあ…………はあ」
直後、両手を膝につき、荒い息を吐き始める、アイリス。
その表情は苦悶に歪んでおり、額には冷や汗が滲んでいる。
(この症状…………魔力切れが近いな)
当然だ。なにせ、アイリスが魔法の練習を始めてから、すでに2時間もの時間がたっているのだ。
いくらアイリスの魔力量が多いとはいえーーそして、いくら『矢』系魔法が初級の魔法とはいえ、2時間もの間、1度も休憩を挟まずに撃ち続けていれば、魔力切れを起こす。
「アイリス。これ以上はもう無理だよ。1度、休憩にしよう」
こうして、アイリスに休憩を勧めるのは、一体何回目だろう?
そして、俺のこの提案に対するアイリスの返答も、決まっているんだ…………。
「…………はあ…………はあ。…………まだ、です。まだ…………やれます!」
そう言って、力無く腕を伸ばそうとする、アイリス。
この2時間、俺はアイリスの執念じみた迫力に気圧され、魔法の練習を続けて来たが…………さすがに、もう限界だ。
俺は、『障壁』の魔法を解除すると、アイリスの元へと駆け寄り、その小さな体をギュッと抱き締める。
「…………ぁ…………シンさん…………」
「あまり心配をかけさせないでくれよ、アイリス。休憩にしよう。ねっ?」
「……………………はい。わかりまし、た…………」
ようやく了承の返事をくれたアイリスに安心したのも、つかの間ーー
ーーカクッ
「ーーっ!? アイリス? アイリスッ!?」
途端に、抱き締めていたアイリスの体から力が抜け、地面に倒れそうになってしまう。
俺は慌ててアイリスの体を支え、名前を呼び掛けるが…………返事が無い!?
(ーーっ! 気を失っている…………!)
その事を認めた瞬間、俺はアイリスを抱え上げ、魔法の練習をしていた庭から、家の中へと急ぐ。
(玄関は…………遠回りだな。リビングの窓から!)
1階のリビングには、庭へと繋がる大きな窓がある。
アイリスを1秒でも早く休ませてあげたかった俺は、遠回りになる玄関からでは無く、リビングの窓から室内へと入る。
そして、リビングに入ってすぐに目についた来客対応用のソファーに、アイリスを寝かせてやる。
「…………はあ…………はあ」
意識は無いながらも、苦しそうに顔を歪め、荒い息を吐く、アイリス。
俺は、そんなアイリスの額に手を乗せる。
(…………若干だけど、熱い。おそらく、微熱があるな)
この風邪にも似た症状、魔力切れによる典型的な症例だな。
「…………はぁ~!」
それを認めた俺は、安堵から大きな息をつく。
まあ、俺も十中八九そうだろうと思っていたのだが、万が1の可能性を考えると、気が気ではなかったのだ。
(良かった…………。魔力切れなら、このまま少し寝ていれば、回復するな)
風邪と違って、病気では無いのだ。
1~2時間ほど寝れば、多少は魔力が回復して、楽になるだろう。
(多分、最後に撃った『炎矢』5本で、魔力切れ寸前だったんだろうな)
その時点で、かなりキツかったはずだが、アイリスはその苦しさに、気力だけで耐えていたのだろう。
だけど、俺がアイリスを抱き締めた事による安心感と、あの子自身が休憩を取るのを了承した事で、張り詰めていた緊張の糸が切れて倒れてしまったと…………おそらく、そんな感じなんだと思う。
「まったく。無茶しすぎなんだよ、アイリス…………」
ふと見ると、額に滲んだ冷や汗によって、アイリスの前髪がおでこに張り付いてしまっていた。俺は、その前髪をかきあげながら、アイリスの無茶を咎めるように呟くがーー本当は、分かってる。
悪いのは、倒れるまで無茶を続けたアイリスじゃない。この子の無茶を止められなかった、俺だ…………。
「…………あれから、もう3日か…………」
そう呟きながら、俺の視線は自然と、壁に掛けられたカレンダーを捉える。
『ルル』の村で葬式を挙げた日から、今日で3日がたっていた。この3日間、アイリスはずっと、こんな調子だ。
さすがに倒れたのは初めてだが、俺が止めるのも聞かずに毎日、魔力切れ寸前まで魔法の練習を続けている。
その様子は、まさしく『必死』という表現がぴったり当てはまるだろう。
(キッカケはやっぱり、葬式に参加した事だよな…………)
葬式の日にも思った事だが、あの日、アイリスは見てしまった。『血染めの髑髏』の手によって無惨にも殺された、母親や村の皆の遺体を。
それをキッカケに、アイリスの『血染めの髑髏』への怒りや憎しみが強まったのだろう。
翌日からアイリスは、そんな負の感情に突き動かされるように、必死に修行にのめり込み始めてしまった。
(アイリスの修行内容を魔法中心にしてしまったのも、失敗だったかもしれないな…………)
エドさんやヴィヴィさんにも話したが、俺は最初からアイリスを冒険者として育てる気なんて無かった。
アイリスに初めて母親や村の皆の死を知らせた、5日前ーー『血染めの髑髏』への怒りや憎しみを顕にしているアイリスに、何をしでかすか分からないと、そんな不安を覚えた俺は、あの子を側に置いておく為の口実として、弟子にしただけ。
あの時から既に、『血染めの髑髏』は俺が殺すつもりだった。
(それなのに、形だけとはいえ、アイリスの体を鍛えるのは、可哀想だろう?)
ーーアイリスは、女の子なんだからさ。
男女差別のつもりは無かったけど、そう考えた俺は、修行内容を魔法中心にする事にした。
アイリスに魔法の才があった事で、それは上手くいった。
教える魔法も、決めていた。最低限、身を守る為の初級の攻撃魔法である『矢』系魔法。そして、何かと便利な『収納』。
イレギュラーで、『障壁』も教える事になったけど、後は『血染めの髑髏』が見つかるまで、適当に魔法の練習をさせるつもりだった。
その、はずなのにーー
「結果として、こんな事態になってしまったな…………」
気を失う直前、アイリスは『炎矢』を5本撃ってみせた。
いくらアイリスに魔法の才があるとはいえ、たった数日でこれだけの本数を撃てるようになるのは、ハッキリ言って異常だ。
(それを可能にしてるのが、怒りや憎しみといった負の感情、か…………)
本当、何でこんな事になってしまったんだろう?
アイリスには、笑っていてほしい。俺の望みは、ただそれだけなのに…………。
「…………はぁー…………」
と、ため息を吐くと同時に顔を俯かせた事で、気付く。
「…………ぁ…………俺、クツ履いたままだ…………」
焦るあまり、土足で家の中に入ってしまったようだ。
俺はそんな自分に呆れながら、クツを脱ぐ。
(クツを玄関まで持って行くついでに、冷えタオルの準備をするか)
いくら病気では無いとはいえ、微熱がある事に変わりない。冷やしたタオルをおでこに当てれば、少しは楽になるだろう。
そうして、立ち上がろうとした、その瞬間だったーー
ーーキュッ
「…………ん?」
俺の服の裾を、アイリスが掴んだ。
(もしかして、気が付いたのか?)
最初はそう思ったものの、アイリスの目は閉じたままだ。
どうやら、無意識のうちに、俺の服の裾を掴んだらしい。
「…………ごめんね、アイリス。ちょっとだけ離れるよ」
アイリスは今、意識を失っている。だから、この言葉は聞こえていないだろうけれど、俺は1応そう告げてから、アイリスの手をソッと離して席を立つ。
(…………さて、急がなくちゃな!)
実は、『ルル』の村の葬式の後に顕れたアイリスの変化は、1つだけでは無かった。
もう1つーーアイリスは、今まで以上に俺にベッタリと引っ付き、甘えるようになっていた。
もちろん、以前からアイリスにはそういう傾向があったが…………それでも、少しぐらいなら俺から離れて過ごす事も出来ていたはずだった。
それなのに今や、片時も離れないとでも言うように、1瞬さえ俺の側から離れる事をイヤがるようになっていた。
(きっと、アイリスは今、精神的に不安定な状態なんだろうな)
クツを玄関に置いて、洗面所で濡れタオルの準備をするだけ。
10分もあれば終わる事だが、もしその間にアイリスが目を覚まして、俺が側に居ない事に気付いたら…………きっと強い不安に襲われてしまうだろう。
だから、俺は足早に行動を開始する。
(まずは玄関…………)
玄関にクツを置いて、早足のまま洗面所へ。
隣の浴室から洗面器を持ってきて、洗面所の蛇口を捻り、洗面器に水を注いでいく。
「…………………………………………」
洗面器に水が溜まっていくのを待つ間、俺は考える。
『だけど、キミの決断には、その子の気持ちが全く考慮に入っていないじゃないか。…………たしかに、シルヴァー殿が言うように、『血染めの髑髏』を殺せば、その子の心のキズは癒えるかもしれない。しかしそれでは、今度は『信頼していた人に裏切られた』という、新しい心のキズが出来てしまうだけだぞ』
『ちゃんと、アイリスという子に、キミの考えを話そう? たとえ断られたとしても、根気強く話し合って、納得してもらうんだ。ーーきっと、それが最も最善な選択だよ、シルヴァー殿』
エドさんとヴィヴィさんに俺の『計画』を話した、あの時ーー俺はヴィヴィさんから、そんな提案を受けた。
あれから4日。俺は今日まで、この問題の結論を出せずにいたけれど…………この状況では、もはや選択の余地なんて無いだろう。
(4日前ならともかく、今のこの状態のアイリスに、俺が復讐を手伝う気が無いなんて、言える訳がない…………)
ーー覚悟を、しよう。
アイリスを傷付ける覚悟をーー
アイリスに嫌われる覚悟をーー
アイリスに憎まれる覚悟をーー
(ーーうん。決めた!)
ーーヴィヴィさんの提案は、受けない。『血染めの髑髏』発見の報が入り次第、計画を実行に移す!
(…………全部終わったら、アイリスにこれまでの経緯を正直に打ち明けて、誠心誠意謝らないとな…………)
アイリスは許してくれるだろうか?
…………もし、許してくれたなら、もうアイリスに嘘を吐くのは止めよう。
そして、保護者としてーー父親として、アイリスを愛していこう。
(…………だけど、もしアイリスが許してくれなかったら?)
……………………それはそれで、仕方ないだろう。
全ては、嘘を吐いていた、俺が悪いのだから。
『……………………なあ、アイリス。こんな俺がキミの保護者で、本当に良いのかい?』
『…………本当にキミの事を想うなら、孤児院にキミを預けて、ちゃんとした大人の人に、保護者になってもらうべきなんだろうか…………?』
ふと、グリフォン戦の時の、自分の左手を突き刺して、アイリスを泣かせてしまった際に考えていた事が、再び甦ってきた。
(…………………………………………うん。そうだな…………)
イヤだけど…………。凄く凄く、イヤだけど…………。
だけど、もしアイリスが俺を許してくれず、俺と一緒に暮らすのが嫌だと言われたら…………その時は潔く、アイリスを孤児院に預けよう。
(その方が、アイリスにとっても幸せだよな…………)
…………と、
ーービチャビチャビチャ
「ーーっとと!」
しまった。考え事に夢中になって、洗面器から水が溢れてしまった。
俺は慌てて水を止めると、洗面器の中身を溢してしまわないよう気を付けつつ、アイリスの元へと急ぐのだった。
アイリスに悟られてしまわないよう、決意は胸の奥底へと、隠したーー