シン。穏やかな日常の終わり
シン視点
時間は流れ、夜の11時すぎ。
俺は現在、自室のベッドで横になっていた。
「…………すー…………」
同じベッドの中では、アイリスが愛らしい寝顔を浮かべ、静かに寝息をたてている。
なぜ、今晩もまた、アイリスが俺のベッドで寝ているのかと言うと、今朝ギルドへ行く前にした約束の為だ。
『…………ほ、ほらっ! わたし達、今朝話して、家族になったじゃないですか! それなのにわたし、シンさんのこと何も知らないなーと思っててーー』
『うん。たしかに、アイリスの言う通りだね。今すぐはさすがに無理だけど、仕事が終わったら、ゆっくり話そうか。俺の事だけじゃなく、アイリスの事もいろいろ聞かせてね』
『…………ぁ…………。は、はい! いっぱいお話しましょうね!』
と、いう訳でーー
夕食と、その後片付け。そして、お互いにお風呂に入った後、俺のベッドで一緒に横になって、約束通りいろいろ話をしていたのだ。
ちなみに、一応言っておくが、場所が俺の部屋のベッドになったのは、アイリスがそう希望したからだ。
決して俺の意思では無いので、誤解しないようにーーって、俺は一体誰に説明しているんだろう?
(冒険者の間で流れているウワサのせいで、そういう事に敏感になっているのかもしれないな…………)
話を戻そう。
そうして、俺のベッドで話始めたのが、夜の9時頃。
そこから2時間程、お互いにさまざまな質問をし合っていた訳だがーーさすがに眠くなってきたのか、数分前からアイリスはウトウトし始めていた。
「アイリス、眠い? そろそろ寝ようか?」
「…………ううん…………。シンさんと、もっと話す…………」
かわいらしい、舌足らずな声でそう言っていたアイリスだったが、睡魔には勝てず、その後すぐに眠りについてしまった。
(まあ、無理も無いか)
アイリスの話では、昨夜眠った時間は、俺の部屋に忍び込んで来た、0時すぎ。
起きたのは朝の6時だし、そのうえ今日1日ずっと外に居たのだ。
(そんな状態で、まだ幼いアイリスがこんな時間まで起きていたのは、マズかったな。俺が気を使ってやるべきだった…………)
俺自身、アイリスと話すのが楽しくて、ついこんな遅い時間まで話し込んでしまった。
保護者として、反省しないとな。
ーーナデ…………ナデ…………
「…………えへへー…………」
俺は、アイリスが起きてしまわないようゆっくりと、その綺麗な銀髪を撫でる。
するとすぐ、アイリスの口元に笑みが浮かんだのだがーー寝てるんだよな?
(…………まったく。かわいい子だよ、ホント…………)
俺は、そのままのペースでアイリスの髪を撫でつつ、ふと先程の夕食の風景を思い出す。
「シンさん、シンさん! 夕ご飯のメニューは何ですか?」
帰宅後、俺がキッチンで夕食を作り始めるとすぐに、アイリスが興味津々といった様子で調理風景を覗き込みながら、尋ねてきた。
俺は食材の仕込みを続けながら、アイリスの質問に答える。
「ん? メインは豚ヒレ肉のトマトソース煮。あとは、パンとコーンスープだよ」
このメニューは、さっき買った食材と、家に余っていた食材から考えたものだ。
アイリスがどうかは分からないが、トマトの独特な酸味が苦手で食べられないと言う人が、子供だけでなく大人にも意外と多い。
という訳で、トマトはソースにして豚ヒレ肉と一瞬に煮込む事にした。
トマトは熱を通せば甘味や旨味が増すし、その独特な酸味はむしろ、肉の脂っこさをやわらげてくれる。
「えへへっ。楽しみです! シンさん、何かわたしに手伝える事はありますか?」
「うーん…………アイリスって、包丁使える?」
「使えますよ! もー! あんまり子供扱いしないで下さい!」
「あははっ。ごめん、ごめん。それじゃあ、包丁を使って、トウモロコシの実を芯からこそぎ取ってくれる」
「…………絶対、反省してないですよね…………はーい…………」
唇を尖らせて、むくれた様子を見せる、アイリス。だけど、そんな拗ねた表情も、やっぱり可愛くて。
俺は、いつものようにアイリスの頭を撫でたい衝動に駆られるも、アイリスはすでに、トウモロコシの実をこそぎ取る作業に入っている。
今、アイリスの頭を撫でて、包丁でケガしてしまっては大変なので、俺は何とか自制する。
「…………んしょ…………んしょ…………」
可愛らしく、かけ声を上げながら、トウモロコシの実をこそぎ取っていく、アイリス。
俺は自分の作業をしつつも、隣で包丁を扱っているアイリスがケガをしないか、ハラハラしながら見守る。
だけど、どうやら俺の心配は杞憂だったようだ。アイリスの手際は、なかなかのものだ。
(きっと、母親の手伝いを、よくしていたんだろうな)
そうこうしているうちに、アイリスの作業が終わる。
「シンさん。全部取り終わりました。残った芯はどこに捨てればいいですか?」
「ああ、待って待って。芯も、実と一緒に煮るから、まだ捨てないで」
「えっ!? 芯もですか!?」
「うん。トウモロコシは実だけじゃなく、芯からも旨味が出るからさ。もちろん、煮込み終わったら捨てるけどね」
「そうなんですね。勉強になります」
ーーそうして、アイリスにも手伝ってもらいながら、夕食のメニューである、豚ヒレ肉のトマトソース煮とコーンスープは、無事に完成した。
あとは、ここにパンも添えて、出来上がった夕食と、デザートに買ったシュークリームをアイリスと一緒に食べたのだが…………1つ、気になる事があった。それはーー
「えへへっ! シンさん! この豚肉のトマトソース煮、凄く美味しいです! シンさんはどうですか?」
「え? まあ、美味しいけど…………」
「そうですか! ちなみに、こっちのコーンスープはどうですか?」
「? うん。美味しいよ…………」
「えへへ~!」
と、こんな風に、アイリスは俺に、何度も何度も味の感想を聞いてきたんだ。
おまけに、俺が美味しいと答えるたびに、ご機嫌になるし…………一体、何だったんだ?
(買ってきたシュークリームはともかく、自分で作った料理を、自分で美味しいと言うのは、自画自賛みたいで恥ずかしいんだけどな…………)
ただまあ、美味しかったのは、事実だ。
いつもは、味気ないはずの食事が、アイリスと一緒に食べるだけで、何倍も美味しいと感じられたーー
「ーーホント、キミのおかげで、俺は変わったよ…………」
夕食時の回想から戻ってきた俺は、アイリスの髪を優しく撫でながら、感慨深く呟いた。
ーーと、
「…………えへへ~。シンさぁん…………」
ーースリスリ
寝ぼけているのかな?
隣で寝ているアイリスが、俺の胸に頬をスリ寄せきた。
(ははっ。なんでだろう? アイリスが寝言で俺の名前を呼んでくれたのが、凄く嬉しい)
今朝にも同じような事があったけど、その時にアイリスが呼んだのは、母親だったからな。
こうして、無意識に俺の名前を呼んでくれたって事は、少しはアイリスから、父親として認められたのだろうか?
(ーーっと、イケない、イケない! これ以上はアイリスを起こしちゃうかもしれないし、俺もそろそろ寝よう)
そうして、俺はアイリスの髪を撫でる手を止め、枕元にある照明の魔道具のスイッチを消す。
「…………おやすみ、アイリス」
最後に小さく呟いて、目を閉じる。
…………
……………………
………………………………………………
『だけど、キミの決断には、その子の気持ちが全く考慮に入っていないじゃないか。…………たしかに、シルヴァー殿が言うように、『血染めの髑髏』を殺せば、その子の心のキズは癒えるかもしれない。しかしそれでは、今度は『信頼していた人に裏切られた』という、新しい心のキズが出来てしまうだけだぞ』
『ちゃんと、アイリスという子に、キミの考えを話そう? たとえ断られたとしても、根気強く話し合って、納得してもらうんだ。ーーきっと、それが最も最善な選択だよ、シルヴァー殿』
(ーーっ!)
暗闇の中、眠りにつく為に目を瞑ってボンヤリしていると、ふとギルドでのヴィヴィさんの言葉が、頭の中に浮かんできた。
あれから数時間。俺はまだ、この問題の答えを出せずにいた。
(ヴィヴィさんの言っている事が最善だと、理解はしている。だけど、『血染めの髑髏』へ復讐する事を心の支えにしているアイリスに、『俺はキミの復讐を手伝う気が無い』なんて言う事が、本当に正しい事なんだろうか? いや、しかしーー)
…………
……………………
…………………………………………
しばらくはそんな事を考えていた俺だったが、やがて睡魔がやって来たようだ。いつの間にかウトウトし始めていた。
ーーと、
「…………ん~…………シンさ~ん…………」
ーーギュ~ッ!
ふと、隣で眠るアイリスから、抱き締められる感触がした。
甘えた声を上げ、少女とは思えない程の力で抱き締めてくる、アイリス。
(…………まったく。どんな夢を見てるんだか…………)
俺はボンヤリとした頭でそんな事を考えつつ、半ば無意識にアイリスの体を抱き締め返す。
ーーギュッ
大人の男である俺とは違い、女の子であるアイリスの体は、小さく柔らかい。
だから俺は、そんな繊細なアイリスの体を壊してしないよう、優しくソッと抱き締める。
「…………えへへ~…………」
そんなアイリスの幸せそうな微笑みを最後に、俺の意識は眠りについたのだった。
…………
……………………
…………………………………………
ーー翌日。
昨日とは違い、俺はいつも通りの8時に、アイリスと一緒に目を覚ました。
「おはようございます! シンさん!」
「ああ。おはよう、アイリス」
そうして、俺達は一緒に朝食を摂り、お互いに身支度を整えた後、昨日と同じように2人でギルドを目指す。
(昨日、エドさんとヴィヴィさんにお願いしたから、売れ残り依頼は無いと思うけど…………一応、チェックしておかないといけないからな)
そんな考えの元、念のためにギルドにやって来たのだがーー
「…………うん。どうやら、今日は売れ残り依頼は無いみたいだね」
ーー案の定、売れ残り依頼は無かった。
(良かった。これでアイリスを危険な目にあわせなくて済む)
ホッと一安心したのも、つかの間の事ーー
「という事は、今日は1日、シンさんから修行をつけてもらえるんですね!」
そう。アイリスの言う通り、売れ残り依頼が無いという事は、師匠として、弟子であるアイリスの修行をつけなければならないという事だ。
「…………ああ。とりあえず、昨日と同じように、『矢』系の魔法を練習しようか」
「はい! よろしくお願いします!」
俺はアイリスにそう提案するがーー正直に言えば、まともに修行をつける気なんて無い。
(昨日と同じように、自衛目的で覚えさせた初級の『矢』系の魔法を、適当にやらせるとしよう)
アイリスを騙している事に罪悪感は感じるものの、仕方がない。
まだ答えを決めていない以上、とりあえずはアイリスに不信感を持たれないよう、現状の維持に努めるしか無いのだから。
「それじゃあ、一旦帰ろうか、アイリス」
「はーい」
そうして、冒険者ギルドを出ようとした、その瞬間だったーー
ーーバァン!
冒険者ギルドの扉が、外側から思いっきり開かれたのはーー
「失礼します! こちらに、シン・シルヴァー様はいらっしゃいますか?」
ビシッと、敬礼しつつ尋ねきた人物の格好は、『セレスティア』の豊かな自然を表す、緑と青で装飾された全身鎧。あれは、この国の騎士団の物だ。
俺はその人物に見覚えがあった。彼は、精鋭部隊とも言われる第1部隊の副隊長、センドリックさんだ。
「? どうしました、センドリックさん?」
「おお! 良かった、おられましたか、シルヴァー様。という事は、そちらがアイリスさんですね?」
「はあ。そうですけど…………?」
数歳下である俺を様呼びするだけでなく、遥かに年下であるアイリスさえ、さん呼びなのは、ヴィヴィさんを超える程のクソ真面目なセンドリックさんらしいがーーしかし、気になるな。
(センドリックさんの言い方だと、まるで俺じゃなく、アイリスに用があるように聞こえるが…………)
そうして不思議がっている俺に、センドリックさんは、その言葉を口にするのだったーー
「騎士団による、『ルル』の村の調査が終わりました。本日夕刻、お葬式を挙げたいと思っているのですが…………どうされますか?」
ーーギュ~ッ!
瞬間、アイリスが繋いでいた俺の手を、痛い程の力で握ってきた。
ーーバッ
俺は慌てて、アイリスを見る。
「…………………………………………」
「ーーっ!」
アイリスは光を失った瞳で、何もない宙空を呆然とした表情で見つめていたのだったーー




