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この温もりを忘れない

アイリス視点

時間は少しさかのぼりーー

『セレスティア』の王都『コノノユスラ』の中央区の商店街。

ギルドの浴室で汚れを落としたアイリスは、冒険者ギルドのギルドマスターであるフィリアと一緒に、今後の生活に必要な物の買い物を行っていた。


「どう、アイリスちゃん。その服、サイズとか大丈夫?」


「は、はい。問題ないです。…………あ、あの。もしかして、この服、かなりお高いんじゃあ?」


アイリスは今、ピンクを基調とした新しいシャツとスカートを身に纏っている。アイリスがお風呂に入っている間に急いで買ってきた物らしい。


(この服の生地、すごく手触りが良いし、とても頑丈に縫製されてる。絶対、高いよね…………)


今まで村で着ていた服との、あまりの違いに困惑と心配の表情を見せる、アイリス。

そんな心配をするアイリスを他所に、フィリアは笑顔で返す。


「お金のことなら大丈夫。後でシンさんに請求するから」


「えっ!? それって、大丈夫なんですか?」


「大丈夫、大丈夫。シンさん優しいから、こんな事で怒らないわよ」


(そ、そういう問題じゃあ…………)


アイリスは、シンにとても感謝している。

身寄りがなく、孤児院に行くしかないわたしを引き取ってくれたこと。わたしを弟子に取って、復讐を手伝うと言ってくれたこと。

お母さんや村の皆の死を知らされた時は、『血染めの髑髏(ブラッディスカル)』という盗賊団への怒りや憎しみでそれどころでは無かったが、1度お風呂に入って冷静になった今、シンさんへの感謝、そして、申し訳なさでいっぱいだった。


(ひどい事も言っちゃったし…………)


お母さんや村の皆の死を知らされた時、わたしは、シンさんを責めてしまった。

何でもっと速く来てくれなかったの、何で助けてくれなかったの。そう言って、シンさんを叩いてしまった。

今なら分かる。あれは、ただの八つ当たりだ。行き場のない怒りを、シンさんにぶつけてしまった。シンさんは、何も悪く無いのに…………。

そんなわたしを、シンさんは責めなかった。それどころか、優しく抱き締めてくれた。ごめんねと、謝って頭を撫でてくれた。


(違う。謝らなければいけないのは、わたし)


そして、感謝の気持ちを伝えないといけない。

わたしを助けてくれたこと。わたしを引き取ってくれたこと。わたしを弟子にしてくれると言ってくれたこと。


(だからこそ、これ以上迷惑をかけたくない)


「ーー『迷惑をかけちゃいけない』。アイリスちゃん、もしかして、そんなこと考えてる?」


「えっ!?」


買い物の途中、フィリアさんが、いきなりそんな事を言ってきた。


「な、何で…………」


「あはは。これでも長生きしてるから」


そう言って、フィリアさんは真面目な表情で続ける。


「いいのよ、迷惑かけても。アイリスちゃんにとって、シンさんは師匠であると同時に、保護者でもあるの。書類上は義理の父親ってことになるわね。子供が親に迷惑をかけるのは当然のことよ。だから、いっぱいワガママ言って、いっぱい甘えちゃいなさい。大丈夫。シンさんは優しくて、器の大きい男だから」


(そんな事、出来るわけない)


確かに、アイリスに父親の記憶はほとんど無い。

だからといって、今日会ったばかりの人を、父親として見ろだなんて無理な話しだ。


(わたしにとっての家族は、お母さんと村の皆だけ)


「まあ、今すぐにとは言わないけどね。ーーさあ、買い物を続けましょう」


フィリアも、とりあえず言ってみただけで、これ以上話しを追及するつもりは無いらしい。

アイリスは、フィリアに手を引かれ、再び暮れなずむ商店街を歩き始めた。



ーーそれから、1時間ほどして。

商店街での買い物を終えたアイリスは、フィリアに案内され、新しい家となるシンの自宅にたどり着いた。


「アイリスちゃん。ここが、シンさんの家よ」


「…………大きい…………」


事前に、フィリアさんから、シンさんの事は聞いていた。

21歳でSランクになり、その時に国王様から爵位と一緒に貰った元貴族の家に住んでいると。

だから、立派な家に住んでるのだろうと思っていたが、これは想像以上だ。わたしの家の何倍の大きさだろう?


そんな風に、圧倒されているアイリスを他所に、フィリアはインターホンを押す。

十秒ほどして扉が開き、シンさんが出てきた。と、同時に、家の中から美味しそうな香りが漂ってきた。


(これ、シチューの香りだ)


シチューは、アイリスの母親がよく作っていた料理だ。具が少なく、スープばかりだったけど、アイリスはあのシチューが大好物だった。


(お母さん…………)


思い出される村での暮らし。貧しかったけど、それでもあそこには温かな生活があった。

もうあの日に戻ることは出来ない。全て、理不尽に奪われてしまった。


(だからこそ、わたしはここで強くなる。お母さんの、皆の仇を討つために!)


アイリスが改めてそんな決意を固めていると、シンとの会話を終えたフィリアが、アイリスの背中を押す。

その後押しに覚悟を決めたアイリスは、一歩足を踏み出す。


「し、失礼します! シンさん! 今日からよろしくお願いいたします!」


そんな硬い挨拶をするアイリスに対し、シンは優しい笑顔で返す。


「おかえり」


「ーーッ!? お、おじゃまします…………」


ただいま、とは言えなかった。

アイリスにとっての家は、『ルル』の村で母親と一緒に生活していたあの場所だ。ここでは、無い。


そうこうしている内に、フィリアさんは帰っていった。

シンさんは、夕食のシチューを勧めてくるが、わたしは不思議とお腹が空いていなかった。

だから、わたしは断ろうとしたけれど、シンさんに真剣な表情で、少しでも食べてほしいとお願いされてしまった。

少しだけなら、と頷くと、シンさんはわたしをリビングへ連れて行く。


「はい、おまたせ」


椅子に座って待っていると、すぐに深皿に盛られたシチューを出してくれた。


(凄い…………)


お母さんが作ってくれていたシチューと違って、具がたくさん入っている。とても豪華で、美味しそうだ。


「…………それじゃあ、いただきます」


お腹は空いてなったけれど、対面に座ったシンさんが、わたしが食べるのを待っていたため、とりあえずスプーンで掬い、一口頬張る。


「どう? おいしい?」


「……………………」


「…………え、えーと。アイリス?」


シンさんが味の感想を求めてくるけれど、わたしは返事を返さず、二口、三口とスプーンを口に運んでいく。

そして、四口目を食べたところでーー


「ーーッ!?」


わたしの瞳から、一粒の涙がこぼれる。


「ア、アイリス!? ご、ごめん! そんなに美味しくなかった?」


シンさんは、突然涙を流し始めたわたしを見て、困惑した様子を見せている。


(そんな事ないです。おいしいです。とても、とても美味しいです)


そう言いたいのに、涙がボロボロと溢れて止まらない。

わたしは、返事の代わりに、フルフルと首を振って、シチューを次々に食べ進めていく。


(どうして? どうして涙が止まらないの?)


わたし自身、不思議に感じていた。

涙はもう、あの時に枯れ果てたと思っていたのに。それなのに、なぜ涙が溢れてくるのだろう?

確かに、このシチューはとても美味しい。だからといって、それが涙を流す理由にはならない。


(一体、どうして?)


そう思いながら、さらに一口、口に運ぶ。


「……………………温かい」


ポツリと、無意識に言葉が漏れる。


(そう。温かいんだ)


出来立ての料理だから、温かいのは当然だ。でも、わたしが感じたのは、心が暖まるような、そんな優しい温かさだ。

そして、お母さんが作っていた料理もまた、こんな風に心がポカポカと暖まるような料理だった。


「…………あっ、無くなっちゃった…………」


夢中で食べているうちに、いつの間にか皿は空っぽになってしまった。


「もう一杯食べる?」


「…………はい」


わたしが、おかわりすると、シンさんは嬉しそうに微笑み、わたしの頭を少しの間撫でて、おかわりの用意を始めた。

鍋に向かうシンさんの後ろ姿を眺めながら、わたしはふと、お母さんの言葉を思い出す。

それはいつの事だっただろう? わたしはお母さんに、美味しい料理を作る秘訣を聞いたことがある。その質問に、お母さんはこう答えた。


『美味しい料理を作るコツはね、食べる人の事を想って、心を込めて作るの。そうすれば自然と、その人の心を満たす、そんな心に残る料理になるわ』




ーー時間は流れ、深夜。


(……………………眠れない)


アイリスは、新しい部屋の新しいベッドで、何度目になるかも分からない寝返りを打った。

チラッと、時計を見ると、間もなく日付が変わろうとしていた。


あの夕食後、今日はゆっくり休んで、とシンに言われ、アイリスはこの部屋に案内された。

部屋の中には、今アイリスが横になっているベッドを始め、以前の住人が使っていた調度品が残っている。

白を基調とした、落ちついた色合いの家具で纏められたこの部屋は、元は客室として使われていたらしい。他の余っている部屋は、前の貴族の趣味なのか派手な部屋ばかりだからと、シンはアイリスにこの部屋を与えたのだが、アイリスはこの部屋に、不気味な無機質さを感じていた。


(ーーッ!)


目を閉じれば、昨晩の光景が瞼の裏に甦る。

助けを求める村人達の叫び声。盗賊団の下品な笑い声。そして、アイリスを庇って亡くなった母親の最期。


(…………お母さん)


新しい家。新しい部屋。

暗闇の中、広く、無機質な部屋で過ごすアイリスは、強い不安と孤独を感じていた。

元々、アイリスは以前の家では、母親と一緒に眠っていた。家が狭い事が原因であったが、アイリスは、狭いベッドを母親と分け合って眠るのは、嫌いではなかった。


だけど、お母さんはもう居ない。だから、この寂しさにも1人で耐えないと。

そう思って、再び眠ろうと目を瞑ったアイリスの頭に、夕べのフィリアの言葉が思い出される。


『いいのよ、迷惑かけても。アイリスちゃんにとって、シンさんは師匠であると同時に、保護者でもあるの。書類上は義理の父親ってことになるわね。子供が親に迷惑をかけるのは当然のことよ。だから、いっぱいワガママ言って、いっぱい甘えちゃいなさい。大丈夫。シンさんは優しくて、器の大きい男だから』


…………そうだ。ここに居るのは、わたし1人じゃない。

わたしの師匠であり、父親代わりのわたしの保護者が居る。

この寂しさを1人で耐える必要など無いのだ。


(ーーッ! ダメ。自分で決めた事じゃない。シンさんにこれ以上の迷惑はかけられないって。…………でも…………)


思い出すーー

ギルドで泣きじゃくるわたしを抱きしめてくれた、シンさんの温かさと安心感を。

この家のリビングで、わたしの頭を撫でてくれた、シンさんの優しさとぬくもりを。


(……………………今日ぐらい、いい、かな)


フィリアさんも言っていた。いっぱい甘えちゃいなさい、と。

今日だけ。そう、今日だけだから…………。


わたしは、枕を抱えて、部屋の外に出る。


(シンさんの部屋はどこだろう?)


ソロリ、ソロリと、物音を立てないよう気を付けながら、真っ暗な廊下を、窓から差し込む月明かりを頼りに進む。

目につく扉を順番に開けていくと、3つ目の部屋でシンさんを見つけた。

シンさんの部屋は、壁一面が大きな本棚で埋め尽くされ、そこには分厚い本が数百冊並んでいる。

そして、部屋の隅に置かれたベッドで、シンさんは静かに寝息を立てて眠っていた。


「おじゃましまーす」


小声で挨拶して、わたしは部屋に足を踏み入れる。が、ベッドの側まで来たところで、わたしの足は止まってしまう。


(勢い余ってここまで来たけど、わたし、すごく恥ずかしいことしようとしてない)


一瞬、冷静になって我に返る。

だけど、もうここまで来たんだし、それに、またあの無機質で寂しい部屋に戻ろうとは思わない。


「しつれいしまーす」


わたしは覚悟を決めて、シンさんが眠る布団に潜りこんでいく。とーー


「……………………ん…………アイリス?」


シンさんが目を覚ました。

それに気付いたわたしは、頬が熱くなるのを感じながらも、早口で捲し立てる。


「ご、ごめんなさい、シンさん。そ、その、1人で眠るのが寂しくて。シンさんと一緒に寝ようかなと思ったんですけど。…………やっぱり、ダメですよね。迷惑ですよね。ごめんなさい、わたし戻りまーー」


「ーーいいよ」


「えっ!?」


まさかの同意の言葉に驚くわたしを他所に、シンさんは少し体の位置をずらして、わたしが入れるスペースを作ってくれる。


「ほ、本当に良いんですか?」


「……………………ああ」


そこで、ふと気付く。


(シンさん。もしかして寝ぼけてる?)


目は半開きだし、反応は鈍いし、ろれつが回っていない。


「……………………すぅー」


あ、寝た。


「……………………ふふっ」


目の前で眠っているシンさんを、かわいいと感じてしまい、つい笑みがこぼれる。

思えば、お母さんや皆の死を知らされて以来、笑うの始めてだ。

怒りや憎しみが消えたわけでは無い。それでも、こんな風に過ごすのも悪くないと思った。


(それじゃあ、言質を取ったということで、しつれいしまーす)


図々しくもそんな事を思いながら、シンさんの眠るベッドの中に入っていく。

ギルドでシンさんに抱きしめられた事を思い出したわたしは、思い切って、そっと、シンさんに抱きついてみた。


(……………………温かい)


1人で部屋で過ごしていた時に感じていた、不安や孤独の気持ちが薄れていく。

フィリアさんが言うように、シンさんのことを父親だとは、まだ思えない。それでも、大人して、保護者として、信頼しても良いかな、とは思い始めていた。


ふと、無意識になのか、シンさんがわたしを抱きしめ返してきた。それに安心感を覚えたわたしは、静かに眠りについていった。

序章「完」 次から第1章になります。

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