アイリス。商店街でお買い物(後編)
アイリス視点
次にシンさんが訪れたのは、八百屋さんだった。
先のお肉屋さんと同じで、この八百屋さんに並んでいる野菜や果物も、もの凄い値段だったけど、シンさんは特に気にする様子も無く、店主のおじさんと相談して、トマトとトウモロコシを購入した。
(あれ? 何でトマトやトウモロコシが、今の時期に売ってるんだろう?)
わたしが育った『ルル』の村は、山に囲まれた小さな村だったので、農業や畜産などは、ほぼ自給自足だった。
だからこそ、わたしは知っている。トマトもトウモロコシも夏に実がなる野菜のはずだ。
(? まだ4月になったばかりなんだけどな?)
気になったわたしは、シンさんに聞いてみる事にした。
「ーーおっ。よく知ってるねー、アイリス」
ーーナデナデ
わたしの質問に答えるよりも先に、そう褒めてくれて、頭を撫でてくれる、シンさん。
「えへへ~」
もう何度目になるか分からない、シンさんからのナデナデ。
それなのに、わたしはこのシンさんからのナデナデに、全然慣れそうにない。
シンさんから頭を撫でられると、心がポカポカと温かくなって、幸せな気持ちがポワポワと溢れてきて、どんな時でも、つい笑顔になってしまうんだ。
(お母さんからもよく言われていたけど、わたしって、こんなにも甘えん坊だったんだなぁ)
今更ながらそんな事を自覚していると、シンさんはわたしの頭を撫でる手を止めてしまった。
どうやら、先程の質問の答えを教えてくれるようだ。
わたしは少し残念に思いつつ、シンさんの話に耳を傾ける。
「アイリスが言うように、トマトもトウモロコシも夏が旬の野菜だよ。ただ、何年か前にハウス栽培って言う栽培方法が出来てね。その方法なら、旬に関係なく、いつでも野菜が作れるんだ」
「? ハウス栽培って、何ですか?」
「うーん…………何て言えば分かりやすいかな? まあ、簡単に言えば、ものすごーく大きなガラスケースの中で野菜を育てるんだ。そして、『火』や『水』の魔道具を使って、ハウスの中の気温を育てたい野菜の季節に合わせてるんだよ」
「なるほど。そういう育て方があるんですね」
シンさんからの説明を聞いて、わたしは納得して頷く。
(それにしても、本当にシンさんは凄いなー。わたしの質問に何でも答えてくれる)
わたしがそんな風に感心していると、どうやら購入した野菜を包み終わったらしい。
店主のおじさんさんから野菜を受け取って、お金を払う、シンさん。
「『収納』・インーーよし! 買い物はこれで終わーり! 帰ろっか、アイリス」
「はーい」
シンさんは野菜を『収納』の中に仕舞うと、そう言って、買い物の間離していた手を、わたしに差し出してきた。
わたしも、自然な動作でその手を取る。
(ーーえへへっ! シンさんの手、あったか~い!)
ーーギュッ!
内心でそんな事を思いながら、シンさんの手を握る力を強くしてみる。
ーーギュッ
すると、シンさんもすぐに、わたしに応えるように、握る力を強めてくれた。
「えへへ~! シーンさーん!」
たったそれだけのやり取りで、わたしは幸せになってしまうのだった。
(ーーって、だめだめっ! これじゃあまた、シンさんに貰ってばっかりだ。わたしも、何かシンさんに返さないと)
ーーブンブンッ!
「?」
ハッと我に返って、首をブンブンと振る、わたし。
シンさんは不思議そうに見つめていたけれど、それに構うことなく、わたしは先程のフィリアさんとの会話を思い出す。
フィリアさんは言っていた。シンさんが食事を選ぶ基準は、味や好き嫌いじゃないと。『いかに栄養のバランスが取れているか』だと。
(実際、最初に買った豚のヒレ肉の時にも、そんな事を言っていたしなぁ)
たしか、疲労回復に効果のあるビタミンB1が多いからだったっけ?
(という事は、今買ったトマトとトウモロコシにも、何かそういう理由があるんだろうなぁ…………)
気になったわたしは、シンさんに尋ねてみる事にした。
「ところで、シンさん。さっきの豚のヒレ肉の時みたいに、トマトやトウモロコシを買ったのにも、何か理由があるんですか?」
「うん? …………うーん、まあ1番の理由はトマトとトウモロコシが新鮮だったからだけど。まあ、後は、トマトやトウモロコシが栄養豊富な野菜だからかな」
「…………そうなんですか?」
「うん。この辺では昔から、『トマトが赤くなると医者が青くなる』ってことわざがあってね。つまり、それぐらい栄養が豊富って事だね。トウモロコシにも、そんなトマトに負けないぐらい、沢山の栄養が含まれているんだよ」
頬を微かに赤く染め、恥ずかしそうに顔を少しだけ逸らして、そう教えてくれる、シンさん。
(シンさんのこの反応…………豚のヒレ肉を買った時と同じだ。きっと今回も、わたしを気遣って、トマトとトウモロコシを選んでくれたんだ…………)
その事に気付いた瞬間、わたしの中で気恥ずかしい気持ちが湧いてきた。
だけど、同時に複雑な想いもまた、感じていた。
(…………そっか。やっぱり、そんな理由だったんだ…………って、だめだめっ! 落ち込んでばかりもいられないよね!)
そもそも、シンさんにこういう困った1面がある事は、フィリアさんから聞いて承知してるんだ。
その上で、フィリアさんからもお願いされたように、シンさんをそれとなく正しい方向へ誘導するーー
ーーもう2度と、わたしが大好きなシンさんを、悪い意味で『探求者』なんて言わせない! 『人間味が薄い』なんて言わせない! それが、今のわたしに出来る、シンさんへの精一杯の恩返しなんだから!
(……………………って、意気込んでみたのはいいけれど、今回の場合はどうするのが正解なのかな?)
ギルドを出る時には、フィリアさんの寂しそうな表情を思い出して、シンさんに、別れ際に手を振るよう促してみた。
結果、シンさんは恥ずかしそうにしながらも手を振ってくれて、それを受けたフィリアさんも、嬉しそうに微笑んで、わたしにお礼を言ってくれた。
だけど、今回は正しいフォローの仕方が思い浮かばない。
(シンさんに、メニューの変更をお願いしてみる? …………ううん。それは、何だか違う気がする)
そもそも、お肉屋さんで豚のヒレ肉を買ったのも、八百屋さんでトマトとトウモロコシを買ったのも、シンさんなりにわたしを気遣ってくれた結果だ。
わたしがそれにイチャモンをつけるのは、お門違いだろう。
(うーん。……………………それなら、メニューの変更じゃなくて、追加ならどうだろう?)
うん。それは良いアイデアかもしれない。
ただ、もし追加するのなら、栄養バランスの事なんか、全く考えないで済む物がいい。
(だけど、そんな都合の良い物があるかなぁ?)
ーーキョロキョロ
わたしは、シンさんに手を引かれて歩きながら、何かないかと商店街の中を見回す。
そうして、歩くこと数分。商店街の出口が見え始めてきた頃に、わたしは1軒のお店を見つけた。
(あれは…………ケーキ屋さん? …………! そうだ! デザートなら、栄養バランスなんて考えないで済む。まさに、今回の条件にピッタリ合う物だ!)
ーーピタッ
「ーーん? どうかした、アイリス?」
突然立ち止まったわたしに、不思議そうに尋ねてくる、シンさん。
そんなシンさんに、わたしは思いきってお願いしてみる事にした。
「シンさん。お願いがあるんですけど、食後のデザートに、あそこのケーキを買ってくれませんか?」
ーーピッ
「ケーキ? うーん…………」
わたしはケーキ屋さんを指さして、シンさんにそうお願いする。
対してシンさんは、わたしが指差したケーキ屋を見つめて、何やら悩んでいる様子だ。
(どうしよう…………。もしかしたら、断られちゃうかな?)
そんな不安が、わたしの頭をよぎる。
よくよく考えれば、人1倍栄養バランスを気にするシンさんが、ケーキなんて高カロリーな物を買ってくれるだろうか?
(オヤツにドライフルーツを食べた時も、シンさん、おかわりをするのを許してくれなかったしな…………)
もし、シンさんから断られちゃったら、どうしよう?
そんな事を考えていたのだけれどーー
「……………………まあ、いいか」
わたしの心配をよそに、シンさんは驚く程あっさりと了承してくれた。
「えっ!? ホントですか!?」
「うん。ただし、1個だけね」
「はい! もちろんです! ありがとうございます、シンさん!」
よーし! そうと決まればーー
「シンさん! 早く行きましょう!」
ーーグイグイ
「はははっ。心配しなくても、ケーキは逃げないよ、アイリス」
わたしは、シンさんの気が変わらないうちにと、繋いでいる手を引っ張ってケーキ屋さんへと急ぐ。
そうして、わたし達はケーキ屋さんの店先へと、辿り着いた。
「ーーうわあぁ~! 凄い凄い! シンさん、どのケーキも凄くキレイで美味しそうです!」
店先のガラスケースに並んだ色とりどりのケーキを眺め、思わずはしゃいでしまう、わたし。
自分でも子どもっぽいと思うけれどーーしかたないよね! ケーキなんて、誕生日の時にしか食べられない贅沢な物だし。
(それに、さすが王都だ。どのケーキも、まるで芸術品のように、キレイで繊細だなぁ…………)
そのあまりのキレイさに、思わず見とれてしまう、わたし。
だけどーー
(…………うぅ…………。どのケーキも、凄く高いよぉ…………)
凝って作られている分、どのケーキも、値段が凄く高くて。
わたしは、つい躊躇してしまう。
(シンさんは気にしなくて良いって言うだろうけど…………でも、こんなに高いケーキを買ってもらうのは、やっぱり気が引けちゃうよ…………)
ーーキョロキョロ
他に、何かないかな?
そう思いながら、ガラスケースの中を見回す。
すると、ガラスケース端の方に、シュークリームが置かれている事に気付いた。
(…………このシュークリームも、わたしが知っている物より値段が高いけど…………でも、ケーキより、お得だ。うん! シュークリームにしよう!)
そう決めたわたしは、ガラスケースの大部分を占めるケーキのコーナーから離れ、端の方にポツンと置かれたシュークリームのコーナーへ向かう。
「うん? ケーキじゃなくて、いいの、アイリス? 別に遠慮なんてしなくても、大丈夫だよ?」
ケーキのコーナーから離れたわたしを見て、察したのだろう。
予想通り、シンさんはそう言ってくれたけど…………でも、やっぱり遠慮しちゃうよ。
「…………あははっ。違いますよ、シンさん。わたし、今はケーキよりシュークリームが食べたい気分なんです」
「…………そう? まあ、それならいいけど…………」
だから、わたしは誤魔化す事にした。
幸い、シンさんは釈然としないながらも、納得してくれている様子だ。
(よーし! それじゃあ、どのシュークリームにしようかな~)
気持ちを切り替えたわたしは、改めてガラスケースの中のシュークリームを眺める。
どうやら、数こそ少ないものの、いろいろな味のシュークリームがあるようだ。
定番のバニラに、カスタード。チョコや紅茶。季節限定として、イチゴ味なんて物もある。
(うーん…………。いっぱいあって、悩んじゃうなぁ…………)
……………………よし! 決めた!
「シンさん。わたし、チョコのシュークリームにします!」
「ん。りょーかい」
沢山あるシュークリームの中から、わたしはチョコを選択する。
(シンさんは、なに味にするんだろう)
そう思っていたのだけどーー
「すいませーん。この、チョコのシュークリームを1つください」
シンさんは、わたしが頼んだ分のシュークリームしか注文しなかったではないか!
「はーい」
シンさんの注文に反応して、店の奥から、店員のお姉さんがやって来る。
「ーーって、ちょっと待ってくださいよ、シンさん!? シンさんは買わないんですか!?」
「俺? 俺は買わないけど?」
慌てて止めに入るわたしに、キョトンとした顔で答える、シンさん。
(そっか! やけにあっさりオッケーしてくれたと思ってたけど、最初からわたしの分だけを買うつもりだったんだ!)
だけど、これじゃあ意味が無い。
シンさんにシュークリームを食べてもらう事が、わたしの思惑なんだから!
「わたしだけシュークリームを食べるのは、何だか寂しいです。シンさんも、一緒に食べましょうよ!」
「俺も? うーん……………………」
案の定と言うべきか、シンさんは、自分がシュークリームを買うのを渋っている。
仕方ない。こうなったら、奥の手だーー
「…………分かりました。シンさんが買わないと言うのなら、わたしも遠慮しますね…………」
「ちょっと! 何でそうなるの!? ああ、もうっ! 分かった、分かった! 俺も買うよ、アイリス!」
ちょっとズルいかなーと思いつつ、落ち込んだ風を装ってそう言うとーー効果は抜群。シンさんは、慌てた様子で了承してくれた。
(けど、ちょっとだけ罪悪感を感じちゃうな…………ごめんなさい、シンさん)
わたしは心の中で謝罪しつつ、シンさんの気が変わらないうちに、シュークリームを選んでもらう事にした。
「ありがとうございます。ちなみに、シンさんはどのシュークリームにしますか?」
「俺? まあ、アイリスと同じのでーー」
「ダメです! ちゃんと選んでください!」
「ええっ!? うーん…………それじゃあ、イチゴにしようかな」
『シンさんが食事を選ぶ基準は、味や好き嫌いじゃないの』。フィリアさんの言葉通り、適当に決めようとしたシンさんに、わたしは待ったをかける。
シンさんは、急に強気になったわたしに困惑しつつ、最終的にイチゴ味のシュークリームを選択した。
「…………と、いう訳で、すいません。イチゴのシュークリームを1つ追加で…………」
「ふふふっ。はい。かしこまりました」
先程から、わたし達のやり取りを見守っていた店員のお姉さんに、恥ずかしそうな様子で注文し直す、シンさん。
そして、シンさんは、クスクスと笑みを浮かべている店員さんから、シュークリームを受け取るとーー
「それじゃあ、今度こそ帰ろっか、アイリス」
「はい!」
ーーギュッ
そうして、再び手を繋いだわたしとシンさんは、改めて家路につく。
(ーーあれ? そういえば…………)
その途中、わたしはふと、ある事に気付く。
(そういえばシンさん、ドライフルーツを食べる時も、1番最初にイチゴを選んでいたよね)
もしかしてシンさん、イチゴが好きなのかな?
(もし、そうなんだとしたら…………ふふっ。なんだろ? 何だか、シンさんを可愛いと感じちゃう)
ーーほらね。わたしの言った通り、シンさんは人間味が薄くなんて無いでしょう、フィリアさん。
(シンさんだって、照れや恥ずかしさで、顔を真っ赤にしちゃうし。イチゴが好きなんていう、子供っぽい所もあるんだよ)
シンさんにそういう可愛い1面がある事を、皆にも知って欲しいーー
(ーーだから、覚悟していてくださいね、シンさん! 過去に何があったのかは分かりませんが…………シンさんがわたしを幸せにしてくれたみたいに、わたしもシンさんを幸せにしてみせますから!)
直接、シンさんに宣言する事が出来ない代わりに、わたしは心の中でそんな誓いを立てるのだったーー
…………。
……………………。
…………………………………………。
わたしはこの時、たしかにそう誓った。
その、はずなのに、なぁ…………。
だけど、わたしはバカだから…………。
自分の事しか考えていない、大バカだから…………。
翌日以降、自分の事に手1杯になってしまったわたしは、この時に立てた誓いを、キレイさっぱり忘れてしまうのだったーー




