シン。一方的な思いやり
シン視点
『ーーだって、俺には最初から、アイリスを冒険者として育てる気なんて、これっぽっちも無いんですから』
「……………………は?」
「……………………え?」
俺のその言葉を聞いてから、エドさんとヴィヴィさんのお2人は、驚いた表情を浮かべたまま、固まってしまっていた。
(お2人が正気に戻るまで、もう少し時間がかかるかもしれないな)
そう判断した俺は、その間に、今朝のフィリアさんとのやり取りを思い出す事にした。
『アイリスちゃんが、シンさんから貰ったというあの緋色の短剣ーーあれは観賞用の物で、切れ味はほとんど無いですよね。あんなオモチャみたいな物を武器として与えるなんて、一体どういうつもりなのですか』
今朝、俺がギルドの受付で依頼を受けている間、アイリスはフィリアさんと話をしていた。
そして、依頼を受け終わって2人の元へ戻る途中、アイリスはフィリアさんに、俺があげた緋色の短剣を見せてしまったんだ。
『それに、シンさん! アイリスちゃんから聞きましたよ。魔法書を使って、『収納』と『障壁』を教えたそうですね。なぜ、補助魔法のみで、強力な攻撃魔法を教えなかったのですか!』
その上、どうやらアイリスは、俺が依頼を受けている間に、フィリアさんに『収納』と『障壁』の魔法を修得した事を言ってしまったらしい。
そして、アイリスが気付かなかった違和感に、フィリアさんは気付いてしまったようだ。
緋色の短剣の件と合わせて、フィリアさんは俺を詰問してきた。
『シンさん。一体なにを考えているのです? これでは…………これでは、まるでーー』
万が一にもアイリスに聞かれないよう、俺はそこでフィリアさんの言葉を遮って、手紙を渡してきた。
だけど恐らく、この時点ですでに、フィリアさんは気付いていたのだろう。
俺が、アイリスを冒険者として育てる気が無い事にーーそして、アイリスの復讐を手伝う気が無い事に。
ーーチラッ
今1度、アイリスとフィリアさんが居る方を見る。
2人は、真剣な表情で何やら話をしているようだ。この距離だし…………そもそも『消音』を使っているため、2人がどんな話をしているのかは分からない。
(もしかしたら、フィリアさんがアイリスに、俺の『計画』を話しているかもしれない)
そんな心配は、全然していない。
何故なら、フィリアさんはーーエドさんもヴィヴィさんも、皆優しくて好い人なのだ。
そんな人達が、俺がウソをついているなんて、そんなアイリスが傷付くような事を言うはずが無い。
「……………………わりぃ、『探求者』。もう1度言ってくれないか? オレ、何か聞き間違えたみてぇだ…………」
ーーと、どうやらエドさんが我に返ったようだ。
エドさんは、自分が聞いた言葉が信じられなかったのか、おそるおそるといった様子で尋ねてきた。
俺は、そんなエドさんへと向き直り、揺るぎのないハッキリとした口調で、先程と同じ言葉を繰り返す。
「…………多分、聞き間違えてないと思いますけど…………良いですよ。ーー俺は、アイリスを冒険者として育てる気がありません」
ーースッ
どうやら、聞き間違えでない事を認識したみだいだ。
怒っているのか、エドさんの表情が、にわかに強張り始める。
「…………じゃあ、『血染めの髑髏』の野郎共はどうするんだよ? このまま放っておくのか?」
「まさか。そんなつもりはありません。見つかりしだい処分しますよ…………アイリスでは無く、俺がね」
「…………つまり何か、『探求者』。お前はアイリスって子に、ウソを吐いて騙していると。…………そういう事か?」
「まあ、言い方は悪いですが…………はい。その通りです」
エドさんの疑念に、俺は頷いて返事をする。
ーーキッ!
次の瞬間、エドさんが鋭い目付きで、俺を睨み付けてきた。
「…………オレ、さっきお前に変わったって言ったけど…………アレ、撤回するわ。ーーてめえ、全然変わってねぇな。相変わらず、『探求者』のままだ」
「……………………」
おそらく…………いや、確実に、エドさんは今、俺を悪い意味で『探求者』と呼んだのだろうな…………。
「てめえ、一体どういうつもーー」
「ーーまあ、待て、エド」
そのままの勢いで、俺を怒鳴りつけようとしたエドさんに、ヴィヴィさんが待ったをかける。
「止めるな、ヴィーーっ!?」
そんなヴィヴィさんに、文句を言おうとしていたエドさんだったが、何故か途中で言葉を止めてしまっていた。
(? どうしたんだろうか?)
不思議に思った俺は、ヴィヴィさんに視線を向けーーそして、気付く。
ヴィヴィさんが本気で怒っている事に。
「まずは、シルヴァー殿の言い分を聞こうじゃないか。ーー怒るのは、その後でも良いだろう?」
ヴィヴィさんの様子は、いつもと変わらない。話している内容も、冷静で穏やかな物だ。…………最初だけは。
「あ、ああ! そうだな!」
そんなヴィヴィさんに、エドさんがたじろいだ様子を見せる。
(まあ、気持ちは分かる。ヴィヴィさんが本気で怒ると、凄く怖いんだよな…………)
エドさんがふざけて、ヴィヴィさんが激しいツッコミを入れる。
そんなやり取りが毎日のように繰り返されているが、ヴィヴィさんは本気で怒っている訳ではない。
むくれたアイリスが、俺をポカポカ叩くのと同じ。ーー言わば、半分じゃれている様な物なのだ。
(…………ま、まあ、じゃれていると言うには、あまりに強烈な1撃のような気もするが…………)
と、とにかく! 何が言いたいかというと、ヴィヴィさんは滅多に怒ることの無い穏やかな人でーーそして得てして、そういう人ほど、本気で怒った時は、人1倍怖いものだ。
数年の付き合いがある俺はそれをよく知っているし…………20年近く夫婦として過ごしてきたエドさんは、俺以上にその恐怖を知っているのだ。
(…………だからといって、俺も自分の意見を曲げる気なんか無いけどさ)
俺だって、昨日今日としっかり考え、しっかり悩み、そしてーー何よりもアイリスを想って、この決断に至ったのだ。
それをしっかりと話して、お2人に納得してもらわなければーー
「では、お言葉に甘えてお話ししますが…………お2人はそもそも、アイリスが『血染めの髑髏』に勝てると思いますか? 昨日まで、小さな村で穏やかに暮らしていた、12歳の女の子なんですよ」
「…………たしかに、厳しいかもしれないが…………だが、そのためにシルヴァー殿が居るのだろう? それに、さっきも言ったが、キミが10年も鍛えれば、あるいは…………」
「…………10年?」
ーーキッ!
先程とは逆に、今度は俺が、お2人を睨み付ける。
「10年もあの子の心に、癒えないキズを負わせたままにしておくつもりですか?」
今朝、俺がアイリスを置いて、仕事に行くと言った時の事を思い出す。
『…………お願い…………お願いしてます…………。なんでも言うこと聞きます…………なんでも、しますから…………だから、お願いしてます…………わたしを1人にしないで…………わたしと一緒にいてください…………』
『血染めの髑髏』への憎しみに囚われていた昨日までとは違い、今日のアイリスは本当によく笑うようになった。
だからこそ俺は安心して、仕事に行くからアイリスには留守番をしていてほしいと言ったのだが…………結果は、これだった。
俺から離れまいと、少女とは思えない程の力で必死に抱きつき、涙混じりに懇願してくる、アイリス。
そんなアイリスを見て、俺は改めて実感したんだーー
アイリスの心のキズが全然癒えていない事をーーそして、たとえ何年、何十年経とうと、『血染めの髑髏』が存在する限り、心のキズが完全に癒えることは無いのだと。
「ーー今の俺は、仮にもアイリスの保護者で…………父親です。あの子の心に、いつまでもキズを負わせていたくない…………1日でも早く、癒してあげたい…………そう思ってます」
目をつぶって脳裏にアイリスの姿を思い浮かべながら、俺はそんな言葉を口にする。
「…………わりぃな、『探求者』…………」
何故だか突然、エドさんに謝られてしまった。
慌てて目を開くと、エドさんは申し訳なさそうな表情を浮かべ、軽く頭を下げる。
「さっきの言葉を、もう1度撤回させてくれ。やっぱり、お前は変わったよ。そんな風に、慈愛に満ちた表情が出来るようになったんだな」
「…………俺、そんな顔してました?」
自分の頬を、プニプニと摘まみながら、エドさんに尋ねる。
「ああ。まるで、本当の父親のようだったぜ」
「ありがとうございます…………」
どうやら、エドさんは納得してくれたようだ。
だがーー
「お前もそれで良いだろ、ヴィヴィ」
「……………………いいや。やはり私は、シルヴァー殿の言い分を完全に受け入れる事は、出来ないよ…………」
ヴィヴィさんは、納得してくれていないようだ。エドさんの問いかけに首を振っている。
そんなヴィヴィさんに、俺はさらに説得を続ける。
「ーーヴィヴィさん。さっきヴィヴィさんはこう言ってましたよね…………『キミが10年も鍛えれば、あるいは…………』って。本当は、ヴィヴィさんも分かってるんじゃないですか? アイリスが『血染めの髑髏』に復讐するのはーーアイリスがSランクの冒険者になるのは、難しいって」
ーー世界中に数万人存在する冒険者だが、最高ランクであるSランク冒険者は人数は、おそろしく少ない。
具体的にはーー俺を含めて、たったの5人。
英雄と呼ばれるSランク冒険者になるのは、それほどまでに難しい。
現に、エドさんとヴィヴィさんのお2人も、10年近くAランクのまま停滞している。年齢的に、身体能力は衰えていく一方。お2人がSランクになれる見込みは、もう無いだろう。
「…………自分で言うのもなんですが、Sランク冒険者になれるのは、極々1部の選ばれた人間だけです。いくら俺が鍛えるといっても、アイリスがSランクになれる可能性はーー」
「ーー違うんだよ、シルヴァー殿。私が言いたいのは、そんな事では無いんだ」
ヴィヴィさんは俺の言葉を途中で遮ると、哀しそうな顔をして、続ける。
「キミの言っている事が分からない訳では無いんだ。アイリスという子を思いやって、そういう決断に至ったのだと、理解している」
「ならーー」
「だけど、キミの決断には、その子の気持ちが全く考慮に入っていないじゃないか。…………たしかに、シルヴァー殿が言うように、『血染めの髑髏』を殺せば、その子の心のキズは癒えるかもしれない。しかしそれでは、今度は『信頼していた人に裏切られた』という、新しい心のキズが出来てしまうだけだぞ」
「…………………………………………」
ヴィヴィさんが言っているのは、紛れもない正論だ。
それが分かっているからこそ、俺は反論する事が出来ない。
「…………誤解しないでほしいのだが、私は決して、シルヴァー殿の考えが間違っていると思っている訳では無いんだ。だからーー」
そうして、ヴィヴィさんは諭すように語りかける。
「ちゅんと、アイリスという子に、キミの考えを話そう? たとえ断られたとしても、根気強く話し合って、納得してもらうんだ。ーーきっと、それが最も最善な選択だよ、シルヴァー殿」
「……………………そうか…………。そんな考え方もあるんですね」
それは、俺が思い付きもしなかった考えだった。
(エドさんからも出なかった意見だし、きっと女性ならではの視点なんだろうな)
俺は目をつぶって、今のヴィヴィさんの意見を検討する。
(……………………たしかに、ヴィヴィさんの言っている事は正しい。…………いや。ヴィヴィさんが言うように、きっとそれが最善だ)
なら、俺は自分の考えを押し通す必要なんて無いんじゃないか?
ヴィヴィさんが言うように、俺が『計画』を実行に移せば、アイリスが傷付くって、本当は分かっていた。それでも、最終的にはそれがアイリスの為になると思っていたし…………その結果として、アイリスから責められ、恨まれる事をーー最悪、親子関係を絶縁される事さえ、覚悟していた。
昨日、アイリスを弟子にしたばかりの段階では、それでも構わないと思っていたけれど、昨日今日とアイリスと過ごす内に、俺は思ってしまったんだーー
ーーアイリスから、嫌われたくない。これからも、アイリスと一緒に、笑いあって過ごしていきたい、と。
「……………………そうですね。分かりました。ヴィヴィさんの意見、参考にさせてもらーー」
ーーいます。と、ヴィヴィさんに言おうとした瞬間、俺の脳裏に、ある光景が浮かび上がってきた。
『…………許さない。お母さんを、皆を殺した『血染めの髑髏』…………絶対に許さない』
『お母さんの、皆の仇を取る。…………『血染めの髑髏』…………殺してやる!』
「ーーっ!」
それは、昨日、アイリスに母親と村人の死を知らせた直後の事。
この時のアイリスの瞳や言葉には、『血染めの髑髏』に対する強い怒りと、憎しみが込められていた。
これ以降、アイリスは『血染めの髑髏』対する怒りや憎しみを、表に出していない。
だけど、だからといって、『血染めの髑髏』への怒りや憎しみが消えた訳では無いだろう。
むしろ、真剣に魔法の練習に取り組んでいる姿勢からは、いつか『血染めの髑髏』に復讐を果たす事を、心の支えにしているとさえ感じられる。
(……………………そんなアイリスに、俺の『計画』を話すのは、本当に正しい事なのか? いや、しかし……………………)
俺は再び目をつぶって、たっぷり数分間考える。
そうして、出した結論はーー
「……………………すいません、ヴィヴィさん。少し、考えさせて下さい…………」
ーー保留という、何とも煮え切らない物だった。
「…………ふふっ」
俺の結論を聞いて、ヴィヴィさんが小さく微笑む。
「笑わないで下さいよ、ヴィヴィさん…………」
「いや、違うだ。バカにしている訳では無い。ーー変わったなと、そう思っただけだ。なあ、エド」
「だな。今までの『探求者』なら、オレ達の意見なんか聞かず、自分の我を通してたんじゃないか?」
「人を頑固者みたいに言わないで下さいよ…………」
そう文句を言いつつも、自分でも自覚があるため、その言葉には力が無い。
「ははっ。ーーまあ、分かったよ、『探求者』。せっかくだから、たっぷり悩め。その間、オレ達は『血染めの髑髏』の行方を探っておくからよ」
「はい。お願いします」
そう言って、俺はお2人に頭を下げる。
とはいえ、ずっと下げ続けてても、またヴィヴィさんを困らせてしまうだけだ。
俺はすぐに頭を上げる。
「ーーおしっ! とりあえず、暗ぇ話しは、一旦終わりだ! この後ヒマか、『探求者』? せっかくだから、一緒に晩飯でもどうだ?」
「そうだな。私もアイリスという子と話してみたいし…………どうかな、シルヴァー殿。もちろん、お代は出すよ。…………なあ、エド」
「オレかよ!? …………まあ、いいか。久しぶりに『探求者』と飲める訳だしな!」
お2人からの、せっかくのご厚意。俺も、出来れば受けたいのだがーー
「すいません。エドさん、ヴィヴィさん。せっかくなんですが、アイリスに、夜ご飯を作るって約束してるので」
「ははっ。しっかり父親やってんだな、『探求者』。分かった。また今度誘うわ」
「ええ。機会があれば、ぜひ…………」
そうして、俺は、残っていたお茶を飲み干して、立ち上がろうとした、その瞬間ーー
「…………ンーさん! もうっ! シンさんってば!」
ーーポン!
「ーーうおっ!?」
突然背後から名前を呼ばれ、肩を叩かれる。
慌てて振り返ると、プリプリと、怒った様子のアイリスが立っていた。
「ビックリした~…………。アイリス、いつの間に…………?」
「もうっ! なに言っているんですか、シンさん! さっきからずっと呼んでましたよ! それなのに、シンさん全然気付いてくれないんですもん!」
「? さっきから?」
……………………ああ、そっか。『消音』を使ってたから、声が聞こえなかったのか。
(…………それにしても、危なかったな。もう少し早くアイリスが来てたら、『計画』の内容を聞かれちゃってたよ…………)
タラリと、冷や汗が流れる。だが、それをアイリスに悟られる訳にはいかない。
俺は内心の動揺を表に出さないように気を付けながら、アイリスに応じる。
「ごめん、ごめん。話しに夢中になってて、気付かなかったよ。それで、どうしたの? アイリス?」
「どうしたの? ーーじゃないですよ! シンさん、挨拶に行くって言ってから、全然戻って来ないんですもん! 待ちきれなかったんで、迎えに来ちゃいましたよ…………」
最初は怒っていた様子のアイリスだったが、最後の『迎えに来ちゃいました』というセリフは照れくさかったのか、頬を染めて恥ずかしそうに俯いていた。
「ーーははっ。ごめんね、アイリス」
ーーナデナデ
そんなアイリスの可愛らしい仕草に、俺はお2人の前だというのに、つい頭を撫でてしまう。
「えへへっ! …………もう良いです! それより、早く帰りましょう?」
「了解」
俺が頭を撫でると、今まで怒っていたのがウソのように、アイリスはご機嫌になる。
照れくさそうにはにかみつつ、上目遣いに「帰りましょう」とお願いしてくるアイリスに応じて、俺は立ち上がる。
ーーと、
ーーギュッ
俺が立ち上がった瞬間、今までとは違い、アイリスの方から手を握ってきた。
「えへへ~!」
アイリスから甘えてくるなんて珍しいなーーと、1瞬思ったものの、幸せそうに笑っている姿を見ると、どうでも良くなってしまった。
ーーギュッ!
俺からも、アイリスの手を握り返す。
「じゃあ、帰ろっか、アイリス」
「えへへっ! はい!」
「ーーでは、失礼しますね。エドさん、ヴィヴィさん」
俺は最後に振り返って、エドさんとヴィヴィさんに別れの挨拶をする。
「お、おう…………」
「また…………」
どこか呆気に取られた様子の、エドさんとヴィヴィさん。
(…………きっと、朝のフィリアさんと同じで、俺のデレデレぶりにビックリしてるんだろうな…………)
相変わらず、知り合いに見られるのは恥ずかしいけれど…………同時に、「まあ、良いか」と思う自分も居てーー
(…………うん。どうやら、俺の親バカっぷりも、だいぶ進行しちゃてるな…………まあ、良いだけどさ)
ーーペコリ
俺がそんな風に開き直っていると、アイリスはエドさんとヴィヴィさんに、軽く頭を下げーー
「それじゃあ、行きましょうか、シンさん」
「ああ」
そうして、俺は依頼の報告のため、アイリスと一緒にフィリアさんの元へ向かうのだったーー