アイリス。王都に帰り着く
アイリス視点
時刻は午後6時。空1面が茜色に染まる頃、わたしとシンさんは王都『コノノユスラ』へと帰り着いた。
「ニールくん。今日は1日、ありがとねー」
わたしとシンさんがまず向かったのは、門から王都に入ってすぐの所にある貸し馬屋さんだ。
シンさんがお店の人に手続きをしている間、わたしは今日1日お世話になった馬(ニールくんという名前らしい)に、お礼を言って、背中を撫でてあげる。
「お待たせ、アイリス。次、行こっか」
「はーい。ニールくん、バイバーイ!」
手続きを終えて戻って来たシンさんに促され、わたし達は貸し馬屋さんを後にする。
わたしは最後に、ニールくんに思いっきり手を振って、別れを告げた。
「ーーまあ、ニールくん…………だったっけ? には、この貸し馬屋に来れば、いつでも会えるさ。時間がある時にでも、一緒に会いに行こっか」
ーーポンポン
気遣ってくれたのかな? シンさんはそう言いながら、わたしの頭をポンポンしてくれた。
「あははっ。もー、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ、シンさん。それより、次はどこに行くんですか?」
「次は冒険者ギルドだよ。依頼の報告をしないといけないからね」
そうして、わたし達は冒険者ギルドへ向けて、王都の大通りを2人並んで歩く。
今朝、冒険者ギルドへ向かった時には、1足先に依頼を受けた沢山の冒険者さん達とすれ違ったけれど、この時間はどうやら違うみたいだ。
もちろん、冒険者さん達の姿はある。だけど、今回はすれ違う訳では無く、わたし達と同じ方向へーー皆、冒険者ギルドへ向けて歩いている。
冒険者さんの他にも、買い物帰りと思われる女の人や、仕事終わりと思われる男の人、遊び終わって家に帰ろうとしている子供達。老若男女、さまざまな人達の姿があった。
(凄いなー。さすが王都。『ルル』の村と違って、人がいっぱい…………)
そんな風に、キョロキョロと、辺りを見回しながら歩いていたからか、先程から、何人もの人達がわたし達を追い越していく。
ーーと、
「…………おい、あれって…………」「ああ。ウワサは本当だったんだな」「たしか、『探求者』の娘だっけ?」「え? オレは、少女趣味の『探求者』が連れ歩いている奴隷って聞いたぞ」
わたし達を追い越して行く人達の内、冒険者と思われる人達が、追い越す瞬間にわたし達をチラ見しては、コソコソとそんな会話を交わしている。
ーーと、
ーーギュッ
「…………あっ! えへへ~! シーンさんっ!」
今朝と同じように、シンさんはわざわざ手袋を外して、わたしの手を握ってくれた。
繋がれた掌から、シンさんの温もりが伝わってくる。それが嬉しくて、嬉しくて。
ご機嫌になったわたしは、シンさんと繋がれた手を、大きく前後へ振っていく。
ーーザワッ
今朝と同じように、周りの冒険者さん達がザワつき始めたけれど、わたしにはもう、そんな事は気にならなくなっていたのだった。
「ーーほい。到着っと」
そうこうしている内に、わたし達は冒険者ギルドに辿り着いた。
扉を開けて、ギルドの中へと入る。ギルドのホールには、わたし達と同じように、依頼の報告に来た冒険者さん達で溢れかえっている。
他にも、ギルドに併設された酒場にも沢山の冒険者さん達が居て、お酒を呑み交わしていた。
「……………………」
と、受付へ向かう途中で足を止め、酒場の方を見つめる、シンさん。
「? シンさん?」
「…………ああ、ちょっとね。知り合いの冒険者が居てさ」
「そうなんですか? 先にそちらに行きます?」
「いや、いいよ。それより、早く報告を済ませちゃおう」
そう言って、シンさんはわたしの手を引いて、再度歩き始める。
シンさんは、沢山の冒険者さん達が並んでいる受付では無く、ギルドの端の方にあった机に座っていた、フィリアさんの元へ向かって行く。
「フィリアさん。ただいま戻りました」
「…………あら、シンさん。おかえりなさい。アイリスちゃんも、おかえり」
「はい! ただいまです!」
机の上で、何やら書類作業をしていた様子のフィリアさんだったが、シンさんが声をかけると顔を上げて、笑顔でわたし達に「おかえり」を言ってくれた。
「依頼の報告をしたいんですけど…………今はちょっと忙しいですかね?」
「…………すいません、シンさん。あと5分10分で終わると思いますので、少しだけ待っていただけますか」
書類作業に忙しい様子のフィリアさんに、シンさんが遠慮がちに声をかけると、フィリアさんは申し訳なさそうに謝ってきた。
「ああ、いえ。大丈夫ですよ。では、俺はその間、酒場に居た知り合いの冒険者に挨拶して来ますね」
そう言って、酒場の方に顔を向ける、シンさん。
わたしも、当たり前のように、シンさんに付いて行くつもりだったんだけどーー
「悪いけど、アイリスはここでお留守番ね。フィリアさん。アイリスの事、見ててもらって良いですか?」
「はい。大丈夫ですよ」
シンさんから、そんな事を言われてしまった。
フィリアさんは頷いていたけれど、わたしは納得出来ず、シンに抗議の声を上げる。
「えー! ダメですかー!?」
「うーん…………まあ、俺も出来れば連れて行ってあげたいんだけどねぇ…………。ほら。アイリスかわいいし、酔っ払ったタチの悪い冒険者に絡まれるのもねぇ…………」
何やら、真剣な様子で考え込んでいる、シンさん
そんなシンさんに対し、わたしはというとーー
「ーーふぇっ!?」
不意討ちでシンさんから「かわいい」と言われてしまい、わたしの口から変な声が漏れてしまった。
と、フィリアさんが机から身を乗り出して、わたしの耳元でコソッと囁く。
「ふふっ。良かったわね、アイリスちゃん。シンさんから、かわいいって言われたわよ」
「~~ッ!?」
瞬間、わたしの顔がボンッと、一気に熱くなる。
(…………うぅ~…………。シンさんのバカ! フィリアさんも居るのに、かわいいなんて、さらっと言わないでよ! 恥ずかしいじゃない!)
そんな風に、照れやら恥ずかしさやらで、わたしが真っ赤になっているとーー
「ふふっ。まあ、良いじゃない、アイリスちゃん。せっかくだし、今朝みたいに、私と女子トークでもしながら、待ってましょうよ!」
真っ赤になったわたしに気を遣ってくれたのか、フィリアさんは話を最初の方に戻してくれた。
「…………はーい」
わたしは、不承不承ながらも、フィリアさんの提案に頷いた。
(…………まあ、仕方ないか…………。今日1日、ずっとシンさんと一緒だったんだから、少し位我慢しないとね…………)
それにーー
(シンさんがわたしを気遣ってそう言ってくれたのは嬉しいし…………か、かわいいって、言ってくれたのもーーえへへっ!)
「それじゃあ、アイリス。悪いんだけど、行ってくるね」
「ーーふえっ!? は、はい! いってらっしゃい!」
「? ああ、いってきます」
照れ笑いを浮かべていた所で、突然シンさんから声をかけられ、わたしは慌てて返事を返す。
そんなわたしを見て、シンさんは不思議そうに首を傾げていたが、幸い追及される事は無かった。
そして、わたしの手を離し、シンさんは酒場の方へと行ってしまう。
(…………やっぱり、ちょっと寂しいかな…………)
だんだんと小さくなっていくシンさんの背中をジッと見つめながら、わたしがそんな事を考えているとーー
「さっ、アイリスちゃん。立ち話もなんだし、座って座って」
いつの間にか、フィリアさんがイスを持って来てくれていた。
「あっ。ありがとうございます、フィリアさん」
わたしは、酒場に行ったシンさんが見えるよう、少しだけイスの位置を動かして座る。
(…………うん。大丈夫。シンさんはすぐに戻って来てくれる)
そうして、わたしは気持ちを切り替えると、書類作業をしているフィリアさんの手元を覗き込む。
「ーーああ、これ? これはね、依頼の取り下げに関する書類なの」
わたしが興味深そうに見ている事に気付いたのか、フィリアさんは書類作業を続けつつも、そう説明してくれた。
「依頼の取り下げ、ですか?」
「ええ。昨日来ていたゴブリン退治の依頼なのだけどね、今朝、依頼者の方が来て、通りすがりの傭兵団の人が退治してくれたからって、依頼を取り下げていったの」
「あっ! そういえば朝、シンさんが言ってました。昨日3件あったはずの依頼が、1つ減ってるって」
その時は、シンさんも不思議そうにしていたけどーーなるほど。そういう事情だったんだ。
(せっかくだし、後でシンさんに教えてあげよう)
そう考えて、わたしはフィリアさんの手元の書類を、横から読み進めていく。
(…………フムフム。依頼の詳細は、『パァム』の村の近くの森の中にある洞窟に住み着いたゴブリンの群れの討伐ーーって、『パァム』の村!?)
「…………あら? アイリスちゃん、どうかしたの?」
「いえ…………この書類に書いてある『パァム』の村って、わたしが住んでいた『ルル』の村から、歩いて2時間程の場所にある村なんですよ」
「そうなの? 凄い偶然ねぇ」
まさかの偶然に驚く、わたしとフィリアさん。
(…………それにしても、懐かしいな…………)
『パァム』の村では、規模は小さかったけど、毎年秋に豊穣祭が行われていた。
『ルル』の村から近いという事もあり、毎年お母さんに連れて行ってもらったものだ。
(…………でも、お母さんとはもう、一緒に行けないんだね…………)
今さらながらそんな当たり前の事に思い当たり、わたしの心に暗い影が差し込む。
ーーと、
「お待たせ、アイリスちゃん。終わったわよ…………アイリスちゃん?」
「あっーーい、いえ! 何でもないです!」
わたしの様子がおかしい事に気付いたのか、心配そうな声音で尋ねてくる、フィリアさん。
そんなフィリアさんに心配をかけないようにと、わたしは虚勢を張って大きな声を上げる。
(……………………うん。わたしは大丈夫。それに、代わりと言ったら悪いけど、今のわたしにはシンさんが居てくれるんだ。今年の豊穣祭は、シンにお願いして連れて行ってもらおう)
あれ? そういえばーー
「シンさん、遅いですね?」
フィリアさんの書類仕事はもう終わったのに、シンさんはまだ戻って来ない。
気になったわたしが酒場の方を見ると、シンさんは男女2人組の冒険者さんと同じテーブル席に座って、何やら話している様子だ。
「…………あー。シンさんが言っていた知り合いの冒険者って、エドさんとヴィヴィさんだったのね」
「エドさんとヴィヴィさん?」
「あの2人は、夫婦なの。ヴィヴィさん…………奥さんは真面目な人なのだけど、旦那さんであるエドさんは…………まあ、なんというか、お調子者って感じの人で…………シンさんきっと、アイリスちゃんの事で、エドさんから絡まれているのでしょうね」
「え? わたしですか?」
何故かこのタイミングでわたしの名前が出てきて、驚いてしまう。
と、そんなわたしを見て、フィリアさんは意外そうな表情を浮かべる。
「あら。知らないの、アイリスちゃん? 今、冒険者の間では、シンさんとアイリスちゃんの事がウワサになっているのよ。Sランク冒険者『探求者』シン・シルヴァーの隣に居る女の子は一体誰なんだ? ってね」
「な、なるほど…………」
言われてみれば、今朝やついさっき、冒険者ギルドに向かっている時に、他の冒険者さん達がわたし達を見て、コソコソと話していた気がする。
と、そこでフィリアさんが困ったような表情を見せる。
「…………うーん…………。エドさん、こういうウワサ話が好きだから…………きっとシンさん、まだまだ解放されないのではないかしら…………」
「そ、そんな…………」
と、わたしが寂しい表情をしている事に気付いたのか、フィリアさんは話題を変えてきた。
「ーーそうだ! ねえ、アイリスちゃん。せっかくだから、アイリスちゃんが依頼の報告をしてくれないかしら?」
「えっ!? わたしがして良いんですか?」
「もちろん! というより、是非ともアイリスちゃんの口から聞きたいわ! シンさん、いつも必要最低限の事しか説明してくれないのよ」
「そ、そういう事なら、ぜひ!」
目をキラキラさせながら、興味津々といった様子で身を乗り出してくる、フィリアさん。
わたしも、先程までの寂しさを忘れて、テンション高く応じる。
正直に言えば、わたしも話したかったのだ。
今日1日、シンさんの仕事に付いていって、見た事、感じた事を。
そして何より、わたしの師匠であり、保護者であるシンさんがどれだけ凄い人なのか。わたしは、誰かに自慢したかったのだ。
「ええとですね。では、まずはーー」
そうして、わたしは今日1日の出来事を、ウキウキと話し始めたのだったーー