「おかえり」
シン視点
あの後、シンの提案に、アイリスは二つ返事で了承して、よろしくお願いしますと頭を下げた。
(よかった。これを断られたら、もう打つ手が無かった)
安堵したシンは、もう1歩だけ踏み込む。
「だったら俺と一緒に暮らさないか? その方が、食事の管理や生活習慣の管理が出来るからさ。より早く強くなれるよ」
といっても、この言葉は建前だ。もちろん、全くのデマカセという訳では無いが、本音を言えば、この状態の彼女から目を離すのが不安なのだ。
「わかりました。これから、よろしくお願いします」
これにも、アイリスは即断で頷く。こうして、トントン拍子にアイリスを引き取ることが決まったのだった。
「ーーさて、どうしたものかな?」
あれから少ししてーー
場所は王都の中央区にあるシンの自宅。
シンは自宅のリビングで、今後のことについて考えていた。
ちなみに、今この家に居るのはシン1人だ。
さすがに、血まみれの女の子を連れて歩くわけにはいかないということで、アイリスには、ギルドに備え付けられている浴室を使わせてもらっている。
本来は、当直の職員が使うものだが、フィリアさんに頼むと、快く貸してくれた。
ついでに、もうすぐ勤務上がりだというフィリアさんに、アイリスの新しい服を買って来て欲しいとお願いした。
年上の人を使ってしまうのは申し訳ないと思ったが、さすがにシンには女の子の服のことは分からない。
この失礼なお願いにも、フィリアさんは親切に応じてくれた。それどころか、「それなら、街の案内ついでに細々とした物も買って来ますよ」と、言ってくれた。
さすがに、この申し入れは断ろうとしたシンだが、「シンさんは、その間に家の方を準備してください」と言われ、フィリアにアイリスのことをお願いして、一足先に家に帰ってきていた。
(とりあえず、部屋の方は問題ない。使ってない部屋がいっぱいあるし、好きな部屋を使ってもらおう)
この家は、シンがSランクになった時に、国王から爵位と一緒に貰ったものだ。元は貴族が住んでいた家らしく、相応に広く、部屋数も多い。
とはいえ、今はシンの一人暮らし。使ってない部屋も多く、同居人が1人増えたところで、問題はない。
家の管理は週に2回、ハウスキーパーさんが来て、やってくれてるから、使ってない部屋でも綺麗だ。家具や寝具は、前の住人が使っていた物がそのまま残っているし、服などの細々とした生活雑貨もフィリアさんが買って来てくれる。
(…………俺、やること無くね?)
しまったな。俺も買い物に付いて行けば良かったか?
そんなことを考えていた、その時ーー窓の外から、美味しいそうなにおいが漂ってきた。
「ーーそっか、もう夕食時か」
いろいろあって、すっかり失念していた。
そういえば、お昼食べてないや。そう思い出した瞬間、シンのお腹が鳴った。
「そういえば、アイリスも昨日の夜以来、食べてないんだよな。よし! 美味しいご飯を作ってやろう!」
シンは料理が出来る。
ギルドでアイリスにも言ったが、栄養バランスの取れた食事を摂ることは、強くなる上で大事な要素の1つだ。
屋台や酒場で売っている物は、高カロリーだったり、油っこい物が多く、冒険者になってからは、料理を自分で作り始めた。今では、プロ級の腕前だ。
(…………さて、何を作ろうか?)
あんな事があった後だ。美味しい物を食べて、少しでも元気になってほしい。
とはいえ、あまり重たいものは、彼女の今の精神状態だと受け付けないだろう。
美味しくて、食べやすい物ーー
「…………シチューにするか」
これなら、条件にピッタリ合う。
(そうと決まれば、アイリスが帰って来るまでに作ってしまおう)
早速、台所に行き、具材の準備を始める。
まずは、鶏肉、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、ブロッコリー、シメジを包丁で切っていく。
(アイリスのことを考えて、いつもより小さめに切るか)
全ての食材を切り終わったら、鍋に油を敷き、熱が通りにくい物から順に炒めていく。
(この、『コンロ』っていう魔道具、相変わらず便利だよな)
火魔法に適性がないシンでも、魔力を流せば簡単に火が起こせるし、火力の細かな調整も出来る。
この分、結構な値段がするが、そこはSランク冒険者だ。お金は余るほどある。
ある程度火が通ったら、トロミ付けの小麦粉を入れて、かき混ぜて、食材全体に馴染ませる。
そして、水と、冷蔵庫(水の魔力が込められた魔道具。こちらもお高い)から、牛乳とバターを取り出し、鍋に入れる。
そして、後はゆっくりとかき混ぜ続ける。アクが浮かんでくれば掬い取り、トロミが付いてきたら、塩とコショウで味を整える。
「ーーよし! 完成!」
と、そこでーー
ピンポーン
「おっ、ちょうどいい」
呼び鈴が鳴らされる。
おそらく、買い物を終えたフィリアさんが、アイリスを連れて来てくれたのだろう。
玄関の扉を開けると、案の定、フィリアさんとアイリスが居た。
アイリスは新しく、ピンクを基調としたシャツとスカートを着ている。
(うん、女の子らしくて、かわいいな。)
やはり、フィリアさんに頼んで正解だった。
「とりあえず、服やタオル、歯ブラシや食器類など、必要そうな物は買っていました。これ、領収書です」
そう言って、フィリアはシンに、両手いっぱいの荷物と、数枚の領収書を渡す。
「ありがとうございした。おかげで助かりました。今、お金を持って来ますね」
「次、ギルドに来た時で良いですよ。それより、今はアイリスちゃんと一緒にいてあげてください」
そう言って、フィリアは玄関前で立ち止まっていたアイリスの背中を押す。
その後押しに覚悟を決めたのか、アイリスは新しい自分の家に足を踏み入れる。
「し、失礼します! シンさん! 今日からよろしくお願いします!」
緊張しているのか、そんな硬い挨拶をするアイリスに、シンは優しい笑顔で返事を返す。
「おかえり」
「ーーッ!? …………お、おじゃまします」
(ただいまとは、言ってくれないか)
まあ、仕方ないか。
でもいつか、アイリスにとって、ここが第二の我が家になってくれたら嬉しいな。
「それでは、私はこれで失礼しますね。アイリスちゃん、シンさんに何か変なことされたら、お姉さんに言ってね」
「ちょっと!? なに言ってるんですか、フィリアさん!」
フィリアはそんな冗談を言って、帰って行った。
フィリアさんが冗談を言うなんて珍しいが、何となく考えていることは分かる。おそらく、自分と同じことを考えているのだろう。
アイリスに少しでも笑ってほしい。元気になってほしい、とーー
「さて、お腹空いてるだろ、アイリス。夕ご飯にシチューを作ったから、一緒に食べよう」
「…………いえ。わたし、あまり食欲が…………」
「そう言わず、少しは食べてよ。きっと美味しいからさ」
シンはしゃがみこみ、真剣な顔でアイリスにお願いする。
あんなことがあった後だ、食欲が無いのは分かる。でも、少しでも食べないと、体も心もどんどん参っていってしまうだろう。
「…………わかりました。なら、少しだけ…………」
「よし! じゃあ、こっちがリビングだよ」
そうして、シンはアイリスの手を取って、リビングに向かう。
こうして、シンとアイリス、2人の生活が始まったーー