アイリス。グリフォン戦の準備を始める
アイリス視点
「それじゃあ、アイリス。おぶさってくれる」
「は、はい」
わたしの前でしゃがんで、おぶさるよう言ってくる、シンさん。
『まず、グリフォンとの戦闘中、アイリスは俺におぶさってくれるかな。それが1番、アイリスを守りやすいからさ』
これが、グリフォン退治の作戦説明の時に、シンさんが最初に言った言葉だった。
(な、なんだか緊張しちゃうな…………)
目の前にあるシンさんの背中。
なんでだろう? 今からその背中に抱き付くのだと思うと、なぜだかドキドキとしてきちゃう。
「? どうかした、アイリス?」
「い、いえ! …………で、では…………し、失礼します!」
「? ああ」
しゃがんだまま後ろを振り向いて、不思議そうに尋ねてくる、シンさん。
いつまでも躊躇していられない。わたしは覚悟を決めて、シンさんの背中に抱き付いた。
「じゃあ、アイリス。立ち上がるから、しっかり掴まっててね」
「は、はい」
シンさんのその言葉に従って、わたしはシンさんの首に回した両腕に力を込める。
「ーーよっ!」
そんなかけ声と共に、立ち上がるシンさん。
「ーーわっわっ!」
「おっと!」
しっかり掴まっていたつもりだったけど、突然体が宙に浮いた事にビックリしたわたしは、バランスを崩して落ちかけてしまう。
すぐにその事に気付いたシンさんが、両腕を後ろに回して、わたしの体を支えてくれた。
「大丈夫、アイリス?」
「は、はい。ありがとうございます」
「はははっ。良いよ、良いよ。アイリスも、人におんぶしてもらうなんて久しぶりなんじゃないの? なら、仕方ないさ」
そのシンさんの言葉で、わたしは思い出す。
(…………そっか。わたし、おんぶしてもらうの、凄く久しぶりなんだ)
小さかった頃は、お母さんにせがんで、よくおんぶしてもらった記憶がある。
だけど、もう何年もおんぶをしてもらっていない。わたしが成長して、お母さんの力ではわたしを持ち上げられなくなってしまったから。
「…………シンさん。わたし、重たくないですか?」
「全然。むしろ、軽いぐらいだよ」
ふと、不安になったわたしは、シンさんにそう尋ねてみた。
(これで重たいなんて言われたら、なんだかショックだなー)
そう思ったけれど、シンさんはすぐに否定の言葉を言ってくれた。
声の調子もいつも通りだから、気を使ってウソを言っている訳ではないと思う。
「それじゃあ、アイリス。さっき説明した通り、リュックサックを使って、俺とアイリスの体を固定させるね。手を離すから、その間だけしっかり掴まっててね」
シンさんが言う『さっき』とは、グリフォン退治の説明を聞いた時のことだ。
グリフォンとの戦闘中、わたしはシンさんの背中におぶさる事になったのだけど、普通におぶさるだけでは、わたしの体は安定しないし、何より、わたしの体を支えるために、シンさんの両手が塞がってしまう。
そこでシンさんが提案したのが、リュックサックを使って、わたしとシンさんの体を固定するというものだった。
なんでも、山でケガした人を運ぶ時に、実際に使われている方法らしい。
「はい」
シンさんから言われた通り、今度こそ落ちないようにと、わたしはギュッと、全身でシンさんへと抱き付いた。
(…………うぅ。筋肉があるからかな? シンさんの体硬い…………。お母さんと全然違う…………)
数年前と今。お母さんとシンさん。
なんでだろう? お母さんにおんぶしてもらった時と何かが違う。
(…………うぅ…………。なんだか落ち着かない…………。一体、どうして?)
そんな風に、わたしが初めて感じる感情に戸惑っている間にも、シンさんの作業は続く。
「『収納・アウト』」
『収納』からリュックサックを取り出す、シンさん。
そして、シンさんはリュックサックを上下逆さまにして、わたしの腰からお尻までを覆える位置に持ってくる。
「よし。アイリス、背負いヒモを肩に通せるかい?」
「…………は、はい…………なんとか…………」
わたしは、事前に伸ばしておいたリュックの本体と肩に担ぐ部分とを繋いでいるヒモ(背負いヒモという名称らしい)を後ろ手で探し当て、それを両肩に通す。
それを確認したシンさんもまた、背負いヒモを両肩に通す。そして最後に、リュックの真ん中にあったヒモを、わたしとシンさんのお腹を通して、前で固定する。
「どう、アイリス? キツくない?」
伸ばしていたヒモを微調整しながら、わたしに確認してくる、シンさん。
「はい。大丈夫です。なんだか、椅子に座っているような安心感がありますねーー」
事前に聞いた通りだ。今、シンさんは両手を離しているけれど、リュックで体が固定された事で安定感がある。
「…………ただ…………」
わたしはそこで、言葉を濁す。
(…………うぅ…………。リュックで体を固定したから、シンさんの背中に全身が密着しちゃってるよぉ…………)
改めてその事を認識した瞬間、わたしの顔はカァアアと熱くなる。
「? ただ、なに?」
「ーーっ! な、なんでも無いです! そ、それより、これからどうするんですか!?」
後ろを振り向いて、不思議そうに尋ねてくる、シンさん。
シンさんと目が合って、わたしの顔はさらに熱くなる。気恥ずかしくなったわたしは、慌てて話題を変えることにした。
「ん? まあ、作戦通りいくよ。ーー『付与・筋力強化』、『付与・スピード強化』」
魔法を唱えて、自身の筋力とスピードを上げる、シンさん。
ここまでは、全部予定通りだ。たしか、この後はーー
『さっきも言ったけど、開けた場所でグリフォンと闘うのは、こちらが不利になる。だから、まずはグリフォンを森の方へ誘導させるよ』
『誘導、ですか? どうやってですか?』
『臭いだよ。あえて風上から血の臭いを流す。グリフォンは肉食の魔物だから、血の臭いには敏感に反応するはずさ。あとは、付かず離れずの距離を維持して森まで逃げる。以上』
ーーと、そういう予定だったはずだ。
「ーーおっ! ちょうど今、こっちが風上だな」
わたしが作戦を思い出している間に、シンさんは舐めた指を立てて、風の向きを確認していた。
ちょうどこちらが風上のようだ。ということは、すぐにでも作戦を始めるのだろうけれどーー
「ところで、シンさん。血の臭いって、どこから持ってくるんですか? 今から森の動物でも狩るんですか?」
わたしは、作戦を聞いたときから気になっていた事を質問する。
「ははっ。まさか。今更そんな事しないよ」
「? じゃあ、どうするんですか?」
「ん? こうするんだよ」
そう言って、シンさんは『収納』から取り出した短剣を右手で握る。
そしてーー
ーーグサッ!
それを、自分の左の掌に突き刺した。
「…………は…………?」
シンさんの予想外すぎる行動に、わたしの思考は停止する。口からは呆けた声が漏れた。
先程まで熱かったはずの顔からは、急激に血の気が引いていった。
ーーズボッ!
わたしが呆けたている間に、シンさんは左手に突き刺さった短剣を引き抜いた。
ーーポタッ、ポタッ
「ーーっ! ちょ、ちょっと、シンさん! いきなり、何してるんですか!」
傷口から血が垂れているのを見て我に返ったわたしは、シンさんの耳元で大声を上げる。
だけどーー
「言いたい事は分かるけど、話は後だ! 走るぞ、アイリス!」
シンさんはそれだけ言うと、わたしの返事を待たずして、『エルフの森』へ向かって走り始める。
後ろを振り向くと、凄まじいスピードで、グリフォンがわたし達を追ってきているのが確認出来た。
(ああっ、もうっ! 一体、何がどうなっているのよ!?)
こうして、わたしの混乱が覚めやまぬ中、シンさんとグリフォンの戦闘が始まったーー