アイリス。嬉しさと照れとーー寂しさと不安と
アイリス視点
自分の部屋でジャージに着替え、わたしはリビングに戻ってくる。
「シンさんは…………まだ来てないみたい…………」
リビングの中を見回すも、シンさんの姿は見えなかった。
どうやら、まだ着替え終わってないみたいだ。
(まあ、ジャージに着替えるだけのわたしと違って、冒険者であるシンさんは準備がいろいろあるんだろうな)
そう判断したわたしは、ソファーに座って、シンさんを待つ事にした。
(……………………。…………んー。シンさん、まだかなー)
足をプラプラさせながら、ぼんやりとした状態でシンさんを待つ。
と、そんな風にボーッとしていたからだろう。わたしは、先程このソファーでの、シンさんとのやり取りを思い出していた。
『…………ほ、ほらっ! わたし達、今朝話して、家族になったじゃないですか! それなのにわたし、シンさんのこと何も知らないなーと思ってて。ちょうどそんな事を考えていた時に、シンさんの出身地の話題が出て…………つい…………』
話の流れで偶然、シンさんの出身地が『ジパング』だと知ったあの時。シンさんの事をもっと知りたいなーと思っていたわたしは、ついシンさんに詰め寄ってしまった。
すぐに我に返ったのだけど、シンさんに理由を聞かれてしまったわたしは、恥ずかしいのを我慢して、シンさんに思いきってそう話した。
『…………うん。たしかに、アイリスの言う通りだね。今すぐはさすがに無理だけと、仕事が終わったら、ゆっくり話そうか』
そうしたら、シンさんはそう答えてくれた。
それだけじゃない。シンさんは、最後にこう付け加えてくれた。
『俺の事だけじゃなく、アイリスの事もいろいろ聞かせてね』
ーーと。
(これって、シンさんもわたしと同じ事を考えてくれたって事だよね!?)
わたしはシンさんに、シンさんの事をもっと知りたいと、そういうニュアンスの事しか言っていない。それなのに、シンさんはわたしの事もいろいろ聞かせてほしいと、そう言ってくれた。
(あれは、本当に嬉しかったなー。ふふっ。今から、シンさんと話すのが楽しみだなー。シンさんは、まだ来ないのかなー…………?)
チラッと、リビングの入り口を見るも、シンさんがやって来る気配はまだ無い。
仕方がないので、わたしは再びぼんやりと、シンさんを待つ。
とーー
『ああ、ごめんごめん。そういう意味で着替えてって言った訳じゃないよ。それに、心配しなくても大丈夫。年頃の女の子らしい、可愛らしい格好だと思うよ』
『アイリスなら、王都の子達以上にかわいいと思うよ。ほら、アイリスって、元がかわいいから、かわいい格好をすると、よけいにね』
ふと、シンさんから、そう褒められた事を思い出してしまった。
「ーーっ!」
思い出すと、再び顔が熱くなってきた。きっと今、わたしの顔は真っ赤になっているのだろう。
(も、もうっ! どうしてシンさんは、あんなにも恥ずかしいセリフを、サラッと言えちゃうの!? …………そ、そりゃ、かわいいって言われたのは、嬉しかったけど…………)
でも、同時に悔しくもあって。
わたしは、あんなに恥ずかしかったというのに、シンさんの様子はいつもと変わらなかったから…………。
シンさんに真っ赤になった顔を見られまいと、両手で顔を覆って俯いたあの時。指の隙間から、ソッと伺ったシンさんの表情は、いつもの優しげな笑顔のままだったから…………。
(あー、もうっ! やっぱり、悔しい! …………よし! シンさんが戻って来たら、仕返しに褒め返そう! そうしよう!)
照れたシンさんはかわいいんだろうなー。
そんな想像をしながら、リビングの入り口を見る。だけど、シンさんはまだ来ない。
(もー。遅いなー、シンさん)
手持ちぶさたなわたしは、せっかくだからと、シンさんから言われた言葉の中で、1番嬉しかった言葉を思い返すことにした。
『どうして、って。そんなの、アイリスが心配だからに決まってるだろう』
『俺にとって、アイリスはもう家族でーー娘みたいなものなんだよ』
「ーーふふっ。ふふふふっ」
思い返すと、自然と笑みがこぼれてしまう。
この言葉が、1番嬉しかった。心配してもらえたのも、嬉しかったけど、やっぱり1番嬉しかったのは、わたしの事を娘みたいなものだと、そう言ってくれたこと。
(だって、シンさんがわたしの事を『娘』って言ってくれたんだよ)
それまでも、シンさんはわたしのことを『家族』だとは言ってくれていた。でも、はっきり『娘』と言われたのは、これが初めてだった。
(嬉しかった…………わたしの事をいろいろ聞きたいと言われた時より。かわいいって、言われた時より…………シンさんに『娘』だと認めてもらえた事が…………ずっとずっと、嬉しい…………)
でもーー
(今のわたしにはまだ、シンさんの事を『お父さん』って呼ぶことが出来ない…………)
決めたから。『血染めの髑髏』を殺して、お母さんの、皆の復讐を果たしたら、シンさんを『お父さん』って呼ぼうって。
それまでは、わたしにシンさんの事を『お父さん』と呼ぶ資格は無い。
(…………だって、そうでしょう。わたしは今、自分の身勝手な復讐に、シンさんを利用しているようなものなんだよ)
そんな状態で、『お父さん』なんて、図々しく呼べる訳ないじゃない。
(でも、復讐が終わったらーー)
復讐が終わって、何の柵も無くなれば。
そうすれば、わたしは堂々と、純粋な気持ちで、シンさんを『お父さん』って呼べるから…………。
(…………だけど、それって、一体何年後なんだろう?)
わたしは、いつまで他人行儀な呼び方を続けないといけないんだろう?
自分で決めた事とはいえ、やっぱり寂しいな…………。
「……………………」
チラッと、リビングの入り口を見る。
シンさんは、まだ来ない。
「……………………」
ーーチクタク、チクタク。
広いリビングに、時計の秒針の音だけが響く。
「ーーっ!」
直前まで暗い事を考えていたからだろうか?
わたしは急に、強い不安と寂しさに襲われた。
「……………………」
チラッと、リビングの入り口を見る。
シンさんは、まだ来ない。
(ど、どうして来ないの?)
時計を見ると、わたしがリビングに戻って来てから、すでに30分近い時間が経っている。いくらなんでも、遅すぎる。
「……………………」
チラッと、リビングの入り口を見る。
シンさんは、まだ来ない。
「も、もうっ! どうして、来ないの!?」
強い不安や寂しさを誤魔化すように大声を上げる。
(もういい! わたしがシンさんを迎えに行く!)
そう決めたわたしは、ソファーから立ち上がり、リビングを出る。
(たしか、シンさんの部屋は、こっちだったよね?)
昨晩の記憶を頼りに廊下を進むと、すぐにシンさんの部屋の前にたどり着いた。
「…………すぅー、はぁー…………」
わたしは、すぐにシンさんの部屋に入らず、1度深呼吸をする。
本当は、今すぐにでもシンさんに会いたいって思ってる。でもーー
(でも、嫌だもんーー)
待ちきれなくて、会いにきたなんて思われるのは。
まるで、小さな子供みたいだって、シンさんに思われるのは。
だから、わたしは1度深呼吸をして、逸る気持ちを落ち着ける。そうして、扉を開いたーー
だけど、わたしは全然、冷静じゃ無かったのだろう。少なくとも、ちゃんとノックをするべきだったと、後から思ったーー