シン。冒険準備開始ーー
シン視点
「それじゃあ、アイリス。お互い、自分の部屋で着替えてから、またここに集合ということで」
「はい」
そうして、俺とアイリスは、一緒にリビングを出る。
俺の部屋とアイリスの部屋は、同じ方向にあるので、途中までは一緒だ。
2人、肩を並べて、廊下を歩く。
「ーーそういえば、シンさん。長袖長ズボンというのは分かったんですが、他にどういう服が良いとかはありますか?」
その道すがら、アイリスから質問が飛んで来た。
「んー、そうだねー…………。まあ、動きやすさっていう観点から見れば、ジャージが1番良いかな」
ジャージとは、綿をジャージー織りという織り方で織った服の総称だ。
伸縮性が高いので動きやすく、さらに織り目が細かいため、汗が乾きやすい。
以上の特徴から、トレーニングウェアとして使われる事が多いのだが、ちゃんとした装備を買えない、駆け出しの冒険者が着ている事も、意外と多いのだ。
ただーー
「ジャージですか…………。うーん、あったかなぁ…………?」
宙を見上げ、思い出そうとしている、アイリス。
アイリスは昨日、俺に助け出される形で、この王都にやって来たのだ。
当然、身の回りの物を持って来てるはずが無く。昨日、フィリアさんと一緒に、身の回りの物を買ってはいたがーー
(昨日買ったのは、取り急ぎ必要な最低限の物だけで、服も数着しかなかったよな)
女の子の服だし、マジマジと見なかったから分からないけど、その数着の中に都合良くジャージがあるかなぁ?
(まあ、無いなら無いで別にいいけどね。絶対にジャージじゃないとダメって訳じゃないし)
と、そんな事を考えていたのだがーー
「ーーあっ! そういえば、1着だけ買ってました」
「おっ。本当に?」
どうやら、都合良くあったらしい。
「はい。シンさんから修行をつけてもら時に必要だろうと、フィリアさんからの勧めで、黒色のジャージを1つ」
なるほど。だから、都合良くジャージがあったのか。
(まあ、フィリアさんの想定とは違う使い方になるけど、別にいいだろう。せっかくだから使わせてもらうとしよう)
ーーと、そうこうしている内に、アイリスの部屋の前に到着した。
「それでは、シンさん。また後で」
アイリスは、自分の部屋の中に入ると、扉を閉める直前に、隙間から顔を覗かせて、小さく手を振る。
そんな、アイリスの可愛らしい仕草を見て、俺の口元は自然に笑みを浮かべる。
「ああ。また後で」
そう言って、手を振り返すと、アイリスはニッコリと、嬉しそうに微笑んで、部屋の中に引っ込んで行く。
ーーパタン
(さてとーー)
扉が閉まるまで待ってから、俺は足早に動き出す。
俺の部屋は、アイリスの部屋から、そんなに離れていないので、すぐに自分の部屋に辿り着いた。
ーーガチャ
扉を開け、自分の部屋へと入っていく。
そして、クローゼットを開けると、俺はいつも使っている仕事着を、1つずつ取り出していく。
(まずは、ズボン…………)
ズボンは、カーゴパンツという、ポケットが多い物を使っている。
『収納』の魔法があるとはいえ、ポケットが多くて損は無いからな。
(次は、上着…………)
上着は、首まで覆える、タートルネックのTシャツだ。
今でこそ、一般の人も着ているタートルネックだが、元々は鎧の内側に着て、首周りを守るために使われていた。
俺は鎧こそ使わないものの、首周りを守れるならと、この服を仕事着として使っている。
(そして、コートと…………)
このコートには、『火』と『水』の魔法が付与されており、着用者の体温を適切な温度に保ってくれる。
このコートがあれば、たとえ夏場でも長袖長ズボンで依頼をこなせるし、冬場に着込みすぎて、動きが鈍くなる心配もない。
(あとは、魔獣の革で作られた手袋とブーツ…………)
そして、最後にーー
「『収納・アウト』」
アイテムボックスの中から、左腕に着ける籠手を取り出す。
(流石に、この籠手だけはクローゼットに入れておく訳にはいかないからなぁ…………)
この籠手は、軽さと強度を兼ね備えた白金製だ。
黒く塗ってるため、一見すると分からないだろうが、だがもし盗られたらと思うと、クローゼットではなく、『収納』に入れておくのが正解だろう。
「ーーさて。これで全部だな」
必要な物を全て取り出した事を確認した俺は、まずズボンから着替えていく。
そして、上の服を脱いでタートルネックのTシャツを着ようとした所で、ふと気付く。
(ーーそうだ。昨日の、アイリスの身の回りの物を買った料金、フィリアさんに立て替えてもらったままだ)
その事を思い出した俺は、一旦、タートルネックのTシャツを置いて、お金の準備を始める。
(…………えーと。たしか、領収書は机の上に…………うん。あったあった)
俺は、机の上に置かれた数枚の領収書を手に取ると、椅子に座って、金額を計算する。
(…………うん。全部で銀貨2枚に、銅貨18枚だな)
銀貨10枚で金貨1枚分である事を考えると、結構な金額だな。
まあ、別に文句は無いけど。どうせ、お金は余る程あるわけだし。それにアイリスには、出来るだけ品質の良い物を使わせてあげたい。
(ははっ。まるで、本当の父親みたいな事を考えてるな、俺)
苦笑しつつも、俺は『収納』から取り出したお金を、封筒の中に入れていく。
(…………まあ、とはいえ、俺に父親面する資格なんか無いんだけどな…………)
そう。アイリスに嘘をついて、騙している俺にはね…………。
(…………でも、仕方ないよな。これが、アイリスの為なんだから)
その結果、アイリスから嫌われて、縁を切られたとしても、ね…………。
(とはいえ、どうしもんかな…………)
もうすでに封筒にお金は入れ終わっていたが、俺は椅子に座ったままで、考え込む。
(俺の計画は、絶対にアイリスに知られる訳にはいかない。だが、この計画を実行に移すには、出来るだけ多くの協力者がいる)
だがーー
(アイリスは多分、俺から離れたがらないよな)
アイリスを置いて、仕事に行く。そう伝えた後の、あのアイリスの取り乱しようを思い出す。
表面上は、よく笑い、明るくなったように見える、アイリス。だが実際は、俺に必要以上に甘える事で、不安や寂しさを紛らわしてるだけだ。アイリスの心の傷は、まだ全然癒えていない。
(アイリスに知られず、協力者に事情や計画について話したい。だけど、アイリスは長い時間、俺から離れたがらない…………)
どうしたものかなと、ため息を吐く。
と、その時、手元の封筒が目に止まる。
(ーーそうだ! 手紙ならアイリスに知られずに、協力者にお願いが出来る!)
その事に思い至った俺は、机の引き出しから数枚の封筒と便箋を取り出す。
宛先は、ギルドマスターである、フィリアさん。数人のAランク冒険者。王宮に騎士団など。
Sランク冒険者である俺の、使えるだけのコネを使い、協力を仰ぐ内容の手紙を書いていく。
そしてーー
「ーーよし! これで、終わり!」
思い付くかぎりの、全ての人に宛てた手紙を書き終わり、封筒を『収納』の中に仕舞う。
(後は、ギルドに行く前に、この手紙をポストに入れればいいな)
そうして、一仕事終えた俺は、椅子に座ったまま、グッと体を伸ばして気分転換をする。とーー
「ーーシンさーん? まだですかー? …………えっ!?」
扉が開き、アイリスが顔を覗かせる。
どうやら、手紙を書くのに、時間がかかったらしい。待ちきれずに、俺の部屋に来たようだ。
「ああ、ごめん、アイリス。待たせちゃっちゃったね」
俺は椅子から立ち上がり、アイリスに謝罪をする。がーー
「ーーっ!」
アイリスは顔を真っ赤に染め、何故だか慌てて俺から顔を逸らす。
(? どうしたんだろう?)
アイリスの妙な反応を不思議に思ったものの、自分の体を見下ろす事で、すぐにその理由が分かった。
(あっ、そういえば俺、上半身裸のままだったわーー)




