アイリス。シンへと抱く大切な想い。ーーそして、少し先の未来でーー
アイリス視点
それは、ほんの少しの違和感だったーー
「そ、そんな高価な物を使わせてもらう訳にはいきません! これは、お返しします!」
魔法書が、金貨200枚もするとシンさんから教えてもらったわたしは、最初は魔法書を使わせてもらうつもりは無かった。
だって、そうでしょう。
シンさんは、迷惑かけているなんて思わなくていい、遠慮なんてしなくていいと言ってくれたし、わたしも今までは、その言葉の通りにシンさんに甘えさせてもらったけど、だけど、それはダメだよ。
「アイリス。もう何度も言ったと思うけど、Sランク冒険者である俺は、余る程お金を持っている。だから、遠慮なんてしなくていいんだよ」
「で、でも…………さすがに、こんな高価な物を使わせてもらう訳には…………」
ーーだって、お金は大切な物だもん。
わたしにはお父さんが居ない。いわゆる母子家庭で育ったわたしは、お母さんがたくさんたくさん、汗水流して働いてきたのを知っている。
それでもお金が足りなくて、わたしに貧しい思いをさせいると、お母さんが気に病んでいたことにも気付いていた。
確かに、シンさんはお金をたくさん持っているのかもしれない。
でも、だからといって、『ルル』の村で、お母さんと一緒に12年間暮らしてきたわたしの価値観は、そんなに簡単には変わらない。
だから、絶対に魔法書を使わせてもらうつもりは無かった。なのにーー
「アイリス。さっきも言ったけど、Sランク冒険者である俺が受ける依頼は危険度の高いものばかりだ。いくら俺でも、キミを守れる保証はない。だから、最低限の自衛手段として、『障壁』の魔法は覚えてもらうよ。じゃないと、キミを仕事に同行させることは出来ない」
「ーーっ! …………そ、そんな…………」
そう言われ、わたしは言葉に詰まってしまう。
そもそも、シンさんから離れたくないとワガママを言ったのは、わたしだ。
そのワガママを聞いてもらった以上、シンさんが出したこの条件を聞かない訳にはいかないだろう。
「…………わ、わかりました。使わせていただきます…………」
そう、しぶしぶ頷きながらも、わたしは考えていた。
こんなにも沢山のものをくれるシンさんに、わたしは何を返すことが出来るだろう。
優しいシンさんは、そんなこと気にしなくていいと言ってくれると思う。だけど、それじゃあ、わたしの気が済まない。
(シンさん。わたしは、本当にあなたに感謝しています)
あなたは、わたしの復讐を手伝うと言って、わたしを弟子してくれた。わたしに魔法を教えてくれて、今もこうして、とても高価な魔法書を使わせようとしてくれている。
そして、何よりーーあなたは、わたしの新しい家族になってくれた。あなたは、他人であるはずのわたしに沢山の愛情をくれ、わたしの寂しさや不安を埋めてくれる。
だから、わたしは、いつかシンさんに、この恩を何倍にもして返したい。
今のわたしは、12歳の子供だ。何も出来ない。
だけどーー
「ーーだけど!」
「な、なに?」
突然顔を寄せ、大声を上げたわたしに、シンさんは困惑した様子を見せる。
そんなシンさんに構わず、わたしは一方的な約束を口にする。
「借りるだけです! 将来、わたしが冒険者として成功して、必ず返しますからね!」
そう。今のわたしは子供だから何も出来ない。どうしたら、この胸に宿る暖かな気持ちを伝えられるのか、その方法も分からない。
だけど、大人になればーーお母さんやシンさんみたいな、一人前の大人なれば、それも出来るようになるはずだ。
(最低限、シンさんから貰った物と同じだけの物は、返さなくちゃね)
例えば、魔法書。金貨数百枚もする魔法書は、普通ならわたしが一生懸けても返せない金額だろう。
だけどわたしは、シンさんの弟子として、『血染めの骸骨』に復讐する事を目標に、修行を受けている。
シンさんが言うには、『血染めの骸骨』はAランク冒険者が数人がかりで挑まないと勝てない相手だそうだ。そんな相手をわたし1人で全滅させようするなら、Aランクよりも上のSランク冒険者にならないといけないだろう。
それが、どれだけ難しい事かは分からない。だけど、シンさんは、わたしに魔法の才能があると言ってくれた。
だから、いつかはなれるはずだ。そのためなら、たとえ何年だろうと努力する。お母さんの、村の皆の仇を討つためにーー
(そして、シンさんから受けた恩を返すために…………だね)
それは、昨日までの、怒りや憎しみだけに囚われていたわたしには、無い想いだった。
(別に、わたしの心から、怒りや憎しみが消えた訳じゃない。ただ、それと同じ位の新しい動機が出来ただけ)
Sランク冒険者になれば、シンさんと同じように、国王様から爵位をいただいて、こんな大きなお屋敷に住めるようになれるのだろう。
Sランク冒険者になれば、シンさんと同じように、余る程のお金を手に入れられるのだろう。
(そうなれば、少なくとも、お金の面だけなら、シンさんから貰った物と同じだけの物を返すことが出来る)
もちろん、返すのは、お金だけじゃない。
シンさんから貰った物は、形ある物だろうと、形のない物だろうと関係無い。全部全部、何倍にもして返そう。
そんな事を、わたしは1人、心の中で誓った。
わたしはそんな風に、真面目な事を考えていたのに、シンさんはーー
「ーーぷっ。あはっはっはっ!」
突然、大口を開けて笑い始めた。
「もうっ! 何でそんなに笑うんですか!」
わたしは、こんなにも真剣に考えているというのに! なんて、勝手な事を言うつもりは無い。
シンさんは、わたしが何を考えているかなんて知らないのだし、わたしも恥ずかしいから、この誓いをシンさんに伝えるつもりは無い。
(だけど、今までの会話の流れで、こんなに大笑いするような言葉は無かったはずだけど…………)
シンさんが突然笑いだした理由が分からず首を傾げたくなる。
と、シンさんはわたしの頭に手を置き、優しく撫で始めた。
「あははっ! ごめん、ごめん」
「もー! だから、突然頭を撫でないでくださいってば!」
わたしは、そんな風に文句を言いながらも、口元には笑みを浮かべる。
(なんだか、いつもと同じ空気になっちゃったな)
先程までは、どうやってシンさんから受けた恩を返そうかと真剣に考えていたというのに、今わたしの頭にあるのは、シンさんから頭を撫でられたことに対する、幸せな気持ちだけだった。
たくさんの嬉しさと、ほんの少しの気恥ずかしさ。
わたしは、目を瞑って、そんな気持ちを噛みしめる。
(こんな毎日がずっと続けばいいのになぁ)
わたしの復讐が終わった後も、シンさんはわたしと一緒に居てくれるかな? わたしの家族になってくれるかな?
全部終わったら、シンさんにお願いしてみよう。わたしの家族にーーわたしのお父さんになって下さいって。
そんな想いを抱きながら、わたしは目を開き、照れ笑いの表情でシンさんを見上げた。
(ーーえ?)
そして、気付く。シンさんが悲しげな表情を浮かべていることにーー
(ーーっ!)
シンさんのその表情を見た瞬間、わたしは胸に締め付けられるような痛みを感じた。
わたしは反射的に俯いて、そして考える。
(どうして? どうして、そんなに悲しそうなの?)
だって、さっきまで普通に話してたじゃない。いつもと同じやり取りで、笑いあってたじゃない。
(それなのに、どうして?)
堪らなくなったわたしは、シンさんに直接尋ねようと顔を上げる。とーー
(あ、あれ?)
シンさんは、表情はいつもと同じだった。
いつもと同じように、優しく暖かい表情で、わたしを見つけていた。
(気のせいだったのかな?)
きっと、そうだったのだろう。
「さて、それじゃあ改めて、『収納』と『障壁』の魔法書を取り出すね」
シンさんは、いつもと同じ口調で、そう切り出した。
(うん。やっぱり、気のせいだったんだね)
そう思ったわたしは、自分の中に感じた違和感に蓋をして、「はい」と頷いた。
『違和感』
そう。わたしは、シンさんに違和感を感じていた。
はっきりと感じたのは、この時だったけれど、これまでも多分わたしはシンさんの言動に、無意識に違和感を感じていたんだと思う。
だけど、わたしはその違和感に気付かないフリをした。
だって、わたしは、シンさんを疑いたくなかったから。
シンさんは、全てを失ってしまったわたしの、唯一の信頼出来る人だったから。
師匠であり、家族である、シンさん。わたしは、その関係が壊れてしまうのが怖かったのだ。
だけど結局、わたしとシンさんの関係は壊れてしまったね。
ううん。被害者ぶるのは止めよう。だって、壊したのはわたしなんだからーー
悪かったのは、わたしだったのかな? それともシンさんだったのかな?
たぶん、どっちもだったんだろうね。
シンさんはわたしに内緒で、ある『計画』を考えていた。そしてわたしは、シンさんの想いに気付かず、短絡的にシンさんとの縁を切ってしまった。
だから、どっちも悪かったんだろうね。まあ、今さらそんな事を考えた所で、もう手遅れなんだけどね。
(あの日に誓いは、果たせそうにないねーー)
そう遠くない未来、わたしは後悔する事になる。孤児院の片隅で1人、うずくまってーー
~作者からの挑戦状~
Q.このページの最後で出てきた、シンの『計画』とは?
A.
Q.何故、シンはそんな『計画』を考えたのか? その理由は?
A.