シンとアイリス。穏やかな時間を満喫する
シン視点
「ところで、アイリス。今さらだけど疲れてない?」
庭から家に戻った俺は、リビングへの道すがら、隣を歩くアイリスに、そう尋ねてみた。
「え? 何がですか?」
「いや、『氷矢』と『炎矢』を覚えるのに、1時間位の時間、ほぼぶっ続けで魔力を使ってたでしょ。普通、そんなにも魔力を使えば、かなり精神的にキツイはずなんだよ」
「そうなんですか? んー、言われてみれば、ちょっと頭がボーッとする気がしますね」
「あれだけの魔力を使って、ちょっと頭がボーッとするだけか。やっぱり、思った通り、アイリスが持っている魔力量は、かなり多いみたいだね」
「本当ですか!? だったら、嬉しいです」
俺がそう褒めると、アイリスは言葉通り、嬉しそうに笑みを浮かべている。
(……………………そうだ! それなら、いっそのことーー)
あることを思いついた俺は、少しの間、頭の中でどう話すかをシミュレーションしてから、アイリスに切り出した。
「いや、でも実際、アイリスはかなり魔法の才があるよ。使える属性の数は、普通より多い3属性だし。魔法を覚えるのも、俺の予想より倍近く速かったし」
「えへへ~。もうっ! そんなに褒めないでくださいよ!」
俺が褒め続けると、アイリスは口元をだらしなく歪め、照れと嬉しさが半々といった表情を見せる。
(あーあー。せっかくの可愛らしい顔が台無しになってるぞ、まったく)
そう思いながらも、もうクセになりつつあるのか、俺は半ば無意識にアイリスの頭を撫でる。
「ーーっ! もうっ! 突然頭を撫でないでくださいよ!」
口ではそう言いつつも、幸せそうに微笑む、アイリス。
(よかった。今回は喜んでくれているな)
アイリスに気付かれないよう、ホッと息を吐く。
(さっきの、泣いてるアイリスの頭を撫でた時は、全然喜んでくれなかったからなぁ)
まあ、状況が状況だったから仕方なかったとはいえ、それでも、いつもの笑顔が見れなかったのは、寂しかった訳で。
(この気持ちが、父性ってやつなのかねぇ?)
俺はまだ22歳だし、仮に娘が居たとしても、こんなに大きな娘は居ないだろうけれど。
それでも、俺はこの子に出会ってから、いろんな気持ちを知ることが出来た。
一部の人からは侮蔑の意味で『探求者』と言われてる俺だけど、彼女と出会ったことで、少しは人間味っていう物が出てきた気がする。
(でも、だからこそーー)
俺は、アイリスの頭から手を離して、ある提案をする。
「アイリス。ちょっと提案なんだけど、今後の修行内容は、魔法をメインにやっていかない?」
「魔法を、ですか?」
俺が撫でることを止めたことで、名残惜しそうな表情をしながらも、聞き返してくる、アイリス。
口では文句を言いながらも、やはり撫でられるのは嬉しいらしい。
といいか、なんでこの子は、自分からは積極的に撫でてくださいとアピールするくせに、こっちから撫でると嫌がるそぶりを見せるのだろう? 心構えがないと、照れるのか?
「うん。もちろん、体の方も最低限鍛えてもらうけど、せっかく魔法の才があるんだから、そっちを活かしていきたいと思ってね」
それに、と、俺は冗談混じりに続ける。
「俺、あまり身体能力が高くないからさ。体はあまり鍛えて来なかったんだよね。だから、まあ、あまり教えてあげられる自信が無いんだ」
「そ、そんなこと無かったですよ…………」
何かを思い出しているのだろうか? 俺から視線を外し、どこか照れたように頬を染める、アイリス。
(ん? なんで、そんな反応になるんだ?)
今のは、自虐混じりのジョークだったんだけど。
てっきり、軽く笑いながら、否定の言葉をかけてくれると思ったんだけどな。
アイリスの声も、小さくてよく聞こえなかったし、聞き返してみるか。
「アイリス。今なんてーー」
「い、いえ! 何でも無いです! そ、それより、魔法をメインにするって話でしたよね!?」
(だから、何故そんなに動揺する?)
そう疑問に思うものの、これ以上追及しても答えてくれないだろうし、話を進めることにする。
「うん。俺としてはそう思ってるんだけど、アイリスはどうだい?」
「そうですね…………。…………わたしも特に不満は無いです。というより、わたしはその辺りの事は分からないですし、師匠であるシンさんを信頼して、お任せしますよ」
「そ、そうかい? じゃあ、今日はもう無理だろうけど、明日からは、仕事の前や仕事の後に時間があれば、魔法の練習をしていこうか」
「はい。よろしくお願いします」
(よし。これで、アイリスを弟子に採ってから考えていた、懸念事項の1つが消えたな)
まあ、元々その話をするつもりはなく、会話の流れが偶然にそっちに行ったから、切り出してみたんだけど、上手くいって良かった。
アイリスに魔法の才があったのも良かったな。これも偶然だけど、おかげで、違和感なく話を進めることが出来た。
(まあ、俺の事を信頼してるって言ってくれたアイリスに、罪悪感は感じるけど…………)
それでも、これがアイリスのためだからーー
(ーーっと、そうこうしている内に、リビングに着いたな)
それじゃあ、本来の目的を切り出しますかね。
「アイリス。魔法書の説明の前に、ちょっと休憩しようか。今、お茶淹れてくるからさ」
「いえ、別にいいですよ。さっきも言いましたけど、特に疲れてないですし。それに急ぐんですよね?」
「数分休むぐらいの時間はあるさ。じゃあ、ちょっとお茶淹れてくるから、ソファーに座って待っててくれ」
「は、はい。分かりました」
ちょっと一方的になってしまったが、アイリスはリビングの中へと入っていく。
それを見送ってから、俺はリビング奥のキッチンへと向かい、お茶の準備を始める。
戸棚を開けると、10種類以上ある茶葉の中から、乾燥させたカモミールの花を取り出す。
先程、アイリスにも説明したが、カモミールティーには、安眠や疲労回復、そして、リラックス効果がある。
(いろいろ、あったからなぁ…………)
忘れるという約束だったから、はっきりと明言しなかったが、最初に疲れてないかと聞いたのは、そちらの方がメインだったりする。
(まあ、アイリスも自分があれだけ取り乱して、泣きわめいていた事が恥ずかしいんだろうな。家に入ってからは気持ちを切り替えたのか、いつも通りにしていたけれど)
それでも、精神的にかなりのストレスを受けているはずで。
もちろん、お茶を飲んだぐらいでストレスの全てを取り除けるとは思っていないけれど、ストレスを和らげる一助になってくれればと思う。
(ハーブティーは、普通のお茶と違って、クセが強いからなぁ…………。アイリスにも飲みやすいように、カモミールミルクティーにするか)
そう決めた俺は、冷蔵庫からミルクを取り出し、小鍋に俺とアイリス、2人分のミルクとドライカモミールを入れて、コンロで温めていく。
ミルクが沸騰する直前を見極めて火を止め、カップの中に茶葉が入らないよう、上に茶こしを置いてから、カモミールミルクティーを注いでいく。
(ちょっと贅沢して、ハチミツも入れちゃおう)
戸棚からハチミツを取り出して、カモミールミルクティーにちょっと垂らせばーーよし! 完成だ!
「おまたせー」
カップをソーサーに乗せ、リビングのソファーに座っていたアイリスの元に持っていく。
まず、アイリスの前のテーブルにカップを1つ置き、俺はもう1つのカップを持ったまま、アイリスの向かいに座る。とーー
「…………むー」
ん? 何でここで急に不機嫌になるんだ?
(……………………ああ、そっか)
今から1時間半ほど前。無属性魔法の説明をした時の事を思い出した俺は、ティーセットを持って立ち上がり、テーブルをぐるっと回って、アイリスの隣に腰掛けた。
「! …………えへへ~」
さっきまでの不機嫌そうな表情を一変させ、ニヤける、アイリス。
どうやら、これで正解だったらしい。
「ーークンクン。何だか、リンゴのような甘い香りがしますね。これ、なんのお茶ですか?」
そう言いながらも、俺との間にあった数センチの隙間を詰めてくる、アイリス。
(…………まあ、いいか)
俺も慣れてきたのだろう。この位では、もうツッコミを入れようという気にならなかった。
「これ? これは、乾燥させたカモミールで作ったお茶だよ。飲みやすいように、ミルクとハチミツも入れてある」
「へー、これがカモミールのお茶ですか。そういえば、さっきシンさんが言ってましたね。たしか、効能は…………………あっ…………」
どうやら、先程俺がした説明を思い出したらしい。
そして、俺がこのお茶を出した意図に気付いたのだろう。恥ずかしそうに頬を染め、うつむく、アイリス。
「…………お、お気遣いかけます…………」
少しして、消え入りそうな声で呟く、アイリス。
(うーん。これは、何だか俺も恥ずかしくなってきたな)
本来なら、アイリスに気付かれないまま、スマートにするつもりだったのだが。
とりあえず、ここは惚けるか。それがお互いのためだろう。
「? なんのこと? それより、早く飲もう。冷めちゃったら、美味しさ半減だよ」
「そ、そうですね! それでは、いただきますね!」
そうして、俺とアイリスは、カモミールティーを口に運ぶ。
(……………………ふぅ)
カモミールティーを一口飲み込んだ瞬間、俺は心の中でため息を吐く。
いつもは、ミルクやハチミツを入れずにストレートで飲んでいるのだが、こっちも悪くないな。
「甘くて美味しいです。思ってたより飲みやすいですね」
「そう。良かった」
どうやら、アイリスもこのお茶を気に入ってくれたらしい。一口ずつ口に含んでは、穏やかな表情を浮かべている。
そんなアイリスの様子に、俺は安堵の微笑みを浮かべながら、また一口、カモミールティーを口に運ぶ。
こうして、カモミールティーを飲み終わるまでではあったものの、久しぶりの、師弟としてではなく、家族としての穏やかな時間を、お互いに満喫するのだったーー