9月--アイリス。食欲の秋とお菓子作り訓練(後編)
アイリス視点
初めて訪れた学校の図書室で、モモちゃんやラナと小説を借りた翌日の、9月の第1日曜日。
今日は朝の9時半より、メイヤさんが営む洋菓子店にて、栗を甘く煮詰めたマロングラッセを調理中。
栗の実を柔らかくする為、1時間ほど火に掛けた所で、わたしはお鍋の中に砂糖を投入した。
(これで、砂糖が溶けるまで湯がいたら、今日の作業は終わりだねー)
現在の時刻は、おおよそ午前の11時。今日は休日という事もあり、まだまだ時間には余裕がある。
だから、本音では今日中にマロングラッセを作り、本来の目標であったモンブラン作りに移行したい所。
が、お菓子作りの師匠であるメイヤさん曰く、それは不可能との事だった。
(というのも、1度に全ての砂糖を入れてしまうと、栗の実が固くなってしまうそうなんだよね)
なので、今日から1日おきに少しずつ砂糖を加えながら、まずは1週間かけてマロングラッセを作り。
モンブランを作るのは、来週の日曜日に延期する事になったんだよね、と。
今日ここに至るまでの経緯を思い返しつつも、お鍋の様子を眺めていた、その瞬間だった。
「…………ふぁ…………」
と、砂糖の半分ほどが溶けた所で、わたしの口から不意に欠伸が漏れてしまった。
(…………うぅ。人様のお宅で、大口を開けて欠伸をしてしまうなんて、はしたない…………)
栗の皮を剥いたり実を湯がいたりの作業は、メイヤさんとお喋りをしながら行っていた。
それが砂糖を加えてからは、お鍋の様子を1人で見守るだけだったので、気が弛んでしまったのだろう。
(幸いだったのは、メイヤさんがお客さんの対応の為に、席を外している事かな…………)
いくら親しいメイヤさんといえど、人に欠伸している姿を見られるのは、やっぱり恥ずかしいし、と。
安堵の息を吐く、わたしだったけれど--丁度お客さんの対応を終えて、戻って来た所だったらしく。
わたしの背後から、クスクスという笑い声が近付いて来た。
「あらあら。ずいぶんと可愛らしい欠伸ね、アイリスちゃん」
「…………メイヤさん。もしかしなくても、聞こえてました?」
「ええ、バッチリ聞こえたわ!」
「…………ううぅ。恥ずかしいです…………」
「ただの生理現象なんだから、恥ずかしがる必要は無いと思うけど--それにしても、珍しいわね」
アイリスちゃんが欠伸をしている所なんて、今まで見た事ないけど、昨日は夜更かししていたの、と。
からかい混じりの声音ながらも、意外そうに問い掛けてくる、メイヤさん。
わたしは頬が熱くなるのを実感しながらも、首を小さく縦に振る。
「はい。実は昨日、学校の図書室で借りた本を、寝る前に読んでいまして」
「ふむふむ。ちなみに、どんな小説を借りたの?」
「有名な本なので、たぶん聞いたこと位はあると思うんですけど…………」
そんな前置きと共に、小説のタイトルを口にする、わたし。
と、思い当たるフシがあったのか、メイヤさんはポンッと両手を合わせた。
「ああ。その小説なら確かに、普段は本を読まない私でも、ある程度の内容を知っているわね!」
たしか、天涯孤独だった女の子が、貴族の夫婦に引き取られる所から始まる、義理の親子モノの小説。
最初は、お互いに気を遣ってギクシャクしていた3人が、少しずつ親子の絆を深めていく物語よね。
と、小説の大まかな粗筋を口にした所で、メイヤさんは合点が入ったとばかりに頷いた。
「なるほど! つまり、その小説が面白くて、つい夜更かししてしまったのね!」
「いえ。むしろ、その逆と言いますか…………」
「逆? つまらなかった、という事かしら?」
「そこまでは言いませんが、何だか物足りなくて。いつもなら寝る時間だったんですけど、つい自分の小説を読み返してしまったんですよね」
初めてのジャンルで、主人公の女の子に共感しきれなかったのが、原因だと思うんですけど…………。
と、自分が読む小説のジャンルは隠しつつも、昨夜の出来事を打ち明ける、わたし。
が、わたしの言葉に疑問を覚えたのか、メイヤさんはコテリと首を傾げる。
「あら、そうなの? アイリスちゃんの境遇を思えば、むしろ共感できそうなものなのにね」
メイヤさんが言っているのは、わたしが故郷を盗賊団に滅ぼされ、お父さんの養子になった事だろう。
そう察したわたしは、コクリと頷く。
「ええ。わたしも、そう思ったからこそ、義理の親子モノの小説を手に取ってみたんですけどね」
もちろん、全く共感できそうなかった、という訳では無いんですよ。
少なくとも、女の子が義母に向ける気持ちには、わたしも概ね共感できましたし、と。
そこまで説明した所で、わたしは続く言葉をモニョモニョと濁す。
「ただ、女の子が義父に向ける気持ちだけは、これっぽっちも共感できなかったんですよね」
「ふむふむ。ちなみに、どういうシーンが共感できなかったの?」
「そうですね。例えば、女の子が昔を思い出して、パニックを起こすシーンがあったんですけど…………」
その後、女の子は義父から抱き締めて貰う事で、心の平穏を取り戻していた。
けれど、それは絶対あり得ないと、わたしは自信を持って断言する。
だって--
「そんな事されたら、むしろ胸がドキドキと高鳴って、余計に落ち着かなくなっちゃいますよ!」
現に今も、お父さんから抱き締められている自分を想像してしまい、顔がカーッと熱くなってるし…………。
と、わたしは内心で呟きつつも、邪な考えを振り払おうと、ブンブンと頭を大きく振る。
その上で、わたしは更に気を紛らわす為、改めての疑問を思い浮かべる事にした。
(そ、それにしても! どうして、わたしは義理の親子モノの主人公に共感できないんだろう?)
わたしの愛読書である、年上の男の人に恋する女の子の気持ちには、とても共感できるのに…………。
と、何かしらの疑問を感じていたのは、わたしだけでは無かったらしく。
わたしの隣では同様に、メイヤさんが不思議そうに首を捻っていた。
「…………そこまで分析できてるのに、どうしてアイリスちゃんは、自分の恋心に気付けないのかしら?」
「? 何か言いましたか、メイヤさん?」
すぐ隣のわたしにも聞こえない小さな声で、何事かをポツリと囁く、メイヤさん。
気になったわたしは問い返すも、メイヤさんは誤魔化すように、ふるふると首を振る。
「ううん、何でもないわ。それよりも、アイリスちゃん。お鍋の中の砂糖、もう溶け切ったみたいよ」
「あっ、本当ですね」
どうやら、メイヤさんとのお喋りに夢中になる余り、お鍋の確認が疎かになっていたようだ。
このまま火に掛け続け、万が一にでも焦げ付いてしまえば、折角の栗の風味が台無しになってしまう。
わたしは慌てて思考と会話を打ち切ると、コンロのツマミを回し、火を止めた。
(あとは、栗の水から浮き出た部分が乾燥しないよう、キッチンペーパーを被せて…………よしっ! これで、おしまいだね!)
と、拳を小さく握り締めるわたしだったけれど--あくまで、今日の作業が終わっただけ。
前述したように、完成には今日から1週間かけて、少しずつ糖度を上げていく必要があるのだ。
(まぁ、明日からの作業は家でするとして。問題なのは、今日の分のオヤツが無いことだよね…………)
父の日のプレゼントとして、6月の終わりにクッキーを手作りしてから、約3ヶ月。
ジパングに旅行していた時を除き、日曜日の度にメイヤさんの元を訪ねては、様々なお菓子作りを練習。
完成品は、その日の夕食後のデザートとして、毎週お父さんに振る舞ってきたのだ。
(それなのに、今週だけオヤツが無いのは、何だか寂しいし…………)
それに、わたしの大好きな、お父さんの喜ぶ顔も見れないし…………。
と、そんな旨をメイヤさんに相談した結果、急遽スイートポテトを作る事が決定。
すぐさま作業を始まるべく、栗と同じく今が旬のサツマイモへと、わたしは手を伸ばすのだった--
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メイヤさんが営む洋菓子店にて、マロングラッセを作り始めてから1週間後の、9月の第2日曜日。
無事マロングラッセを完成させたわたしは、改めてメイヤさんの元を訪ね、モンブランケーキを作製。
夕食後に振る舞った所、お父さんは普段よりも顔を綻ばせ、わたしの作ったモンブランを絶賛してくれた。
(1番の決め手だったのは、何個か割れてしまったマロングラッセの再利用を、メイヤさんが提案してくれた事かな)
おかげで、刻んでスポンジの中に混ぜるという、先週には無かった案を思い付いた訳だし、と。
学校で新たに借りた本を読みながらも、ニヤニヤと口元を弛めてしまう、わたし。
が、それから約1時間後の入浴後に、事件は起こった。
「--えっ?」
1週間ぶりに体重を量ろうかなと、気まぐれに体重計へと乗ってみた、わたし。
が、そこに示された数字を見て、わたしは思わず呆気に取られた声を上げてしまった。
(…………なんで、こんなに増えてるの…………?)
わたしは現在13歳。
成長期の真っ只中なので、体が大きくなったというのも、勿論あると思う。
だけど--
(たとえ、その事を差し引いたとしても、先週より◯キロも増えるなんて、あり得ないよね…………)
と、お腹をプニプニと摘まみながらも、混乱の余り呆然としてしまう、わたし。
が、この1週間の食生活を振り返った事で、はたと思い直す。
(…………よくよく思い返してみれば、太って当然だよね…………)
お父さんが今が旬だからと買ってきた、たっぷりの脂が乗った、カツオやサンマ。
それに加えて、わたしが夕食後に振る舞った、スイートポテトやモンブランケーキ。
脂質と糖質。この2つを、今週は特に多く摂っていたように思う。
(トドメになったのは、モンブランケーキの中にまで、高カロリーな栗を入れてしまった事かな)
他にも、今月末の王宮での晩餐会に備えて、教養を磨こうとしたのも原因かもしれない。
この1週間は本を読む時間が増えた分、体を動かす時間が減っていたし、と。
そこまで考えた所で、わたしの頭にある疑念が過った。
(--って、もしかして!?)
と、わたしは浴室を飛び出すと、ドタバタと足音を立てながら、転がるように自室へ。
クローゼットに飛び付くと、晩餐会に着ていく予定のドレスを取り出し、袖を通してみる。
(…………うぅ。先月の王宮訪問の時は普通だったのに、やっぱり今は少しキツいよぅ…………)
甘々の親バカで、わたしのお願いを何でも聞いてくれる、お父さんの事だ。
頼めば、新しいドレスを買ってくれるだろうけど--同時に、その理由を聞いてくるだろう。
(『わたし、太っちゃったんだ』なんて、大好きなお父さんに言える訳ないよぅ…………)
そうなると、残された方法は1つ。
ダイエットに励み、晩餐会が催される日までに、体重を元に戻す事だ。
(とはいえ、食事制限するとお父さんにバレちゃうだろうから、運動しかないか…………)
晩餐会までは後2週間しかないから、自分で運動する機会を増やすだけでは足りない。
それとなくお父さんに頼んで、冒険者の修行に体を動かすメニューを取り入れて貰おう、と。
来るべき晩餐会に向けて、わたしは新たな決意を燃やすのだった--




