9月--アイリス。食欲の秋とお菓子作り訓練(前編)
アイリス視点
初めて訪れた学校の図書室で、モモちゃんやラナと小説を借りた翌日の、9月の第1日曜日。
時刻は午前9時。今日は週に1度の休日という事で、わたしは朝食後すぐに外出。
お菓子作りの練習の為、わたしは知人が商店街で営む洋菓子店、ジュエリーボックスに向かっていた。
(よーし! 今週もお菓子作り、頑張るぞー!)
中央区の自宅を出たわたしは、商店街のある西区に向けて通りを歩きつつも、両手を小さく握り締める。
こうして、日曜日にお菓子作りを習うのは、6月の父の日にクッキーを作って以来の事。
最早すっかり、わたしの毎週の習慣となっていた。
(とはいえ、ここ最近は以前にも増して、お菓子作りに熱を入れるようになったかな)
というのも、先月始めの王宮訪問の際に、お父さんが最高級のケーキを口にしてしまい。
そのせいで、先月末のお父さんの誕生日に、わたしは搦め手なケーキを作る嵌めになってしまったのだ。
(だからこそ、来年こそは正攻法で、王宮で出された以上のケーキを作ってみせる!)
その為に、今は趣味の小説を買う量を減らしてでも、お菓子作りに励まないと!
と、改めて意気込みを固めている間に、わたしは自宅のある中央区を抜け、西区へと到着。
そこから更に10分ほど歩いた所で、視線の先に商店街のアーケードが見えてきた。
(目的の洋菓子店ジュエリーボックスは、商店街の入口の近くにあるから、あと少しだねー)
とはいえ、日曜日である今日は、ジュエリーボックスの営業日。
お菓子を食べるのはオヤツ時や夕食後だから、お客さんの少ない午前中なら来ても大丈夫よ、と。
店主のメイヤさんから許可を得ているものの、まずは遠目に店の中を覗き、お客さんの姿が無い事を確認。
そうしてから、わたしはジュエリーボックスの扉の取っ手へと、手を掛けた。
--カランコロン
「いらっしゃいませー!」
「おはようございます、メイヤさん!」
「おっ! 今日も来たねー、アイリスちゃん! さっ、入って入って!」
わたしより12も歳上にも関わらず、気さくにカウンターの中へと招いてくれる、メイヤさん。
そんなメイヤさんの後を追いつつも、わたしは今から作る予定の、栗をシロップで煮詰めたお菓子。
マロングラッセについて、思いを馳せていた。
(まぁ、最初はモンブランケーキを作りたいと思っていたんだけどね…………)
が、その後のメイヤさんの話で、頂点に載せるマロングラッセを作るのに、1週間かかる事が判明。
市販のマロングラッセを買うか、最悪マロングラッセなしのモンブランを作る?
と、メイヤさんは提案してくれたものの、最終的には今日から1週間かけて、マロングラッセを作り。
モンブランを作るのは、来週の日曜日に延期する運びとなった。
(完成品は夕食後、お父さんにも振る舞っているからね! 可能な限り、手作りしたいもん!)
と、今日ここに至るまでの経緯を思い返している間に、わたし達は店の最奥にあるキッチンに到着。
中央の調理台の上には、事前にメイヤさんが用意してくれてたのか、水の入ったボウルが1つ。
その中を覗き込むと、10粒ほどの皮付きの栗が、底の方に沈んでいた。
「メイヤさん。これが、今から調理する栗ですか?」
「ええ、そうよ。固い皮は剥きやすいように、昨晩の内に下拵えしておいたから!」
「ありがとうございます、メイヤさん!」
「--ふふっ。お礼は不要よ、アイリスちゃん」
下拵えと言っても、皮を柔らかくする為に水に浸しただけだからね、と。
照れ臭そうに微笑みながらも、ボウルの水を流しに捨てる、メイヤさん。
次いで、メイヤさんは下のシンクの扉を開くと、中から包丁とまな板を2セット取り出した。
「それじゃあ、アイリスちゃん。まずは2人で栗の皮を剥いていきましょうか」
「はい! たしか…………最初に包丁で切れ込みを入れて、そこから指で引っ張って剥いていく、でしたよね?」
メイヤさんから包丁とまな板を受け取りつつも、事前に聞いていた説明を復唱する、わたし。
どうやら正しかったようで、メイヤさんはコクリと頷いた。
「その通りよ、アイリスちゃん!」
ただ、栗の皮は鬼皮と呼ばれる程に固いから、指をケガしないよう気を付けてね、と。
メイヤさんは注意してくれたものの--水に1晩浸けていたので、栗の皮はフニャフニャと柔らかく。
2人がかりな事もあり、あっという間に10粒すべての皮が剥き終った。
(まぁ、問題なのは次の、皮と身の間にある薄皮を剥く作業なんだけどね…………)
というのも、1晩とはいえ水で柔らかくなった鬼皮とは違い、薄皮は熱湯でないと柔らかくならず。
しかも、冷めてしまえば薄皮は再び固くなり、元の剥き難い状態に戻ってしまうそうなのだ。
(つまり、熱いのを我慢して手早く剥くしか、方法は無いって事なんだよね…………)
とはいえ、薄皮は渋味が凄いそうなので、剥かないとマロングラッセの甘味が台無しになってしまう。
食べるのが自分だけならともかく、大好きなお父さんにも振る舞う以上、中途半端な物は作れない。
覚悟を決めたわたしは、お鍋の中で湯がいている栗へと、満を持して手を伸ばした。
「--あつっ、あつっ! あつっ、あつっ!」
栗の熱で掌がヤケドしないよう、お手玉しながら少しずつ薄皮を剥いていく、わたし。
そんなわたしとは対照的に、メイヤさんは涼しげな表情のまま。
ゆっくりとした手つきで、丁寧に薄皮を剥いていた。
「…………メイヤさん、熱くないんですか?」
「熱いは熱いけど、お菓子を作っている時には、もっと熱い物を触る事もあるからね。この位なら、へっちゃらよ!」
「流石は、プロのパティシエさんですね…………」
週に1回とはいえ、お菓子作りを始めて約3ヶ月。わたしは未だに、熱さに慣れていない。
わたしも、もっともっとお菓子作りを頑張れば、いつかメイヤさんの境地に至れるのかな、と。
そんな事を考えながらも、何とかヤケドなどのケガをする事なく、無事に全ての薄皮を剥き終えた。
(あとは、煮てる間に栗が割れないよう、1つ1つ丁寧にガーゼで包んで…………よしっ!)
これで、下準備は全て完了。いよいよ、栗を甘く煮詰めていく作業だ。
わたしは、薄皮を剥く際にも使ったお鍋に再び水を張ると、ガーゼで包んだ栗を10粒すべて投入。
お鍋を改めてコンロに置いた所で、わたしはツマミを捻り、火に掛けた。
「とりあえず、メイヤさん。まずは、このまま1時間ほど煮て、栗を柔らかくするんですよね?」
「ええ。栗が固いまま砂糖を入れちゃうと、糖分が実の中にまで浸透しないからね」
「で、栗が柔らかくなったら砂糖が溶けるまで煮て、今日の作業は終わり。あとは、1日おきに砂糖を加えては煮てを、1週間くり返すんですよね?」
「そうね。一気に砂糖を入れると栗が固くなってしまうから、1週間かけて少しずつ糖度を上げていくの」
と、この後の工程を復習しながらも、栗を湯がくこと約1時間。
わたしは一旦コンロの火を止めると、お鍋の中の栗を1粒だけ試食し、柔らかくなっているのを確認。
が、いざ砂糖を入れようとした所で、店頭の方からベルの音が聞こえてきた。
--カランコンロ
「すいませーん! どなたか、いらっしゃいませんかー?」
「はーい! いま参りまーす!」
ごめんね、アイリスちゃん。お客さんが来たみたいだから、私は対応に行って来るわ。
あとは私が居なくても出来ると思うから、アイリスちゃんは気にせず調理を続けてて、と。
それだけを言い残し、慌てた様子で店頭へと向かって行く、メイヤさん。
わたしはコクリと頷くと、手に持っていた砂糖が乗った小皿を、お鍋の中へと傾けたのだった--




