アイリス。初めてのワガママ
アイリス視点
ーー楽しかった。
ーー楽しかったんだ。
ーーシンさんと一緒に過ごすことが、本当に、本当に楽しかった。
『ダメな保護者だなんて思っていません!頼りないなんて思っていません!…………確かに、最初は知らない男の人と一緒に暮らすことに、困惑の気持ちがあったと思います。でも!ーー』
『シーンーさーん!』
『あはは。ごめん、ごめん』
『もうっ! 知りません!』
ーーシンさんにからかわれても、全然嫌な気持ちにならなかった。それどころか、まるで、本当の家族になれた気がして、嬉しかった。
『シンさんが、お花に話しかけながら、お世話している姿を想像すると……………………ふふっ。ふふふふふっ…………』
『つまり、照れ隠しですよね。恥ずかしいからって、そんなに必死になって否定して、かわいいなー、もうっ!』
ーー頼りがいのある、カッコイイ大人の男の人だと思っていたシンさんの、意外な一面が知れて、嬉しかった。
『えへへ~』
『まったく。お前は本当に甘えん坊だな』
ーーシンさんに抱きついて、頭を撫でてもらえると、心がポカポカと温かくなって、安心した。
ーー悲しみも、寂しさも、不安も、怒りも、憎しみも、シンさんと居る間は、忘れられた。
ーーこの人の側に、ずっと居たかった。
ーーこの人に、ずっと側に居て欲しかった。
『迷惑かけてるなんて思わなくていい。遠慮なんかしなくていい。アイリスさえ良ければ、いっぱい甘えて、いっぱいワガママ言ってくれていい。ーーだって、俺達は、師弟であり、家族なんだから』
『…………本当に、良いんですか?』
『わたし、お母さんに言わせれば、相当な甘えん坊みたいですよ。いっぱいワガママ言って、甘えちゃいますよ』
『ああ、いいよ。よっぽど変なお願いじゃないかぎり、聞いてあげる』
ーーどれだけ甘えても、どれだけ依存しても、シンさんなら応えてくれる。そう、思っていたのにーー
『…………うん。実は、そろそろギルドに行かないといけない時間でね。そして、アイリス。悪いんだけど、キミを一緒に連れて行くことは、出来ないんだーー』
「…………………………………………」
「…………アイリス。大丈夫?」
シンさんが、わたしを気遣うような心配気な声音で、そう尋ねてくる。
「…………………………………………」
だけど、わたしに返事をするような、心の余裕は無かった。
先のシンさんの言葉を聞いて以来、わたしは放心状態になってしまっていた。
シンさんの言葉は聞こえている。シンさんの言葉を、頭では理解している。ーーだけど、わたしの心が、シンさんの言葉を受け入れることを、拒絶していた。
「…………続き、話すね…………」
(…………イヤ…………聞きたくない…………)
そんな、わたしの思いとは裏腹に、シンさんはわたしの事を心配するような様子のまま、それでも話を続けてくる。
「とりあえず、あと30分位したら、俺はギルドへ依頼を受けに行くよ。その間、申し訳ないけど、アイリスには留守番をしてもらう事になる」
(…………イヤ…………そんな話、聞きたくない!)
「アイリスが1人が嫌なら、学校に案内するから、そこで勉強をしていてもらえないかな。知らない人ばかりで嫌だと言うなら、フィリアさんにお願いして、ギルドで過ごす?」
(イヤだ! イヤだ! イヤだ!)
「大丈夫。夜遅くになると思うけど、ちゃんと帰って来るから」
「ーーっ!」
夜…………遅く…………?
そんなにもの時間、シンさんから離れないといけないの?
今のわたしには、シンさんしか心許せる人は居ないのに。そんなのーー
「…………イヤ、です…………」
「アイリス。でも…………」
わたしが、小さな声で呟くと、シンさんは困ったような声を上げる。
そんなシンさんを無視して、わたしは感情のままに、大きな声で自分の気持ちを口にする。
「イヤです! シンさんから離れたくない! それなら、わたしも一緒に行きます! 連れて行ってください!」
「アイリス。無茶を言わないでくれ…………」
「なんですか! シンさん、言ってくれたじゃないですか! いっぱい甘えていいって! いっぱいワガママ言ってくれていいって! わたしのお願い、聞いてくれるって、言ったじゃないですか!」
「確かに、そう言ったけど…………。でも、同時にこうも言ったはずだよ。『よっぽど変なお願いじゃないかぎり、聞いてあげる』って。悪いけど、今回のは、よっぽどのお願いだよ」
「ーーっ!」
確かに、シンさんはそう言っていた。わたしのお願いを、何でも聞いてくれるとは、言っていない。
「…………な、なら…………。…………そうだ! 修行の一環として連れて行ってください! わたしの事、鍛えてくれるんですよね!?」
「無理だよ。Sランクの俺が受ける依頼は、危険度の高いものばかりだ。いくら俺でも、キミを守れる保証はない」
…………ズルい。そんな風に言われたら、何も言い返せないじゃない。
「…………それなら、仕事なんて行かないで、わたしと一緒に過ごしてくれませんか? シンさん、言ってたじゃないですか、お金は余るほどあるって。しばらく仕事しなくても、大丈夫なんでしょう?」
「確かに、そうだけど…………。でも、ゴメンね。それも無理なんだ。俺が受ける依頼は、他の冒険者が受けなかった、売れ残り依頼だ。困っている人が居る以上、放ってはおけないんだ」
「そ、そんな…………」
シンさんの言ってる事は分かる。優しい、シンさんらしい理由だと思う。
こんな立派な人が、師匠であり、保護者である事を、わたしは本来なら誇りに思わないといけないんだろう。
でも、今ばっかりはーー
「…………シンさんは、わたしよりも、顔も知らない他人の方が大事なんですか?」
「イジワルな質問しないでくれよ…………」
シンさんが、困ったような声を上げる。
わたしだって、イジワルな事を言ってるって分かってる。それでも、言わずにはいられなかった。もしこれで、シンさんが一緒に居てくれるならと、そう思った。でもーー
「もちろん、アイリスの方が大事だよ。でも、だからといって、仕事を蔑ろには出来ない。」
その言葉には、強い意志が込められていた。
わたしが、どれだけお願いしても、シンさんはこの言葉を曲げないだろう。
「…………な、なら…………なら…………。…………………………………………う、ううっ」
…………もう、思いつかなかった。シンさんに連れて行ってもらう理由も、シンさんを引き止める理由も…………もう、思いつかない。
それに、本当はわたしも分かっていた。シンさんの言っている事が正しくて、わたしの言っている事が間違っているって。
わたしは、ただワガママを言っているだけだって。
(…………しかたない、のかな…………?)
シンさんを、これ以上困らせたくないし。
それに、シンさんは、夜には帰ってくるって、言っていた。たった半日位じゃない。小さな子供じゃないんだし、それぐらい我慢しないと。
シンさんの言う通り、学校に行けばいい。別に勉強は嫌いじゃない。この王都の学校なら、いろいろな事を学べるだろう。
さすがに、夜遅くまで学校には居られないだろうから、学校が終わったらフィリアさんの所に行こう。そして、フィリアさんと一緒に、シンさんが戻って来るのを待っていよう。
そう、頭では分かっているのにーー
「イヤだあぁぁぁっ! やっぱり、イヤだよおぉぉぉっ!」
ーー心では、その事実を受け入れていなかった。
わたしは、シンさんに抱きついて、ポロポロと涙を流す。
「ちょ、ちょっと、アイリス! 泣かないでよ。ねっ!」
シンさんは、優しい声でそう言って、頭を撫でてくれる。でも、先程までと違って、安心感は湧いてこない。
ただ、ただただ、寂しかった。孤独感だけが、わたしの心を占めていた。
「…………お願い…………お願い、します…………。なんでも、言うこと聞きます…………なんでも、しますから…………。だから、お願いします…………わたしを1人にしないで…………わたしと一緒にいてください…………」
涙ながらに、シンさんに訴える。
絶対に離れない。その意思表示のため、強く、強く強く、シンさんの体を抱き締めたーー
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