8月-ーシン。強さも弱さも、すべてを受け入れてくれる人
シン視点
ジパンクの実家に帰省して8日目となる、8月13日金曜日。時刻は昼の2時過ぎ。
何の気なしに軒先越しに見上げた空は、この夏の時期らしく高く、雲の1つも無い晴天。
が、そんな澄みきった青空とは対照的に、俺の心は黒々とした雲に覆われていた。
「…………はぁ。いったい何をやっているんだ、俺は…………」
空から視線を外した俺は、腰を落としている縁側の床板を眺めつつも、深く重たい溜め息を吐く。
今日は、お盆の初日。本来なら家族で集まって、ご先祖様を迎え入れる準備をしている所なのだろう。
が、俺は何の手伝いをする事もなく、まるで逃げるようにして、朝食後すぐに外出。
それから約5時間たった現在も、特に何をするでも無く、うだうだと項垂れ続けている状況なのだ。
(しかも、最愛の愛娘であるはずのアイリスを、家に置いてだものなぁ…………)
アイリスにとって、ここは慣れ親しんだセレスティアではなく、初めて訪れる海外の地。
1週間あまりの時間を過ごし、何度か一緒に外出したとはいえ、少なからず心細く感じているはず。
そういう時だからこそ、アイリスの最も身近な人物である、俺が側に居てあげるべきなのに…………。
(幸いなのは、アイリスが母さんや祖母ちゃんを初め、父さんや夕陽とも親密な関係を築けている事だな)
ジパンクの皇宮が定めた、俺が実家へと帰省している期限は、8月16日の月曜日まで。
残りは全てお盆期間なので、父さんや夕陽の仕事も休みで、家族の全員が家に揃っている。
今日を含めた4日間、例え俺が朝から晩まで家に居なくても、アイリスも寂しい思いをせずに済むだろう。
「…………何の事情も説明せずに、1人にしてゴメンな、アイリス。だけど、残りは後3日だから…………」
後3日してセレスティアの家に帰れば、いつもの俺に戻っているから、と。
今は実家で過ごしているであろうアイリスに向けて、俺が力無く謝罪の言葉を口にした、その瞬間。
俺が今いる場所へと繋がっている小道から、トテトテと駆けるような足音が聞こえてきた。
(? この場所に人が来るなんて、珍しいな…………)
木々に遮られて姿こそ見えないものの、足音の軽さからして、たぶん近付いて来てるのは子供だろう。
とはいえ、道が細く舗装もされていない事から、ここは地元民でさえ存在を知らないようなスポット。
だからこそ、俺は小さな頃から此処を秘密基地にして、1人になりたい時に利用してきたのに…………。
「-ーって、のんびり考え事をしている場合じゃないな」
相手が大人ならともかく、小さな子供にとっては、7年も地元を離れていた俺は見知らぬ大人。
しかも、父さん程のガタイの大きさは無いとはいえ、俺も人1倍背が高いからな。
「見知らぬ背の高い大人が居たら、子供心に恐いと思うだろうし、その前に退散しないとな…………」
ここを離れるのは惜しいけれど、他に人気のない場所を探して、夜まで粘っていようかな、と。
小さく独り言を呟きながら、静かに席を立とうとする、俺。
が、俺が離れるよりも早く、道の先から子供の姿が見え始めてきた。
(? 遠目だから、よく見えないけれど…………何だか、あの子に見覚えがあるような?)
ジパンクでは珍しい銀色の髪に、小さな白色の撫子が無数にあしらわれた、ピンク地の浴衣。
年齢の割には小柄な体躯に、将来は美人になるであろう可愛らしい顔立ち、と。
特徴が分かる程に子供が近付いて来た所で、俺はハッと息を飲んだ。
(-ーっ! あの子、もしかしてアイリスか!?)
どうして、こんな知る人ぞ知る隠れ家的なスポットに、セレスティア出身のアイリスが、と。
まさかのタイミングで現れたアイリスに、驚きの余り固まってしまう、俺。
そんな俺の目の前で、息を弾ませたアイリスが立ち止まる。
「…………はぁ、はぁ。お父さん、やっぱり此処に居た…………!」
「え、えーと…………とりあえず、アイリス。はい、これ」
ここまで走って来たのか、肩で息をしながら大粒の汗を流す、アイリス。
俺は疑問の言葉をグッと堪えると、長丁場に備えて用意していた水筒とタオルを、アイリスに手渡した。
「…………あ、ありがとう、お父さん…………」
-ーフキフキ
と、額に流れる汗を拭っているアイリスを促し、俺は先程まで座っていた縁側に、2人並んで着席。
水筒の中の手作りの経口補水液も飲み干し、ホッと一息ついた様子の、アイリス。
そのタイミングを見計らい、俺は改めて切り出した。
「ところで、アイリス。俺が此処に居るって、どうして分かったんだい?」
俺が今日の朝から居る此処は、水精神社の本殿の反対側にある、末社と呼ばれる小さな建物だ。
先程のアイリスの口振りから察するに、この場所に俺が居ると確信している風だったけど…………。
と、疑問を呈する俺に、アイリスもまた不思議そうにキョトンと首を傾げている。
「どうしてって、お父さんが教えてくれたんだよ。子供の頃、1人になりたい時に来ていたって」
「…………そういえば、5日前に一緒に水精神社に来た時に、そんな事を言ったね…………」
それにしても、俺が何気なく話した内容まで、よく覚えていたものだな、と。
アイリスの記憶力に感心した所で、俺は今更ながら、はたと気付いた。
「-ーって、アイリス? どうして、今の俺の心境を…………?」
「暁さんが休みの日の度に、お父さんが朝早くから外出してる事に気付いてね。偶々遊びに来たクロちゃんに、お父さんの昔話を教えて貰ったの」
そこで、完璧な旭さんと比べられて育てられた事や、暁さんから厳しく鍛えられた事。
周りの目も顧みらずに自分を磨き続ける理由や、暁さんを避ける理由を聞いたんだ、と。
無断で俺の過去を聞き出したからか、申し訳なさそうな表情で続ける、アイリス。
(-ーっ! そうか、クロが…………)
アイリスには何も事情を説明していないし、母さん達にも口止めしていたはずなのに、と。
疑問に感じたものだけれど、どうやらクロが情報を漏らしてしまったらしい。
俺は力無く項垂れると、渇いた笑みを溢してしまう。
「…………ははは。ごめんな、アイリス。幼い頃のトラウマを今も引きずるなんて、情けない姿を見せてしまったね…………」
兄さんのように完璧でなければ、誰からも認められない-ーそんな強迫観念が、俺の中に常に存在する。
だからこそ、最愛の愛娘であるアイリスの前で位は、カッコいい父親でありたかったのになぁ、と。
アイリスから失望されてしまう事を想像し、ヒザに乗せた拳を震わせてしまう、俺。
そんな俺の拳を覆うように、アイリスがソッと優しく掌を添える。
「大丈夫だよ、お父さん。情けないなんて思っていないし、謝る必要もない。苦手な物や欠点があるのは、人間なら当然なんだから」
「でも、アイリス-ー」
「逆に聞くけど、わたしにも苦手な物はあるけど、お父さんは情けないと思う? 欠点があるわたしは-ー嫌い?」
「-ーっ! そんな訳ないだろう! どれだけ苦手な物や欠点があったとしても、アイリスをキライになるなんて、あり得ないよ!」
自分を卑下するような事を口にするアイリスに、つい声を荒げてしまう、俺。
そんな俺を見て、アイリスは満足した様子で頷いた。
「わたしも同じだよ、お父さん! どれだけ苦手な物や欠点があったとしても、お父さんをキライになるなんて、絶対にあり得ないから!」
それどころか、情けない所や欠点も含めた、お父さんの全部が大好きだからね、と。
俺の拳を両手で包み込みつつも、満面の笑顔で告げる、アイリス。
そんなアイリスからの言葉を受け、俺はフッと心が軽くなるのを感じていた。
(…………ああ、そっか。アイリスは俺の強い所だけじゃなく、弱い所を含めた全てを受け入れてくれるのか)
先月の水遊びの際に、オリースさんから劣等感を指摘された後、俺はその解消方法を調べてみた事がある。
努力で劣等感を克服したり、劣等感も自分の一部なのだと認めたり、と。
そんな中の1つに、劣等感を受け入れてくれる人達と交流を持つ、という方法があった。
(まぁ、他の親しい人達まで受け入れてくれるかは、未だに自信が持てないんだけどさ…………)
だけど、たった1人アイリスだけは、俺の全てを受け入れてくれるという確証が持てた。
それだけの事で、こんなにも救われた気持ちになるのだな、と。
いつの間にか拳の震えが止まっている事に気付いた俺は、アイリスの両手の上に、もう片方の手を乗せる。
「…………ありがとう、アイリス。もちろん俺も、アイリスの全てが大好きだからね!」
「そ、そっか…………えへへ! ありがとう、お父さん!」
自分で言う時は平気そうだったのに、今更ながら照れくさそうに微笑む、アイリス。
そんなアイリスを見て、俺は改めて覚悟を決める。
「よしっ! それじゃあ、そろそろ本格的に、この劣等感の解消の為に動くとしますかね!」
「? さっきも言ったけど、別に無理する必要はないんだよ、お父さん」
「もちろん、アイリスの言葉を疑ってる訳じゃないけど、俺も男だからね。アイリスの優しさに甘んじる事なく、カッコいい父親である為の努力を続けたいと思うんだ」
「そ、そっか…………ちなみに、お父さん? どうやって、劣等感を解消するつもりなの?」
「それはーー」
と、俺は僅かに言い淀む。実を言うと、その方法自体は、先月の時点で思い付いていた。
俺の勇気が無いばかりに、その方法を今日まで実行に移せなかったけれど。
今、アイリスから全てを受け入れて貰えた事で、足りていなかった勇気が湧いてきたから…………。
「琥珀くんと戦ったアイリスみたいに、俺も父さんに剣術勝負を挑む!」
そもそも、俺の劣等感やトラウマの原因は、幼少期に父さんから厳しく鍛えられた事だ。
だからこそ、父さんに剣術で勝てれば、劣等感やトラウマを克服できると思うんだ、と。
俺は背中を押して貰った気持ちになりつつも、その方法を口にするのだった-ー




