8月-ーアイリス。シンの過去とトラウマを知る(前編)
アイリス視点
ジパンク滞在8日目となる、8月13日金曜日。今日は、お盆の初日。
とはいえ、ご先祖様が帰って来るのは夕方、玄関前で迎え火を焚いた後らしく。
それまでは予定もなく暇を持て余していた所、お昼ご飯の後にクロちゃんが訪ねて来た。
『やっほー、深夜! 今日も、遊びに来てあげたよー!』
「ごめんね、クロちゃん。お父さん今日は、朝ご飯の後から出掛けているんだ」
『あれ、そうなんだ? それじゃあ、アイリスちゃんが代わりに遊んでくれる?』
「うん! もちろん、大丈夫だよ!」
昨日の件には触れて欲しくないのか、何事もなかったかのように接してくる、クロちゃん。
正直に言えば、本当にキュウリに怯えていたのか気になる所だけれど-ーわたしも、特に追求はせず。
クロちゃんの誘いに応じて、お庭で一緒に遊ぶ事にした。
『ニャッ、ニャッ! ニャッ、ニャッ!』
-ービシッ、ビシッ!
-ービシッ、ビシッ!
季節が夏という事もあり、お庭の片隅には猫じゃらし(正式名称エネコログサ)が生えていた。
それを1本だけ採取すると、わたしは縁側に腰掛け、クロちゃんの目の前でフリフリと揺らす。
クロちゃんは尻尾をピーンと立たせつつも、猫じゃらしの動きに合わせて、猫パンチを繰り出していく。
(たしか、猫ちゃんが尻尾を立てるのは、楽しくて気分が高揚してる時だったよね)
わたしとしても、普段ならクロちゃんの可愛らしい仕草に、口元を綻ばせている場面だと思う。
だけど今日に限っては、わたしは朝から心ここにあらずな状態で。
クロちゃんと一緒に遊んでいる現在も、わたしは頭の片隅では別の事を考えていた。
(お父さん、今日も朝ご飯から間を置かずに、家を出て行ったなぁ…………)
お父さんが朝食の直後に外出するのは、8日の日曜日と11日の水曜日に続いて、今日で3回目。
実を言うと、わたしは水曜日に苺大福を作り終えた時点から、ある違和感を覚えていた。
そして、お父さんが今日も朝早くから出掛けた事で、わたしの疑念は確信へと変わったのだ。
(お父さん、ある共通する要素がある日に、朝早くから出掛けているよね…………)
8日の日曜日に、山の日という祝日だった水曜日。そして、お盆初日の今日。
この3日間に共通しているのは、一般的な職場に勤めている人の、休日であるという事。
より核心を突いた表現をするなら-ー暁さんが休日で、朝から在宅している日なのだ。
「…………お父さん、やっぱり暁さんを避けているのかなぁ…………」
『うん。まあ、深夜の過去を考えたら、そうなんじゃないかな』
どうやら物思いに耽る余り、考えていた事が口を衝いて出てしまったようだ。
が、それに対するクロちゃんの返答は、とても無視できるものではなくて。
わたしは猫じゃらしを揺らす手を止めると、クロちゃんへとズイッと顔を寄せる。
「何か知ってるの、クロちゃん?」
「…………あ、あれ? その反応、もしかして誰からも、何も聞いていないのかい?」
深夜や暁はともかく、初日や小夜あたりが話していると思ったのに、と。
意外そうに問いかけてくるクロちゃんに、わたしはコクリと頷く。
「うん。だからクロちゃん、教えてくれないかな?」
「…………う、うーん。教えたいのは、山々なんだけどね…………」
とはいえ、当事者である銀の家の人が誰も話していないのに、第三者のボクが勝手に話す訳には…………。
と、気まずそうに視線を逸らし、悩む素振りを見せる、クロちゃん。
(たしかに、クロちゃんの言っている事は、尤もだと思う)
お父さんが知られたくないと思っている事を、本人のあずかり知らぬ所で暴こうとしているのだ。
最悪、お父さんから嫌われてしまうかもしれない-ーそう考えると、とても怖い。
だけど-ー
「このタイミングを逃せば、お父さんはまた、わたしにカッコいい面しか見せなくなると思うから…………」
常に完璧な自分を演じ、わたしを含め誰にも弱い所を見せない、お父さん。
そんなお父さんが見せた、おそらくは最初にして、最後の隙なのだ。
(わたしも別に、お父さんに誰彼かまわず、弱味を曝け出して欲しいとは思っていない)
というか、そんなお父さんを見るのは、わたしも何だかイヤだし…………。
だけど、お父さんの1番身近に居る、わたし位には弱味を打ち明けて欲しい。
本当は完璧なんかじゃなくて、相応に弱い所もあるお父さんを、隣で支えてあげたい。
だから-ー
「お願いします、クロちゃん。お父さんが抱えている過去を、教えてください」
クロちゃんへと寄せていた顔を離し、深々と頭を下げる事、数十秒。
わたしが面白半分でない事を悟ったのか、クロちゃんは観念したかのように溜め息を吐く。
『…………はぁ。分かった。深夜が秘密にしているであろう過去を教えるよ』
アイリスちゃんには昨日、深夜の恥ずかしい過去を教えると言っちゃったし。
それに、こういう事は当事者よりも、第三者の口からの方が打ち明けやすいかもだし、と。
クロちゃんは渋々と言った様子で頷くと、縁側へと落としていた腰をムクリと起こす。
『それじゃあ、アイリスちゃん。こんな所で話すのも何だし、ちょっと場所を移そうか』
「うん! ありがとう、クロちゃん!」
わたしはお礼を言いながらも立ち上がると、クロちゃんの先導に従って移動を開始。
しばらく縁側を渡った所でクロちゃんは立ち止まると、手近にあった障子をカリカリと引っ掻く。
『アイリスちゃん、この部屋の障子を開けてくれるかい』
「うん、それは良いんだけど…………ここって、仏間だよね?」
どうして、態々こんな場所で話をするんだろう、と。
クロちゃんへと尋ねつつも、ゆっくりと仏間の障子を開いていく、わたし。
と、クロちゃんは猫のしなやかな体を活かして、数センチの隙間から仏間へと潜り込んで行く。
『深夜の過去について話す前に、アイリスちゃんに紹介したい人が居てね。ここに立ち寄ったんだ』
「? 紹介したい人?」
クロちゃんの後に続いて仏間に足を踏み入れてつつも、わたしは室内をキョロキョロと見回す。
が、目に付くのは仏間の奥にある仏壇と、7日に初日お祖母ちゃんと準備した精霊棚。
(その上には、亡くなった方の天国での名前が書かれた、お位牌が2つ)
他には、お菓子やフルーツなどのお供え物に、12日に作った精霊馬が飾られている位。
クロちゃんの言う紹介したい人の姿は、どこにも見当たらなかった。
「というか、クロちゃん? わたし、お父さんの家族の人とは、もう全員と顔を合わせているよ?」
『今この家に居る人とは、ね。…………ところでアイリスちゃんは、お位牌を並べる順番に、決まりがある事を知っているかい?』
何やら意味深な言葉を呟き、精霊棚の奥へと回って行く、クロちゃん。
わたしは唐突な話題の転換に戸惑いつつも、精霊棚の前に腰を落としてから、クロちゃんに応じる。
「うん。たしか…………早くに亡くなった人ほど、お位牌を右側に並べていくんだったよね」
ちなみに右側のお位牌は、お父さんのお祖父ちゃんで、と。
7日の初日お祖母ちゃんの説明を思い出しながらも、クロちゃんの質問に答えた、その瞬間。
わたしは同じ日に抱いた、ある疑問を思い出した。
「…………そういえば、右側の古いお位牌がお祖父ちゃんだとしたら、それよりも新しい左側のお位牌は、いったい誰のなんだろう…………?」
『話が早くて助かるよ、アイリスちゃん』
今まさに、このお位牌の人物について、アイリスちゃんに紹介しようと思ってたんだ、と。
精霊棚の奥に2つ並んだお位牌の間から、ひょっこりと顔を覗かせる、クロちゃん。
そして、どこか昔を懐かしむような声音と共に、その人物の名前を口にするのだった-ー
『このお位牌の生前の名は、銀 旭。8年前に20歳の若さで亡くなった、深夜の6つ上の兄さ』




