8月-ーアイリス。シンの好物、苺大福を作ろう(前編)
アイリス視点
ジパング滞在6日目となる、8月11日水曜日。
時刻は朝の9時前。わたしは朝食後より進めていた針仕事の手を止めると、立ち上がり自室を出る。
目的は、4日前に初日お祖母ちゃんと約束していた、お父さんの好物である、苺大福の作り方を教えて貰う事だった。
(問題は、お父さんに悟られる事なく、苺大福を完成させる事が出来るかだね…………)
昨晩の内に下拵えは済ませているものの、初日お祖母ちゃんの話では、今日の作業時間は約2時間。
折角ならサプライズにしたいのだけど、それだけの時間を隠し通すのは、流石に難しいかなぁ、と。
わたしが頭を悩ませていると、隣の部屋の襖がガラリと開き、お父さんが廊下へと顔を覗かせた。
(…………あれ? お父さん、何だか浮かない顔をしているような…………)
もしかして、どこか具合が悪いのかな-ーと、心配になったのも、つかの間の事。
わたしと目が合った瞬間、お父さんの表情がパッと綻んだ。
「丁度よかった、アイリス。実は、今から外出しようと思っていたんだけど、アイリスも一緒に来る?」
特に用事がある訳じゃないから、アイリスに予定がないのなら、また村の中を案内するよ、と。
水精神社を訪問した日曜日以来となる、お出掛けに誘ってくれる、お父さん。
普段なら、2つ返事で頷く所だけど-ー約束をしていたのは、初日お祖母ちゃんの方が先。
なので、わたしが泣く泣く断ると、お父さんは残念そうにしながらも1人で家を出て行った。
(…………まあ、今日このタイミングでお父さんが外出したのは、わたしにとっては好都合だったかな)
家を出る直前、小夜さんに昼ご飯はいらないと言っていたから、お父さんが帰って来るのは昼以降。
最低でも3時間はあるので、余裕を持って苺大福を作る事が出来そうだ、と。
ホッと胸を撫で下ろしている内心とは裏腹に、わたしの頬っぺたは、ぷくーっと膨らんでいた。
(むぅ~! いくら断られたからといっても、わたしを家に置いて、1人で外出する事ないじゃない! お父さんのバカ!)
こうなったら、とびっきり美味しい苺大福を作って、お父さんをビックリさせてあげるんだから!
と、わたしは改めて意気込みを固めつつも、台所の入口に下げられた暖簾を潜り抜けた。
「おやおや、いらっしゃい。今日はよろしくねぇ、アイリスちゃん」
「はい! よろしくお願いします、初日お祖母ちゃん!」
わたしよりも先に来ていたらしく、流し台の前で待っていた、初日お祖母ちゃん。
そんな初日お祖母ちゃんと挨拶を交わしてから、わたしは昨晩の内に用意していたエプロンに手を伸ばす。
(今日わたしが着ているのは、お父さんが昨日かわいいと褒めてくれた、撫子柄の浴衣だからね!)
お気に入りの浴衣を、昨日の今日で汚すなんて、絶対にイヤだもん!
なんて事を考えつつも、わたしは浴衣の上からエプロンを着用。
最後に、背中のヒモをキュッと結んでから、わたしは両手を小さく握り締めた。
「お待たせしました、初日お祖母ちゃん! まずは、何から取りかかりましょう?」
と、初日お祖母ちゃんに尋ねつつも、わたしは昨晩の下拵えの際に聞いた説明を思い返す。
苺大福を構成する要素は、大きく分けて3つ。その内の1つである苺は、そのまま使うから省くとして。
残る2つは、たしか-ー
「小豆を甘く煮て作るあんこと、それを包む求肥と呼ばれるお餅でしたよね。どちらから、作っていきましょうか?」
「そうだねぇ。それじゃあ、まずは最も時間のかかる、餅米を蒸す作業から始めていこうか」
ワタシは蒸し器の準備をしているから、アイリスちゃんは餅米の方をお願いできるかい、と。
そう言って、蒸し器の下段に水を注ぎ始める、初日お祖母ちゃん。
わたしは了承の返事を返すと、冷蔵庫の中から、たっぷり水に浸かった餅米を取り出した。
(この餅米が、昨晩の内に下拵えしていたものなんだよねー!)
どうして、わざわざ昨晩の内から、餅米を水に浸していたのか?
その理由も、昨晩の下拵えの際に、初日お祖母ちゃんから聞いていた。
曰く-ー
『ただ餅米を蒸しただけだと、中まで水分が浸透せずに、芯が固いままになってしまうんだ』
との事で、何回か研いで汚れやヌカを落とした後に、餅米を水に浸し。
夏場の気温で水が腐らないよう、冷蔵庫の中で1晩かけて、ゆっくりと餅米に水を吸わせていたんだよね。
と、昨晩の下拵えの工程を振り返りつつも、わたしは餅米の入ったボウルの中を覗き込む。
(…………うん! 昨晩よりも水の量が減って、その分、餅米の1粒1粒が、1回り膨らんでいるね!)
どうやら、しっかりと吸水してくれたようだ、と。
わたしは満足気に頷くと、初日お祖母ちゃんが蒸し器の上段に敷いてくれた蒸し布の上に、餅米を投入。
下からの蒸気が通り抜けやすいよう、餅米は均等ではなく、真ん中を空けたドーナツ状に配置。
そうしてから、わたしはグリル横のツマミを捻り、3口あるコンロの内、1番奥のコンロに火を点けた。
「ちなみに、初日お祖母ちゃん。餅米が炊き上がるまで、どの位かかりますか?」
「そうだねぇ。強火で、1時間と言った所かねぇ」
その間、特に手を加える必要は無いから、あんこの準備をしていようか、と。
そんな初日お祖母ちゃんの指示に従って、わたしはあんこの原料である、小豆を洗う作業から開始。
流水でザッ洗い流し、小豆の表面の汚れを落としていく、わたし。
と、初日お祖母ちゃんがコンロの下の収納を開き、中から片手鍋を取り出した。
「それじゃあ、アイリスちゃん。次は渋切りと言う、小豆の渋味を煮出す作業だよ」
水が少ないと渋味が抜け切らないから、小豆の3倍の量の水を入れてね、と。
そんなアドバイスと共に、わたしに片手鍋を差し出してくる、初日お祖母ちゃん。
最初は小豆の量に対して、お鍋が大きすぎではと思っていたけれど、そういう理由なら納得だ。
わたしは合点が入ったとばかりに頷くと、受け取った片手鍋の中に小豆を入れ、水を注いでいく。
(それにしても、小豆の3倍の量を入れるとなると、お鍋の中が水で満杯になっちゃうなぁ)
静止している今ならともかく、少しでも揺らせば水が溢れてしまいそうだ、と。
そう判断したわたしは、お鍋の柄を両手で持ってから、そ~っと慎重な動作でコンロの方へと移動。
無事お水を溢す事なく、手前に2つ並んだコンロの内、流し台に近い右側のコンロにお鍋を設置した。
「…………ふぅ~」
ここにきて、ようやく張りつめていた緊張の糸が切れた。
額の汗を拭うような素振りをしつつも、安堵の溜め息を吐く、わたし。
そんなわたしを見て、初日お祖母ちゃんは愛おしそうに微笑みながらも、コンロのツマミを指差した。
「ほっほっほ。お疲れ様、アイリスちゃん。あとは中火に15分程かけて、小豆の渋味を煮出していこうか」
「了解です。それまでの間、次は何をしていましょうか?」
コンロのツマミを調節しつつも、初日お祖母ちゃんに尋ねる、わたし。
が、現段階で他に出来る事はないらしく。初日お祖母ちゃんと雑談を交わしながら、待つ事しばし。
そろそろかなーと思い始めた所で、お昼ご飯の準備なのか、小夜さんが台所へと顔を覗かせた。
「すいません、小夜さん。台所、お借りしています」
台所を使う関係上、小夜さんには昨晩の内に事情を説明しているものの-ーわたしは、改めて頭を下げる。
が、小夜さんは全く気にも留めていないようで、クスクスと朗らかな笑みを溢す。
「いーの、いーの。私の事は気にせず、アイリスちゃんは苺大福作りを、頑張って!」
美味しい苺大福を作って、深夜の胃袋を掴んじゃいましょう、と。
わたしを鼓舞するような言葉を残してから、冷蔵庫から取り出したアジの下拵えを始める、小夜さん。
だけど、確か胃袋を掴むって、好きな異性へのアプローチに使う表現じゃなかったっけ…………。
(…………うぅ~。わたしのお父さんへの気持ちは、ただの父親としての好きなのになぁ…………)
わたしをからかったのか、ただ単に言い間違っただけなのかは、小夜さんにしか分からない。
けれど、そういう言い回しをされてしまえば、イヤでも意識しちゃうよ…………。
と、そこまで思考が及んだ所で、わたしはハッと我に返った。
(-ーって、何をハレンチな事を考えているの、わたしは!?)
このままジッとしていれば、どんどんと変な方向へと想像を膨らませてしまいそうだ、と。
そう判断したわたしは、ブンブンと頭を振って邪な感情を振り払ってから、苺大福作りを再開。
初日お祖母ちゃんの指示に従って、小豆の渋味が溶け出した水を、シンクに流していくのだった-ー




