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8月-ーアイリス。ジパング独自の衣装、浴衣の購入へ(後編)

アイリス視点

ジパング滞在5日目となる、8月10日の火曜日。

わたしは浴衣の購入の為、お父さんや小夜さん、夕陽さんと共に、『呉服屋・(つむぎ)』を訪問。

現在は小夜さんの着付けの元、一目惚れした撫子(なでしこ)柄の浴衣の試着を行っていた。


(それにしても、浴衣って本当に生地が薄いなぁ)


たしか、浴衣が生まれた千年前は、貴族の人の湯浴み着として使われていたんだっけ…………。

と、わたしは肌襦袢はだじゅばんと呼ばれる肌着の上から浴衣を羽織りつつも、昨日お父さんから聞いた話を思い返す。


(その当時の主流は蒸し風呂で、蒸気で火傷しないように着用。名称は湯帷子(ゆかたびら)で、麻で出来てたんだよね!)


お湯に浸かる文化が普及したのは、五百年前。浴衣は水気を吸い取る性質から、入浴後に着る服になり。

銭湯が出来た百年前からは、庶民にも入浴の習慣が広まり、浴衣は帰り道に着る服として浸透。

その頃から、より吸水性や通気性を高める為に、原材料を麻から綿に変えたそうだ。


(結果、徐々に外で着る機会が増えていって、浴衣は着物に代わる夏服として定着したんだったよね!)


と、わたしが浴衣の成り立ちを思い返している間にも、手際よく着付けをこなしていく、小夜さん。

わたしは慌てて思考を打ち切ると、小夜さんが行う着付けの工程、1つ1つに目を通していく。


(着物は身に付ける物が多いから難しいそうだけど、浴衣は1人でも着る事が出来るみたいだからね!)


小夜さんに着付けをしてもらうのは、昨夜の夕陽さんのお下がりに続いて、2回目。

明日からは小夜さんの手を借りずに、自分1人で着れるようにならないと!

と、そんなわたしの意気込みが伝わったのか、小夜さんは昨夜よりも丁寧に着付けを進めてくれた。


(えーと…………まずは羽織った浴衣の(すそ)の長さを、(くるぶし)の所に調整してっと)


右・左の順番に前を閉じて腰ヒモを結んだら、両脇の下に空いた身八つ口(みやつくち)と呼ばれる穴から手を通す。

おはしょりと呼ばれる、丈の長さを調整した際に折り畳んだ所をキレイに整えたら、胸ヒモを結んで、と。

腰に続いて胸にまでヒモで結んだ事で、これまで羽織っていただけだった浴衣が全身に密着。

その生地の薄さを、わたしは改めて実感する。


(もし下を着け忘れてしまったら、素肌が透けてしまうだろうから、注意しないとなぁ)


小夜さんや夕陽さんならともかく、万が一にもお父さんに見られる訳にはいかないし、と。

わたしがソワソワしている間にも、おはしょりが崩れないよう伊達締めを結んでいく、小夜さん。

そして-ー


「最後に、半幅帯を結んで…………はい! これで完成よ、アイリスちゃん!」


「ありがとうございます、小夜さん!」


小夜さんにお礼を伝えつつも、わたしは試着室の正面に付いている、全身鏡へと向き直る。

昨夜の夕陽さんのお下がりとは違い、自分で選んだ浴衣に身を包んでいるからかな?

何だか昨夜よりも、可愛らしく着飾れているように感じられた。


「どうかしら、アイリスちゃん? その浴衣、気に入った?」


「はい! 手にした時から一目惚れしてましたけど、こうして身に付けてみて、ますます惚れ込みました!」


「そう、よかったわ」


あとは、深夜に褒めてもらうだけね!

と、わたしの耳元で囁いてから、試着室のカーテンを開く、小夜さん。

わたしはドキドキと胸を高鳴らせつつも、試着室の外で待っていた、お父さんの前へと立つ。


「ど、どうかな、お父さん? この浴衣、似合ってる?」


「もちろん、バッチリ似合ってるよ! アイリスは小柄だから、小さな撫子が無数にあしらわれている浴衣が映えて、より一層かわいらしく見えるね」


-ーナデナテ


そう褒めつつも、わたしの頭を優しい手つきで撫でてくれる、お父さん。

それ自体は、当初の目論み通りなのだけれど-ー皆の前で頭を撫でてもらうのは、何だか気恥ずかしくて。

わたしはモジモジと、落ち着きなく体を揺らしてしまう。


「え、えへへ…………。ありがとう、お父さん」


照れ隠しにハニカミつつも、お父さんへとお礼を伝える、わたし。

そんなわたしを見て、水城さんが突然、合点がいったとばかりに頷いた。


「ねぇ、さっちゃん! 試着室に入る前のアイリスちゃんの反応から、もしかしてって思っていたけど-ーやっぱり、そういう事なのよね!?」


「そういう事なのよ、みっちゃん!」


まぁ、本人に自覚は無いみたいなんだけどね…………。

と、小夜さんが小声で何事かを付け加えた所で、キャーと黄色い声を上げる、水城さん。

どうやら、わたしの事を話しているみたいなのだけれど-ーその会話の内容は、抽象的なもので。

どうして2人が盛り上がっているのか分からず、わたしは困惑してしまう。


(お父さんも不思議そうに首を(ひね)っているから、わたしと同じ気持ちなんだろうけど…………)


ただ、夕陽さんは苦々しそうに顔を歪めているから、2人が何を話しているのか分かっているのかな?

なんて事を考えていると、水城さんがポンと両手を合わせた。


「そういう事なら、よりアイリスちゃんにピッタリな浴衣があるわ! いろいろと持って来るから、ちょっと待ってて!」


「私も手伝うわ、みっちゃん!」


水城さんに引き続き、子供用の浴衣コーナーを後にする、小夜さん。

そんな2人の背中を見送っていると、お父さんが落ち着きなく周囲を見回している事に気が付いた。


「? お父さん、どうしたの?」


「あー、アイリス。どうにも、まだまだ長引きそうだからさ。俺、外で待ってるね」


「え? あ、うん…………」


女性専門の呉服屋さんに居続ける事に耐えかねたのか、お父さんはそそくさと店を出ていき。

結果として、わたしと夕陽さんの2人が、この場に取り残される事となってしまった。


「…………………………………………」


「…………………………………………」


先程までの賑やかさから一転、子供用の浴衣コーナーには、シーンと気まずい沈黙が満ちる。

とはいえ、それも仕方のない事だと思うんだ。


(呉服屋さんに来る道中にも思った事だけど、わたしと夕陽さんって、お世辞にも親密な関係だとは言えないからなぁ)


その上、わたしは昨日、夕陽さんが師範を務める剣術道場で、門下生の琥珀くんを打ち負かしている訳で。

それ自体は、蛍ちゃんをを苛めていた、琥珀くんを懲らしめる為だったのだけれど。

とはいえ、師範である夕陽さんとしては、決して面白い事では無いだろう。


(夕陽さん、気を悪くしていないといいんだけれど…………)


夕陽さんの顔色が気にかかり、その横顔をチラチラと窺う、わたし。

そんなわたしの視線に気が付いたのか、夕陽さんはあからさまな溜め息を吐いた。


「…………はぁ。アイリスちゃんが何を気に病んでいるか、何となく察せるけど-ーあたしは別に怒ってないから、気にしないで」


むしろ、感謝している位なんだから…………。

と、ぶっきらぼうな口調ながらも続ける夕陽さんに、わたしは目を丸くしてしまう。


「? 感謝、ですか…………?」


「そう。琥珀くんって体格に恵まれているから、同年代の中では1番強いのだけど、内面の方がね…………」


練習はサボるし、女の子には尊大に振る舞うしで、あたしも手を焼いていたのよ、と。

夕陽さんは片手だけを挙げて、お手上げのポーズを取る。


「もちろん、あたしなら琥珀くんを打ち負かす事が出来るわ。けれど、女とはいえ年上で体格にも恵まれたあたしでは、琥珀くんの鼻っ柱は折れないのよ」


それこそ、自分よりも小柄な女の子に負けない限りわね、と。

そこまで説明した所で、照れ臭そうに視線を逸らす、夕陽さん。

もしかして夕陽さん、それを伝える為に付いてきたのかな?

と、そんな事を考えていると、両手一杯の浴衣を抱えた小夜さんと水城さんが戻って来た。


「お待たせ、アイリスちゃん!」


「こんな柄なんて、どうかしら?」


そう言って2人が見せてきたのは、蝶々やヒマワリ、藤が描かれた浴衣。

しかも、黒や赤や紺色と、どこか大人っぽさを感じさせる色合いの物ばかりで。

わたしは戸惑いつつも、2人が持って来てくれた、すべての浴衣を試着したのだけれど。

結局、一目惚れした撫子柄の浴衣1着のみを購入してから、『呉服屋・紬』を後にしたのだった-ー

作中で登場した浴衣の柄には、それぞれ意味があります。


夕陽のお下がりの浴衣に描かれていたアジサイ柄は、小さな花が身を寄せあって咲いている様から、『家族団欒』。

水城が着ていた浴衣に描かれていた雪の結晶は、冬に降り積もった雪が春に溶け、草花の成長を育む事から、『五穀豊穣』や『商売繁盛』。

アイリスが一目惚れした撫子柄は、前ページにも書いた通り、撫でたくなる程に可愛い様から。


蝶々やヒマワリ、藤の柄の意味は-ーまた、どこかの機会に。

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