8月-ーアイリス。水精神社に参拝へ(中編)
アイリス視点
ジパング滞在3日目となる、8月8日の日曜日。
1日中お家で過ごした昨日とは打って変わって、今日は朝食後すぐに外出。
お父さんと一緒に水精神社を訪れたわたしは、参道の途中に設けられた手水舎にて、手や口を洗い清めていた。
-ーバシャバシャ
お父さんに教えてもらった手水の手順を思い出しつつも、左手から順番に洗い清めていく、わたし。
と、同時に、思い返してしまった事が、もう1つ。
それは、お父さんから口を洗い清めると聞かされた時に、わたしが考えてしまった事だった。
(この後に、その柄杓をわたしが使ったら、お父さんと間接キスした事になっちゃうじゃない!)
神聖な神社で、わたしは何をハレンチな事を考えているのだろう、と。
後ろめたさを感じたわたしは、ついでに邪な感情も洗い清めてもらおうと、手早く手水の工程を終了。
『収納』から取り出したハンカチで手や口を拭いつつも、少し離れた場所で待っているお父さんの元へと近付いて行く。
「…………お、お待たせ、お父さん…………」
「おかえり、アイリス。それじゃあ、階段を登って行こうか」
「う、うん…………」
いつもと変わらぬ様子で、わたしを出迎えてくれる、お父さん。
どうやら、わたしが邪な気持ちを抱いていた事は、お父さんに気付かれていないようだ。
わたしは内心でホッと安堵の息を吐きつつも、お父さんの言う階段へと視線を向ける。
そして-ー
「…………うわぁ…………」
これから登って行く階段を見上げた瞬間、わたしは呻き声を漏らしてしまった。
というのも、階段は山の斜面に沿う形で、ずーっと上まで続いていて。
ここからでは、その終点を確認する事が出来なかったからだ。
「お、お父さん…………? ここの階段って、いったい何段あるの?」
「たしか…………200段位だったかな?」
「200段!?」
数十段、場合によっては100段位かなぁ、と。
そんな事を考えつつも、お父さんに恐々と問いかける、わたし。
が、お父さんから想像していた以上の数字が返ってきて、わたしは思わず大きな声を上げてしまった。
(200段…………お家の1階分の階段の段数が、たしか15段だったから、おおよそ13階分の高さかぁ)
そんな高さの建物、王都でさえも見た事がない、と。
そのとんでもない高さに、つい気後れしてしまいそうになる、わたし。
だけど、わたしは程なくして、はたと思い直した。
(…………とはいえ、物は考えようかなぁ…………)
元を正せば、わたしは12年もの間、周囲を山に囲まれた『ルル』の村で生まれ育ったのだ。
昔は山を駆け回って遊んでいたし、5月には山でキャンプもしている。
そう考えれば、山の1つに登る位、案外大した事ではないのかもしれない。
(それに、今日はお父さんも一緒だしね!)
大好きなお父さんが隣に居てくれるのなら、わたしに出来ない事なんて何もない、と。
200段に及ぶ階段を登る決意を固めたわたしは、手水の間離していた手を繋ごうと、お父さんの左手へと手を伸ばす。
だけど-ー
「それじゃあ、アイリス。俺が先に登るから、アイリスは後から付いてきてくれる」
わたしが手を繋ぐよりも先に、お父さんはスタスタと歩き始めてしまい。
結果として、わたしが伸ばした右腕は、スカスカと虚しく空を切ってしまう。
「え、えーと…………お、お父さん?」
虚空に手を伸ばした姿勢のまま、お父さんの背中に声をかける、わたし。
お父さんは階段の1段目に足をかけた状態で振り替えると、申し訳なさそうに眉根を下げる。
「あー…………ごめんね、アイリス。鳥居や参道と同じで、神社では階段も端を歩くのが、正しいマナーだからさ」
「そ、そうなんだね…………」
たしか、鳥居や参道の真ん中は、神様が通る場所だったっけ…………。
と、お父さんから事前に聞いた情報を思い出しつつも、わたしは改めて階段へと視線を向ける。
鳥居や参道は横幅が広く、お父さんと手を繋いで横に並んでも、どちらも真ん中を歩く事はなかった。
だけど-ー
「この階段は3人分くらいの幅しかないから、手を繋いで歩いたら、どちらかが真ん中を通る事になっちゃうね…………」
「そういうこと。だから、アイリス。この階段を登る間だけは、手を繋ぐのは我慢してね」
「はーい…………」
何だか、お預けをくらった気分だけれど…………。
と、わたしが不承不承ながらも頷いた所で、お父さんは階段を登る作業を再開。
お父さんの背中を追って、わたしも階段を登って行く。
「1~、2~、3~」
と、登り始めたばかりの頃は、まだ階段の段数を数える元気があった。
けれど、50段を越えた位から、心の中で数えるようになり。
100段を過ぎてからは、次第に息も切れ始めてしまっていた。
「…………はぁ、はぁ…………」
昔は山を駆け回って遊んでいたから、200段分の階段を登る位、大した事ないだろう。
そう高を括っていたけれど、甘かったかもしれないなぁ…………。
(山道なら平地や下り坂もあるけれど、階段は只ひたすらに登るだけだもんねぇ…………)
そんな事を考えつつも、最初の頃よりもゆっくりとしたペースで、わたしは階段を登って行く。
と、前を行くお父さんが、クルリと振り返った。
「アイリス、大丈夫かい?」
心配そうな表情を浮かべながらも、わたしに問いかけてくる、お父さん。
手を繋げない事の代わりなのか、お父さんは20段おき位のペースで振り返っては、わたしの様子を確認していて。
そんな過保護なお父さんを安心させてあげる為、わたしは強がりを口にする。
「…………う、うん。大丈夫だよ、お父さん…………」
「そう? なら、いいんだけど…………でも、疲れたら遠慮せずに言うんだよ」
なんなら、少し休憩しても良いんだからね、と。
お父さんはそう言い残すと、前に向き直り再び階段を登り始める。
わたしも、その後に続いたのだけれど-ー疲れていたからかな?
お父さんの大きな背中を眺めている内に、ムクムクと変な考えが頭をもたげてきた。
(とはいえ、休憩を取る以外にも、他に方法はあるよね)
例えば-ー今から約4ヶ月前の、お父さんに引き取られた日の翌日。
お父さんの仕事に同行した時みたいに、わたしをおんぶしてくれるとか…………。
と、そこまで考えた所で、わたしはハッと我に返った。
(-ーって、何をまたハレンチな事を考えているの、わたしは!?)
というか、あの頃のわたしはよく、お父さんにおんぶして貰うなんて恥ずかしい事が出来たものだ、と。
わたしは逆に感心しつつも、湧き上がってしまった邪な感情を振り払おうと、ブンブンと頭を大きく振る。
と、更に気を紛らわす為、わたしは以前から気になっていた事を、お父さんに問いかける事にした。
「と、ところで、お父さん! 一昨日の王都の観光地巡りの時に、お寺では仏様を奉っているって言っていたけど、神社では何を奉っているの!?」
「ん? あー、それなんだけど…………鳥居と同じで、神社ごとに違うんだよね」
「あれ? そうなんだ?」
「ああ。というのも、ジパングには八百万の神という、あらゆる物に神様が宿るという考え方があってね」
神話に出てくる神様から、岩や巨木といった自然。狐なんかの動物に、亡くなった昔の皇様。
鎮魂目的で、怨霊を奉っている神社もあるね、と。
階段を登りつつも、わたしの質問に答えてくれる、お父さん。
そんなお父さんに、わたしは更なる問いを重ねていく。
「そうなんだね! それじゃあ、この水精神社は何を奉っているの?」
「その名の通り、鉱石の水晶だよ。ジパングでは昔、水晶に水精という字を当てていたんだ」
その名残が、神社の名前に残っているんだね、と。
お父さんがそう教えてくれた所で、階段の上へと登る段差が無くなり、わたし達は開けた空間へと出た。
(やった! 200段に及ぶ階段を登り切ったみたい!)
と、達成感に包まれたのも、束の間のこと。
何気なく左に視線を向けた所で、わたしは更に上へと登る階段を見つけてしまった。
どうやら、ここは階段の終点ではなく、踊り場のような空間だったようだ。
(…………うぅ。ようやく階段を登り終えたと思ったのに、残念…………)
と、思わず溜め息を漏らしてしまう、わたし。
けれど、よくよく見てみれば、左にある階段の段差は30段程。
その上には、神社のものと思われる建物の一部も見えているので、今度こそゴールで間違いないだろう。
(100段以降は疲れて数えていなかったけれど、いつの間に結構な段数を登ってたんだなぁ…………)
あともう一踏ん張り、頑張ろう!
と、意気込むわたしとは裏腹に、お父さんは階段とは反対方向を向いて立ち止まっていた。
不思議に思ったわたしは、お父さんに尋ねかける。
「? どうしたの、お父さん?」
「ん? ああ、何でもないよ。ただ、神社の本殿とは反対側に、末社と言う小さい建物があるのを思い出してね」
お父さんの言葉に耳を傾けつつも、わたしは右側へと視線を移す。
踊り場の外には鬱蒼とした木々が生い茂るはがりで、一見すると何もないように映る。
が、目を凝らして見てみると、木と木の間を縫うようにして、1本の道が伸びている事に気が付いた。
(それにしても、随分と細い道だなぁ)
道幅は、人1人がギリギリ通れるか位。木々に紛れるように伸びている上に、舗装もされていない。
たぶん、そこに道があると知らなければ、気付かずに通り過ぎてしまうだろう。
なんて事を考えていると、お父さんが不意に微笑みを漏らした。
「ははっ、懐かしいなー。子供の頃は秘密基地みたいにして、1人になりたい時に、よく行っていたっけ」
「へー、そうなんだね!」
わたしにとって、お父さんは常に落ち着いていて、頼りがいを感じる大人の男性だ。
けれど、そんなお父さんでも、子供の頃はヤンチャな一面や、弱気になる一面もあったようだ。
わたしは意外に思いつつも、お父さんへと提案する。
「ねぇ、お父さん。せっかくだから、寄って行く?」
「んー…………いや、いいよ」
今日のお出かけの主役は俺じゃなくて、アイリスだからね、と。
お父さんはフルフルと首を振ると、左側にある階段を登り始めて行く。
わたしも、その後に続いたのだけれど-ー残りの階段の段数は、僅か30段程。
お父さんから参拝の作法を習っている内に、わたし達は階段を登り切り、神社の境内と呼ばれるエリアへと辿り着いたのだった-ー




