8月-ーアイリス。お盆に向けて、精霊棚の準備を
アイリス視点
旅行先として訪れたお父さんの実家で、初めてのジパング料理である朝食に舌鼓を打った、あの後。
村の顔役の1人だという曉さんは、仕事のため役場に。小夜さんや夕陽さんは、朝食のお片付けや掃除といった家事を始めた。
わたしもお邪魔させてもらっている身として、お手伝いを申し出たのだけれど-ー
「お客様であるアイリスちゃんを働かせるなんて、とんでもない! 私達の事は気にせず、ゆっくりしていてちょうだい」
と、小夜に断られてしまったのだ。
(それでも、この言葉を口にしたのがお父さんだったなら、わたしは問答無用でお手伝いしていたんだけどなぁ…………)
とはいえ、昨夜ご挨拶したばかりの小夜さんを相手に、そんな厚かましい真似が出来るはずもなく。
今日の所は素直に小夜さんの言葉に甘えて、わたしは昨夜から興味を抱いていたお庭を見て回る事にした。
(昨夜に見た、ジパング皇宮の中庭には及ばないけれど-ーそれでも十分に広くて、立派なお庭だなぁ!)
松や梅や紅葉といった樹木や、灯籠やししおどしなどのオーナメントに、池の中を悠々と泳ぐ錦鯉。
目にする物すべてが新鮮で、夢中になってお庭を見て回るわたしだったけれど-ーいくらお父さんの実家が他より大きい方とはいえ、あくまで個人のお家。
小1時間も経つ頃には、目ぼしい物はあらかた見終わってしまっていた。
(うーん…………せっかく海外に来たんだし、お外に出かけたい気持ちもあるけどなぁ)
とはいえ、昨日初めて来たばかり海外の地を、1人で出歩く勇気はまだないし。
だからといって、7年ぶりの実家でゆっくりしているであろうお父さんに付いてきてもらうのは、忍びないし、と。
すっかりヒマを持て余したわたしは、大きな桜の木から伸びる枝葉が庇になっている縁側に腰掛け、足をぶらぶら。
すると-ー
-ーチーン
周囲に突然、甲高い音が響き渡った。
それは、セレスティアで13年間暮らしてきたわたしにとって、初めて耳にする音で。
興味を引かれたわたしは、周囲をキョロキョロと見回す。
と、すぐ側にある部屋の障子が僅かに開いており、そのスキマから、初日お祖母ちゃんの姿が目についた。
(? お祖母ちゃん、いったい何をしてるんだろ?)
スキマから覗いたお祖母ちゃんは、両手を合わせた状態で、目を瞑っていて。
気になったわたしは立ち上がり、お祖母ちゃんに声をかける。
「お祖母ちゃん、入っても大丈夫?」
「アイリスちゃんかい? もちろん、大丈夫だよ」
お祖母ちゃんから許可も出た所で、わたしは障子を開いて入室。
キョロキョロと部屋の中を見回しつつも、部屋の奥に居るお祖母ちゃんの元へと近付いて行く。
(部屋の広さや内装は、わたしに宛がわれた客室と、ほとんど変わらないかな)
ただ、明確に違う点が1つ。
それは、入り口側に居るわたしから見て、部屋の最も奥。
丁度お祖母ちゃんが立っている場所の前方に、小さな板張りのスペースがあるのだけれど-ーそこに、約50センチ四方の漆塗りの棚が。
その棚の更に上には、同じく50センチ四方位で漆塗りの、小さな社のような物が置かれていた。
「お祖母ちゃん。これって、いったい何?」
位置から考えて、お祖母ちゃんはこのお社に手を合わせていたんだろうけれど、と。
そんな推測をしつつも、お祖母ちゃんに尋ねてみる、わたし。
と、わたしが隣に並んだ所で、お祖母ちゃんは答えを教えてくれた。
「これは、『お仏壇』と言ってねぇ。外国で育ったアイリスちゃんにも、分かりやすく説明するなら…………そうだねぇ。『お寺をもの凄く小さくしたもの』かねぇ」
「なるほど! 『仏様や亡くなったご家族に、お家でも気軽にお参り出来るように』ですね!」
「そうだねぇ。それにしても…………ほっほっほ。アイリスちゃんは賢いねぇ」
お寺に関しては、昨夜の皇都の観光地巡りの際に、お父さんから説明を受けていた。
その情報を元に、お仏壇の意味合いについて推理してみたのだけれど-ーどうやら、正しかったようだ。
お祖母ちゃんは感心したような表情で頷くと、わたしの頭を撫でて褒めてくれた。
「えへへ~」
どこかお父さんを連想するナデ心地に、ついつい顔を綻ばせてしまう、わたし。
そんなわたしを一頻り撫でた所で、お祖母ちゃんはお仏壇へと視線を向ける。
「どうだい、アイリスちゃん? せっかくだから、アイリスちゃんもお参りしていくかい?」
「あっ、そうですね。もし手順や礼儀作法があれば、教えてもらえますか?」
「ええ、もちろんだよ。と言っても、そんなに難しいものでもないけどねぇ」
という事で、お祖母ちゃんの指導を受けながら、わたしはお仏壇へのお参りを開始。
まず始めに、お仏壇の手前側に置かれている『お鈴』という仏具を、チーンと鳴らす。
(縁側に座っている時に聞いたのは、このお鈴の音だったんだね)
そんな事を考えてつつも、隣のお祖母ちゃんに倣って、わたしは両手を合わせて目を瞑る。
お祖母ちゃんが言うには、お仏壇の奥の方に並んだ3つの仏具がお参りの対象らしく、真ん中には仏様を模した仏像が。
その両端には、亡くなった方の天国での名前を記した『お位牌』というが仏具が、古い方を右側にして置かれている。
お参りでは、仏様や亡くなられた方に対して、挨拶や日々の出来事の報告をするそうだ。
(はじめまして、お父さ-ー深夜さんに、娘として引き取っていただいた、アイリス・シルヴァーです。これから末長く、よろしくお願いします)
と、心の中でご挨拶をした所で、わたしは閉じていた瞳を開く。
最後に、もう1度お鈴をチーンと鳴らして、これでお参りにはお終いだ。
わたしは、隣のお祖母ちゃんにペコリと頭を下げる。
「お祖母ちゃん! 教えてくれて、ありがとうございます!」
「どういたしまして。…………さて、それじゃあワタシは、そろそろお盆の準備に取りかかるとしようかねぇ」
そう言って、お仏壇の隣の押し入れをガラリと開く、お祖母ちゃん。
そんなお祖母ちゃんの背中を眺めつつも、わたしはコテンと首を傾げる。
「? ねぇ、お祖母ちゃん。お盆って、天国に居るご先祖様の魂が帰って来る日で、期間は8月の13日から16日だよね。それなのに、もう準備するの?」
「おやおや。よく知っているねぇ、アイリスちゃん」
感心したような声を上げつつも、その場にしゃがみ込む、お祖母ちゃん。
どうやら、探し物は下の段にあるらしく。お祖母ちゃんは、荷物をゴソゴソと掻き分けつつも-ー
「アイリスちゃん。今日8月7日は、棚幡の日と言ってねぇ。ご先祖様の魂がお盆の間を過ごす場である、『精霊棚』の準備をする日なんだよ」
と、わたしの先程の質問に答えてくれた。
「へー、そうなんですね!」
お盆と言う行事については、旅行の前にお父さんから聞いていたけれど-ー精霊棚と言う単語を聞くのは、初めてで。
興味を引かれたわたしは、お祖母ちゃんの背中越しに、押し入れの中を覗き込む。
と、丁度そのタイミングで、押し入れの中にあったテーブルに、お祖母ちゃんが手をかけた。
「あっ、お祖母ちゃん! それ、わたしが運びますよ!」
テーブルの天板の大きさは、大体45×60センチ。
脚の高さも30センチ程と、とても小さなものだけれど-ー足腰の悪いお祖母ちゃんが持ち運ぶのは、大変だろう。
そう判断したわたしは、お祖母ちゃんよりも先に、押し入れの中のテーブルを持ち上げる。
「おやおや。申し訳ないねぇ、アイリスちゃん」
「いえいえ! それより、お祖母ちゃん。これが、精霊棚なんですか?」
「ええ、そうだよ。このテーブルにゴザを敷いて、お仏壇のお位牌やお鈴を移して、亡くなられた人の好物をお供えすれば完成だねぇ」
お祖母ちゃんに精霊棚について教えてもらいつつも、わたしはテーブルを手に押し入れの外へと出る。
お位牌やお鈴を移動させるとの事だったので、作業がしやすいようにと、わたしはテーブルをお仏壇の前へと置く。
と、ゴザを手に押し入れから出て来たお祖母ちゃんの表情に、柔和な微笑みが浮かぶ。
「ありがとうねぇ、アイリスちゃん。おかけで助かったよ」
「どういたしまして! それより、お祖母ちゃんさえよければ、この後の準備もお手伝いしますよ!」
「ワタシとしては、ありがたいけれど…………本当に良いのかい、アイリスちゃん?」
「はい! 異国の文化に興味もありますし…………それに、今ちょうど手持ち無沙汰で、ヒマだったんですよ」
わたしが気を遣っていると思っているのか、遠慮がちに尋ねてくる、お祖母ちゃん。
そんなお祖母ちゃんを安心させる為、冗談交じりの返答を返す。
と、お祖母ちゃんは口元に手を持っていって、クスクスと笑みを溢した。
「おやおや、そうだったのかい? それなら、お言葉に甘えてお願いしようなねぇ」
「はい! 任せて下さい!」
という事で、わたしはお祖母ちゃんと協力して、精霊棚の準備をスタート。
まずは精霊棚の上に、仏様が病人を治療する時の寝床に使った事から、神聖な物と言われている真菰という植物を編んだゴザを。
精霊棚の両脇には、亡くなった方が迷わずに帰って来る為の目印となる、盆提灯を設置。
続いて、お位牌やお鈴を精霊棚へと移す為、わたしはお祖母ちゃんと一緒にお仏壇へと移動する。
「それじゃあ、アイリスちゃん。ワタシは右側のお位牌をお運びするから、アイリスちゃんは左側のお位牌をお願い出来るかい」
わたしへと指示を出すなり、早速とばかりに右側のお位牌に手を伸ばす、お祖母ちゃん。
そのまま、お祖母ちゃんは両手でお位牌を手にすると、大切な人を慈しむかのようにソッと胸元へ。
その瞳は、まるで愛おしい人を見つめるかのように、うっとりと細められていて。
そんなお祖母ちゃんの横顔を眺めている内に、わたしの頭にふと、ある考えが浮かび上がってきた。
「ねぇ、お祖母ちゃん。そのお位牌って、もしかしてお祖母ちゃんの旦那さんのですか?」
左側のお位牌を手に取りつつも、お祖母ちゃんへと尋ねてみる、わたし。
どうやら図星だったようで、お祖母ちゃんは驚いた様子で目を見開く。
「そうだけど…………よく分かったねぇ、アイリスちゃん」
「あははっ! 今のお祖母ちゃんの顔を見れば、誰でも気付くと思いますよ!」
まあ、お父さんは鈍感だから、気付かないだろうけど…………。
なんて事を考えてつつも、からかい混じりに指摘する、わたし。
と、照れくさかったのか、お祖母ちゃんの頬が仄かに赤く染まった。
「ワタシ、そんなに分かりやすい顔をしていたのかい? 年甲斐もなく、恥ずかしいねぇ」
パタパタ、と。片方の手で熱くなった顔を扇ぎながらも、手にしていたお位牌を精霊棚へと置く、お祖母ちゃん。
その右側へ、わたしもお位牌を置こうとしたしたのだけれど-ーその途中、お仏壇の説明の時のお祖母ちゃんのセリフが甦ってきた。
わたしは、ピタリと動きを止める。
(そういえばお祖母ちゃん、お位牌を並べる順番には決まりがあるって言っていたような…………)
それなら、お仏壇の時と同じ順番に並べた方が良いのかもしれないな、と。
そう思い直したわたしは、直前になってお位牌を置く位置を変更。
伸ばしかけていた腕を1度引っ込め、反対の左側にお位牌を配置したのだけれど-ーあれ?
(? なんだろう? いま何か、頭に違和感が過ったような…………)
だけど、わたしはいったい、何に違和感を抱いたのだろう?
気にはなったものの-ー今は、精霊棚の準備をしている最中だ。
「それじゃあ、アイリスちゃん。次は、お供え物の準備をしようか」
と、お祖母ちゃんからも声がかかったので、わたしは没頭しかけていた思考を中断。
違和感の正体については後で考えるとして、今はお供え物を取りに行く為、お祖母ちゃんと一緒に台所へと向かう。
「ところで、お祖母ちゃん。お供え物って、果物とかですか?」
「果物もだけど、あとは大福とかのお菓子かねぇ」
その道中、お供え物について尋ねてみた所、お祖母ちゃんからは聞き慣れない単語が返ってきた。
興味を引かれたわたしは、更なる問いを重ねていく。
「大福って、どんなお菓子なんですか?」
「大福は…………そうだねぇ。もち米と言う、お米の一種を加工して作ったものだよ。中には小豆を甘く味付けしたあんこが入っていてねぇ。家の人は皆、この大福が好物なんだよ」
「皆って事は、お父さんもですか?」
「深夜はどちらかと言うと、中にイチゴが入ったイチゴ大福が好物だったかねぇ」
「なるほど! 1口に大福と言っても、色々なバリエーションがあるんですね!」
ただ甘いだけの物よりも、フルーツが入っていて酸味も含まれている方が、お父さんの好みのはず。
そんなお父さんが大福が好物と聞いた時は、怪訝に思ったけれど、中にイチゴが入っているのなら納得だ
(特に、イチゴはお父さんの大好物だから、尚更なんだろうな!)
と、わたしがフムフム頷いていると、お祖母ちゃんがこんな提案をしてくれた。
「ねぇ、アイリスちゃん。もし興味があるのなら、今度イチゴ大福の作り方を教えてあげようか?」
「えっ! 本当ですか!?」
セレスティアには無い、ジパングならではのお菓子。
しかも、お父さんの好物と言うのなら、是非とも教えてもらいたい!
と、興奮したわたしの頭からは、先程抱いた違和感がキレイさっぱり抜け落ちてしまっていた。
(もう少し考えていたら、気付いていたかもしれないのにな…………)
お祖母ちゃん曰く、古い方を右側に並べるという、お位牌。
右側のお位牌は、お祖母ちゃんの旦那さん-ーつまり、お父さんのお爺ちゃん。
(なら、それよりも新しい左側のお位牌は、いったい誰のなんだろう?)
そんな疑問をわたしが抱くのは、あと数日先の話だった-ー




