8月-ーアイリス。シンの故郷『ジパング』へ(後編)
アイリス視点
ジパングの皇様との面談が終わった後に、皇都『亰の都』の観光地巡りをする事、約1時間。
更に、皇都の外の田舎道を約1時間ほど歩いた所で、わたしはお父さんの生まれ故郷である、『星鏡村』へと辿り着いた。
「俺の実家は、村の奥の方にあるんだ。あともう少し歩くけど、アイリスは大丈夫?」
「うん! 大丈夫だよ、お父さん! 心配してくれて、ありがとう!」
夜遅い時間だからかな? 『星鏡村』の奥に向かいつつも、隣を歩くわたしに気遣わしげな様子で尋ねてくる、お父さん。
そんなお父さんを安心させてあげる為、わたしは満面の笑顔で頷くと、キョロキョロと『星鏡村』を見回していく。
(皇都だと、狭いスペースに沢山の家が犇めきめき合っていたけれど-ー『星鏡村』は、一軒一軒が疎らに建っているんだなぁ)
その分、家一軒の敷地が大きく、塀越しに見えるお庭も広々としている。
(建築様式は、セレスティアとは全然違うけれど-ー都会と田舎の差は、どちらも大きくは変わらないな)
そんな事を考えつつも、わたしはお父さんに手を引かれながら、『星鏡村』を進んで行く。
すると-ー
「見えてきたよ、アイリス。あれが、俺の実家だよ」
曲がり角を曲がった所で、お父さんが空いている手で道の先を指差した。
その方向に視線を向けると-ー100メートルほど先に、一軒の家を確認する事が出来た。
だけど、まだ結構な距離があるのに、あんなにハッキリと家が見えるという事は-ー
「もしかして、お父さんの実家って、この村の中で大きい方?」
「あー…………まぁね。遠い昔のご先祖様が、この辺りの土地を治めるお侍様でさ。まあ、無駄にデカイってだけの、古臭い家なんだけどね」
自分や家族の功績では無いからか、お父さんは視線を逸らして、どこか気まずそうにしている。
まあ、わたしはもう4ヶ月もの間、以前は貴族が住んでいたお屋敷に暮らしているんだ。
今更、お父さんの実家が大きかった所で、物怖じしたりはしない。
「そうなんだね! それで、お父さん? あの家に、お母さんやお父さん、お祖母ちゃんやお祖父ちゃんと暮らしていたの?」
「だね。…………まあ、お祖父ちゃんは、だいぶ昔に亡くなってるから、お祖母ちゃんだけだけど」
なので、気まずそうにしているお父さんの為に、わたしは話題を変更。
お父さんのご家族について尋ねてみたんだけど-ーあ、あれ?
(? どうしてだろ? 何故か分からないけど、急に緊張してきちゃった…………)
タイミングから考えて、お父さんのご家族に対して緊張したのだろうけど-ーどうにも腑に落ちない。
というのも、自分で言うのも何だけれど、わたしは人見知りをせずに、誰とでもすぐに仲良くなれるタイプだ。
(それなのに-ーどうしてかな? お父さんのご家族にご挨拶をするシチュエーションを想像すると、どうにも足取りが重くなっちゃう)
わたしは不思議に思いつつも、お父さんの実家へと伸びている1本道を進んで行く。
と、お父さんの実家まで10メートル程まで近付いた所で、門扉の前に佇む2つの人影に気が付いた。
「ねぇ、お父さん。あの2人って、お父さんの家族の方?」
「まだ距離があるからハッキリとは分からないけど、多分そうだと思うよ。事前に送っていた手紙に書いていた時間より着くのが遅くなってるから、心配になって出て来たんんじゃないかな」
「そっか。皇都の観光地を巡った分、遅くなっちゃったんだね」
お父さんとそんな会話を交わしている内に、目的地までの距離は更に縮まり、残りは5メートル程。
ここまで近付けば、お父さんの実家の前に佇む2人の輪郭が、朧気ながらも見えてきた。
(まだ距離があるから、顔までは見えないけど-ー2人共髪が長いから、どちらも女の人かな)
そうなると、お父さんのお母さんと、お祖母ちゃんかな?
と、そんな事を考えていると、門扉の前に佇む2人も、わたしとお父さんの存在に気付いたようだ。
2人の内、1人が大きく手を振ると、小走りで此方へと近付いて来た。
「おかえりなさい、深夜」
「…………ただいま、母さん」
目の前で立ち止まり、柔和な微笑みを浮かべる女性に、照れくそうな様子で返答する、お父さん。
どうやら、お父さんのお母さんみたいだけど-ーしんや?
(たしか、お父さんの名前だったっけ)
この旅行の前に聞いたのだけれど、お父さんの本名は『銀 深夜』と言うらしい。
ジパングを出た後に、セレスティアを始めとした西大陸の国々に合わせて、シン・シルヴァーと名乗ったのだそうだ。
(とはいえ、わたしにとって、お父さんは『お父さん』だしなぁ)
『シン・シルヴァー』だろうと『銀 深夜』だろうと、どちらでも別に構わない。
なので、わたしはこの件には特に触れる事なく、お父さんのお母さんへと視線を向ける。
年齢は多分40歳位かな? 肩口で切り揃えられた黒髪に、ジパング独自の衣装である浴衣を着ている。
(こうして見ていると、どことなくお父さんに似ている気がするな)
特に、優しそうな雰囲気がそっくりだ。
さすが親子だなー、と。感心するわたしだったけれど-ー次の瞬間、お父さんのお母さんは柔和な微笑みを一転。
腰に手を当てて、プリプリと怒った様子を見せる。
「まったく、この子は。家を出たっきり、7年間も帰って来ないんだから」
「それは、まぁ悪かったけどさ。でも、最低でも月に1回は手紙を出していただろう」
「それとこれとは、話が別。忙しいのは分かるけど、せめて1年に1回は、顔を見せなさいな」
「…………わ、分かった。約束は出来ないけれど、善処はするよ…………」
流石のお父さんも、母親には頭が上がらないみたいだ。
珍しくたじたじになっているお父さんが可笑しくて、わたしはクスリと笑みを溢す。
「ほ、ほら、母さん。アイリスの前だし、その話はこの辺で…………」
そんなわたしに気付いたようで、バツが悪そうに話題を逸らす、お父さん。
お父さんのお母さんは、そこで初めてわたしの方へと視線を向けると-ー
「あらあら、あなたがアイリスちゃんね。息子からの手紙で、事情は聞いているわ。深夜の母親の、銀 小夜です。よろしくね」
「は、はい! アイリス・シルヴァーです! よろしくお願いします…………え、えーと…………」
先程お父さんに向けていた時と全く変わらない柔和な微笑みを、初対面のわたしにも向けてくれた。
わたしは緊張しながらも、挨拶を返そうとしたのだけれど-ー途中で言葉に詰まってしまった。
というのも、いったい何て呼んだらいいのか、悩んでしまったからだ。
(お父さんのお母さんな訳だから、やっぱりお祖母ちゃんかな)
だけど、お父さんのお母さんは見た限り、40歳から50歳位。
その年代の人をお祖母ちゃんと呼ぶのは、さすがに失礼な気がするし…………。
というわたしの考えを、察してくれたのかな?
「私の事は、『お母さん』と呼んでちょうだい! もしくは、義理の母で『お義母さん』でも可よ!」
お父さんのお母さんは、からかい混じりにそんな提案をしてくれた。
だけど-ー
「…………あ、あはは…………」
その提案に、わたしは苦笑で返してしまう。
お父さんのお母さんが口にした冗談に、返答に困ってしまったというのも、勿論ある。
だけど1番の理由は、今日初めて会ったばかりの人を『お母さん』と呼ぶ事に、抵抗があったからだ。
(お父さんを『お父さん』と呼ぶ事には、全く抵抗は無かったんだけどな…………)
その理由は多分、わたしが物心つく前に、本当のお父さんが亡くなっていたからだと思う。
だけど、お母さんは違う。つい4ヶ月位前まで、わたしは『ルル』の村の小さな家で、お母さんと12年間も一緒に暮らしていたのだ。
お母さんと過ごした思い出は、まだわたしの中に鮮明に残されている。
(それなのに、他の人を『お母さん』と呼ぶのは、ちょっと…………)
そんなわたしの気持ちに、お父さんが気付いてくれたようだ。
お父さんはお母さんに、咎めるような視線を向ける。
「…………母さん。アイリスが俺の娘になった経緯は、手紙で説明していただろう…………」
「-ーそ、そうだったわね! ごめんなさいね、アイリスちゃん! 私ったら、無神経で!」
「い、いえ! 『お母さん』と呼べないのは、わたし側の都合ですし-ーわたしの方こそ、すいません!」
わたしと、お父さんのお母さんは、お互いにペコペコと頭を下げ合う。
そんなわたし達を見て、お父さんが呆れたような溜め息を吐く。
「…………はぁ。なぁ、母さん。もう普通に、名前呼びで良いんじゃないの?」
「そ、そうね! アイリスちゃんも、それで良いかしら?」
「は、はい! よろしくお願いします、小夜さん!」
という訳で、改めて小夜さんに挨拶をした所で、わたし達は止めていた歩みを再開。
小夜さんを含めた3人で、お父さんの実家へと向かい始めた、その最中。
わたしは、はたと思い返す。
(そういえば、お父さんの実家の前で、もう1人女の人が待っていたんだっけ)
消去方的に、門扉の前で待っているのは、お父さんのお祖母ちゃんだろう。
小夜さんの時と同じトラブルを避ける為にも、事前に呼び名を考えておかないと。
(やっぱり、『曾お祖母ちゃん』は失礼だろうから、小夜さんと同じで名前呼びかな?)
それとも、『お祖母ちゃん』でも良いかもしれない。
小夜さんを『お母さん』と呼ぶのとは違って、『お祖母ちゃん』と呼ぶ事には抵抗がないし。
と、そんな事を考えていたのだけれど-ー
「…………ちょっと、遅いんだけど…………」
わたし達が門扉の前に辿り着くなり、これまでジッと佇んでいた女性はお父さんへと詰め寄り、不機嫌そうに悪態を吐いた。
その女性の見た目は、わたしが事前に想像していたよりも、ずっと若々しくて。
わたしは混乱しつつも、マジマジと女性の姿を確認する。
(背中まで伸びた黒髪に、浴衣姿。身長は女性にしては高く、170センチ位ありそうだ)
そして、肝心の見た目の年齢だけど-ーお父さんと同じ位か、それよりも少し下の年代に見える。
もちろん、モモちゃんのお母さんのように、実年齢よりも若々しく見える例も、あるとは思う。
だけど、推定で60歳~70歳位の年齢のお祖母ちゃんが、20代前後に見えるという事は、流石に有り得ないだろう。
そうなると-ー
(この女性は、お父さんのお祖母ちゃんじゃなくて、昔馴染みのお友達とかかな?)
お父さんが7年ぶりに帰って来るという話を聞きつけて、わざわざ待っていたのかもしれないな、と。
そう思っていたのだけれど-ー
「…………やれやれ。7年ぶりに会ったのに、いきなりご挨拶だな、夕陽」
「…………ふん! こっちは、こんなにも夜遅い時間に、外で30分以上も待たされたんだから。文句の1つや2つ、甘んじて受けるべきじゃないの?」
「いや。別に、わざわざ待っててくれなんて、頼んだ覚えは無いんだけど…………」
「なによ、その言い方? まるで、あたしが一刻も早く会いたくて、自主的に待っていたみたいに聞こえるじゃない。やめてよね」
お父さんと女性との遣り取りを眺めている内に、わたしの心には疑心が芽生え始めていた。
(この2人って、本当に只のお友達なの?)
女性は憎まれ口を叩きつつも、お父さんに身を寄せた状態から離れないし。
お父さんの方も、わたしやフィリアさん以外の人と接するときは大なり小なり壁を感じるのに、この女性とは砕けた口調で話している。
(2人の距離感の近さは、それこそ家族-ーもしくは、恋人かな?)
そんな考えが頭に思い浮かんだ、その瞬間-ー
-ーグイッ!
気が付けばわたしは、お父さんと繋いでいる手を、思いっきり引っ張ってしまっていた。
「-ーおっとっと。どうかした、アイリス?」
「お父さん? その女の人、誰?」
わたしの方に身を寄せつつも、当然のように困惑の声を上げる、お父さん。
そんなお父さんに、わたしは自分でもビックリする程の底冷えした声で尋ねかける。
だけど-ー
「? 誰って、妹の夕陽だけど?」
「-ーふえっ!?」
キョトンとした様子のお父さんの答えを聞いた瞬間、わたしはすっとんきょうな声を上げてしまった。
「お父さん、妹さんが居たの!?」
「? そうだけど、言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ!」
お母さんやお父さん、お祖母ちゃんと暮らしていたとは聞いたけれど、妹さんの事は聞いてない。
まあ、兄妹は居ないと決めつけて、両親や祖父母の事しか尋ねなかったのは、わたしだけど…………。
と、そんな事を思いつつも、わたしは慌てて夕陽さんへと頭を下げる。
「は、はじめまして! アイリス・シルヴァーです! よろしくお願いします、夕陽さん!」
「…………そう。あたしは、銀 夕陽。シン兄の1つ下の、21歳。よろしく」
わたしの挨拶に、淡々とした返答を返す、夕陽さん。
その声音からは、どことなく敵対心のようなものが感じられた。
(…………うぅ。やっぱり、わたしの第一印象が悪かったのが原因かなぁ?)
と、反省するわたしを他所に、夕陽さんは再びお父さんへと話しかけ始めた。
夕陽さんが口にする話題は、相変わらずお父さんへの悪態ばかりだったけれど-ーその様子を眺めている内に、先程と同じ疑問が頭を過る。
(この2人って、本当に只の兄妹なの?)
夕陽さんがお父さんへと向ける眼差しには、僅かながら熱っぽさが混じっている気がして。
それが、どうしてか分からないけど気にくわなかったわたしは、プクーっと頬を膨らませてしまう。
「…………あらあら。やっぱり、お義母さんと呼んで貰おうかしら?」
そんな小夜さんの言葉を小耳に挟みつつ、お父さんと夕陽さんの間に割って入ろうとする、わたし。
が、それよりも先に、すぐ脇にある門扉がガラッと音を立てて開いた。
「騒々しいぞ。こんな遅い時間に、何を騒いでいる。ご近所様の迷惑だろう」
それは、静かでありながらも威厳に満ちた声で。
お父さんと夕陽さんがピタリと黙り込む中、わたしは門扉の方へと視線を向ける。
と、50代位の男性が、門扉の外へと歩み出て来る所だった。
(髪は、白髪交じりのグレイヘア。身に纏っているのは、ジパング独自の衣装である甚平かな?)
それにしても、ずいぶんと大きな方だ。
体格は、服の上からでも分かる程に筋骨隆々。180センチを越えるであろう高い身長からは、どことなくお父さんや夕陽さんの面影が感じられた。
もしかして-ー
「あ、あの! もしかして、お父-ー深夜さんの、お父さんですか?」
「…………そうだが、キミは?」
「は、はじめまして! アイリス・シルヴァーです! よろしくお願いします!」
「ああ、キミが…………。息子からの手紙で、事情は聞いているよ。深夜の父、銀 曉だ。よろしく頼む」
お父さんのお父さんである曉さんに、ガバッと勢いよく頭を下げる、わたし。
そんなわたしに、曉さんには小さな会釈を返すと、挨拶もそこそこに、隣に立つお父さんへと体を向けた。
(…………ふぅ)
最初はもの凄く緊張したけれど、何とか無事に、お父さんのご両親にご挨拶をする事が出来た。
わたしがホッと胸を撫で下ろしていると、曉さんと入れ替わるように、小夜さんが近付いてきた。
「はぁー! あの人に自分から話しかけるなんて、アイリスちゃん肝が据わっているわねー!」
「? どういう事ですか?」
「ほら。うちの人、体格が大柄な上に、無愛想でしょ? あの人が普通に注意しただけでも、よく小さい子を泣かせちゃうのよ」
わたしの耳元でコソッと囁く、小夜さん。
最初こそ、急に小夜さんから褒められた事で戸惑ってしまうわたしだったけれど-ー続く小夜さんの言葉を聞いた事で、ストンと腑に落ちた。
「ああ、なるほど。そういう事ですか」
たしかに、小夜さんの言う事にも一理あると思う。
現に、わたしやお父さんや夕陽さんも、出会い頭に注意された訳だけれど-ーそれは偏に、わたし達が真夜中に家の前で騒いでいたから。
決して、理不尽な理由で怒られた訳じゃない。
(それに-ー)
チラッと、わたしは視線を隣へと向ける。
そこでは、曉さんとお父さんが会話を交わしている所だった。
「…………久しぶりだな、深夜…………」
「…………ああ。ただいま、父さん…………」
「…………うむ。積もる話はあるが、もう夜遅い。小さい子も居る事だし、今日はもう休みなさい」
それだけを言い残し、1人で家の中へと戻って行く、曉さん。
一見すると、ぶっきらぼうな態度に映るかもしれないけれど-ー言葉の節々から、お父さんやわたしを気遣っている事が窺えた。
わたしは、小夜さんへと視線を戻す。
「大丈夫ですよ、小夜さん! 曉さんが見た目ほど恐い人じゃないって、わたし分かってますから!」
「…………そう。はぁー、よかったわ~!」
わたしの返答に、ホッと安心した様子で微笑む、小夜さん。
そして、小夜さんは夕陽さんを伴って家の中へと入って行った。
「お父さん! わたし達も、家に入ろうよ!」
「…………え? あ、ああ。そうだね…………」
わたしもお家にお邪魔させてもらおうと、隣に立つお父さんへと声をかける。
が、お父さんから返ってきたのは、どことなく心ここにあらずといった様子の生返事で。
不思議に思ったわたしは、コテンと首を首を傾げてしまう。
(? そういえばお父さん、曉さんと話している時ぐらいから、元気がなかった気がするなぁ…………)
小夜さんや夕陽さんとは、和やかに話していたのにな…………。
と、わたしは少しだけ気になりつつも、お父さんの手を引いて、これから10日間お世話になる家の中に入って行くのだった-ー




