8月-ーアイリス。シンの故郷『ジパング』へ(前編)
アイリス視点
セレスティアの王宮で、セルピア様と面談した日から4日後の、8月6日。
今日は待ちに待った、お父さんの故郷『ジパング』へと旅行に行く日だ。
移動手段は、馬車や船の乗り継ぎ-ーではなくて、セレスティアの王宮とジパングの皇宮とを繋ぐ、転移の魔法陣だ。
お父さん曰く-ー
「転移の魔法陣はサイズが大きいから広大なスペースが必要だし、膨大な魔力を食うから燃費も悪い。だけど、友好国に登録されている国なら、たとえ何千キロ何万キロ離れていても、一瞬で移動する事が出来るんだ」
-ーとの事。
セレスティアは、お父さんがSランク冒険者になったのを機に、ジパングと友好国になったらしい。
おかげで、急に決まった予定にも関わらず、この4日間はゆっくりと旅支度をする事が出来た。
その上、馬車や船の時間を気にする必要がないから、出発する時間は何時でも大丈夫!
だった、はずなのだけれど-ー夜の20時に来て欲しいと、ジパングの皇宮から時間の指定を受けてしまったのだ。
「ジパングの皇様が、お父さんと面談したいからみたいだけど…………そのせいで、お家で夜ご飯を食べてからの出発になっちゃったんだよね」
時刻は夕刻。キッチンから2人分の食器をリビングに運びつつも、わたしは小さな声でグチを溢す。
本当なら、朝早くにジパングに行って、お父さんの実家に帰る前に、観光をしたかったのに…………。
と、わたしがプクーっと頬を膨らませていると、背後からお父さんの苦笑が聞こえてきた。
「-ーははっ。まあ、仕方ないさ。ジパングには10日間いる予定なんだし、どこかで時間を作って、街に観光に行こう」
と、そう言いながらお父さんが持って来たのは、今日の夕食のメインディッシュである、シーフードの冷製パスタ。
茹でた貝やエビを30分ほど冷蔵庫で冷やし、氷水でしめたパスタと共にガラスのお皿に盛り付けた、見た目にも涼やかな一品だ。
その食欲をそそる香りに、わたしは不機嫌であった事も忘れ、大好きなお父さんの手料理に舌鼓を打つのだった-ー
-ー
-ー-ー
-ー-ー-ー-ー
夕食の後片付けと戸締まりの確認をしっかりしてから、わたしとお父さんは家を出る。
目指すは、転移の魔法陣がある、セレスティアの王宮だ。
「-ーこんばんは、シンさん、アイリスさん。綺麗な月夜ですね」
と、王宮へと辿り着いたわたし達を、セルピア様が直々に出迎えに来てくれた。
4日前の王宮訪問で、セルピア様とは友人のように親しくなったつもりだけれど-ーそれとこれとは、話が別。
(セルピア様はお姫様なんだし、ちゃんと挨拶をしないとね!)
と、思っていたのだけれど-ーこの時点で、時刻は夜の19時半。
時間に余裕も無いので、わたし達は挨拶もそこそこに移動を開始。
転移の魔法陣は地下にあるらしく、セルピア様の先導の元、わたしとお父さんは階段を降っていく。
(…………わー! お父さんの言う通りで、すっごく大きな魔法陣だなー!)
その途中、階下の地下室を覗いてみると、床に魔法陣が刻まれているのが見て取れた。
正確な大きさは分からないけれど-ー直径30メートルはありそうな、あまりにも大きな魔法陣だ。
わたしは心の中で驚嘆の声を上げつつも、お父さんやセルピア様と一緒に地下へと降り立つ。
と、先頭のセルピア様が、クルリと振り返った。
「準備は、既に出来ております。シンさんとアイリスさんは、魔法陣の中央へお願いします」
「はい」
「はーい!」
魔法陣がある方を指し示しながら、横にずれて道を空ける、セルピア様。
お父さんとわたしは頷くと、複雑で精緻な紋様が施された魔法陣の中を、2人手を繋いで進んで行く。
だけど-ー
「魔法陣が大きすぎるせいで、どこが真ん中か分からないね」
「はははっ。だねー」
わたしからの問いかけに、お父さんは苦笑しながらも同意を示す。
と、いう事は-ー
「お父さんも、転移の魔法陣を使うのは初めてなんだね」
「ああ、そうだよ。そもそも転移の魔法陣は、王侯貴族が友好国に移動する時に使うものだからね。いかにSランク冒険者といえど、そう簡単には使わせてもらえないさ」
「なるほど! そうなんだね!」
そんな会話を交わしながらも、わたしとお父さんは当てもなく前へと進んで行く。
と、程なくして、視線の先に紋様の施されていない空白地帯が目についた。
「ねぇ、お父さん! もしかして、あそこが真ん中なんじゃないかな?」
「ん? どれどれ…………うん。確かに、そうかもね」
ここまでずっと紋様が施されていたのに、あそこだけ何も無いなんて、あまりにも不自然だ。
きっと、あそこが魔法陣の中央に違いない。そう当たりを付けたわたしとお父さんは、空白地帯に入った所で足を止める。
と、魔法陣の外側から、セルピア様の声が聞こえてきた。
「それでは、始めます!」
遠くに居るわたし達にも聞こえるようにか、声を張り上げる、セルピア様。
瞬間、足元に刻まれた魔法陣が発光し始めた。
最初こそ、ロウソクのような微かな明かりだったのだけど…………。
徐々に光量は増していき、10秒もする頃には、まるで真夏の太陽を直視してしまったかのような、強烈な光になっていた。
「-ーきゃっ!」
そのあまりの眩さに、わたしは悲鳴を上げて目を瞑る。
それでも、目蓋の裏が真っ白に染まる程の光に、わたしは反射的に、お父さんの手を握る力を強める。
すると-ー
-ーギュッ!
と、わたしを安心させようとしてくれたのか、お父さんの方からも手を握る力を強めてくれた。
その効果は抜群で、わたしはビックリしていた事も忘れて、照れくさい気持ちになってしまう。
(…………え、えへへっ! やっぱり、お父さんの手は大きいな~!)
と、ついつい顔を綻ばせてしまう、わたし。
せっかくの機会だし、お父さんの男の人らしい力強い感触を堪能させてもらおうかな-、と。
ちょとだけズルい事を企んでいたのだけれどーー更に10秒ほどの時間が経った頃から、徐々に光量が収まり初めてしまったのだ。
(…………うぅ。名残惜しいけど、こんなにも緩んだ表情、お父さんには見せられないしなぁ…………)
そう考えたわたしが泣く泣く手を握る力を弱めると、お父さんもすぐに手を握る力を弱めてしまった。
その事を残念に思っている内に、いつの間にやら目蓋の裏は完全に真っ黒になっていた。
わたしは、ゆっくりと目を開き-ー
「-ーふぇ!?」
と、周囲の景色に見渡した所で、わたしは間の抜けた声を上げてしまった。
だけど、それも仕方がないと思うんだ。だって、わたしはつい先程まで、真っ白な大理石に囲まれた王宮の地下室に居たはず。
それが今は、月と星の明かりが差し込む屋外に立っていたのだから。
(ほ、本当に瞬間移動したんだ…………)
わたしは、思わず呆気に取られてしまうも-ー先月の肝試しの時にも、似たような経験をしたからかな?
深呼吸を1つする事で落ち着きを取り戻したわたしは、チラリと隣のお父さんを見やる。
と、お父さんにとっては初めての経験だからかな? 平静さを装いつつも、心做しかソワソワとしているように見えた。
その不安そうな仕草が、わたしには可愛らしく映って。わたしの口から、クスリと笑みを溢しまう。
(えへへっ! やっぱり、こんな風に困っているお父さんも、それはそれで好きだなー!)
キュン、と。
いつもの頼りがいのあるお父さんとのギャップに、わたしの胸に甘く締め付けられるような感覚が走る。
そのままポーッと、お父さんに熱っぽい視線を向けるわたしだったけれど-ー間もなく、奥からコツコツと足音が聞こえてきた事で、わたしはハッと我に返った。
-ーブンブン!
わたしは、何かを誤魔化すように大きく首を振ってから、足音のする方へと視線を向ける。
と、タキシード姿の壮年の男性が、わたし達の方へと近付いてくる所だった。
「お待ちしておりました、銀-ーいえ。シン・シルヴァー様」
途中で何かを言い直し、タキシード姿の執事風の男性は、お父さんに深々と頭を下げる。
そして-ー
「そちらが、アイリス・シルヴァー様ですね。ようこそ、日の国『ジパング』。その皇都『亰の都』へ」
どこか茶目っ気を感じさせる声と仕草で、わたしにも頭を下げたのだった-ー




