8月-ーシン。お姫様との面談を(後編)
シン視点
8月2日の14時から始まった、セルピア様との非公式の面談。
当初は、王宮でお姫様と話をする状況に緊張したり、俺に出されたショートケーキを口にして落ち込んだ様子を見せていた、アイリス。
だけど-ー
「それでですね! お父さん、わたしが自然公園のお花に興味を惹かれている事に気付いて、後でゆっくり見て回ろうかって言ってくれたんですよ!」
「あら、そうなの? シンさんが優しい方なのは知っていましたけど、私が思っていたよりも、ずっと想いやりに溢れた方なのですね」
15分ほどの時間が流れた現在、アイリスは微笑みを浮かべながら、セルピア様と談笑を交わしていた。
アイリスが明るく人懐っこい子である事と、セルピア様が王族として社交性が高い事。
この2つが上手く噛み合わさった結果なのだろうけれど、ここまでの会話の様子を見る限り、2人の元々の相性も悪くないように感じられた。
(だからといって、2人して俺の事ばかり話すのは、勘弁してほしい所だけどね…………)
王都で暮らす普通の女の子であるアイリスと、王宮に住むお姫様のセルピア様。
身分や立場が違いすぎるので、話題が共通の知人である俺の事ばかりになるのも、ある程度は仕方のない事だと思う。
けれど、この15分間2人して俺の事を褒めちぎり続けている為、傍から聞いている身としては、どうにもソワソワして落ち着かない。
なので、俺は気を紛らわそうとテーブルの上のティーカップへと手を伸ばし、底に僅かばかり残っていた紅茶を口に含む。
(…………やれやれ。これでケーキに続いて、紅茶も飲み終わってしまったな)
今回の集まりの主賓は、曲がりなりにも俺のはずなのだけれど-ーアイリスもセルピア様も、俺を放置して雑談に興じているからな。
手持ち無沙汰を誤魔化している内に、ケーキにしろ紅茶にしろ、俺が1番先に無くなってしまったようだ。
(とはいえ、アイリスとセルピア様のケーキと紅茶も、残りは1口2口ずつ位だな)
それが無くなれば本題に入るだろうし、あと少しだけ堪え忍ぶとするか、と。
そんな事を考えつつも、手に持っていた空のカップをテーブルに置いて、俺は顔を上げる。
と、セルピア様の背後に控えているブライアンさんと、目が合った。
「…………………………………………」
俺がアイコンタクトで会話出来るのは、ギルドマスターのフィリアさんと、1年前までコンビを組んでいたあいつ位。
だけど、今回に限って言えば、俺もブライアンさんも、10歳年下の女性に放置されている者同士。
ブライアンさんが何を伝えたいのか、なんとなくだが分かった。
『お互いに大変だな、シルヴァー』
『ええ、本当に』
と、お互いに合っているかの確証は持てないものの、俺とブライアンさんはアイコンタクトで会話を交わす。
その間に、アイリスがチョコレートのケーキを。1拍遅れて、セルピア様もマスクメロンのケーキを食べ終えたようだ。
セルピア様は、手にしていたフォークを静かに置くと-ー
「それでは、シンさん。そろそろ、シンさんをお呼びした理由をお話し致しますね」
と、いよいよ話の本題を切り出し始めた。
その眼差しは、先程までアイリスと談笑を交わしていた時とは違い、お姫様としての真剣なもので。
自然に背筋が伸びる中、セルピア様は懐から一通の封筒を取り出すと、俺の方へと差し出してきた。
「まずは、こちらをお読みいただけますか」
「はい」
と、セルピア様から受け取った封筒を、俺は手元へと引き寄せる。
封筒の形態から、どうやら国際郵便のようだ。表側の宛名の欄には、セレスティア王宮の所在地が。
で、裏面は-ー
(-ーうげっ)
封筒をクルリと引っくり返した瞬間、俺は思わず顔をしかめてしまった。
というのも、消印の代わりに捺されている、桜の花を模した国章。
それが、俺の故郷である『ジパング』のものだったからだ。
(それでも、例えば実家から送られてきた手紙とかなら、別に問題ないんだけどな…………)
が、封筒の裏面の差出人の欄に書かれているのは、『ジパング』の皇宮の住所。
つまり、『ジパング』の国家中枢から送られてきた手紙という訳だ。
(…………やれやれ、またか。まったく、懲りない連中だねぇ…………)
と、俺が呆れているのには理由がある。
実を言うと、この『ジパング』皇宮からの手紙、俺の家の方にも度々送られてきているのだ。
しかも、内容は毎回同じもので-ーだからこそ読まずとも、おおよその察しがつく。
が、セルピア様の手前もあるものな。
(…………はぁ)
と、俺は心の中で溜め息を吐きつつも、封筒を開いて、中の手紙に目を通していく。
時候の挨拶から始まった文章は、良く言えば国からの手紙らしく、丁寧で厳か。
悪く言えば、だらだらと無駄に長い文章で認められている。
その内容を、1言に要約すると-ー
「俺に、『ジパング』に帰って来いと言っている訳ですね」
やはり、家に来ている手紙と同じ内容か…………。
そんな事を思いつつも、俺が手紙の内容を口に出すと-ー
「-ーっ!」
と、隣に座るアイリスから、息を呑む気配が伝わってきた。
不思議に思った俺は、アイリスに尋ねかける。
「? どうかした、アイリス?」
「お、お父さん? それ、誰からのお手紙なの?」
「ん? 俺の故郷『ジパング』の皇宮からだけど?」
「そ、そうなんだ…………。それで、お父さん? もしかしてだけど…………『ジパング』に帰っちゃうの?」
どうやら、俺と離れ離れになってしまうと思ったようだ。不安そうな様子で尋ねてくる、アイリス。
そんなアイリスを安心させてあげる為、俺はブンブンと大きく首を振る。
「いやいや! 帰らないよ!」
「そ、そっか…………えへへっ! よかった!」
俺の返答を聞いて、ホッと安堵の息を吐く、アイリス。
これからも俺と一緒に暮らせると知って、あんなにも喜んでくれるなんて。父親冥利に尽きるなぁ…………。
なんて、ほっこりとした気持ちになったのも、つかの間の事。
「というか、そもそも! どうして『ジパング』の皇宮が、お父さんに帰って来いなんて言うの!?」
次の瞬間、アイリスはプンプンと怒った様子で、俺の持つ手紙を覗き込んできた。
その頬は、ぷくーっと膨らんでいて。俺は苦笑しつつも、アイリスに応じる。
「ああ、それは多分、俺がSランク冒険者だからだろうね」
「? お父さんが、Sランク冒険者だから?」
「そう。アイリスも知っての通り、世界中に数万人存在する冒険者の内、英雄とも呼ばれるSランクはたったの5人。だから、Sランク冒険者を有する国は、それだけで他の国々に対して、大きなアドバンテージを得られるんだよ」
つまり、政治的な理由から、俺に帰って来いと言ってる訳だね。
と、俺がそう続けると、アイリスは「なに、それ! 失礼な話!」と、ご立腹な様子だ。
が、それに関しては、俺も完全に同意だった。
「だろう? それに、俺はSランク冒険者になったのを機にこの国に戸籍を移して、正式なセレスティアの国民になっているんだ。こんな下らない理由で帰る気なんか、更々ないさ」
と、アイリスに相槌を打ちつつも、俺には1つ気にかかっている事があった。
それは-ー
(どうして、今回に限って手紙を見せてきたんだ?)
俺の家と同じ位の頻度で、セレスティアの王宮にも、ジパングの皇宮からの手紙が届いている。
それ自体は知っていたけれど、いつもなら俺に確認を取る事なく、断りの連絡を入れてくれていたはずだ。
(…………まさかとは思うけど、ジパングに帰れなんて言われないよな…………)
先程アイリスにも説明したけれど、Sランク冒険者が在籍している国は、それだけで政治的に有利な立場を取る事が出来る。
その恩恵を受けているセレスティアが、わざわざ俺を手放すとは思えないが-ー可能性は0じゃない。
そんな不安に駈られた俺は、遠回しにセルピア様に尋ねてみる。
すると-ー
「もちろん。シンさんには今まで通り、セレスティアに住んでいただきたいと思っております。これは私だけではなく、王宮全体の総意です」
と、セルピア様は穏やかな微笑みを讃えながらも、はっきりと断言してくれた。
俺は内心で、ホッと胸を撫で下ろすが-ーセルピア様の言葉は、これで終わりでは無かったようで。
セルピア様は「ですが」と、話を続ける。
「ですが-ー正直に申しますと、友好国であるジパングからの申し入れを断り続けるのは、あまり体裁がよろしくないのですよ」
「…………それに関しては、本当に申し訳ないです…………」
俺の故郷であるジパングがしつこいばかりに、要らぬ気苦労をかけているようで…………。
と、バツの悪さを感じた俺は、元ジパングの国民として、セルピア様に頭を下げる。
が、セルピア様はフルフルと緩やかに首を振る。
「いえ、お気になさらずに。この件に関しては、既にジパングと話がついていますので」
「えっ!? 本当ですか!?」
「はい。…………まあ、ジパング側から1つ条件を提示されましたが…………」
と、無条件で要求を通せなかった事を気にされているのか、セルピア様の声色はどこか控え目だ。
が、自分で言うのも何だが、Sランク冒険者はどの国も喉から手が出る程に欲しがる、希少な人材。
それを、条件付きとはいえ諦めさせたのだ。
「充分に、誇れる成果だと思いますけれど…………ところで、セルピア様? ジパングからは、どんな条件を出されたのですか?」
今この場でその話をするという事は、ジパングから出された条件は俺に関わる事で。
延いては、今回の王宮訪問の目的である、俺への指名依頼に繋がってくるのだろう。
そう察した俺は、セルピア様に条件の内容を尋ねてみた。
が、その直後から、セルピア様の様子が一変。
「…………え、えーと。その事、なのですが…………」
と、今まで凛とした雰囲気で受け答えしていたのがウソのように、セルピア様は急に口篭ってしまった。
その表情には、どこか申し訳なさそうな色が浮かんでおり。不思議に思った俺は、首を傾げてしまう。
そんなセルピア様を見かねたのか、ここまで黙って背後に控えていたブライアンさんが、初めて口を開く。
「これ以上の手紙を送らない代わりに、数日間で良いから、シルヴァーを実家に帰省させろ-ーだってよ」
おそらく、シルヴァーの里心を刺激する事で、自主的に帰って来させようと思ってるんだろうな、と。
ジパングから出された条件に続いて、ジパング側の思惑まで説明する、ブライアンさん。
とはいえ、俺もいい歳をした大人。数日帰省した位で、実家が恋しくなるつもりはない。
が、だからといって実家に帰省するかは、また別の話だ。
(さっきはアイリスの手前カッコつけたけど、本当は失礼な手紙云々は関係なく、ただただジパングに帰りたくないだけなんだよな…………)
最悪、ジパングに数日足を運ぶだけなら、妥協する事も出来る。
が、実家に顔を見せるのだけは、絶対にゴメンだ。
なので-ー
「聞く所によると、ジパングでは8月に、お盆っていう行事があるんだろう? その前後数日、ちょっとした旅行だと思って、娘を連れて帰省したらどうだ?」
と、ブライアンさんが口にした指名依頼を、最初は何とか理由をつけて断ろうとしていた。
が、その文言を頭の中で考えている途中に、はたと気付く。
(しまった! 嵌められた!)
セルピア様が申し訳なさそうな表情を浮かべている事から分かる通り、俺がジパングに帰りたがらないのは、王宮関係者にとって周知の事実。
だからこそ、1度した約束は必ず守る俺の信念を利用して、肝試しの交換条件という形で提示。
その上で、保険としてアイリスをこの場に呼んだのだ。
(アイリスの誇れる父親になろうとしている俺が、その張本人の前で約束を破る訳には、いかないものな)
それにしても、随分と意地の悪い計画だ。
が、まっすぐな心根のセルピア様が、こんな搦め手を使うとは考え難い。
となると、この一連の流れを発案したのは、ブライアンさんだな…………。
「ですが、ブライアンさん。俺が数日間もセレスティアを留守にすれば、売れ残り依頼が溜まってしまうのでは…………」
「それについては、心配すんな。お前が居ない間の売れ残り依頼は、騎士団の方で責任持って処理しておくからよ」
無駄な足掻きだろうなとは思いつつも、俺は一縷の望みに賭けて、ブライアンさんに意見してみる。
が、この程度の反論は予期していたのか、ブライアンさんはすぐに答えを返してきた。
やはりと言うべきか、既に外堀は埋められてしまっていたようだ。
(それに-ー)
チラッ、と。俺は隣の席を見やる。
そこには、ブライアンさんが『旅行』というワードが出して以来、瞳をキラキラと輝かせているアイリスの姿があった。
(アイリス、先月の七夕のお願いで、俺と旅行に行きたいって言っていたもんな…………)
そんなアイリスに、実家に帰省する気がないとは、とてもじゃないが言えない。
俺は「はぁ」と溜め息を吐くと、不承不承ながらも実家への帰省を了承。
その後も細かい予定を話し合った結果、8月6日から16日までの10日間、アイリスを連れて実家へ帰省する運びとなったのだったーー




