8月-ーシン。お姫様との面談を(中編)
シン視点
今日は8月2日。時刻は14時過ぎ。
俺とアイリスは現在、セレスティア王宮の数ある応接室の一室で、お姫様との面談に臨んでいた。
「は、初めまして、セルピア様。アイリス・シルヴァーです。よろしくお願いします」
俺が事前に教えていた方法で、セルピア様へと挨拶をする、アイリス。
が、相手が一国のお姫様だからか、アイリスの表情や声色からは緊張感が伝わってくる。
そんなアイリスの緊張を、和らげようとしてくれたのだろう。
「初めまして、アイリスさん。セレスティア現国王が娘、セルピア・リア・セレスティアです。よろしくお願いします」
セルピア様は表情に穏やかな微笑みを讃えると、優美な動作で、アイリスに挨拶を返した。
流石は、セレスティアのお姫様。俺やアイリスの付け焼き刃な挨拶とは違い、とても様になっている。
と、俺が心の中で感心していると、セルピア様が掌で下座側の席を指し示した。
「シンさん、アイリスさん。どうぞ、お掛けになって下さい」
「はい。失礼します」
「し、失礼します…………!」
と、セルピア様に1言断りを入れてから、俺とアイリスはイスに腰掛ける。
『いいかい、アイリス。訪問先でイスに座る時には、あまり深く腰掛けすぎないようにね。それで背中が背もたれに付いたら、だらしない印象になってしまうからさ』
という俺の事前の説明通り、隣のアイリスはイスに浅く腰掛け、背筋をピンッと伸ばしている。
それだけでも、充分に行儀の良い座り姿勢だと思うのだが-ー向かいの上座に腰掛けるセルピア様は、更にその上をいっていた。
(間にテーブルがあるから、ハッキリとは見えないけど-ーセルピア様、まっすぐ足を伸ばすんじゃなくて、少しだけ斜めに流しているな)
そうする事で、ドレスの裾とヒザとの間に生じる隙間を減らす効果が-ーいや、それだけじゃないな。
他にも、目の錯覚で足をより長く見せたり、相手に女性らしい印象を与えるなど、さまさまな利点があるようだ。
(今まで気にしてこなかったけど、男と女とでは、座る姿勢1つとっても違うものなんだな)
『探求者』とも呼ばれる俺だけど、まだまだ知らない事は沢山ある。
アイリスに正しい知識を教える為にも、俺も今まで以上に色々な事を学んでいかないとな、と。
俺が決意を新たにしていると、隣に座るアイリスが不意に呟きを漏らす。
「…………キレーな女性…………」
「…………ふふっ。ありがとうございます、アイリスさん」
つい無意識に口を衝いたらしいアイリスに、優しく微笑みかける、セルピア様。
と、その瞬間だった-ー
「-ーふっ」
セルピア様の背後に控えていたブライアンさんが、いきなり笑い出したのは。
しかも、鼻から息を漏らす失礼な笑い方。タイミングから考えて、セルピア様を小馬鹿にしたのは明白だ。
俺とアイリスの間に緊張が走る中、セルピア様は表情に微笑みを讃えたまま、クルリと振り返った。
「あら? 何か言いたい事があるのかしら、ラディ?」
「いーえ、滅相もない。初対面の奴が居るから猫を被っているみたいだが、いつまで保つ事やら-ーなんて、思ってないですよ」
「あら、そう。うふふっ」
愛称で呼びながら尋ねるセルピア様に、尚も失礼な物言いを続ける、ブライアンさん。
それでも、セルピア様は笑みを絶やさなかったが-ー言葉や態度とは裏腹に、腹に据えかねていたらしく。
セルピア様は、頬をヒクヒクと引きつらせたかと思うとーー
-ーヒュン!
唐突に、ブライアンに向けて平手を放った。
狙いは、頬。幼い頃から一通りの護身術を学んでいるのか、座ったままという体勢の割に、セルピア様の一撃は鋭い。
が、相手は騎士団の団長。ブライアンはその場から1歩も動かず、上半身をズラすだけで、セルピア様の平手を避けてみせた。
「-ーくっ! このぉ~…………おとなしく、くらいなさいよ!」
ムキになった様子で、ブライアンさんに向けて次々に平手を繰り出す、セルピア様。
そんなセルピア様を見て、アイリスが唖然とした表情を浮かべる。
「え、えーと…………ねぇ、お父さん。もしかしてセルピア様って、結構お転婆な方だったりする?」
上座側の2人に聞こえないようにか、小さな声で尋ねてくる、アイリス。
俺もまた、声を落として応じる。
「みたいだね。人前ではお姫様としての振る舞いをするみたいだけど、家族やブライアンさんの前では、素が出ちゃうみたいだよ」
「そうなんだ…………それにしても、ご家族はともかく、ブライアンさんも? 愛称で呼んでいる事といい、もしかしてセルピア様って…………」
俺の説明から何かを察したのか、セルピア様に探るような視線を向ける、アイリス。
そんなアイリスの視線を、感じ取ったのだろうか? セルピア様は不意にハッと我に返った様子を見せると、「コホン」と咳払いを1つ。
そして-ー
「ラディ。シンさんとアイリスさんに、紅茶とお菓子をお持ちしてあげて」
「へーい」
セルピア様は仄かに頬を染めつつも、何事も無かったかのように話題を戻した。
そんなセルピア様を、ブライアンさんもこれ以上からかう事はせず。
ブライアンさんは素直に廊下へ出ると、扉の外に用意していたらしいワゴンを押して、応接室に戻って来た。
-ーコポ、コポ、コポ
と、まずは紅茶の準備に取りかかる、ブライアンさん。
ポットに入った紅茶をカップに注ぎ、ティースプーンやソーサー。
更には、角砂糖やミルクも添えて、俺とアイリスの前に配っていく。
(芳醇な香りや赤褐色の水の色からして、多分アッサムティーだと思うんだけど…………珍しいな)
アッサムティーは、他の茶葉に比べ渋みやコクが強い為、ミルクティーとして飲むのが一般的だ。
が、こういう時は茶葉の本来の風味を味わう為に、まずはストレートのまま飲むのが、正しいマナー。
それなのにアッサムティーを提供したのは、子供のアイリスがストレートで飲まなくても済むようにという、セルピア様なりの配慮だろう。
(ミルクティーとして飲むのが前提のアッサムティーなら、ストレートで飲まなかった事に、後ろめたさを感じる必要が無いからな)
と、俺がセルピア様の気遣いに感謝の念を抱いている間に、ブライアンさんはお菓子の準備を開始。
俺の前にはイチゴのショートケーキが、アイリスの前にはチョコレートケーキが置かれた。
「ありがとうございます、ブライアンさん」
と、ブライアンさんにお礼の言葉を伝えつつも、俺の頭には1つの疑念が浮かんでいた。
それは-ー
(どうして、アイリスの好みがチョコって知っているんだ?)
何度も王宮に訪れている俺とは違って、アイリスは初めての訪問なのに…………。
と、王宮の情報収集能力に寒気を覚える俺だったが-ーそれも偏に、アイリスへの気遣い故だろう。
そう前向きに捉える事で、俺は気持ちを切り替える事にした。
(まあ、理由はどうあれ、アイリスが大好きなチョコレートのケーキに変わりはないしな!)
しかも、王家お抱えの一流のパティシエが、最高級の素材で作ったケーキだ。
まるで宝石細工のようにキレイなケーキだし、きっとアイリスも、瞳を輝かせながら頬張っている事だろう。
そう考えた俺は、チラリと隣のアイリスに視線を移す。
だけど-ー
(-ーあれ?)
俺の予想に反して、アイリスはケーキにも紅茶にも、一向に手を付けようとはせず。
ただただ困り果てたような表情を浮かべながら、まるで盗み見るかのように、チラチラと俺の方に視線を向けていた。
そんなアイリスの仕草に、内心で首を傾げる俺だったが-ー間も無く、その理由に思い当たった。
(ああ、そうか。こういう時の正しいマナーが分からないのか)
上座と下座の席配置や挨拶の仕方は教えたけど、お茶やお菓子の戴き方は説明出来てないものな、と。
アイリスが困惑している理由は分かったものの-ーとはいえ、一体どうしたものだろうか?
セルピア様やブライアンさんが来る前ならともかく、今ここで説明すれば、アイリスに恥ずかしい思いをさせてしまうだろうし。
と、なると-ー
(俺が先に戴く事で、アイリスにお手本を示すのが、1番いいだろうな)
そうと決まれば、まずは紅茶の戴き方の実演からだ。
「では、いただきますね」
と、セルピア様に1言断りを入れる事で、アイリスの視線が俺の手元に集中する。
それを確認した後に、俺は目の前のティーカップに手を伸ばすと、手始めにミルクを注いでいく。
(さて、と。次は、角砂糖を入れる訳だが-ーミルクと違って固まっている分、どうしても滴が跳ねてしまうんだよな)
なので、俺は滴が跳ねないようにと、角砂糖をティースプーンの上に置き、紅茶の中に浸すようにして投入。
そのまま、ティースプーンを使って混ぜていく訳だが-ーカップに当たって音を立てないよう、ゆっくり丁寧に。
混ぜ終わったら、ティースプーンに付いた滴は振り落とさずに、カップの奥側の縁に当てて切り落とす。
飲む時にティースプーンが邪魔にならないよう、カップの向こう側のソーサーの上に置いたら、いよいよ実飲だ。
(テーブルとイスの間に距離があれば、ソーサーを持ってカップを引き寄せるが、今回は近いからな。普通にカップだけを持って-ーうん、美味しい)
と、俺がアッサムティー特有の深いコクと風味を味わっていると、アイリスが見よう見まねながらも紅茶の準備を開始。
ぎこちない手つきではあったものの、アイリスはミルクと角砂糖を静かに混ぜ、出来上がったミルクティーを口に付ける。
「…………あっ、美味しい…………」
アイリスもまたアッサムティーの味わいを気に入ったようで、先程まで緊張で強張っていた表情が、僅かばかりに綻んだ。
それなら、たまには家でもアッサムティーを淹れようかな…………。
などと考えていると、アイリスはティーカップをソーサーに置いて、まるで急かすように、再び視線を俺の手元へ。
俺は内心で苦笑しつつも、右手に持っていたカップをソーサーに置き、その代わりにケーキ用のフォークを手に取った。
(さて、と。次は、ケーキの正しい戴き方の実演だな)
まずは、ケーキの断面に付いている紙を取り外す作業からだ。
最も正しいのは、まるでパスタを食べる時のように、フォークを使って巻き取っていく方法なのだが-ーちょっとしたコツがいる為、この方法は難易度が高い。
俺は何回かやっているので可能だが、アイリスは当然ながら初めて。
ぶっつけ本番で挑戦して失敗すれば、逆に恥ずかしい結果になってしまう。
(まあ、手で取る方法が間違っている訳でもないし、今回は普通に取り外すか)
という事で、俺は切り口の部分を手で千切ると、そのままケーキを1周するようにして、断面に付いていた紙を取り外す。
紙の内側に付いたクリームを見ると、舐め取りたい衝動に駈られるも-ーここは家ではないので、グッと堪える。
(取り外すした紙は、紅茶の時と同じように、ケーキの向こう側に置いて、と)
ここまで来れば、残る注意点は、三角の先から順番に食べ進めていく位だ。
俺はケーキの先を1口サイズに切り分けると、フォークを差して口へと運ぶ。
「…………うん、美味い」
最高級の素材を使っているからか、クリームの甘味にも負けずに、イチゴの濃厚さが際立っている。
そのあまりの美味しさに、紅茶の時には心の中で思った感想が、今回は口を衝いて出てしまった程だ。
-ーモグ、モグ
と、俺が殊更ゆっくりイチゴのショートケーキを味わっている間に、アイリスもチョコレートのケーキへと手を伸ばす。
ほとんどの工程が普段と変わらないからか、アイリスは緊張した様子ながらもスムーズに紙を外し、1口サイズに切り分けたケーキを口に含む。
と、アイリスの表情がパアァァァッと華やいだ。
「ん~! おいし~い!」
すぐ隣の俺だけに聞こえる小さな声ながらも、まるで堪え切れないといった様子で歓声を上げる、アイリス。
どうやら、すっかり緊張は解れたようで、今の今まで曇っていたのがウソのように、アイリスは晴れやかな表情を浮かべていた。
(それにしても、アイリスの好物を食べた時の反応、完全に俺と一緒だな)
義理とはいえ、やはり父娘なんだなぁ…………。
と、そんな考えが頭を過り、俺はホッコリと感じ入ってしまう。
その間にも、アイリスは既に2口目を堪能中。その様子は、まさに夢見心地といった感じだ。
が、アイリスは不意にハッと、現実に帰ってきた様子を見せると-ー
-ーバッ!
と、物凄い勢いで、俺の方へと視線を向けた。
「ど、どうかした、アイリス?」
「ね、ねぇ、お父さん。お父さんのケーキ、1口だけ食べていいかな?」
「? ああ、いいけど…………」
家ならともかく、人前で俺の分に手を付けようとするなんて、珍しいな…………。
とは思いつつも、アイリスの切羽詰まったような表情に押され、俺は自分のケーキを差し出す。
と、すぐさまアイリスのフォークが伸びてきた。
「-ー! やっぱり、こっちも凄く美味しい…………」
イチゴのショートケーキを1口口にした瞬間、まるで衝動を受けたような表情を浮かべる、アイリス。
そして-ー
「…………ど、どうしよう。23日のお父さんの誕生日にイチゴのショートケーキを手作りする予定だったのに、直前にこんなに美味しいケーキを食べてたら、どうしたって比べられちゃうよぅ…………」
アイリスは落ち込んだ様子で顔を俯かせると、すぐ隣に座る俺にさえ聞こえないような細やかな声で、ブツブツと独り言を呟くのだった-ー




