7月-ーアイリス。ボーマン・レヴィウス伯爵の屋敷跡地での、不思議な体験(後編)
アイリス視点
マイちゃんの案内の元、地上への階段を探し始めてから…………多分、10分位の時間が経ったのかな?
当初思っていたよりも、この地下室は広大なようで、わたし達は未だに階段に辿り着けずにいた。
けれど、首無しの幽霊が襲ってくる気配も、また見られず。
マイちゃんが人懐っこい性格の子だった事もあり、わたし達は手を繋いで歩きつつも、いろいろなお喋りを交わしていた。
「ではでは、おねーさんのお父さんは、本当のお父さんでは無いのですか?」
「うん、そうだよ! 盗賊団に襲われて身寄りの無かったわたしを、お父さんが引き取ってくれたんだ!」
1番最初にお互いの自己紹介から始まった会話は、いつの間にやら、わたしの身の上話しになっていた。
多分、お父さんに引き取られたばかりの頃のわたしなら、知り合ったばかりの女の子にこんな話をしなかったと思う。
だけど-ー
「それでね! お父さんったら、自分の足元を照らしていた明かりを外して、わたしの足元を照らしてくれたんだよ!」
どうやら、お父さんと一緒に暮らしている内に、わたしの心の傷も大分癒えたようだ。
つい先程の階段での出来事を始め、お父さんとの色々なエピソードを、マイちゃんに喜々として話していく、わたし。
そうして、お父さんの自慢話を一通り終えた所で、わたしはハッと我に返った。
(-ーって、わたしのお父さんの話ばかりじゃ、マイちゃんつまらないよね?)
ついつい興が乗って話し込んでしまったけれど、マイちゃんにとっては見ず知らずの人なんだし…………。
と、そんな不安が頭を過るも-ーどうやら、ただの杞憂だったようだ。
マイちゃんは瞳をキラキラと輝かせながら、興味深かそうにわたしの話に聞き入っていた。
「おねーさんは、素敵な方に巡り合えたのですね! マイちゃん、羨ましいのです!」
「えへへ~! うん! わたしにとって、自慢のお父さんなんだよ!」
マイちゃんにお父さんを褒めてもらえた事が、あまりにも嬉しくて。
舞い上がってしまったわたしは、先程の反省も忘れて得意気になってしまう。
と、丁度そのタイミングで、視線の先に1階へと続く階段が見えてきた。
(…………よかった。何とか無事に、この地下室を出られそう…………)
一刻も早くここを出て、お父さんの元へと帰りたい。
気が急いてしまったわたしは、少しだけ歩くスピードを速めて、マイちゃんの2歩ぐらい先を歩く。
と、その瞬間だった-ー
「-ーなら、替わってよ」
わたしのすぐ背後から、そんなおどろおどろしい声が聞こえてきたのは。
(…………え? 今のって、マイちゃんの声だよね?)
幼い子供特有の高い声色に、声の聞こえてきた位置。
それらから考えれば、マイちゃんの声で間違いないと思う。
だけど-ー
(マイちゃんの声とは思えない程に、声のトーンが低かったような…………)
先程まで交わしていた雑談の最中には、イキイキと弾むような声音で話していた、マイちゃん。
それなのに、今のマイちゃんの言葉は、まるで地の底から響くような重苦しいもので。
その事に疑問を抱きつつも、わたしは背後を振り返る。
と、そこには案の定マイちゃんの姿があったのだけれど-ーあ、あれ?
(何だか、マイちゃんの服装が変わっているような…………)
裾の部分に花の刺繍があしたわれた、上品な印象を受けるワンピースを身に纏っていた、マイちゃん。
それなのに、今のマイちゃんが身に纏っているのは、ツギハギだらけのボロキレが1枚だけ。
手に持っているクマのぬいぐるみに至っては、所々が破れて中の綿が飛び出しており、千切れたのか片耳と片手が無くなっていた。
(マイちゃん顔を俯かせているから、表情を読み取る事は出来ないないけど…………わたしが目を離した隙に着替えた、とか?)
と、そんな考えが頭を過るも-ーすぐに、違うと察した。
そもそも、わたしがマイちゃんから目を離したのは、階段を見つけて足を速めた、あの時だけ。
時間にして、ものの数秒。その一瞬で着替えられるとは、とても思えないし…………。
と、困惑しつつも、マイちゃんの格好に薄気味の悪さを感じたわたしは、繋いでいた手を無意識に離してしまう。
だけど-ー
「マイちゃんのパパとママもね、とても素敵な人達だったんだ。パパは街の平和を守る自警団で、強くてカッコよかった。ママはお裁縫が上手で、マイちゃんの誕生日にクマのぬいぐるみをプレゼントしてくれたの」
と、怯えるわたしに構う事なく、マイちゃんの淡々とした独白は続く。
その声音は、ご両親の自慢話をしているとは思えない程に、無機質なもので。
それでいて、さっきと同じく重苦しい響きを伴っていた。
(…………あえて例えるなら、首無しの幽霊が発していた呻き声に、雰囲気が似てるような…………)
と、首無し幽霊に襲われた時の事を思い出した事で、わたしの背筋にゾッと冷たいものが走る。
まさか…………。とは思いつつも、わたしはボーマン・レヴィウス伯爵の屋敷跡地で起こる、もう1つの心霊譚を思い出していた。
曰く-ー地下室から、殺された子供達の呻き声が聞こえる。
(…………もしかしてマイちゃんって、その子供達の1人なんじゃ…………)
マイちゃんは、幽霊かもしれない-ーその可能性自体は、マイちゃんに出会った時に真っ先に思い浮かんでいた。
けれど、マイちゃんの天真爛漫な笑顔や、友達と一緒に肝試しに来たという話を信じて、すぐに警戒心を解いてしまっていた。
(…………よくよく考えれば、すぐに気付いたはずなのにな…………)
こんな時間のこんな場所に、こんなに幼い子が居る。
例え友達と一緒に来たという話を加味したとしても、明らかにおかしいって。
「-ーっ!」
幼い子供の姿をしているものの、たった2歩しか離れていない場所に、幽霊が居る。
恐怖からか足がすくむも、震える体にムチ打って、わたしは1歩だけ後退る。
が、まるで逃がさないとでも言うように、マイちゃんはすぐさま距離を詰めてきた。
「だけど、ね。パパもママも、強盗に襲われて死んじゃった。マイちゃんは何とか助かったんだけど、身寄りが無くて。ある孤児院に入ったんだけど…………そこからは、地獄だったなぁ」
顔を俯かせたまま、ポツポツと話を続ける、マイちゃん。
話の節々から推察するに、どうやらマイちゃん自身の身の上話のようだ。
淡々としたマイちゃんの声音とは裏腹に、その内容は徐々に不穏なものへと変わっていく。
「与えられたのは、こんなボロキレやカビが生えたパンだけ。毎日のように暴力を振るわれて、ママに貰ったクマのぬいぐるみもボロボロにされて-ーそして、マイちゃんも死んじゃった」
と、そこで言葉を一旦区切り、俯かせ続けていた顔を上げる、マイちゃん。
その顔色は、まるで死人のような土気色。瞳は落ち窪み、光を感じられない。
その瞳が、わたしを捉え-ー
-ーニイッ
と、まるで怯えるわたしを嘲笑うかのように、マイちゃんの口元が歪んだ。
「-ーひっ!」
マイちゃんのあまりに不気味な微笑みに、わたしの口から悲鳴が漏れる。
反射的に、再び後退ろうと思ったものの-ー腰が抜けてしまったのか、わたしの足は全く動いてくれず。
恐怖のあまり、わたしは思わず目を瞑ってしまった。
「おねーさんと、マイちゃん。どちらも同じような境遇なのに、おねーさんだけ幸せそうで、マイちゃん羨ましいなー。だからね、おねーさん。マイちゃんと替わってよ」
目を瞑っているせいでハッキリと断言は出来ないけれど、マイちゃんが更に1歩近付いて来る気配を感じた。
これで、わたしとマイちゃんとの距離は、あと1歩。まさに、目と鼻の先だ。
本来なら、更に恐怖が増す状況なのだろうけれど-ーわたしの脳裏に浮かび上がってきたのは、恐怖では無く、ある疑問だった。
(…………あれ? そういえばマイちゃん、さっきも『替わって』って言っていたけど、それってどういう意味なんだろ?)
多分、マイちゃんがわたしの体を乗っ取るって意味なんだろうけど-ーその後は?
この地下室を出たマイちゃんは、わたしのフリをして、お父さんと合流するのだろう。
そして、そのまま何食わぬ顔をして、お父さんと一緒に生活を-ー
(…………ああ。それは、イヤだなぁ…………)
お父さんの隣に、わたし以外の女の人が居る。
それを想像するだけで、わたしの胸がキュウッと締め付けられるように痛んでしまった。
(なら、怯えて震えるだけじゃなくて、この状況を打開する方法を考えないとね!)
お父さんの隣に居るのは、わたしなんだから!
と、改めて決意表明をしたのはいいものの-ーいったい、どうしたらいいのだろう?
唯一の武器になりそうな塩は、首無しの幽霊を相手に使いきってしまったし。
それに-ー
-ーギュウッ
と、2つの水晶玉を握り締めてみたけれど、既に効果が切れてしまったのか、もうヒンヤリとした冷たさを感じなかった。
残念だけど、マイちゃんに対抗する術は無いようだ。
(となると、わたしに取れる手段は、ただ1つ! 一か八かの、逃げの一手だ!)
位置関係は幸い、わたしの方が階段側。
足の震えも止まったし、普通に考えれば、わたしの方が速いはずだ。
そうして1階に逃げたら、お父さんを探して助けを求めよう!
と、そう決めたわたしが、駆け出そうと足に力を込めた、その瞬間だった-ー
「あははっ! 冗談なのですから、そんなに恐い顔しないで下さい、おねーさん!」
「-ーふぇ!?」
今までの淡々とした重苦しい声音から、一転。イキイキと弾むような声音に戻る、マイちゃん。
そのあまりに突然の変化に、わたしは間の抜けた声を漏らしながらも、閉じていた瞳を開く。
と、そんなわたしの視界に映ったのは、天真爛漫な笑顔を浮かべているマイちゃんの姿だった。
「…………え、えーと…………?」
よくよくマイちゃんを観察してみると、身に纏っているものはボロキレ1枚から、花の刺繍があしたわれたワンピースに。
手に持っているクマのぬいぐるみも、新品同様のキレイな状態に戻っていた。
まるで時間が巻き戻ったかのような光景に、困惑した声を上げて固まってしまう、わたし。
と、マイちゃんは一頻りコロコロと微笑むと、不意にペコリと頭を下げた。
「怖がらせてしまい、ごめんなさいです。幸せそうにお父さんの自慢話をするおねーさんが羨ましくて、少しイジワルをしてしまいました」
「…………ううん。わたしこそ、知らなかったとはいえ無神経な事を言っちゃったみたいだから。ごめんね、マイちゃん」
ここまでの話を整理すれば、マイちゃんの事情も見えてくる。
両親を強盗に殺された挙げ句に、この地下室で暴力を振るわれて死んでしまった、マイちゃん。
そんなマイちゃんに、似た境遇を持つわたしが、義理のお父さんの自慢話をあんなにもしてしまったのだ。
ちょっと怖がらせようと思われるのも、仕方がない。
そう思ったわたしが謝罪の言葉を口にすると、マイちゃんは穏やかな微笑みを浮かべながら頭を上げる。
「今日はありがとうございました、おねーさん! 久しぶりに人と話せて、楽しかったのです!」
マイちゃんはそう言うと、わたしの体をクルリと反転。
階段へ向けて、わたしの背中をグイグイと押していく。
「お探しの階段は、あちらなのです! こんな辛気臭い所は早く出て、大好きなお父さんを安心させてあげて下さい!」
「う、うん。ありがとう。…………ちなみに、マイちゃんはどうするの?」
わたしは、階段の1段目に足をかけた所で立ち止まると、背後を振り返ってマイちゃんに尋ねてみる。
と、マイちゃんは少しだけ顔を俯かせると、ゆっくりと首を振った。
「マイちゃん、この地下室を出られないのです…………」
「そっか…………」
地縛霊、みたいなものなんだろう…………。
短い時間とはいえ、こうして知り合えたのも何かの縁。本当は、何とかしてあげたいのだけれど-ーわたしには、どうしてあげる事も出来ない。
「マイちゃんの事は気にせず、行って下さいです! さよーなら、おねーさん!」
「…………うん。さようなら、マイちゃん…………」
わたしに気を使わせまいとしたのか、慌てた様子で顔を上げる、マイちゃん。
そんなマイちゃんと別れの挨拶を交わすと、わたしは後ろ髪を引かれる思いを感じつつも、ゆっくりと階段を登っていく。
「おねーさん! こんなご時世に、そんなにも素敵な方に巡り合えたおねーさんは、幸せ者だと思うのです! だから、絶対に離さないで下さいね!」
途中、そんなマイちゃんの声が聞こえてきた為、わたしは振り返って階下を覗き見る。
けれど、地下室には暗闇が広がるのみ。マイちゃんの姿は、もうどこにも見当たらなかった-ー
-ー
-ー-ー
-ー-ー-ー-ー
人1人がギリギリ通れるような、狭くて急な階段を登る事、数分。
軽く息が切れ始めた頃に、わたしはようやく1階へと辿り着いた。
(ここは…………誰かの私室、かな?)
キョロキョロと部屋の中を見回すと、ベッドやテーブルやソファーといった家具が目に付いた。
ただ、どの家具も3階や2階で見た物よりも大きく、豪奢な印象を受ける。
(屋敷の主である、ボーマン・レヴィウス伯爵の部屋なのかな…………?)
そんな事を考えつつも、部屋の中をゆっくりと進んで行く、わたし。
と、部屋の外からドタドタと大きな音が聞こえ、徐々にこちらに近付いて来るのを感じた。
ビックリしたわたしが視線を向けると、丁度そのタイミングで、息を切らせたお父さんが部屋の中へと入ってきた。
「-ーアイリス!」
「お父さん!」
大好きなお父さんに、ようやく再会できた。
嬉しさのあまり、お父さんへと駆け寄っていく、わたし。
が、お父さんはそれ以上のスピードで、わたしに近付いて来たかと思うと-ー
-ーギュッ!
と、わたしの体を思いっきり抱き締めた。
「お、お父さん!?」
大好きなお父さんに、痛い程の力で抱き締められている。
動揺から声が上擦ってしまうわたしを他所に、お父さんは「はぁ~!」と大きな安堵の息を吐く。
「よかった…………! 急に姿が見えなくなった上に、探しても探しても見付からないし。アイリスに何かあったらと思うと、不安で不安で仕方なかったんだ…………!」
その言葉と、お父さんに抱き締められている事で気が付いたのだけど-ーお父さん、汗でビショビショだ。
それに、ゼェゼェと肩で大きく息をしているし。
きっと、わたしを探して、屋敷の中を走り回ってくれたんだろうな…………。
『おねーさん! こんなご時世に、そんなにも素敵な方に巡り合えたおねーさんは、幸せ者だと思うのです! だから、絶対に離さないで下さいね!』
わたしの脳裏に、別れ際のマイちゃんの言葉が蘇る。
たしかに、マイちゃんの言う通りだ。わたしの事をこんなにも心配してくれる人に巡り合えたのは、とても幸せな事なのだろう。
(もし、わたしを助けてくれたのがお父さん以外の人だったら、わたしもマイちゃんと同じような目にあっていたかもしれないしね)
大好きなお父さんを、手離したくない。
不意に、そんな欲求が湧き上がってきたわたしは、少しだけ気恥ずかしいなーと思いつつも、お父さんの背中に手を回すと、その大きな体をソッと抱き返したのだった-ー




