7月-ーアイリス。ボーマン・レヴィウス伯爵の屋敷跡地での、不思議な体験(前編)
アイリス視点
『もし今回の肝試しで何か起これば、幽霊の存在が証明される』
『そうすれば、死んでしまったお母さんや村の皆に、いつかまた会えるかもしれない』
そんな想いを抱えて臨んだ、ボーマン・レヴィウス伯爵の屋敷跡地での肝試し。
けれど、3階に続いて2階の探索を終えても、心霊現象のような事は何も起こらなかった。
まだ、1階が残っているけれど-ーわたしは正直、諦めかけていた。
(まあ、仕方ないよね! そんなに簡単に幽霊に出会えるなんて、思ってなかったし!)
とりあえず今日の所は、純粋に肝試しを楽しむとしようかな、と。
最後の1階に向けて階段を降りつつも、わたしは気持ちを切り替える。
(期待は叶わなかったけれど、夕方の6時半が門限のわたしにとっては、初めての夜歩きは新鮮で楽しかったしね!)
わたしの頭に、待ち合わせ先の冒険者ギルドに向かうまでの光景が思い浮かぶ。
暗闇に包まれ、静まり返った街並み。照らすのは、数メートルおきに設置された街灯と、雲間から時折射し込む星と月の明かりだけで-ーだからかな?
歩き慣れた道のはずなのに、まるで初めての場所を冒険しているみたいで、ワクワクした。
(それに-ー)
チラッ、と。わたしは、お父さんと繋いだ右手へと視線を向ける。
こうして、お父さんと手を繋ぐのは毎日の事のはずなのに-ーどうしてかな?
今夜は、いつも以上にドキドキしていた。
(視界がハッキリしないせいで、触覚が敏感になっているのかな?)
ワクワクとドキドキ。
2つの意味で心を弾ませながらも、1階へと降り立った、その瞬間だった-ー
-ープチッ
と、何かが千切れるような小さな音が聞こえてきた。
(左の手首に着けていた水晶のブレスレットが、切れちゃたみたい…………)
音から1拍遅れて、左の手首に微かな喪失感がしたので、間違いないと思う。
たしか、お父さんは5年位使っていたと言っていたから、劣化してしまったのだろう。
とはいえ、いくら古い物だとしても、お父さんから貰った大切な宝物である事に変わりはない。
なので、わたしはお父さんと繋いでいた右手を一瞬だけ離すと、その場にしゃがみ込む。
そして、床に落ちたブレスレットを拾おうとしたのだけれど-ー
「…………な、なに、これ…………」
直径1センチ程の水晶の玉が、10個ほど連なっていたはずのブレスレット。
なのに、そのほとんどが粉々に砕けていて、無傷な玉は2個しかなかった。
「-ーっ!」
わたしの背筋に、ゾッと冷たいものが走る。
薄気味の悪さを感じたわたしは、無事だった2つの水晶を手に取ると、大好きなお父さんの手を再び握る為、離していた右手を伸ばす。
だけど-ー
(…………あ、あれ? お父さん?)
いくら右手を伸ばしても、お父さんの手を掴む事は出来ず。角度をいろいろと変えてみても、わたしの手はスカスカと空を切るばかりだ。
不思議に思ったわたしは、顔を上げるも-ーそこに、お父さんの姿はなく。
それどころか、モモちゃんもラナも、エドさんもセンドリックさんも、誰の姿も見当たらなかった。
(お父さん、わたしが手を離したのに気付かないで、先に行っちゃったのかな?)
と、最初は思ったものの-ーすぐに、違うと察した。
娘のわたしが言うのも何だけど、お父さんはとても過保護で甘々な親バカだ。
そんなお父さんが、わたしの手が離れた事に気付かないで先に行ってしまうとは、とても思えなかった。
「-ーっ! お父さーん! みんなー!」
よく分からないけれど、何か異常な事が起こっている。
直感的にそう感じたわたしは、お父さん達に呼びかけようと大声を上げてみる。
が、いくら呼びかけてみても、誰からも返答は返って来ず。
わたしの中に、焦燥感が募ってくる。
「-ーっ! お父さん! 返事をしてよ、お父さん!」
わたしは、右手に持ち変えた携帯用の魔力灯の明かりを四方八方に走らながら、何度も何度も大声でお父さんに呼びかけてみるも-ー状況は、なに1つ好転せず。
不安と恐怖から、パニックになりかけた、その瞬間だった-ー
「-ー冷たっ!」
握りしめていた左手の中から、急にヒンヤリとした冷たさを感じ、わたしは思わず声を上げてしまう。
右手に持った魔力灯で照らしながら、おそるおそる左手を開いてみると-ーそこには、今しがた拾ったばかりの2つの水晶玉があった。
(そういえば、お父さんが言っていたっけ。水晶は厄避けの効果があるパワーストーンで、人によってはヒンヤリとした冷たさを感じるって…………)
今の今まで何も感じなかったのに、このタイミングで急に冷たさを感じるなんて…………まるで、見えない力に守られているみたいだ。
その証拠に、左手の中の冷たさが伝わったかのように、パニックになりかけていた頭も冷えてきた。
(…………そう、だよね。こういう時こそ、冷静でいないと)
その為にも、まずは深呼吸だ。わたしは目を瞑ると、吸っては吐いてを繰り返す。
そうしていると、お父さんから幾度となく聞かされた言葉が、頭の中に思い浮かんできた。
(お父さんなら、きっとこう言うんだろうな。『諦めるな、絶対に諦めるな』って)
それは、お父さんの口癖みたいな言葉で、耳にタコが出来そうな程に聞いてきた。
思い返していると、こんな状況にも関わらずクスクスと笑みが溢れるしまう。
(よーし! それじゃあ、お父さんの教え通り諦めずに、この状況を打開しないとね!)
そうと決まれば、まずは周囲の確認からだ。
わたしは目を開くと、先程はしっちゃかめっちゃかに走らせてしまった魔力灯の明かりを、今度はゆっくり丁寧に照らしていく。
(2階から1階に降り立った所だったから、吹き抜けの玄関ホールに居るはずだけど…………ここ、違う場所だよね?)
広さは同じ位だけど、床は真っ赤な絨毯では無く、剥き出しの石。
床と同じで壁も剥き出しの石で、たぶん室内だと思う。
けれど、窓は1つも無いようで、月や星の明かりは射し込まず、室内は完全なる真っ暗闇だ。
(それに-ー)
サッ、と。わたしは魔力灯の明かりを、壁へと向ける。
もし、ここが玄関ホールだとしたら、高級そうな絵画が飾られていたはずだけど-ー明かりの先にあるのは、壁から伸びた無骨な鎖。
周囲に飾られているのは高級そうな壺では無く、目を逸らしたくなるような拷問器具の数々だった。
以上の事から、導き出される結論は-ー
(わたしが今いる場所って、ボーマン・レヴィウス伯爵が子供達に暴力を加えていた、地下室だよね…………)
もちろん、地下室へと降りてきた記憶は、わたしに無い。
そもそも、玄関ホールにあるのは上に昇る階段だけ。地下室へと降る階段は、どこかにあるという隠し扉の先。
当然だけど、わたしはその場所を知らないのだ。
(瞬間移動した、としか言えないよね…………)
まるで、SF小説のような-ーううん。
この状況だと、神隠しにあったと考える方が自然かな?
(何かしら心霊現象が起こって欲しいとは思っていたけど、まさか、こんな事になるなんて…………)
自らの軽はずみな考えを反省して、シュンと顔を俯かせてしまう、わたし。
が、不意に人の気配を感じた気がして、わたしは慌てて顔を上げる。
「-ーお父さん!?」
急に居なくなったわたしを心配して、お父さんが探しに来てくれたのだろう。
そう考えたわたしは、人の気配がする方へと視線と明かりを向ける。
と、5メートルほど先に人影を見付けたのだけれど-ー何だろう、この違和感は?
明かりで照らしているはずなのに、その人物だけが何故か暗く、いったい誰なのか全く分からなかった。
「…………お、お父さんだよ、ね…………」
そうであって欲しいという願いを込めながら再び問いかけるも、人影からの返答は無く。
その代わりとでも言うよに、真っ黒な影法師は音も無く、こちらに近付いて来た。
と、その距離が3メートル程まで縮まった所で、気付いた。
(-ーっ! この人影、首から上が無い!?)
それを認めた瞬間に頭の中に思い浮かぶのは、ボーマン・レヴィウス伯爵の屋敷跡地で起こるとウワサされている、心霊譚だ。
曰く-ー窓の外から、頭の無い幽霊を見た。
「-ーっ!」
幽霊だ、と。
そう察してからの行動は、早かった。
「『収納』・アウト!」
わたしは『収納』から塩の入ったビンを取り出すと、手早くキャップを取り外す。
そして-ー
「-ーえいっ!」
ビンを思いっきり振って、中の塩を幽霊に浴びせかけた。
『ウオォォォー』
口なんて無いはずなのに、重苦しい呻き声を上げながら後ずさっていく、首無しの幽霊。
やがて…………暗闇に紛れるようにして、幽霊の姿は見えなくなった。
(す、凄い、調理塩でも効くんだ…………って、そんな暢気なこと考える場所じゃ無いよ、わたし!)
幽霊は消滅した訳では無く、あくまで一時的に退いただけ。
しかも、今ので塩は全て使いきってしまったので、また襲われたら対抗する手段が無いのだ。
なので-ー
(今のうちに、地下室を出ないといけないんだけど…………1階に昇る階段は、どこにあるんだろう?)
突然この場所に飛ばされたから、分からないんだよね…………。
と、地上への階段を探す為、周囲をキョロキョロと見回していると-ー
-ーポンッ
と、不意に背後から、わたしの肩に手を置かれた。
「-ーきゃあ!」
先程の首無し幽霊に、背後を取られてしまった!
そう考え、思わず甲高い悲鳴を漏らしてしまう、わたし。
だけど-ー
「…………あ、あぅ。まさか、そんなにビックリさせてしまうなんて。むしろ、マイちゃんの方がビックリなのです」
と、背後からも驚いたような声が聞こえてきて、わたしは呆気に取られてしまう。
(…………あ、あれ? どうして幽霊が、そんな反応を…………?)
もしかして幽霊じゃ無いのかな、と。
一瞬、そんな考えが頭を過るも-ーとはいえ、声だけで気を弛めてしまうのは危険だ。
そう判断したわたしは、おそるおそる背後を振り返る。
と、そこに居たのは-ー
「はじめまして、おねーさん! マイちゃんって言います! よろしくお願いします!」
自らをマイちゃんと名乗る、わたしよりもずっと幼い女の子だった。
「は、はじめまして。アイリスです。よろしくね、マイちゃん」
と、わたしは挨拶を返しつつも、マイちゃんと名乗る女の子をマジマジと観察する。
年齢は…………多分、6歳位かな?
服装は、袖の部分に花の刺繍があしたわれたワンピースで、身の丈ほどもある大きなクマのぬいぐるみを抱えている。
だけど-ー
(どうして、こんな時間のこんな場所に、こんなに幼い子が1人で居るんだろ?)
そんな疑問を抱いたわたしは、マイちゃんへと質問してみる。
すると-ー
「マイちゃんですか? お友達みんで、肝試しに来たのです!」
「そうなんだ。…………あれ? でも、門や玄関のカギはどうしたの?」
「? 門も玄関も、カギは開いてたですよ」
「…………そういえば、センドリックさんが開けた後、誰も施錠してなかったかも」
幼い子特有の舌足らずな声音ながら、一生懸命わたしの質問に答えてくれる、マイちゃん。
正直に言えば、状況が状況だけに、この子も幽霊なんじゃないかと疑っていた。
だけど-ー
-ーニコッ!
と、邪気の一切感じられない、天真爛漫な笑みを浮かべ続けている、マイちゃん。
そんなマイちゃんを見ていると、わたしの毒気もすっかり抜け落ちてしまった。
(親御さんが居るかは分からないけど、わたし達の後に、お友達複数人と来たんだろうな)
わたし達が来る前や帰った後だとカギがかかっていた訳だから、ずいぶんとタイミングの良い子達だな、と。
そこまで考えた所で、はたと気付いた。
「…………あれ? ねぇ、マイちゃん。もしかして、1階に昇る階段の場所って知ってる?」
「はい! 知ってますよ、おねーさん!」
「やっぱり!」
わたしと同じように突然この場所に来たにしては、この子はいやに落ち着いていた。
なので、自分から地下に降りてきたと思ったのだけれど-ーどうやら、ビンゴだったみたいだ。
そうなると-ー
「ねぇ、マイちゃん。階段まで、わたしを案内してくれないかな?」
「いいですよ。こっちです、おねーさん!」
どこに階段があるか分からなくて困っていたけど、マイちゃんが知っているのなら、話は早い。
そう考えて案内をお願いした所、マイちゃんは快く頷いてくれた。
「ありがとう、マイちゃん!」
「いえいえです。…………あっ、手を繋いでもいいですか、おねーさん?」
「あははっ。うん、もちろんだよ!」
歩き出してすぐに、おずおずと手を差し出してくる、マイちゃん。
その位なら、お安いご用だ。わたしは、差し出されたマイちゃんの手を取る。
(マイちゃんの手、ヒンヤリしてて冷たいなー)
この位の幼い子は、基礎体温が高いはずなんだけどなー…………。
と、そんな事を考えつつも、わたしはマイちゃんの案内の元、この地下室からの脱出を目指すのだった-ー




