7月-ーシン。肝試しの舞台、ボーマン・レヴィウス伯爵の屋敷跡地へ(前編)
シン視点
アイリス達と川遊びを楽しんだ日から1週間後の、7月29日。
7月もあと2日で終わりという今日は、肝試しの日だ。
時刻は、夜の9時過ぎ。俺とアイリスは現在、待ち合わせ場所である冒険者ギルドに向かう為、自宅がある中央区の通りを歩いていた。
「えへへっ! こんな時間に外を出歩く事って無いから、何だかワクワクするね、お父さん!」
等間隔に街灯が並んだ中央区の通りを歩きながら、弾んだ声音で話しかけてくる、アイリス。
その言葉が表す通り、アイリスは俺と繋いだ手を前へ後ろへと大きく振って、無邪気にはしゃいでいる。
そんなアイリスとは対照的に、俺は密かに思い悩んでいた。
(…………うーん。アイリスの門限を、厳しく設定しすぎたかな?)
俺がアイリスに定めた門限は、夜の6時半。
アイリスは素直に門限を守ってくれているので、こんなにも夜遅い時間に外を出歩く事は、少なくとも王都で暮らし初めてからは1度も無い。
なので、初めての夜歩きに冒険心が擽られているのだろう。
そう考えれば、アイリスのこのはしゃぎっぷりも頷ける話だ。
まあ、とはいえ-ー
(いくら王都の治安が良いとはいえ、陽が暮れた後にアイリスを1人歩きさせるのは、さすがに不安だしなぁ…………)
しかも、アイリスは父親の贔屓目抜きにしてもかわいい娘だから、尚更だし…………。
と、そんな事を考えている内に、俺とアイリスは中央区を抜けて、西区に差し掛かった。
ここまで来れば、待ち合わせ先である冒険者ギルドまでは、あと10分足らずだ。
(…………仕方ない。アイリスの門限については、また後日に考えるとするか)
そう考え、これまでと同じように、西区の通りを歩く俺だったが-ー1分程した所で、アイリスが俺と繋いでいた手を振るのを止めてしまった。
不思議に思った俺は、隣のアイリスに尋ねかける。
「? どうかした、アイリス?」
「お、お父さん? 何だか、急に暗くなってきてない?」
と、アイリスは震えた声を上げながら、俺に1歩すり寄って来た。
もしかして-ー
「怖いの、アイリス?」
「…………う、うん。ちょっとだけ…………」
「そっか」
恥ずかしそうに頬を染めながら、小さく頷く、アイリス。
今までは、初めての夜歩きにワクワクしていたけれど、少しだけ夜の暗闇に恐怖感が出てきたようだ。
俺は相槌を打ちつつも、周囲をキョロキョロと見回す。
「暗くなってきたのは、街灯の数が少なくなったからだろうね」
俺達が先程まで居た中央区は、貴族や大商人が住んでいる事もあり、他の区に比べて街灯の数が多いのだ。
という俺の説明を受けた事で、急に暗くなった理由が分かったからだろう。アイリスの表情に、明るさが戻る。
だけど-ー
「…………えーと、アイリス。一応言っておくけど、ボーマン・レヴィウス伯爵の屋敷跡地は平民街にあるから、ここよりも更に街灯は少ないよ」
「えっ…………」
俺が補足説明をした事で、アイリスは再び表情を曇らせてしまった。
もちろん、俺はイジワルでこんな事を言った訳では無い。
アイリスに誤解されない内にと、俺は慌てて説明を続ける。
「だ、だからさ、アイリス! もしアイリスの気が進まないなら、無理に肝試しに行く必要は無いんだよ!」
友人に、暗いのが怖いと言うのは恥ずかしいかもしれないけれど、背に腹は変えられない。
なので、俺はそう提案したのだが-ー
「……………………ううん。お父さんと一緒だから、大丈夫!」
しばらく悩んだ末に、アイリスはフルフルと首を振ると、俺の手を握る力を少しだけ強めた。
アイリスの表情を見る限り、暗闇に対する恐怖心が取り除かれた訳では無いようだ。
(とはいえ、友人に怖がっていると思われるのが恥ずかしいとか、そんなつまらない理由からの否定でも無さそうだな)
アイリスの表情からは恐怖心の他に、何かしらの決心のようなものが読み取れる。
まあ、当の本人が行くと言っている上に、愛娘からあんなにもいじらしい事を言われてしまったのだ。
自他共に認める親バカの俺は、これ以上は何も言えない。
なので-ー
-ーギュッ!
少しでも愛娘の恐怖心が和らげばと思い、俺はアイリスの手を力強く握り返す。
すると-ー
「! えへへ~!」
効果は覿面。アイリスの表情に、まるで可憐な花を思わせる微笑みが浮かんだ。
(俺が少し手を握る力を強めただけで、そんなにも安心しきった笑みを見せてくれるなんて。父親冥利に尽きるなぁ)
そんな事を、しみじみと考える、俺。
と、繋いだ手を振るのを再開させたアイリスが、俺に雑談を持ちかけてきた。
「ねぇ、お父さん。お父さんは、幽霊って信じてる?」
アイリスのその質問に、俺はしばし答えに悩む。
ゾンビやグールは、魔物として実際に存在している。
が、体を持たず、魂だけの存在だという幽霊について、俺は懐疑的だ。
(俺には霊能力なんて特殊な能力は無いし、霊体験をした事も1度も無いからなぁ)
なので-ー
「うーん…………正直に言えば、あまり信じてないかな」
今から肝試しを楽しもうとしているのに、水を差すようで悪いなーとは思う。
だけど、アイリスには以前、2度とウソを吐かないと約束をしているのだ。
なので、バカ正直に本音を告げる俺だったが-ー俺の予想に反して、アイリスはホッとしたような微笑みを浮かべる。
「そうなんだ! えへへっ! 実はわたしも、あんまり信じていないんだ! …………怖いのは、苦手だしね」
「あれ? そうなんだ?」
恥ずかしそうに頬を染めながら、最後にポツリと付け加える、アイリス。
その言葉に、俺は少しだけ虚を衝かれてしまう。
(…………意外だな。肝試しを発案したのはアイリスだから、てっきり怖いのは平気だと思っていたのに…………)
そんな疑問を抱いた俺は、アイリスに尋ねかけるが-ー
「…………あ、あはは。ちょっとね…………」
と、アイリスはその真意を教えてはくれず、意味深に微笑むのみだ。
なので、何となくの推測になるが-ーどうやら、暗い所が怖いのに肝試しに行こうとしてるのと同じで、アイリスには何やら思う所があるように見える。
(そして、その理由を教えてくれないという事は、俺には知られたくないという事だろうな)
そう考えると、何だか寂しく感じてしまうものの-ーもちろん、無理に問い質すつもりは無い。
(アイリスも、年頃の女の子だもんな。男親の俺に話したくない事の1つや2つ、あるだろうしな)
それならば、まあ仕方がない。
けれど、アイリスの幽霊に対する恐怖心を、少しでも紛らわしてあげたい。
そう考えた俺は、何かないかと『収納』の中に意識を向ける。
(えーと…………たしか、あれが『収納』の中にあったような…………)
-ーああ。あった、あった。
「『収納』・アウト」
俺が『収納』から取り出したのは、5センチ位の小さなビンに入った、塩。
5月のキャンプの時に小分けにして持って行ったもので、『収納』の中に入れっぱなしになっていたのだ。
(塩は、古今東西で除霊アイテムとして有名だからな。持っていれば、アイリスも少しは安心だろう)
そんな事を考えながらも、アイリスにビンに入った塩を差し出す、俺。
それを見て、最初は不思議そうに小首を傾げていたアイリスだったが-ーすぐに、俺の意図を察したようだ。
パアァァッ、と。アイリスの表情が華やいだ。
「ありがとう、お父さん!」
「どういたしまして」
感謝の言葉と共に、俺からビンに入った塩を受け取る、アイリス。
(よかった。おかげで、アイリスの恐怖心も少しは和らいだみたいだな)
ホッ、と。安堵の息を吐く俺だったが-ー
-ーコテン
と、アイリスが再び小首を傾げてしまった為、俺は不安になってしまう。
「? どうかした、アイリス?」
「ううん。何でも無いよ、お父さん。ただ、どうして幽霊に塩が効くのか、気になっただけ」
「はははっ。なるほど、そういう事か」
どうやら、アイリスの好奇心の旺盛さが顔を覗かせたようだ。
俺は苦笑しつつも、アイリスの疑問に答えを返す。
「理由は色々あるみたいだけど、有力な説の1つとして、塩には腐敗を遅らせる性質があるからみたいだね」
「? 腐敗を遅らせるから?」
「そう。腐敗を遅らせるという事が転じて、死を遠ざける。それが更に転じて、幽霊は塩を嫌がるというイメージが出来たみたいだよ」
「へー、そうなんだね!」
俺の説明を聞いて、納得したように頷く、アイリス。
「ちなみに俺の故郷『ジパング』の神話には、イザナギっていう神様が海で身を清めた話があってね。そこから、塩には身を清める効果があるってなったみたいだね」
そんなアイリスに更なる知識を披露しつつ、俺は考える。
(他にも、何か良い物は無いだろうか?)
アイリスの反応を見る限り、塩だけでも充分なように思えるけれど、可能ならあともう1つ位、何か気を紛らわす事が出来る物を与えてあげたい。
とはいえ、他に何か『収納』の中にあったかだけど-ーああ。そういえば、あれがあったな。
「『収納』・アウト」
俺が『収納』の中から取り出したのは、直径1センチ位の水晶の玉が10個ほど連なった、ブレスレットだ。
水晶は厄よけの効果があるパワーストーンで、今から7年前の実家を出る時にお守りにと貰った、1つ下の妹の手作りの品だ。
(それにしても…………ははっ。随分と、懐かしいな)
妹はどうしてか、いつも俺にばかり当たりが厳しかったからな。
俺はてっきり、妹から嫌われているのだとばかり思っていた。
(そんな妹が、手作りをしてまで贈ってくれたのだ。嬉しさのあまり、当時は四六時中、肌身離さず身につけていたっけ…………)
だからこそ、このブレスレットをアイリスに贈るのは、ちょっとだけ気が引ける。
けれど-ー俺も少しは腕に筋肉が付いたのか、2年ぐらい前から身につけられなくなってしまったからな。
(『収納』に死蔵する位なら、かわいい愛娘にお守りとして贈った方が、よっぽど良いよな!)
厄よけの効果があるのなら、除霊アイテムとしても使えるだろうし、と。
そう考えた俺は、アイリスに水晶のブレスレットを差し出す。
「はい、アイリス。いきなりだけど、これ、プレゼント!」
「…………ふぇっ?」
俺が何の脈絡も無く、いきなりプレゼントを贈ったからだろう。アイリスの口から、間の抜けた声が漏れる。
だけど、すぐに理解が追い付いたようだ。
「えへへ~! ありがとう、お父さん!」
アイリス幸せそうに微笑みながら感謝の言葉を口にすると、早速とばかりに左腕に付けたブレスレットを、愛おしそうに眺め始めた。
(ははっ。そんなに喜んでくれるなんて、プレゼントしがいがあるなぁ)
俺用に作られた物だからか、女の子のアイリスには少し大きいものの、そのブカブカ具合もまた、かわいらしくて悪くない。
俺はアイリスに釣られて微笑むと、今更ながらに水晶の厄よけの効果を説明しながら、待ち合わせ先の冒険者ギルドを目指して歩く。
気が付けば、暗闇に対する恐怖心ですくんでいたはずのアイリスの足取りは、家を出たばかりの頃よりも軽くなっていた-ー




