6月-ーアイリス。父の日の贈り物を作ろう(後編)
アイリス視点
クッキー生地を冷凍庫に入れてから、15分。
そろそろ頃合いだと思ったのだろ。メイヤさんは冷凍庫の扉を開くと、中を覗き生地の状態を確認する。
「…………うん、オッケーね。それじゃあ、アイリスちゃん。後は、アイリスちゃんの好きな型抜きでくり貫いて、オーブンで焼くだけよ」
そう言って、冷凍庫から取り出した生地をテーブルに置く、メイヤさん。
いよいよ、これが最後の工程だ。わたしは、冷凍庫で生地を寝かせている間に用意しておいた型抜きに視線を向ける。
現在、『ジュエリーボックス』にある型抜きは5種類。シンプルな丸や四角、花や星の形をした物。
そして-ー
(あともう1つ、ハート型の物があるけど-ーこ、これはやめておこうかな、うん!)
どうしてか分からないけれど、お父さんにハート型のクッキーを贈る事を想像すると、無性に恥ずかしく感じてしまった。
わたしは、ハート型の型抜きだけをソッと脇に退け、残る4種類を手元に引き寄せる。
(うーん…………この型抜きの大きさが、大体5×5センチ。で、生地の大きさが大体20×25センチだから、4種類全部使えば、ちょうど5つずつだね!)
という事で、1つの型抜きで5つずつクッキーを作っていく事にしたわたしは、まずは丸型の型抜きを使って生地をくり貫いていく。
そうして、順番に四角・花・星と、5つずつくり貫いていったのだけど-ー
(あ、あれ? おかしいな。あと1つ分のスペースが余っちゃった)
もしかして、どれか4つしか使っていない型抜きがあったのかな?
そう思ったわたしだったけど、くり貫いたクッキーはちゃんと4種類5つずつあった。
不思議に思い、首を傾げるわたしだったけど-ー間も無く、その理由に思い当たった。
(…………そっか。星型の型抜きを使った時に、引っ込んでる部分に、次の星の飛び出た部分が来るように使っていったから、その分スペースが余っちゃったのか)
どうやら、星の独特の形が、スペースが余った原因だったようだ。
まあ、それはともかくとして-ーこの1コ分の余ったスペース、どうしようかな?
(せっかく5つずつで揃えているのに、1種類だけ6コになるのは、何だかバランスが悪いよね…………)
だからといって、このまま使わずに捨ててしまうのは、もったいないし…………。
と、この余ったスペースをどうするかについて、腕を組んで考える、わたし。
そんなわたしの視界に、ふと先程脇に退けたハートの型抜きが飛び込んできた。
(そ、そっか…………。そういえば、ハートの型抜きがあったんだっけ…………)
ゴクリ、と。わたしの喉が無意識に音を立てる。
(…………な、なら、この余ったスペースには、ハートの型抜きを使おうかな! うん!)
それなら、他の種類のクッキーは5つずつで揃うし! 使わずに捨てるなんていう、もったいない事態も避けられるし!
と、心の中で1人言い訳をしつつ、わたしはハートの型抜きへと手を伸ばす。
そして-ー
-ーサクッ
と、余っていたスペースを、ハートの型抜きでくり貫いた。
「…………ふぅー」
どうしてか分からないけれど、どうやらわたしは、とても緊張していたようだ。
ハートの型抜きでくり貫いた瞬間、安堵感からか、わたしの口から溜め息が漏れた。
と、そんなわたしを、メイヤさんがニヤニヤと意地悪い笑顔で見詰めていた。
「な、何ですか、メイヤさん?」
「ううん、なーんでも! ただ、なるほどなーって思っただけ!」
「な、何が、なるほどなんです?」
「うーん…………でもこれは、アイリスちゃんが自分で気付いた方が良いでしょうから。な・い・しょ!」
何やら意味深な事を言いながら、唇の前に人差し指を持って来る、メイヤさん。
意味が分からず、わたしは戸惑ってしまうも-ーどうやら、メイヤさんは答えを教えるつもりが無いようで、仕切り直すように両手の掌を合わせる。
「そんな事より、アイリスちゃん! クッキーの型抜きは終わったし、早くオーブンで焼いていきましょう!」
シンさんに、美味しいクッキーをプレゼントとするんでしょう?
と、最後にそう付け加えるメイヤさんに、わたしは内心で唇を尖らせる。
(…………むぅ。何だか、誤魔化された気がする…………)
だけど、メイヤさんの言う通りで、わたしの今回の目的は、お父さんに美味しいクッキーをプレゼントする事だ。
(それに、早くクッキーを作らないと、仕事を終えたお父さんが帰って来ちゃう)
別に、お父さんよりも早く帰る必要は無い。
だけど、わたしが帰るのがあまりにも遅いと、お父さんから怪しまれてしまうだろう。
…………仕方がない。わたしは気持ちを切り替えると、型抜きでくり貫いたクッキー生地を、クッキングシートを敷いていたオーブンの天板へと並べていく。
「うん、オッケー! それじゃあ、アイリスちゃん! あとは、オーブンで15分焼くだけよ!」
「はーい!」
メイヤさんに返事をしつつ、わたしはオーブンの扉を開く。
事前にオーブンを温めていたからか、扉を開くと同時に熱気が漏れ出てきた。
わたしはその熱気に耐えながら、クッキー生地を載せた天板をオーブンの中に入れると、脇にあるタイマーを15分にセット。
そして-ー
-ーポチッ
と、スタートボタンを押した。
瞬間、オーブンの中に仄かな明かりが点灯。ブゥーン、と。微かな駆動音を立てながら、ゆっくりとクッキーが焼き上がっていく。
その様子を、わたしはハラハラドキドキしながら見守る。
「-ーふふふっ。アイリスちゃん、そんなに扉の前にかじりつかなくても、時々様子を見る位で大丈夫よ」
途中、メイヤさんがクスクスと微笑みながら、何かを言っていたような気がするけれど…………わたしはすっかり夢中になっており、メイヤさんの言葉は右から左に流れていく。
そして、どうやら流れていったのは、メイヤさんの言葉だけでは無いようで-ー
-ーピーッ、ピーッ、ピーッ!
と、甲高い音が鳴り響き、オーブンの中の明かりと駆動音が消える。
脇のタイマーを確認すると、当然ながら数字は0。どうやら、夢中になっている内に、あっという間に15分の時間が流れていたようだ。
わたしは逸る気持ちを抑えつつも、両手にミトンを装着。意を決してオーブンの扉を開き、中から天板を取り出すと、メイヤさんと一緒にクッキーの焼き具合を確認する。
「…………うん! オッケー! 上手に焼けてるわ、アイリスちゃん!」
「~~ッ! やったー!」
プロのパティシエであるメイヤさんからお墨付きを貰い、嬉しさのあまり両手を突き上げてしまう、わたし。
そんなわたしに、メイヤさんは掌に乗る位の小さなビンを差し出してきた。
「それじゃあ、アイリスちゃん。焼き上がったクッキーを、ビンに詰めていきましょうか」
「はーい」
たしかにメイヤさんの言う通りで、先に作ったブックカバーとは違い、クッキーはそのまま素で渡す訳にはいかない。
わたしはビンを受け取ると、その中にクッキーを入れる為、フタを開く。
(さて、最初に入れるのは-ーや、やっぱり、ハートのクッキーかな! うん!)
ビンの底に入れれば、他の型のクッキーで隠す事が出来るし…………。
と、そう考えたわたしは、1番最初にハートのクッキーを入れていく。
(割れてしまったら縁起が悪いから、慎重に-ーよしっ!)
あとは、残る4種類のクッキーを入れるだけだ。
わたしは、残るクッキーを1つ1つ丁寧に入れると、最後にビンのフタをキュッと閉める。
と、そのタイミングを見計らい、メイヤさんがカラフルな紙とリボンを差し出してきた。
「アイリスちゃん。ついでだから、ラッピングもする?」
「そうですね。ありがとうございます、メイヤさん!」
プレゼント用だからかな? メイヤさんが差し出した紙とリボンは、赤と白のチェック柄だった。
わたしは、お礼と共に紙とリボンを受け取ると、まずは紙を使ってビンを包んでいく。
(あとは、紙が外れないようにリボンで留めて-ーよしっ! これで完成!)
メイヤさんに作り方を教えて貰ったけれど-ーこのクッキーは紛れもなく、わたしが初めて自分の力で作り上げたお菓子であり、料理だ。
感激のあまり、クッキーが詰まったビンに見入ってしまう、わたし。
そんなわたしに、メイヤさんが称賛の言葉をかけてきた。
「おめでとう、アイリスちゃん! 無事に出来上がったわね!」
「ありがとうございます! メイヤさんのおかげです!」
と、メイヤさんにお礼の言葉を返した所で、はたと気付いた。
「そういえば、お代がまだでしたね。いくらですか、メイヤさん?」
いけない、いけない。達成感に浸るあまり、お代の事をすっかり忘れてしまっていた。
慌てて、『収納』からお財布を取り出す、わたし。
が、メイヤさんはフルフルと首を振る。
「ううん。お代はいいわ、アイリスちゃん」
「えっ!? で、でも、作り方を教えて貰った上に、こうしてキッチンまで借していただいたのですから、さすがにタダという訳には-ー」
「ううん、本当にいいの。これは、アイリスちゃんとシンさんへの、お礼みたいなものだから」
お代はタダでいいと言うメイヤさんに、食い下がる、わたし。
が、続くメイヤさんの言葉に、わたしは目を丸くしてしまう。
「? わたしとお父さんへの、お礼?」
「そう。…………アイリスちゃんは、この店の名前って知ってる?」
と、このタイミングで何故か話題を変え、店名を尋ねてくる、メイヤさん。
わたしは戸惑いながらも、メイヤさんに答えを返す。
「? 『ジュエリーボックス』ですよね?」
「ええ-ーまるで宝石箱のように、色とりどりのスイーツが並ぶ店を作る。そんな幼い頃からの夢を叶える為、私は王都へと出てきたのだけど-ー残念ながら、上手くいかなくてね」
味には自信があったのだけど、名物になるようなスイーツが無かったのが、いけなかったのかしら?
と、あっけらかんに続ける、メイヤさん。が、その裏に潜む苦労を考えると、わたしは気軽に声をかける事が出来なかった。
思わず、押し黙ってしまうわたしだったけど-ーメイヤさんは次の瞬間、含む所の無い笑みを浮かべる。
「そんな時に、アイリスちゃんがシンさんを連れて、『ジュエリーボックス』に来てくれた。おかげで、『Sランク冒険者シン・シルヴァー行きつけの店』と大繁盛。まるで宝石箱のように、色とりどりのスイーツが並ぶ店を作る-ー私の幼い頃の夢が叶うまで、あと1歩の所まできたわ」
だから、これはそのお礼なの。と、最後にそう締めくくる、メイヤさん。
柔らかい微笑みを湛えるメイヤさんの瞳に浮かぶのは、自分の店を救ってくれたお父さんへの、たくさんの感謝。
そして-ーほんのちょこっとの好意。
-ーチクリ
(? どうしてだろう? 意図した訳では無いとはいえ、お父さんが誰かの役に立てて誇らしいはずなのに、今一瞬だけ胸がチクリと痛んだ…………?)
不思議に思い、胸を押さえて首を傾げるわたしだったけど…………ふと見上げた時計が指し示していた時間は、11時半。
お父さんが帰ると言っていた時間は、12時。どうやら、その理由を考えている時間も、メイヤさんと押し問答している時間も無いようだ。
仕方がないので、ここは素直に厚意に甘える事にしたわたしは、最後にもう1度メイヤさんにお礼を伝えてから、色とりどりのお菓子が並ぶ洋菓子店『ジュエリーボックス』を後にしたのだった-ー




