5月-ーシン。満天の星空と、揺らめく焚き火の炎に誘われて-ー
シン視点
偶然見つけた温泉で、アイリスが入浴を終えた、その後-ー
まっすぐにキャンプ地に戻ってきた俺達は、早速竈を組んで焚き火を起こし、集めてきた食材を使って夕食の調理を始めた。
まず真っ先に取りかかったのは、アイリスと一緒に釣ったニジマスの下拵えだ。内臓を取って串代わりの枝に差し、家から持って来ていた塩をふって、シンプルに塩焼きにした。
(本当なら、もっと凝った料理を作ってあげたいんだけど…………家からは、必要最低限の調味料や食材しか持って来ていないからな。まあ、仕方ないか)
その分、アイリスに美味しく食べてもらう為に、焼き方を工夫したのだが…………まあ、それは置いておくとして。
残りのメニューは、予定通り『うどの白ゴマ白味噌和え』と『かたくりのお浸し』。
ここに、家から持って来ていたパンを添えて、今日の夕食のメニューは全て完成だ。
早速、アイリスと2人「いただきます」をしてから、お互いに夕食に手をつけていく。
「ところで、お父さん? わらびが見当たらないけど、どうしたの?」
「ん? ああ、わらびね。わらびなら、明日の朝食に回すつもりだよ」
「? どうして?」
「わらびは、山菜の中でもトップクラスにアクが強い種類でね。水だけじゃ無くて、木灰も使ってアク抜きするんだけど、それでも数時間かかるんだよ。だから、この後アク抜きの準備をしよう。そしたら、明日の朝には美味しく食べれると思うからさ」
「そうなんだ! 楽しみにしてるね!」
そんな会話を始め、今日あった出来事などを話しながら、俺とアイリスはゆっくりと夕食を摂っていく。
(アイリス、あまり山菜は好きじゃ無いって言っていたけど、大丈夫かな?)
それだけが気掛かりだったけれど-ーどうやら、アク抜きや味付けが上手くいったようだ。
『うどの白ゴマ白味噌和え』も『かたくりのお浸し』も、アイリスは「美味しい!」と絶賛してくれたので、俺は内心でホッと安堵の息を吐いた。
そして-ー
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
夕陽が完全に沈み、空に星が瞬き始めたタイミングで、アイリスと俺は同時に夕食を食べ終わり、「ごちそうさま」と手を合わせる。
どうやら、俺の夕食の方がアイリスより多かったにも関わらず、食べ終わるタイミングが重なってしまったようだ。
その偶然に、俺とアイリスは顔を見合せて、クスクスと笑い合うと-ー
「-ーよし! それじゃあ、アイリス。後片付けを始めるようか」
「はーい!」
アイリスと協力して、夕食の後片付けを始めた。
とはいえ、ここは家では無く山の中なので、当然ながら流し台やゴミ箱は存在しない。
なので、とりあえず今は『収納』に仕舞うだけにして、洗ったり捨てたりは明日家に帰ってからやる事にする。
「…………はい、お父さん」
「ありがとう、アイリス」
アイリスが使った皿やゴミをまとめ、俺がそれらを『収納』に仕舞う。
夕食の調理直後、同じ役割分担で包丁やまな板などの調理器具を片付けた事もあり、皿やゴミの後片付けは手際よく終わった。
さて、次は-ー
「収納・アウト」
俺は続いて、『収納』の中から、角皿と呼ばれる長方形の皿を取り出す。
「? お父さん、それは?」
「これ? 食事中に話したわらびのアク抜きを、今からこの皿を使ってやろうと思ってね」
「あっ! それ、わたしがやってみたい! 教えて、お父さん!」
よほど興味があるのか、アイリスは「はいはい!」と大きく手を伸ばして、やってみたいとアピールをしている。
まあ、アイリスがこうして料理を教えて欲しいとお願いしてくるのは毎日の事だ。
なので、俺もまた、いつものように頷いて了承の返事を返す。
「ああ、いいよ。それじゃあ、アイリス。まずは、竈に木灰を取りに行こうか」
「うん!」
「と、その前に-ー『探知』」
テントから3メートル程の場所で、焚き火を燃やしているからな。
危険な獣や魔物は近付いて来ないと思うのだが、俺は念の為『探知』の魔法を使い、テントの外の様子を確認する。
「…………うん。大丈夫だね。それじゃあ、アイリス。お先にどうぞ」
「…………え、えへへ…………。ありがとう、お父さん…………」
周辺に獣や魔物が居ない事を確認した俺は、いつものようにアイリスから先に出てもらおうと、テントの出入り口部分を開ける。
だが、やはりアイリスはまだ慣れないようで、照れくさそうに頬を染めて、小さな声でお礼を伝えると、まるで逃げるようにテントから出て行ってしまった。
(はははっ。ホント、かわいいなぁ、アイリスは)
いつものように親バカな事を考えながら、俺もアイリスに続いてテントを出る。
ただ、その前に、と-ー
「『創造・大地』」
前を行くアイリスに聞こえないよう、俺は小さな声で『創造・大地』の魔法を唱える。
瞬間、小さくパキッと何かが弾ける音が聞こえ、続いて足元の地面が微かに振動する。
(…………うん。これで、よし!)
今の『創造・大地』で、テントを組み立てた時から感じていた懸念を、ようやく解消出来た。
俺はスッキリとした気持ちを感じつつも、今やった事をアイリスに悟られないようにと、急いでテントを出る。
と、アイリスは焚き火の前にイス代わりに置いていた朽ち木に腰掛けて、夜空を見上げている所だった。
俺はアイリスの隣に腰掛けながら、尋ねかける。
「-ーよいしょっと。アイリス、どうかした?」
「あっ、お父さん。ううん、何でもないよ。ただ、星がキレイだなーと思って…………」
しみじみと、感じ入るようなアイリスの言葉に促され、俺もまた夜空を見上げる。
と、確かに夜空には、星に興味が無い俺でさえ思わず息を飲んでしまう程の、満天の星空が広がっていた。
「ああ…………。本当、キレイな星空だね…………。王都と違って街灯の光が無い分、5等星や6等星までよく見える」
「? お父さん、5等星とか6等星って何?」
聞き慣れない言葉なのか、首を傾げながら問いかけてくる、アイリス。
そんなアイリスに、俺は答えを返す。
「等星は…………そうだね。分かりやすく言うなら、星の明るさの度合いだよ。1番明るいのが1等星。で、肉眼で見えるギリギリの明るさが5等星や6等星なんだけど…………王都だと、街灯の光が邪魔をして、4等星までしか見えないんだ」
「へぇー、そうなんだ! ねえ、お父さん! 折角だから、もっと星について教えてよ!」
男である俺とは違い、女の子であるアイリスは星に興味があるのだろう。
アイリスは、夜空で輝く満天の星々に負けない程のキラキラとした眼差しで、もっと教えて欲しいとお願いしてきた。
(やれやれ。この調子だと、わらびのアク抜きの事は、すっかり忘れてしまってるみたいだな)
とはいえ、それもまた御愛嬌だ。
俺は苦笑しつつも、アイリスのお願い通り、上空に瞬く春の星々についての説明を始めた。
-ー
-ー-ー
-ー-ー-ー-ー
星に興味は無いけれど、数年前に読んだ星座辞典の内容は、ある程度なら覚えている。
まず1番最初に説明したのは、春に見られる1等星の中で最も明るくオレンジ色に輝く星『アークトゥルス』。その南で純白に輝いているのが、同じく1等星の『スピカ』。そして、その北東にある2等星の『デネボラ』。それら3つの星を結んで出来る三角形が、『春の大三角』だ。
北の空には2等星が7つ。それらを結んで出来る、まるで?マークを裏返したかのような形の『北斗七星』。
そして、『春の大三角』の『アークトゥルス』と『スピカ』。北斗七星の1番下にある星『ベネトナシュ』。これら3つの星を結んで出来るのが『春の大曲線』だ。
次に説明したのは、春の星座について。
12星座にもなっている、『しし座』、『かに座』、『乙女座』。
他にも、『うしかい座』や『うみへび座』。『おおぐま座』や『こぐま』座。珍しいもので、『かみのけ座』や『コップ座』まで。
それらの星座を構成する星々。更には、由来となった神話まで交えながら説明していく。
(さすがに、神話まで説明するのは、やり過ぎだったかな?)
途中、そんな不安を抱いたものの、アイリスは終始ニコニコと興味深そうに俺の話に聞き入っていた。
そうなると、俺もついつい興が乗ってしまい、話す言葉にも熱がこもっていく。
そうして、あっという間に時間は流れ-ー現在の時間は、夜の8時。
「…………………………………………」
春の星や星座に関する説明を一通り終えてから、すでに30分以上もの時間が経っている。
それでも、アイリスは未だに飽きる様子を見せる事なく、ただただ無言で上空に輝く星々を見上げ続けていた。
その様子はまさに、『目を奪われる』という表現がピッタリと当てはまる状況だろう。
(まあ、アイリスの気持ちも、分からないじゃないけどね)
王都とは違い街灯1つ無い漆黒の闇の中、上空では満天の星々が輝き、目の前では焚き火の炎の灯りがユラユラと揺れている。
それは、男の俺でさえ感傷的な気分になって見惚れてしまう、とても幻想的な光景で-ーだからだろうか?
気が付けば俺は、この幻想的な光景に誘われるかのように、言葉を紡ぎ始めていた。
「ねえ、アイリス。今日のキャンプは、楽しかったかい?」
「うん! とっても楽しかったよ、お父さん!」
「そっか。それなら、よかったよ」
アイリスは見上げていた視線を俺へと移すと、満面の笑みを浮かべながら頷いてくれた。
『とっても』という言葉を付ける位なんだ。アイリスは今日のキャンプを、本当に心の底から楽しんでくれたのだろう。
そのアイリスの笑顔に背中を押された気持ちになりつつ、俺はいよいよ話の本題を-ー1昨日からずっと、アイリスにどう話そうかと悩んでいた話題を切り出していく。
「ならさ、アイリス」
「? なに、お父さん?」
「なら-ーこれから、日曜日と祝日は、勉強も修行もしない休みの日にしない?」
「…………えっ!? え、えっと…………」
俺が突然、1昨日の話題を蒸し返したからだろう。アイリスの表情に、困惑の色が浮かぶ。
が、そんなアイリスに構わず、俺は話を続けていく。
「そして、さ。今日のキャンプに負けない楽しい思い出を、これからも作っていこう? ねっ!」
「-ーっ!」
俺のその言葉を聞いた瞬間、先程までの困惑した表情から一転、驚愕に目を開く、アイリス。
そして-ー
「…………え、えへへ…………」
よほど俺のセリフが嬉しかったのか、アイリスは自分の頬に両手を添えると、まるで嬉しさが堪えられないといった様子で可憐な笑みを溢す。
我が娘ながら、とても可愛らしい仕草だ。そんな、相変わらず親バカな事を考えつつ、俺は内心でホッと胸を撫で下ろす。
(…………よかった。この調子ならアイリス、俺のお願いを了承してくれそうだな)
そう思っていたのだけれど…………俺の予想に反して、アイリスはすぐには頷いてくれず。それどころか、顔を俯かせて、悩む素振りを見せている。
そうして悩む事、約1分。答えが出たのか、アイリスが顔を上げる。
「…………お父さん。わたしもね、今日のキャンプ中に、たまには休みの日を作るのも大事だなーって、考えていたんだ」
「な、なら-ー」
「でも、ね。お父さんだって、もし日曜日と祝日に売れ残り依頼があれば、仕事に行くつもりなんじゃないかな?」
「-ーうっ!」
アイリスも休みの日を作ろうと考えてくれていた事が嬉しくて、思わず前のめりになってしまう、俺。
が、続くアイリスのセリフに、俺は言葉に詰まってしまう。
というのも、アイリスの推測通り-ーつまり、図星を突かれてしまったからだ。
(…………アイリス、含む所の無い表情で笑っているから、俺を責めているというよりは、ただからかっているだけだと思うけど…………)
つまり、アイリスはこう言いたいのだ。『お父さんのお願いを聞いて休みの日を作る条件として、お父さんもちゃんと休みの日を作ること!』、と。
(…………うぅ。まさかアイリスに、こんな小悪魔な1面があったなんて…………)
アイリスの新たな1面を知って、困惑する俺だったが…………とはいえ、アイリスの言う事は尤もだ。
(俺の故郷には、『親の背を見て子は育つ』という諺がある。アイリスに休みを作って欲しいのなら、俺も休みの日を作るのが道理だよな)
それに、今までは日曜日や祝日に売れ残り依頼が無かったから良かったが、今後もそうとは限らない。
そうなれば、俺は仕事で、アイリスは1人でお留守番。以前よりマシになったとはいえ、『血染めの髑髏』に大切な人達を殺された悲しみは、まだ癒えていないんだ。そんなアイリスを1人にして、寂しい思いをさせたくないしな。
(そういう意味じゃ、ゴールデンウィークの初日にキャンプに行く事になったのは、ちょうど良かったのかもしれないな。急な話だったから準備が慌ただしくなってしまったけど、おかげで今日の内に、アイリスと話し合う事が出来た)
と、それっぽい理由をいくつか考えてみたけれど…………結局の所、親バカの俺が、かわいい愛娘からのお願いを断れる訳ないのだが、ね。
「…………分かったよ、アイリス。俺も日曜日と祝日は、仕事を休むよ」
「本当!?」
「ああ、本当だ。ただ、1つだけ条件…………というか、例外かな? 朝ギルドに行って、もし緊急性の高い依頼が残っていたら、申し訳ないけど仕事に行かせてほしい」
「-ーうっ! …………う、うーん…………」
俺が日曜日や祝日に休むと聞いて、嬉しそうに口元を綻ばせる、アイリス。
が、続く俺のセリフに、アイリスは言葉に詰まってしまう。
…………完全に、先程とは真逆の構図であった。
(ぬか喜びさせたみたいで、申し訳ないとは思う。もちろん、先程考えたアイリスに寂しい思いをさせたくないという思いに嘘はない。だけど、困っている人を放っておけないというのも本音だから…………)
そんな俺の思いが通じたのか、アイリスはしばらく悩んだ末に、しぶしぶといった様子ながらも頷いてくれた。
「…………うん、分かったよ…………。で、でも! 本当に緊急性の高い依頼の時だけだからね!」
「ああ、約束するよ。…………ありがとう、アイリス。それと、ごめんね」
-ーナデナデ
本当は寂しい思いをしたくないだろうに、俺を困らせないようにか、アイリスはワガママ1つ言わず頷いてくれた。
本当に、アイリスは心優しい好い娘だ。俺は感謝と、謝罪。2つの意味を込めて、アイリスの頭を撫でる。
「えへへ~!」
いつものように、幸せそうな笑みを浮かべて、俺のナデナデを受け入れる、アイリス。
そして、1分程して、アイリスの頭を撫でる手を止める、俺。
と、今度はアイリスが、俺に向かって小指を差し出してきた。
「お父さんって、1度した約束は絶対に守るんだよね。だったら、ちゃんと指切りして、約束しよう!」
「ああ。分かったよ、アイリス」
アイリスの言に従い、俺もまた小指を差し出す。
そして、お互いに小指を絡ませ合うと、この先に続くお決まりの文句を、アイリスから順に口にしていく。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲~ます」
「指切った!」
王都とは違い街灯1つ無い漆黒の闇の中、上空では満天の星々が輝き、目の前では焚き火の炎の灯りがユラユラ揺れている-ー
そんな幻想的な光景の中、俺とアイリスは『自分を傷つけるような無茶はしないこと』、『アイリスに嘘はつかないこと』に次ぐ3つ目の約束を交わし合うのだった-ー




