5月-ーアイリス。露天風呂を満喫し-ーたい
アイリス視点
それは、ニジマス釣りを終えて、テントを張っているキャンプ地へ戻ろうとした時の事だった-ー
「…………あれ? ねえ、お父さん。あそこ、煙が上がっていない?」
わたし達がニジマス釣りをしていた場所から…………100メートルほど下流かな? そこに、煙が上がっているのを見つけたわたしは、その場所を指差しながら、お父さんに報告する。
「ん? どれどれ? …………あー、確かに。白い煙が上がってるね」
「でしょ? もしかして、山火事かな?」
ニジマス5匹が入ったバケツを手に立ち上がったお父さんも、煙の存在を認めたようだ。
そんなお父さんに、わたしなりの推理を口にしてみたんだけど…………しばらく考えた末に、お父さんはフルフルと首を振る。
「…………いや。どうも、川面から直接煙が上がっているみたいだし、火事では無いんじゃないかな」
お父さんのその言葉に、わたしは今1度、煙が立ち上っている場所へと視線を移し、目を凝らしてよーく観察してみる。
…………と、確かにお父さんの言う通り、煙は川面から直接立ち上っているみたいだ。
(水の上で火が燃える訳ないし、そうなると山火事では無いか。…………でもそれだと、あの煙はいったい何なんだろう?)
山火事では無かった事にホッと安堵の息を吐きつつも、煙の正体が分からず首を傾げてしまう、わたし。
そんなわたしに、お父さんはこんな推理を口にした。
「もしかしたら、あれは煙じゃ無くて湯気なんじゃないかな?」
「? 湯気?」
「うん。つまり、あの場所に温泉が湧き上がっているんじゃないかと思ってね」
「えっ! 温泉!」
お父さんの口から飛び出した温泉という言葉に、わたしは思わず歓喜の声を上げてしまう。
というのも、こんな山の中でお風呂に入れるとは夢にも思わず。今日は水で濡らしたタオルで体を拭くしかないと、諦めていたからだ。
(なにせ、今日は2メートル四方ぐらいの小さなテントで、お父さんと一緒に寝なくちゃいけないからね)
もちろん、お父さんと一緒に寝るのが嫌な訳では無い。
ちょっとだけ恥ずかしいけれど…………むしろ、お父さんと隣り合って眠れる、良い機会だと思っている。
(家だと、「たまには一緒に寝ようよ」なんて、恥ずかしくて言えないからね…………)
では、何が嫌なのか? 答えは単純。『1日中山の中を歩き回った汗だくの体のまま、お父さんと隣り合って眠る』のが嫌なのだ。
(わたしだって、女の子だもん! 万が一にも、お父さんから汗くさいなんて思われるのは、嫌だもん!)
なので、念入りに体を拭かないとと思っていたけれど…………温泉で汗を流せるのなら、話は速い。
「お父さん! 早く行こう!」
「-ーっとと。はははっ。ああ、行こっか、アイリス」
温泉へのワクワクが収まらないわたしは、お父さんの手を取って、温泉のある下流に向かって小走りで駆けて行く。
お父さんも、最初は少し驚いていたようだけど、すぐに優しい笑顔を浮かべながら、わたしの隣に並んでくれた。
そうして、2人並んで駆ける事、数分。わたしとお父さんは、温泉が湧き出ている場所へと辿り着いた。
「-ーうわっぷっ。凄い湯気の量だねー、アイリス」
「けほっ、けほっ。…………うん。凄いゴボゴボ鳴ってるね、お父さん」
この場所の川幅や水深は、ついさっきニジマスを釣っていた場所と同じ位。
ただ1つ違う点は、わたし達が居る側の川岸一帯から、ゴボゴボと複数の泡が出ている事。
おそらく、そこから温泉が湧き出てきているのだろう。そのあまりの湯気の量に、わたしとお父さんは思わず咳き込んでしまう。
それにしても-ー
「こんなに湯気が沸き上がっているのに、どうして今の今まで気が付かなかったんだろう?」
顔の前で手を振って湯気を払いながら、ポツリと疑問の口にしてしまう、わたし。
その疑問に、わたしと同じく顔の前で手を大きく振っていたお父さんが答えてくれた。
「多分だけど、気温が下がった事で、湯気が目立つようになったんじゃないかな。そろそろ、夕方の4時だし」
「そっか。そう言われてみれば、釣りの途中から急に涼しくなってきてたもんね」
そう返事をしながら、わたしは空を見上げる。
空の色はまだ明るいものの、陽は大分西に傾いてしまっている。
あと30分もすれば、空は茜色に染まり始める頃だろう。
「-ー熱っ! うーん、この辺りはちょっと熱すぎるな…………。この辺は…………うーん、ちょっと温いか…………?」
そんなお父さんの言葉が聞こえた為、わたしは空に向けていた視線を元に戻す。
すると、いつの間にか川岸に近付いていたお父さんが、川のあちこちに手を浸けながら首を傾げている所だった。
不思議に思ったわたしは、お父さんに尋ねてみる。
「? 何してるの、お父さん?」
「ん? ああ、お湯の温度がちょうど良い場所を探してるんだ。温泉が湧き出ている源泉近くは熱すぎるし、だからといって源泉から離れすぎると、川の水が交じりすぎて温くなっちゃうからね」
「そっか。それじゃあ、わたしもお手伝いするね」
お父さんのお手伝いをする為、ズボンの裾を捲り上げて、川岸の方へと近付こうとした、わたし。
そんなわたしを、お父さんは掌を前に突き出す事で、制止させる。
「ああ、お手伝いはいいから、アイリスはそこで待ってて。熱い所は、本当に熱いからね。ヤケドをしたら、大変だよ」
「…………で、でも、それはお父さんも同じなんじゃ…………」
「俺は男だから大丈夫。だけど、アイリスは駄目。アイリスは女の子なんだから、もし痕が残ったら大変だよ」
…………むぅ。
お父さんのその『男だから大丈夫』理論は、正直に言えば納得出来ない。出来ないのだけれど…………同時に、女の子として扱ってもらえる事が嬉しくて。
なので、お父さんの言う通り、わたしはこの場に留まる事にした。
そうして、5分程の時間が経った頃-ー
「…………うん! この辺りなら、ちょうど良い温度なんじゃないかな!」
どうやら、ちょうど良い温度の場所を見つけたようだ。
お父さんは手招きをしながら「アイリスも試してみてよ」と言ってきたので、わたしはお父さんの元へと駆け足で近付いて、川に手を浸けてみる。
「…………うん! わたしも、ちょうど良い温度だと思う!」
「そっか。それじゃあ、この辺に浸かろうか。いつも通り、アイリスからどうぞ」
「うん!」
と、大きく頷いた所で、はたと気付く-ー
(今更だけど…………こんな所で、入浴するの?)
わたしは、キョロキョロと周囲を見渡す。
そこには、川や山といった豊かな大自然が広がっていて、家の浴室にあるような壁や天井は、ここには存在しない。
(それでも、わたしだけだったり、一緒に居るのが同性の人だったら問題ない。だけど…………)
チラッと、わたしは隣に視線を向ける。
そこには当然ながら、お父さんの姿があって。
(…………わたし、ここで入浴するの? お父さんの目の前で、裸になって? ~~ッ!)
考えていた事をつい頭の中で想像してしまい、わたしの顔はボンッと、まるで爆発したかのように急激に熱くなってしまう。
(な、なんて事を想像しているのよ! わたしは!?)
顔の熱を冷ます為と、頭の中に浮かんでしまったイメージを振り払う為、ブンブンと大きく首を振る、わたし。
その様子を見て、わたしが何を考えているのか察したのだろう。とても気まずそうな様子で、お父さんが声をかけてきた。
「…………あー、アイリス。とりあえず、俺は30分位散歩してくるからさ。その間に、温泉に入っちゃって-ー」
「-ー待って! 行かないで、お父さん!」
わたしを気遣ってくれたのだろう。踵を返して、この場から離れて行こうとする、お父さん。
そんなお父さんを、わたしは必死の思いで引き止める。
「? どうしたの、アイリス?」
「この山、熊が出るんでしょ!? そんな所で、わたしを1人にしないでよ!」
「あー、そっか。そうだよね…………。ごめんね、アイリス。俺の気が回っていなかった」
最初は、不思議そうな様子で振り返っていたお父さんだったけど…………わたしの言葉を聞いて納得したのだろう。
申し訳なさそうな表情を浮かべて、わたしに頭を下げる、お父さん。
そのお父さん姿に、ハッと我に返ったわたしは、慌ててフォローの言葉をかける。
「う、ううん! いいの! お父さんがわたしを気遣ってくれたのは、ちゃんと分かってるから!」
「ありがとう、アイリス。…………でも、それならどうする? 俺が目の届く範囲に居る状況で入浴するのは、さすがに抵抗あるよね?」
お礼の後に、改めて問いかけてくる、お父さん。
その言葉に、わたしの頬がポッと、再びほのかな熱を帯びる。
「う、うん…………。さすがに、それはちょっと…………」
「だよね。…………うーん、どうするかな? 俺が一緒だと、アイリスは入浴出来ないし、だからといって離れるとアイリスに危険がおよぶ可能性があるし…………まさに、あっちを立てれば、こっちが立たないって状況だな…………」
腕を組んで、何とか出来ないかと考えてくれる、お父さん。
わたしも、お父さんと一緒になって考えたのだけど…………残念ながら、妙案は思い浮かばなかった。
(……………………仕方ない、かな…………)
目の前の温泉に入れないのは残念だけど…………さすがに、お父さんの目の前で裸になる訳にはいかない。
(残念だけど、今日は濡れタオルで体を拭く事にしよう…………)
と、わたしが諦めようとした、その瞬間だった-ー
「-ーっ! そうだ!」
何か妙案を思い付いたようで、突然大きな声を上げる、お父さん
そうなお父さんを、わたしはキラキラと期待を込めた眼差しで見つめる。
「もしかして、何か思い付いたの、お父さん!?」
「ああ! こうするのはどうかな、アイリス?」
そう言いながら、お父さんは川岸方面に向き直ると-ー
「『創造・大地』」
地属性魔法『創造・大地』の魔法名を唱えた。
(たしか、地面や岩の形を自由自在に変える魔法だったよね…………?)
わたしの記憶は正しかったようで、ゴゴゴゴッと大きな声が立てながら、お父さんの目の前の地面が迫り上がり…………30秒程の時間の後、縦横2メートル程の大きさの壁が出来上がった。
(もしかして、この壁で四方を囲ってくれるのかな?)
そう考えたわたしだったけど…………どうやら、その推理は間違っていたようだ。
お父さんはこれ以上『創造・大地』の魔法を唱えず、壁の向こう側へと行ってしまう。
わたしもその後に続くと、お父さんは壁にもたれ掛かった状態で、声をかけてきた。
「それじゃあ、アイリス。アイリスの入浴中、俺はずっとこうしてるからさ。もし、向こう側に獣の姿を見かけたら、大声を上げて。そしたら、すぐに駆けつけるから」
「……………………へ?」
お父さんのその提案に、わたしは思わず間の抜けた声を上げてしまう。
(た、たしかに、折衷案としては悪くないのかもしれないけど…………でも、どうせなら、この壁で四方を囲ってくれたらいいのに)
一瞬、そんな不満を抱いてしまうわたしだったけど…………ある事を思い出して、わたしはすぐに思い直す。
(たしか『創造・大地』の魔法って、変化させる規模が大きくなる程、消費する魔力量が多くなってしまうんだっけ…………)
そうなると、お父さんの魔力量では、この大きさの壁を4枚も作るのは難しいのかもしれない。
それ以前に、お父さんの言う通りの方法なら、この壁1枚で事足りるのだ。
それなのに、更に増やしてもらおうとするのは、わたしの単なるワガママでしかない。
(…………う、ううん…………。温泉に浸かるか、濡れタオルで体を拭くか、か。どっちにしようかな…………)
温泉に浸かる場合、壁1枚を挟んだ向こう側にお父さんが居るし…………。
だからといって、濡れタオルで体を拭くだけでは、しっかり汗を落とせないと思う。そのせいで、お父さんから万が一、汗くさいと思われるのもイヤだし…………。
と、しばらくの間モンモンと悩んでしまうわたしだったけど…………やがて、覚悟を決める。
(し、仕方ない! お父さんから汗くさいと思われるのは、わたしの女としてのプライドが許さない! だ、だから…………にゅ、入浴…………しよう! うん!)
だ、大丈夫! お父さんなら、わたしの着替えや入浴シーンを覗かないって、信じられる!
それに、万が一わたし側の方に獣が出て、向こう側に居るお父さんが駆けつけたとしても、この温泉のお湯は乳白色だから! ちゃんとお湯に浸かっていれば、お父さんに裸を見られる心配は無い!
……………………よ、よし…………!
「…………そ、それじゃあ、お父さん。わたし、向こう側でにゅ、入浴…………して、くる、ね…………」
「ああ。ゆっくり入っておいで」
……………………むぅ。
わたしは、お父さんのすぐ側で入浴する事に、こんなにも照れているというのに…………お父さんには、照れている様子が全く見られなくて。
その事を、何故だか分からいけど『悔しい』と感じつつ、わたしは壁の向こう側に回ると、1枚ずつ服を脱いでいく。
(…………う、うぅ…………。この壁、高さや横幅は2メートル位あるけど、厚さは20センチ位しかないからなぁ。わたしが服を脱ぐ時の衣擦れの音、お父さんに聞こえちゃてるんだろうな…………)
居たたまれない気持ちを感じつつも、わたしは服を1枚ずつ脱いでいっては、『収納』の中に仕舞っていき-ーそして、服を全部脱いだわたしは、壁を背もたれにして温泉へと浸かる。
この川、水深がわたしのヒザ位だったおかげもあり、座ると肩まで浸かれてちょうど良い。
ただ、気になる点が1つ。それは-ー
(? おかしいな? お父さんと一緒にお湯の温度を計った時は、ちょうど良いと感じたはずなのに、何故だか今は体全体が熱い気がする…………)
何でだろう、と。温泉に浸かりながら、考える事しばし。
わたしは不意に、その理由に思い当たった。
(……………………ああ、そっか…………。体が熱いのは、お湯が熱いせいじゃない。この壁1枚挟んだ向こうにお父さんが居る事を、わたしが意識してるせいだ…………)
お父さんが覗く訳ないと信じているし、万が一お父さんがこちらに来ても、お湯が乳白色だから、わたしの裸が見られる心配は無い。
だから、大丈夫だと思って入浴したのだけど…………それでも、恥ずかしいものは、恥ずかしいのだ。
(~~ッ! だ、ダメだ…………。意識しちゃったせいで、余計に体が熱くなってきた…………!)
このままでは、あっという間にのぼせてしまう。おそらくは、体よりも先に、頭が…………。
そんな危機感を抱いたわたしは、いつもなら30分はお風呂に入る所を、わずか10分たらずで入浴を終えたのだった-ー




