第零話 襲撃される者
ジャスカイド帝国南部上空。
広大な土地を有するこの大陸で、命を賭けた追いかけっこが開催されていた。
「待てぇぇぇぇ!」
「おい、逃がすなよ!」
「追え! 追えぇ!」
どこまでも純白で彩られた無数の羽が集いし翼が、風を切りながら自らの主を前へ前へと押し出し加速する。
傍から見れば気持ちよさそうに滑空しているが、実際その顔に映える表情は少しながら重く、とてもじゃないが機嫌が良いようには窺えない。
その身に纏っている私服も、丁寧に織られた高級品だけに僅かに切り裂かれた痕が目立つ。
病弱なまでに青白い肌が裂け目からちらちらと垣間見られるが、高度が高度なだけに地を這っている人間には雲を通してその姿を覗う事は叶わなかった。
腰までありそうなほど長くそれでいて艶やかな白髪も、本来ならば重力に従い垂れる筈だが、今は移動中の為地面と平行状態で優しく主人に寄り添っている。
天空を滑るように駆け巡る少女の姿は、翼の色も重なって、御伽噺に出てくる天使のようだった。
後れ馳せながらも後ろからは飛行魔法を駆使し追尾してくる者の怒声が高々と響いてくる。
四人の追跡者は、何れも頑丈で分厚い甲冑に身を包ませ、弓をその手中に握り、少量でも少し肌に触れたならば一分も立たずに絶命する呪術をあらかじめ施していた矢を数本ずつ入れた矢筒をその背に背負い、女性に迫っていく。機動力で言えば魔法を駆使している追跡者に少し分があるが、女性は身軽な服装、対して追跡者は相当な重量を抱えて飛んでいるので五分五分といったところだろうか。
追っている者と逃げている者。双方は双方とも互いの存在に恐怖し、一方はその存在を消そうと蛮勇を奮い立たせ、もう一方はその存在から自分という存在を奪われないように体を竦ませながらも皮肉なことに敵という存在が彼女の気力を取り戻させ何とか逃げ延びている。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
断続的に翼を動かし続けるという行為は大地を全力疾走で駆け抜けるという行為と同等あるいはそれ以上の体力を要する。今は滑空だけで済ませてはいるがそれでも疲労の色は隠しきれない。
「逃げるてるだけの奴なんて怖くねぇ!」
追跡者の一人が己の精神を安定させる為に口に出した言葉だった。自らを恐怖から護る為の行いであり自己暗示でもある。
しかしその言葉がこの嫌な雰囲気とおさらば出来る機だと考えた追跡者のリーダー的存在は
「そうだ! 逃げてるって事は俺らより弱いって事だ! ならあんな奴に恐れることはねぇ! 何が帝国創立以来最高の魔法使いだ!? 魔法すら使ってねぇ奴が魔法使いなわけねぇだろ!? きっと異種族がそんな風に伝わっただけじゃねぇか!? ならそんなハッタリで名声を得ている奴程度戦いを本職に置いたベテラン傭兵の俺たちの敵じゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
一々噛み砕いて自分たちがいかに優勢であるかを語り、味方の恐怖を瞬く間に打ち消しそうとした。それに答えるように仲間たちからの雄叫びがあがった時、それは完全なる成功を意味し味方の士気が爆発的に上昇する。
「……やっぱり……もう……」
背後から感じる威圧感が増したことと自分自身の体力が最早限界に達した所で女は決心したように翼を折りたたみその身を空中に投げ出す。実体の無い雲を貫通して下へ下へと重力に従って急速に落下。頬を伝って零れ落ちた多数の汗が、空に舞い太陽に照らされて煌く。
「落ちたぞ!」
そう追跡者の一人が歓喜の表情で声を張り上げる――が
「馬鹿野郎! あいつが向かってるのは――」
それを言い終わる前にもう他の全員は敵がどこに向かっているのかを完全に理解している。ならず者の集団だからこそ少し抜けた所があるが、これでも一応プロフェッショナルの傭兵。近隣一帯の土地勘は誰もが持っているものだ。それが例え厚い雲が下を覆い尽くしていたとしても大体の場所は分かるのだ。だから彼女の落ちた先は――
「傾国の森に入らせる前に殺せぇぇぇ!」
「おぉぉぉぉぉぉ!」
傾国の森。それは悪夢のような存在だった。
元々は精霊の森という正式で由緒正しい名前があったのだが今その名であの森を呼ぶものはそうはいないだろう。
追跡者たちが所属している国ジャスカイド帝国と、この世界で唯一戦争禁止令を敷いているデスジニア共和国の国境線に位置するこの森は、超巨大規模といっても過言ではないほどの森だ。具体的に言えば世界全体の約三分の一の樹木を占めているという。帝国としてはこの森を整備し、一度デスジニアへと戦を仕掛けようと試みたのだが、無限に沸いてくる魔物に劣勢を強いられ、躍起になった先代帝王が無理矢理森を制圧しようと十万という大規模な遠征を行ったのだがそれでも屈強な魔物たちに追い返されたという。その際に歴戦の兵士が次々とその命を奪われた為に帝国は一時大混乱に陥ったとらしい。
その事件があってからは国を傾かせることの出来る強大な森という経路で【傾国の森】という大層な名前が付けられたのだ。
当然その森に人が迷い込みでもしたら九割九分九厘命を落とすといわれているが――
「相手は魔物の同類だ! なんとしてでもここで仕留めるぞ! 遠慮無しに打ち込め!」
その掛け声で急降下しながら弓に矢をつがえる。先端の鉄のやじりが特有の光沢を放ち――
「――――ってぇぇぇ!」
十分に引き絞られた弦がその手中から解き放たれその反動で鋭い音を立てながら多数の矢が敵めがけて飛んでいく。
「ちっ」
直線的に飛んだ矢は標的に狙いたがわず直撃する軌道で放たれたのだが、森に落ちて木に防がれたのが先か仕留めたのが先なのかは人間の視力では判断できない。
仕留めた可能性のほうが高いのだがそれでも万が一ということがある。世の中は完璧といわれることが皆無であり、故に甘くないのだ。
だがそれで仲間が死んでしまったら本末転倒。奴の魔法をまともに喰らえば気絶あるいは負傷するだろう。そうなったら魔物に食い殺されるのが落ち。
どうするか……どうするか……
「隊長、どうするんですかい?」
判断する時間すら与えられない。その上で隊長と呼ばれたものが行う決断は帝国を左右する決断でもあるのだ。もし奴が生き残っていれば同類を引き連れて帝国を滅ぼしに来るかもしれない
冗談でも笑えないような可能性に隊長は――
「追う。少しぐらいなら大丈夫だろ。奴が死んでりゃそれを確認して報告すればいいし死んでなくてもそこら一帯を調べつくせばいい。所詮翼がなけりゃ何も出来ない奴だ、小娘の足程度じゃ俺らから逃げ切ることは不可能だろう。ってことで行くぞぉぉぉぉぉ!」
「おぉぉぉぉぉぉ」
隊長に鼓舞された他の仲間達は自身の発動している魔法を解除し新たな魔法を練る
≪欲するは【風】――我が身を守護する風となりて衝撃を緩和せよ――≫
省略された呪文を詠唱し終えるとそのまま地面に落下していき何の抵抗も見せずに地面に足から着地した。本来ならば骨が粉々に砕けてもおかしくないというのに風の加護を受けた追跡者達は全くの無傷。そしてそのまま何事も無かったかのように四方に分かれて敵の探索を開始する。
「さて……狩りの始まりだ」
隊長は口の端を吊り上げて猛禽類の如く笑った
「なんで……ハァ……こんな……ハァ……」
少女――ファリシア・ダンダルゲルグは太い木に腰を預け肩で息をしながらも必死で疑問を虚空にぶつける。
だがやはり答えてくれるものはそこにはいない。もとより孤独な自分が誰かに問うというのも少し可笑しな話かもしれないが。
「帝国が……裏切った……?」
ファリスは人間ではない種族でありながら帝国に属していた。きっかけが何だったのかは忘れた。
主に後方支援部隊として絶大な力を戦場で遺憾なく発揮し、その功績が認められ<天使>とまで呼ばれるようになった。自分と全く正反対に属する憧れの存在に……
「やっぱり……人間じゃないと……駄目?」
そして何かは知らないがジュショウシキなるものが行われて自分がその主役だと文書で送られてきたので行ってみれば、扉を開けた途端襲撃に合い何とか間一髪で逃げてきたというわけだ。
確かに戦場では畏怖の目で見られていたが……それでもあの仕打ちは無いだろうとファリシアは落胆していた。
「それよりも逃げなくちゃ」
呼吸がある程度整ってきた所で四肢に力を込めて立ち上がり、周囲に警戒を張り巡らせる。
希望的にはこれで引いてくれると助かるのだが、十中八九追いかけてこの森に入ってきているだろう。
先程の矢がかすりもしなかったのは運良く樹木が庇ってくれたからだ。もう二度とそんな幸運は訪れまい。
「魔法が使えればなぁ……」
ファリシアは結論から言って今魔法が使えなかった。
何故なら戦の時に魔力を酷使しすぎたからである。次再び使えることになるのは一週間先ぐらいだろう。
「逃げなくちゃ」
再度それを口にしてファリシアは力強く大地を踏みしめた。
一歩また一歩と少しずつだかそれでもしっかりと前へ進む為に足を動かす。駆け出さないのは足音で追跡者に居場所を教えることになりかねないからだった。
「あれ?」
歩いている最中に何かしらの違和感を感じる。何に感じているのかまでは分からないがそれでも何かか変だった。
その違和感に首を傾げながらも‘今はそんなことに構っていられる場合じゃない’と思いただひたすら歩く。
それからどれくらい歩き続けただろうか。疲労がピークに達したので適当な木陰を選んでそこに座り込んだ。
颯爽と森の中を吹き抜ける風が、熱くなった体を冷やしてくれてとても気持ちが良い。
「っ! あれは!」
異常なまでに高い視力と気配がこっちに向かってきている敵の存在を教えてくれ、体をびくりと震わせた。
だが幸いにも未だこちらは敵に気づかれてはいない。ならやりようはいくらでもある。
気配を極限まで消して気づかれないうちに立ち上がった瞬間
「え? きゃっ!?」
すとんと尻から地面へと落ちた。多少の痛みはあったが、問題はそっちではない。
「足が……」
今まで酷使してきた分、足が体の全体重を支えきれなくなってきているのだ。
さっき一度緊張を解いたので最早立ち上がる術は無い。
「なら茂みに――」
その後の言葉は紡げずにファリシアは絶句した。今更ながらさっき感じた違和感の正体に気づいたのだ。
そう。この森には本来あるべき筈の雑草が見事に刈り取られていたのだ。
確かにそれでも小さい雑草などは生えているが、とても身を隠せそうな代物じゃない。
打つ手は全て塞がれ、キングはただチェックメイトを宣告された状態。
「見つかっちゃった」
あわよくばこのまま見つからずに通り過ぎることを期待していたのだがそれも叶わず、後は狩られるのを待つだけになった。
ファリシアには武器も与えられていないのに対して、敵は武器と魔法を十分に使用してくる。いや、例えファリシアが武器を持っていたとしてもこの状態だったらどの道狩られるだろう。
「魔法が使えればなぁ」
今日は同じ台詞を何度も言ってしまう。それだけもう頭に余裕が無いんだろうなとファリシア半ば諦めた気持ちで思う。
敵は泥を跳ね上げながら驚くべき速さで地面を駆けて向かってくる。魔法でも使っているのだろうか。
その間、みるみるうちにファリシアと敵の距離は縮まっていき……そして――
「はぁぁぁぁぁ!」
雄叫びと共に敵の掲げていた武器は振り下ろされる。
次の瞬間…………悲鳴と共に辺りが血で鮮紅に染まった。
初めまして、漆黒の光といいます。
小説を書くのは余り得意ではないのですが、面白く読んでくださると幸いです。




