038,黙っていれば良かったんじゃあねえのか
「あの、先輩……」
おれは三人に声をかけた。
先生の言葉が、おれにその勇気をくれた。考えていた問題が解決したわけじゃない。だが、自分を助けると言ってくれる人がいるという事実が、どれだけ喜ばしいことなのか、ということだ。
「実は……」
三人の中に黒幕がいるんじゃないかと疑っています。おれが言ったのは要約すればそういうことだ。黒幕がいないならいないでそれでいい。おれが先輩たちに嫌われるだけのことだろう。もし軽い悪戯心で始めたことがこんな事態に陥っているというのなら、それを告白するきっかけにはなるかもしれない。そして本当に黒幕がいるのなら……、互いに疑心暗鬼を植えつけるだけの結果に終わってしまうだろうか? それはもっとも避けたい事態なのでは……。
だがすぐに、そんなものは杞憂でしかなかったと知った。
先輩たちの顔色におかしなところはない。三人が三人とも、おれの話を真剣に聞いてくれている。だが、話していく内、一人の先輩の身に異変は起こったのだ。
「先輩、なんですかそれ」
おれの言葉に、視線が集まる。
「な、なんだ……」
珍しく戸惑いの表情を浮かべたイセ先輩。その背中から、まるで輪郭をぼかすみたいに黒いもやが立ち上っていた。
「イセ、おまえ……」
皆が先輩から距離を取った。
「な、なんだ。おれはスミレの言うようなことは何も……」
先輩が一歩踏み出すと、ぼやけた輪郭は置き去りにされたまま、鮮明な先輩の姿だけが踏み出した分だけおれたちに近づいた。
「ちょ、なんなのそれ!?」
問われたイセ先輩自身も振り返る。すると、先輩にとっては超至近距離に自分の顔があり、見つめ合う状況になった。
「ぬ、あっ」
さすがに驚いたイセ先輩が仰け反ってたたらを踏み、しまいにはしりもちをついた。一方で、黒いもやに包まれたもう一人の先輩は、にやにやとした表情で、そんな先輩の姿を見下ろしていた。
「それ、ってことはないだろ千鶴」
もやを纏った先輩が唐突に口を開いた。おれは初めて聞いたが、千鶴というのがアガサ先輩の名前なんだろう。
「いやいやいや……マジでゲームかって」
「そうだよ勇次。これはゲームさ。そこの寂しがりやの、自作自演の、ね」
そう言ってもう一人の先輩は、屋上の床に座りこんだままのイセ先輩を見下ろした。おそらくはおれたちと行動をともにしていた側の先輩は、それを目を見開いて見つめ返している。
「憧れだったもんなあ?」
その声は、見た目の通りにイセ先輩その人のものとまったく同じだった。
「こんなふうに学校に異変が起きて、仲間とそれを解決する、みたいなの。でもま、バレたらおしまいだな。なに、同級生はまだまだ沢山いるじゃないか。また新しく、連れ回すやつを選んでくればいい」
「お、おい、いまなんか、聞き捨てならないようなこと言わなかったか?」
リンドウ先輩が歩み出て、イセ先輩を見下ろした。
「選んでくるってどういうことだよ? おれらはおまえに選ばれてここにいるってことなのか?」
「い、いや、おれは……」
イセ先輩はよほどショックを受けているのか、床に座りこんだまま立ち上がれずにいる。すると、もやを纏ったイセ先輩が、代わりとばかりに歩み出て、
「そうだよリンドウ。おれはおまえのことが好きだったからな。ああ、一応言っておくが、友人としてな」
と答えた。
「わかった! あれだろ。おまえが勝手にやったみたいなヤツだ! おれは変な脇役みたいにイセを罵倒したりしねえぞ! 自作自演とかするわけねえよ。タガメのことだってあんな心配してたってのに。なあ、そうだよなあ?」
問いかけられたイセ先輩は、まだどこかぼんやりとした表情のまま、不安そうなリンドウ先輩の顔を見返した。
「あ、ああ……、おれが意識してやったことはない、と思う。けど、高校がもっと続けば、とか、こんなことがあったら、もっと、その、特別な仲間、みたいになれるのかって、思ったことも、ある。そのせいでこんなことになっているとしたら、おれは」
「そんなん!」
イセ先輩の声を遮って、リンドウ先輩が大声を上げた。
「そんなん、おれだってあるよ! おもったことくらいおれにだってある! それだけのことであーだこーだ言われんだったら、おれだって同罪だぞ! だから気にしなくていい!」
「リンドウ……」
イセ先輩はつぶやき、顔を伏せた。
「あー、あー、恥ずかしい連中だよ」
銃を持った手を天秤のような恰好で持ち上げて、茶化すみたいな声音でアガサ先輩が言った。
「なら、おまえはなんか憧れたこととかないんかよ。別にゲームに限らず」
「んー……、まあ、あるかな」
顎に手を当てて思案気な表情を見せたかと思えば、あっさりと吐露したアガサ先輩に、リンドウ先輩はすかさずツッコミを入れていた。
いかにも異常染みた、黒いもやを纏ったイセ先輩の姿は変わらずそこにあるのに、深刻な空気などあっという間に吹き飛ばされていた。
「で、てめえは何がしてえんだよ。わざわざ人の恥ずかしいとこ晒すみたいなことしやがって」
槍を突きつけられても、もやを纏った先輩は動じない。ただ冷ややかな目線で見つめ返すだけだ。
「別に、どうも。おれはおれ自身の望みを叶えているだけだ。だがもう、その望みは果たされそうもない」
「ふん、だったらどうするってんだよ?」
リンドウ先輩の問いに、今度は即答しない。目蓋を下ろして何事か思案するように立ち尽くしている。身に纏ったもやは陽炎のように身の内から沸き立ち、ゆらゆらと宙に立ち上り薄れていく。そんなもやの様子を眺めていると、先輩はやがてゆっくりと目蓋を開いた。それを視覚が捉えたとき、同時に先輩の髪が靡くのを見た。ついで、冷ややかな夜の匂いが鼻を掠めた。
「……最初からやり直すとしようか」
もやを纏った先輩がその言葉を発した瞬間、気圧の変化のような、空気の質の変化を感じ取った。何かと思う間もなく、急激にあたりの景色を闇が侵食していく。太陽が出ていたはずの空には月が昇り、星が瞬いている。屋上から見える街並みは、暗闇に灯りを点していた。状況の急激な変化に戸惑っていると、不意にギィンと金属が激しくぶつかりあうような音が響いた。見ると、月明かりと街並みの灯りくらいしか光源のない屋上で、イセ先輩とリンドウ先輩が肉薄していた。いや、よく見ると、その場にいるイセ先輩は二人だ。
「……どういうつもりだ」
ぎりぎりと鍔迫り合いながら、一方のイセ先輩が問う。
「やり直すと言った」
次の瞬間、イセ先輩の背後にいたリンドウ先輩が槍を振るい、もう一人のイセ先輩を払い除けた。
「皆殺しにするってことかよ!」
「知っているだろう? この世界での死はただの目覚めだ。現実に帰ってもらうだけのこと」
言うが早いか、一息に間合いを詰めたもやを纏った先輩の剣戟は鋭く、速い。リンドウ先輩はなんとか凌いでいるが、防戦一方だ。このままでは押し切られるのも時間の問題。
「チッ!」
掬い上げるような斬撃に、手にした槍が跳ね上げられる。胴体部分が無防備にさらけ出されたところに、もやを引き摺るようにイセ先輩が迫った。それを見越していたのか、リンドウ先輩は手元で槍を回転させ、石突の側を突っ込んできたイセ先輩に打ち付ける。しかしそれも交差気味にいなされ、懐に侵入を許したリンドウ先輩が斬られると思った瞬間、横合いから飛び込んできたイセ先輩がもやを切り払った。
その場を逃れた自身の偽者とも思えるだろう姿にイセ先輩は追いすがる。一撃、二撃と斬撃を見舞うも、その動きは精彩を欠いているように見えた。自分自身の姿をしたものに刃を向ける葛藤か、それともこの世界の異常の原因が自分にあると告げられたことからまだ立ち直れていないのかは定かでないが、攻めきれそうな気配は見て取れなかった。
見る間に攻勢は入れ替わり、もやに包まれていない先輩が受けに回ることが増えてきた。アガサ先輩は銃口を向けて狙いを定めているが、イセ先輩がかなり激しく足を使って立ち回ることと、片方が黒いもやに包まれているとはいえ、まったく同じ容姿の人間が激しく位置を入れ替えるように動き回っていることから援護射撃できずにいる。
「どうした、そんなものか?」
剣戟の合間に聞こえてきたそんな声は、音の響きだけではどちらのものかわからない。だが、目にしている状況を考慮すれば、もやに包まれた者が発したのだと判明する。
次第に、受けに回るイセ先輩の動きが遅れるようになってきた。一撃一撃の重さが増したのか、受けた直後の立て直しに時間を割かれている。それはごくわずかなものだが、激しく斬り結ぶ二人にとってはそのわずかな差が明確な有利不利となって働く。
「あぐぁっ!」
体の流れた先輩の腹に鋭い回し蹴りが刺さり、屋上のフェンスにまで蹴り飛ばされる。それを追うように駆け出した。
瞬間、アガサ先輩が銃撃を見舞う。オートマチックタイプの、しかも夢の世界の特性か弾切れもない銃を先輩は撃ち続ける。もやに包まれたイセ先輩は低い姿勢で、まるで蜘蛛が飛び跳ねるみたいにして避けていく。屋上の闇の中で、床に着弾した弾丸の生み出す火花が、黒い先輩の軌跡に次々と花が咲くように弾ける。
もやの塊はやがて屋上の入り口の壁面に飛び移ると、壁を蹴ってそれまでの飛びまわる動きとは明らかに異なる速度でアガサ先輩に向かって直線的に飛んだ。
直後、アガサ先輩の目前で、激しい金属音が弾ける。投擲姿勢で見つめているリンドウ先輩の視線の先で槍はあさっての方向に弾け飛び、屋上の片隅に転がった。それを成したもやの塊は2、3メートルも上空で放物線を描いている。
「雑技団かっつーの!」
リンドウ先輩は叫び、がむしゃらに駆け出す。
もやに包まれたイセ先輩は、身に纏うもやを散らしながらも空中で反転し、眼下のアガサ先輩を見据えて刀を構えた。視線の先のアガサ先輩は衝撃で座りこみ、いまだ立てずにいる。




