037,疑惑
カン、と金属音がして、フェンスに掴まったイセ先輩が軽やかにそれを越えて屋上に戻ってきた。
「どうなった」
戻ってきたときは無手だったが、すぐに刀を出現させながら歩み寄ってきた。頭や制服のそこかしこになにやら枝葉をくっつけて少しだけ間抜けな感じだ。
と、それまで切断された腕を抑えて呻くばかりだった先生の体がわずかに上下に揺れ動いた。一瞬、泣いているのかと思うような声が聞こえたが、すぐに違うと気づく。
「くっくっく……、なんなんだおまえら、ようやく好き勝手遊べると思ったのによ。どいつもこいつも、夢の中でくらい自由にさせろってんだ……、くくっ」
頭に乗っていた木の葉を払いながら、イセ先輩が口を開く。
「たしかにここは夢の中だが……、まぁそれは後でいい。タガメはどこにいる?」
「タガメ……?」
自嘲するように口の中で笑い続けていた先生の動きが止まり、ゆっくりと顔を上げる。
「そうだ。多瓶遥子だ」
「タガメ……、タガメがどうかしたのか?」
イセ先輩を見つめ返した先生の目に、怪しい光はおろか、これまで夢の中で見せてきたような異様な輝きが薄らいでいるように見えた。
「お前が攫ったんじゃないのか?」
「おれが、タガメを……? いや、知らない、おれはそんな……うぐっ」
先生は突然、胸を押さえて再び顔を伏せた。喉の奥から搾り出されるような呻き声が、切断された腕の痛みに苦しんでいると想像させる。
そうして先生が頭を下げる恰好になると、否が応でも、その頭頂部から突き出したツノが目に入る。そしてそのツノに、またしてもあの黒いもやがにわかに集い始めていた。
「お、おい! なんかやばそうな感じだぞ! あれか、第二形態的なやつか!?」
うろたえるリンドウ先輩をよそに、イセ先輩は落ち着き払った調子で、
「だとしても、待ってやる道理はないな」
と口にすると、まるで切腹の介錯人のように先生の傍らに立ち、一息にツノを切り落とした。ことり、と屋上に落ちたツノは、わずかに転がった後、砂のように溶け崩れ、消え去った。先生の頭部に残されていたはずのツノの根元の部分も、同時に失せていた。
「ん、んん……?」
呻くのを止めて顔を上げた五味先生は、現実と同じ、歳相応の顔つきとなっていた。
「落ち着きましたか? 先生」
先輩の問いに、先生は屋上に胡坐をかき、いかにも照れ隠しといったふうに頭を掻いた。
「あ、ああ……、すまない。なんというか、みっともないところを見せてしまったな……」
歯切れの悪そうに語る先生に、どうやら記憶を失ったりはしていないらしいと覚った。
「その様子なら、ようやく落ち着いて話ができそうですね。さっそくですが、タガメの行方をご存知ではありませんか?」
「すまない。タガメ君のことは、私は本当に知らないんだ。たぶん、夢の中では一度も見かけていないと思う」
「そう、ですか……」
肩を落としたイセ先輩の背をリンドウ先輩が叩いた。
「まぁそう落ちこむなって! 問題がいっこ片付いたんだから、あらためて探せばいいんじゃん!」
「……簡単に言ってくれるよな。もう手がかりもないってのに」
口ではそう言いながらも、先輩の口の端はわずかに持ち上がっていた。
そのとき、校内から授業の終了を告げる放送の音が聞こえてきた。
「あれって何時間目のやつ?」
「あーっと、二時限目終わり」
アガサ先輩の問いにリンドウ先輩が答える。どうやらアガサ先輩もだいぶ復調してきたらしい。
「はあ……、なんか変な感じ。せっかく終わったって感じだったのに」
「まだタガメが見つかっていない」
咎めるといった調子ではない。ただ事実として告げただけだろうイセ先輩の言葉。
「それはわかってるけどさ……、ボスっぽい五味、先生もやっつけたってのに、なんも変わんないんだもん」
「な、なんか、悪いな」
いかにも申し訳なさそうに肩を落とした先生の様子は、現実でいつも目にしてきたものだった。
「んでもまあ、アガサの言いてーことは分かるわ。次のヒントとか誘導も思い当たらんし」
「いや、新しく話を聞ける相手が増えたら、たいていはそこにヒントがあるものじゃないですか?」
おれの言葉で視線が集まったのは、おれの顔などではなく、当然、五味先生の顔だった。
「わ、私か? しかし私はタガメ君のことは……」
タガメ先輩のことはイセ先輩がすでに尋ねている。だが、タガメ先輩の行方を辿るのに必要な情報が、直接的なものとは限らない。最終的にタガメ先輩のもとにたどり着けるものであれば良いはずだ。何かしらヒントが残されている、という発想がゲーム的だが……、でなくともおれや先輩たちが持っていない情報を収集するのは有用なことだと思う。
「先生はこれまでどこでどうしていたんですか?」
「そう、だな……」
先生は言い難そうにしていた。すでに知られていることとはいえ、さすがに女生徒とそういうことをしていたと、同じ生徒を相手に語るのは憚られるのだろう。
話を聞いていくと、先生の行動範囲は大して広いものではなかった。それこそ、保健室や屋上手前のスペースに、あとはせいぜい、あまり使われていない教室といったところ。教員の中には教科準備室を半ば私室と化しているような者もいるが、五味先生はそうしたものは持っていないらしい。
「あー、なんつーか、これ! って情報はないっぽい感じ?」
リンドウ先輩が言うと、先生は申し訳なさそうに縮こまっていた。
「……わりと行動範囲は被ってたんですね」
「そうだな……」
校内は広いようで狭い。生徒の行動範囲は案外と限られている。そしてそれは先生も同様らしかった。生徒に手を出していたこともあり、おれたちが割合頻繁に行き来していた廊下にもそれなりに出向いていたという。
「それにしては、おれが先生を見かけたのは保健室に行ったあの時だけです。先輩たちはどうですか?」
「おれらも保健室だけじゃね?」
リンドウ先輩がそれぞれの顔を見回すと、一様にうなずきを返した。
せいぜい半日、それも一週間に満たない期間とはいえ、ここまですれ違うものだろうか。ないとは言い切れないし、実際にすれ違わなかったことがその証左だろうと言われれば、その通りと肯定せざるを得ないと思う。だが一方で、何者かの意思が働いているのでは、という疑惑が胸中でさらに膨らむのを感じる。
「……先生は、先輩たちを避けていたんですか?」
「いや、特に気にしたことはなかったな」
先生は気にしていない。そして先輩たちはむしろ探していたくらいだ。
そのとき、おれは心臓が一際大きく跳ねたような気がした。次いでどっと汗が噴き出すような感覚。
ひとつひとつ、抱いた疑惑について振り返ってみる。保健室での五味先生の変貌。ダンジョンの出現。そして、そこに付け加えるべきなのは、おれ自身についての情報だ。気にかかるのは、おれがダンジョンに遭遇した状況についてだ。おれがダンジョン化した空間を目にしたのは、いちおう保健室が始めとなる。おれ自身の目で見たのは先輩たちの姿越しにちらりと、という程度だが、あのときの保健室の扉がダンジョン化した学校につながっていたことは間違いない。その後、先輩たちの後をつけていたときに二箇所。片方はくっついて中に侵入した職員室への道だ。そしてもう片方は体育館への入り口。問題はこっちのほうで、これもまたおれは入り口付近を先輩たち越しに覗いただけで、直後に扉を開いたときにはダンジョンを経ることなく体育館に入ることができた。
この時点でおれが考えていたのは、先輩たちが何者かによって監視されているのでは、ということだった。おれは基本的に姿を透明化していたし、監視の目を免れていたのではないかと思っていたのだ。
だが、今日。おれは教室でダンジョンに行動を阻まれた。二階へ上がるための進路上にも防火戸が閉められ、ダンジョン化した通路を抜ける必要があった。
おれ個人でダンジョンに遭遇しなかった前日と今日とで、何が違っただろうか。おれが把握できていないところで何かが違っていることもあるだろう。だが、おれの把握している違いもある。
おれの存在が先輩たちに把握されているか否か、という点だ。
いや、正確には、五味先生と保健室にいて、その後タガメ先輩と話していた女生徒が、一年下の菫香月だと認識されたということ。
おれはそっと先輩たちの顔を見回した。この中のだれかが……とは、考えたくない。あくまで可能性があるのではという予感に過ぎないもので、確証はない。
それに、だからといってどうすればいいのだろう。まさか、推理もののように「犯人はこの中にいる!」なんて、言えるわけもない。そもそも犯人なんているのか? と思う。決して長い付き合いではないが、先輩たちは皆良い人だと思う。夢の中で学校が繰り返されるくらいなら、出来るかどうかは置いておいて、悪戯の範疇と思えなくもないが、先生の件や、現状のタガメ先輩が現実では眠り続け、いるはずの夢の世界では行方不明という状況は冗談になっていない。仮に軽い悪戯心で始めたことが意図せぬ方向に進んでいるにしても、打ち明けて協力を願い出ることができない間柄なんだろうか?
だいたい、タガメ先輩の行方が知れないというのが奇妙ではないのか。先生の仕業でないとなれば、やはりおれたちが存在を知らない第三者が拘束していると考えるべきなのでは……。
煩悶としているおれに「どうかしたのか?」と声をかけてくれたのは、五味先生だった。おれは先生を疑ってはいない。だが、だからといって先輩たちを怪しむような話をするのはどうなんだ。そんな迷いで言いよどむおれを、先生は辛抱強く待ってくれていた。
「すみません……」
言外に、言えないと伝えると、先生はふっと息を吐き、「そうか」とだけ口にした。
「まぁ……、なんだ、いまさら信用も何もないだろうが、何か協力できることがあれば、言ってくれよ」
先生はそうまで言ってくれた。




