034,ホラーの手法
「ダンジョン、ですか……?」
「らしいな。おれにもよくわからんが」
話している背後で、イセ先輩が刀を構えて走り出し、廊下の影に消えていった。どうやら二階では防火戸は閉められていないらしい。
「だいじょぶかー?」
背後の物音に気がついたリンドウ先輩の呼びかけに、廊下の向こうから「問題ない」というイセ先輩の声が返ってくる。
「おかしいですよね? おれさっきダンジョン抜けてきたんですけど……」
これまで、ダンジョンは同一の扉の入り口と出口のあいだ、現実には存在しないはずの場所に新たに通路ができるみたいにして存在していた。そしてその通路は現実と変わらない様子の学校につながっていて、そこにはNPCの生徒たちもいた。ダンジョンはあくまで、現実ではあり得ない空間として存在していたはずなのだ。
「んー……なんつーか、学校もおかしくなってるって感じ? いやもともと夢ん中だし、外にもモンスターとかいたけどさ」
頭を掻きながら言うリンドウ先輩の言葉は、言われてみれば確かにと思えるものだった。そもそもダンジョンだってはじめは存在しなかったものが、保健室での一件以降、見られるようになったものだし、その影響が拡大したとしてもおかしくはない、のかもしれない。
「これ、NPCの生徒たちは大丈夫なんですか?」
「この状態の廊下に出てきた生徒は見かけてないな。授業中なだけかもしれんけど、そもそも時間もよくわかんねんだ。時計もおかしいし」
おれはなにげなくポケットに手を伸ばし、次いで歯噛みした。元来、腕時計は苦手で、ふだんから時間の確認は携帯端末で行っているのだが、この世界は午前中の学校が繰り返されていて、予鈴などもしっかりと機能していることもあり、時間の確認に端末を要するとは思わなかったのだ。トイレに篭っていた時分には暇つぶしにと、寝る際に身につけることによって夢の世界に持ちこんでいたが、今夜は必要ないだろうと油断して置いてきてしまっていた。
「ちょっと退けてろ!」
己の不用意さに後悔していると、リンドウ先輩がおれの肩を押しのけるようにして階段下に向かって槍を突き出した。視線を向けると、槍に貫かれたモンスターがいた。パッと見の印象はゾンビに近いが、それほどグロテスクなわけでもなく、なんとも微妙な感じだ。よくよく見ると頭にはツノが生えていて、膝下丈のズボンと思ったものは、青黒い体表をびっしりと覆った体毛らしかった。
「人型はやっぱちょっと気が引けるわ」
晴れない顔で槍を引き抜く先輩。踊り場にまで転がり落ちたモンスターは砂のように溶けて消えていた。
「とにかく二階まで上がろう。階段じゃ足場が悪い」
先輩に促されて二階へ到達する。その間にもアガサ先輩が三階への階段に向かって銃を発砲していた。見ると、以前先輩たちについて潜入したダンジョンでも見かけた大きなコウモリのようなモンスターが階段に転がっていた。
二階廊下へ折れている角からイセ先輩ももどってきた。先輩は頬や着込んだブレザーの各所に青い血を付着させ、その部分からは白い湯気が立ち上っている。それらは見ているうちに面積を狭め、湯気が消えた後には、汚れたところのない制服姿の先輩が立っていた。
「そっちは大丈夫だったか?」
「はい、なんとか。それよりこれ、どうなってるんですか?」
「おれたちにもわからない。教室から出るのにダンジョンを通過してみたら、こうなっていた。構造はいつもの学校だけど、モンスターも出るし、まだダンジョンの中かとも思ったんだが……、こうしてスミレが来たってことは、やはりいつもの校舎がおかしくなっていると考えるべきか」
おれは階段下では防火戸が閉まっていて、その扉の先がダンジョン化していたことを説明した。素手で布オバケを殴り飛ばしたことは経緯が恥ずかしすぎるので伏せたが。
「なんか、いかにもラスボス前とかそんな感じ? さすがにゲームとかだったらボリューム不足過ぎだろうけど」
リンドウ先輩はなにやらのんきなことを言っているが、たしかに安全地帯が侵食されていることといい、漂う雰囲気といい、ただならぬ事態なのだという空気が流れているとは思う。
「んじゃさっさとそのボスとやらを倒して、タガメも助けて終わりにしようよ。私こういうのべつに好きじゃないし」
階段上から現れたモンスターを撃ち抜きながらそんなことを言うのだから、アガサ先輩も数日、数時間で大分習熟したものだと思う。
「まぁ、正直おれは結構たのしんでるけど、現実に影響があって危険が伴うってんじゃさすがにな。ところでスミレって武器はどうしてんの?」
「それなんですけど……。申し訳ないんですけど、おれ、戦力にはなれそうもないです……」
ようやく説明の機会を得たが、いかんせん状況が状況なので、あまり悠長にもしていられない。おれはとにかく見ていてくださいと前置きをして透明化して見せた。
「おおー! そんなんのもできんのか?」
シリアスな空気などどこ吹く風で、はしゃいでいるリンドウ先輩が手を伸ばしてくる。透明化したまま握ってやると、大袈裟に「なんかいる!」とリアクションをとっている。
透明化を解除しながら、
「これでやり過ごしてきました。運良く、ボスみたいのには出くわさなかったです」
と説明した。
「なるほどねー。それはそれとして、武器を出したりはできないの?」
アガサ先輩からの質問に、おれは先輩たちがやっているように、自らの手にもやが纏わりついて武器の形を成すところを想像しようとした。だが、肝心の武器をどうするか思いつかず、結局なにも起こらないまま。
「無理みたいです。すみません……」
「そうか……。自衛のためにも何か身につくまで付き合ってやりたいが、状況的にそうも言ってられないか……」
言ってるそばから、廊下の向こうから顔を出した小さな悪魔といった風貌のモンスターをイセ先輩は掬い上げるように刀で切り上げた。
「いまのやつ、小さいけど火の玉飛ばしてくんだよ」
たいしたことないけどな、と笑いながら、リンドウ先輩は階段に足をかけた。
「こんな状況だ、五味がまた屋上前にいるかどうかはわからないが、とにかく行ってみよう」
イセ先輩を先頭に、アガサ先輩がその後ろから銃で援護しながら階段を上っていく。背後からもモンスターはやってきたが、しんがりのリンドウ先輩が問題なく槍で処理していた。現れるモンスターは、この前おれが先輩たちの後をつけて侵入したときのダンジョンで見た顔ぶれとは少し違っていた。さっき火の玉を飛ばすと言われた小悪魔もそうだが、二足歩行するものや、人に近い形をしたものが増えていた。といっても、どれも人間とは程遠い容姿ではあり、古くは神話、新しくはゲームなどで見るような悪魔めいた姿をしたものが多くいた。
屋上への入り口は、位置的には3階の上、4階に相当する位置にある。ふだんなら何分もかからずにたどり着ける距離。それをおれたちは想定以上の時間をかけて踏破した。
3階を過ぎてからは上階からモンスターが現れなくなったので、アガサ先輩も階下への処理に回り、敵の襲撃の合間に少しずつ階段を上っていった。
「あー、そりゃそうだよ」
一足先に屋上へ続く扉のある空間を覗きこんだアガサ先輩がげんなりとした表情が眼に浮かぶような声をあげた。
おれは本物の銃声を直に聞いたことはないが、アガサ先輩のそれは現実のものよりもかなり耳に優しいと思う。とはいえ銃声である。かなりの音量には違いないし、戦闘中に声をかけあったりもしている。
五味先生がいたのは屋上への入り口にあたる場所であって屋上ではない。階段とは空間的に隔絶されておらず、戦闘の音などはすべて筒抜けのはずで、そんなところで昨日のように悠長に女子生徒とイチャついているとは思えなかった。だが、こうして現実に近い構造の校舎内でまで戦うことになるなど想定していなかった事態であり、他にめぼしい情報もないのだから、やはりそこへ向かうしかない。そんな思いで屋上を目指していたのだ。
屋上前の空間にたどり着くと、それまでの襲撃が嘘のようにモンスターは現れなくなった。
「あー、どうせなら屋上の鍵もってくりゃ良かったな」
階下への警戒をアガサ先輩に任せたリンドウ先輩が屋上への扉のノブに手をかけた。外は曇り空であるのか、すりガラスの窓からはほとんど光が差しこんでいなかった。
屋上への鍵は錠前がかけられたりしているわけではなく、ノブに鍵を差し込むタイプのものだ。本来ならノブは固定されて回らない。が、
「あれ?」
リンドウ先輩の手の中でノブはバネの手応えだけを残して難なく回転し、呆気にとられた表情の先輩の目の前で、わずかに外への隙間が開かれていた。
「なんか、開いたんだけど」
「は?」
間抜けな顔で振り返ったリンドウ先輩をほとんど反射的ににらみつけたアガサ先輩。
「えー、おれ別に悪いことしてなくね?」
「あー……そうかも、なんかごめん」
イセ先輩が歩み出て、そっと屋上への扉を押し開いた。これまで小さなすりガラス越しに太陽の照り具合を推し量ることくらいしかできなかった未開の地が、眼前にその姿を晒した。
屋上の床は濃いねずみ色をしていて、ざらざらしていそうに見えた。長く雨ざらしにされ、あまり整備もされていないのか、ところどころ目地が浮き上がり、黒く変色している箇所もあった。テレビで見るような、日ごろから解放されて憩いの場になっているような、開放感のある屋上のイメージとはまったく異なるものだった。
扉から見える範囲には、人影はおろか、布オバケの姿もない。
「行く、よね?」
やや緊張した面持ちでアガサ先輩が言った。
「ああ」
イセ先輩は刀を握り締め、一歩踏み出す。
「ちょ、ちょっと待ったイセ!」
慌てて制したリンドウ先輩を、イセ先輩は訝しげに見つめ返した。
「いや、おれもなんか緊張してさ。ちょっとリラックスさせてくれ!」
先輩はそう言うと、槍を横にして持ったまま屋上へと足を踏み出した。槍の両端が壁につっかえ、「ぐえ」とくぐもった声をあげながら、先輩は体をくの字に曲げた。
その瞬間、入り口から二歩もない至近距離に何か黒い塊が叩きつけられ、屋上の床にあたって爆ぜた。




