029,実質立ち入り禁止エリア
「な!?」
NPCしかいないはずなのにいったいだれが、と振り向いてみれば、そこにはさっきまで女子生徒とイチャついていたはずの男子生徒が立っていた。
反射的に腕を引くが、しっかりと手首を握られてしまっていて、放してくれない。
なぜ、という混乱に見舞われる。NPCが自ら干渉してくるなんてこれまでになかったことだし、おれは透明化を解除してない。
「やっぱり何か居やがるな。おい、姿を見せろ!」
「い、嫌ですっ」
つい口にしてから、なんて間抜けなんだと心底自己嫌悪した。
男子生徒は上半身の学生服はみんなボタンが外されていて、胸板や腹筋が露出している。男のおれから見ても惚れ惚れするような肉体美だ。
「あ? その声、もしかしてパートナーか?」
男子生徒の言葉に衝撃を受けるとともに得心がいく。この男子がNPCではなくPC、プレイヤーキャラなら、向こうから干渉してくるのはおかしくない。それにしてもまだプレイヤーがいたのか、と考えてみればおかしくもないことなのに、なぜか意外な思いがした。
「さっさと姿見せろ!」
おれの手首をつかんでいる手に力が込められる。強引に引っ張られ、つかんでいるのととはちがう腕でつかまえられてしまった。男子生徒は力が強く、逃げられそうもない。
「そら、もう逃げられないだろうが」
「うぐ……」
少しずつ締め付ける力が強められていく。
やむを得ず、おれは透明化を解除した。
「は、やっぱりパートナーじゃないか」
やっぱり?
言葉の意味を考えているうちに締め付けから解放される。が、手首はつかまれたままだ。
男子生徒は背が高く、自然と見上げる恰好となる。
「ご、五味、先生……?」
「なんだ、気づいていなかったのか?」
よくよく見てみれば、男子生徒は保健室で整形手術を施された……のではなく、黒いもやに包まれて変貌した五味先生だった。服装が学生服になったことで、ますます若々しい印象だ。高校三年生と言えば、まず間違いなく違和感は抱かれないレベルだと思う。
「せ、先生、こんなところで何を……」
どう見ても大ボスみたいな雰囲気だったから、てっきりどこか奥まったところ……、それこそダンジョンの最奥で豪奢な椅子にふんぞり返って女子を侍らせているようなイメージを持っていた。
「何っておまえ、そりゃあナニだよ。わかるだろ?」
あえて見ないようにしていたが、いまも先生の腕には、先生と同じように上半身を肌蹴させ、下着がちらちら見えている状態の女子生徒がずっと絡みついている。
「先生、もう、その、こんなことはやめてください」
「まだおれの邪魔しようとしてんのか」
「ちが、あの、邪魔とかじゃなくて、このままじゃ駄目なんです!」
もっとちゃんと筋道立てて説明できるはずが、いざとなるとちっともうまくいかない。悔しさに歯噛みする。
「なにが駄目なものか、見ろ? 合意の上だぞ?」
たしかに、女子生徒は襲われて嫌がっているなどという様子ではなく、むしろずっと積極的に先生にしなだれかかっている。が、少し様子がおかしい。いくらなんでも、状況に対して無頓着すぎるような気がする。
「あ、あの!」
NPC状態のせいかと思い、おれは意を決して声をかけてみた。だが女子生徒は先生以外は目に入らないと言わんばかりに、おれの呼びかけにはまったく反応を示さない。
「はは、おれに夢中だとさ」
先生は余裕たっぷりに笑った。
「こ、これって、洗脳なんじゃ……」
「大袈裟なことを言うんだな。おれのアピールに魅力を感じてもらってるだけさ」
慄いて後ずさろうとするも、手首を握られたままで叶わない。
「そういえばパートナー。おまえも女だよな?」
そう言って五味先生はおれを見下ろしてくる。先生の輪郭が、うっすらと黒く滲み、じわじわと黒いもやが立ち上る。
見つめ合った状態の先生の瞳に怪しいピンク色の光が点る。目が逸らせず、見てはまずそうだと思うのに、ひとつのものを集中して見つめているときのように、視界の外側が暗くなったみたいに視野が狭まっていく。
先生の顔が少しずつ近づいてくる。いや、おれが近づいている? わけもわからず、ただ荒々しい自分の息遣いと心臓の鼓動が煩わしい。いつのまにか握られていた手首は解放されているのに、足は地面に張り付いてしまったかのように動いてくれない。両手のひらからは、先生の厚くたくましい胸板の感触が伝わってくる。
「お、お……」
いよいよお互いの吐息が交じり合うような至近距離にまで先生の顔が近づく。現実紛いのそれとは違う、まさに夢見心地のふわふわとした感覚に呑みこまれる。ぎゅっと瞳を閉じる。
「おれは、男だああっ!」
渾身の力を込めて両手を突き出す。感覚的には先生を突き飛ばしたつもりだったが、非力なおれにそれは叶わず、おれ自身が背後の壁に背中からぶつかる恰好となった。
足に力が入らず、床に座りこんでしまう。顎に違和感を覚えて手を触れてみると、液体が滴っていた。ふわふわとした眠気に逆らえず、床に体を横たえる。
「あ? なんで効かないんだよ」
五味先生の訝しげな声を最後に、おれの意識は現実の自分の部屋へと帰還していた。
◇
今日も今日とて、おれは机に突っ伏していた。さすがに授業の合間の休憩時間では時間が足りないと思ったので昼休みを待っていたのだが、そのせいで午前中の授業はそわそわしてほとんど内容が頭に入らなかった。
そして長いようであっという間だった授業時間が終わり、クラスメイトたちがそれぞれに動き出すのを横目に、おれも決心して立ち上がった。
目的地は、三年生の教室だ。
一年生の多くが教室で固まって持参した食事をとっているのに対し、テリトリーを広く持っている三年生は校内中にかなり広範囲に分散していくようだった。そのためか、廊下にはかなりの上級生の姿があった。おれはなるべく廊下の隅に寄り、先輩たちの行動を阻害しないように気をつけた。やはり下級生が踏みこんでくるのは珍しいらしく、たびたび視線が向けられる。それらは悪意的なものでないと分かっているのに、意識してしまうと足が竦んで動けなくなった。どこかの教室から笑い声が聞こえてくるたび、自分が笑われているのかと被害妄想が膨らみ、胸が締め付けられる。思わずしゃがみこみたくなるが、そんなことをすれば余計に注目を集めてしまうかもしれない。なんとか足を踏ん張って、顔を上げて周囲を見なければならない。
人が分散している上に、面子も固定化しているのだろう、教室の中を眺めると、なんだあのよそ者は見ない顔だぞ、という視線がいくつも突き刺さった。
三つめのクラスを確認したところで、ついに足が上がらなくなってしまった。お腹に手を当てて深呼吸をしようとしたが、それすらもままならず、呼吸はどんどん勝手に荒くなってしまう。妙に体が熱くて、上着の裾を持ち上げて服の中の空気を入れ替えたかったが、そんなことさえだれかに見咎められそうな気がして恐ろしく、行動に移すことはできなかった。
内容も聞き取れない雑多な話し声がすべて、自分を非難しているもののように感じられる。そんなのは被害妄想に過ぎないと思うのに、完全に振り払うことができない。
仮にだれかに見咎められたとして、それがなんなのか。何か注意を受けたなら、謝罪して改善すればいいし、そもそも自分は何も悪いことをしているわけじゃない。そう思うのに、一向に鼓動が落ち着くことはなかった。
「ねえ」
「ぅ……!」
突然背後から肩に触れられ、反射的に体が跳ね上がった。
「ちょ、ちょっと、そんなに驚かなくてもいいじゃん」
「す、すみませんっ」
かすれた変な声が出て、恥ずかしさから顔も上げられなかった。
「あー、ごめん、だいじょぶだからちょっと頭上げてもらえる? なんか私が悪者みたいに思われそうだし」
「す、すみませんっ」
はっきり言ってなにがなんだかよくわからなくなっていた。
「あーもいいからちょっと落ち着きなって、ね」
「は、はい……」
ごくりと唾を飲みこんで、直立し、腹に手を当てて呼吸した。
「だいじょぶ? てか一年性……だよね? どうかしたの?」
女子の先輩はなんでもないとでも言うように、軽い調子で尋ねてくれる。
「は、はい。ありが、が、アガサ先輩?」
「ん?」
きょとんとした表情で見返してくるアガサ先輩。
「あれ、ごめん、なんかで知り合いだったっけ? あれ? ほんとごめん」
「いえ、おれが一方的に知ってるだけですから、気にしないでください」
「へ、へぇー……」
ちょっと困ったみたいな顔をしていた先輩が、視線をいぶかしむようなものに変えて一歩後ずさる。
「な、なんで距離とるんですか?」
「え、いや私みたいののことを一方的に知ってる下級生がいると思わないし……」
「それには理由があるんですけど、ここではちょっと……」
おれが集めていた視線は、なんか挙動不審なヤツがいるけど放っといていいのか、というものが大半だったようで、アガサ先輩が話しかけてくれた後はその数は減っていた。だが一部の生徒は会話内容や関係性についての興味が湧いたのか、おれたちの様子をうかがっているようだった。
「えー……、そんなこと言ったって、いくら私でも人気のないとこについてったりしないよー?」
先輩は笑っているものの、半分は警戒しているような雰囲気だ。もしおれがほんとうにどこか人気のない場所にでも移動を促したら、その瞬間、会話は打ち切られてしまうような気がする。
「リンドウ先輩と、イセ先輩についてきてもらっても、駄目ですか?」
おれが二人の名前を出した瞬間、先輩の表情が変わった、ような気がした。真剣な顔つきになったりという、表面上の分かりやすい変化はないが、心の壁が高くなったような気がした。
「……リンドウとイセと私、それと君の四人だけで話をしたいってこと?」
「はい……、できることなら、タガメ先輩もいっしょだとなお良かったんですけど……」
今度は完全に、わかりやすく先輩の顔から笑顔が消えた。




