表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Dream&Devils  作者: 昼の星
19/42

018,あえて見ないこと

 おれはいったいどうすればいいのだろう。そもそもなにがしたかったのか。考えてみれば、ずっと状況に追い立てられるようにして行動してきた。

 五味先生の様子にはどこか不穏なものを感じた。現実でのふだんの彼の、人畜無害そうな雰囲気とは明らかに異なっていた。

 ただの憶測でしかないが、きょろきょろと行き交う生徒に視線を送り、教室の中を覗きこんでいる彼の姿は、どこか獲物を物色しているケダモノのように見えた。

 そんなふうに思ってしまうのは、体外離脱の体験談のイメージが先行しているせいだろうか。おれは気が進まずほとんど読まないで流していたのだが、体験談には性的な事柄がとても多く記載されていた。

 それはそうだろう。性に関する追求心が文明や技術革新に一役買ってきたという話はよく聞かれるものだし、性欲というのがいかに推進力を持っているものなのかくらいは、さしものおれでも知っている。

 中学時代の一時期は、近くに性に興味津々といった男子生徒が集まってしまい、聞きたくもないのに卑猥な話が延々と続けられる日々を過ごした経験もある。当時は、こんな目や意識に晒されながら生きるなんて、女性はたいへんそうだと思ったものだった。といっても、おれは女性にも性欲があることはよく知っているし、電車通学するようになってからは、必死に無害であろうとする男性諸氏の涙ぐましい振る舞いも知っている。決して過度なフェミニストになろうとは思わない。もちろん、同じく過度なマチズモになろうとも思わないが。

 いつか学校帰りの電車のなかで聞こえてきた話。あれを話していた男性が夢の世界に招かれているのかどうかは定かではないが、あんなふうに自身の欲望を満たそうとする人がいるであろうことは、あの時からわかってはいた。ただ忌避感から考えないようにしていただけだ。

 どうしよう、どうすればいいのだろう、そんな思考の迷路にまたしても迷いこんでしまった。自分の通う学校、見知った教師、見知った同級生たち。それでも日々伝えられるニュースを見るときのように、自分には関係のない遠い世界の話なのだと、傍観者を気取ることができるのだろうか。

 そもそも、この世界で五味先生が”そういうこと”をしているとして、それはなにか問題があるのだろうか。あまり考えたくもない話だが、人と関わって社会というコミュニティに帰属して生きていく限り、他人の頭の中でひどい目に遭わされることなど、大なり小なり避けては通れないものなのではないか。

 ましてそれが無意識が強く作用するであろう夢の中ならなおさらだ。といっても、おそらく五味先生はこの世界で自我を保ち、現実にもはっきりと記憶を持ち越すことのできるプレイヤーのひとりと思われるので、いくらか事情は違っている。

 そしてなにより問題なのは、NPCの立場であっても、アキラさんたちの言う、中身が入っている状態なら、ある程度記憶を持ち越す可能性があることだ。本人の感覚としては夢を見た、というていどのものらしいし、現実の体に傷を負ったりはしないはず。だが、どこまでを夢として許容できるものだろうか。

 あくまでおれの薄汚い妄想の段階に過ぎない話ではあるが、仮に五味先生がそういった行為に及んでいるとして、それは現実の罪に問えるものだろうか。夢の世界を利用している以上、現実的に証拠を備えて立証することはできないだろうが、彼が夢の特性を理解したうえで行為に及んでいるとしたら、それは強制的に乱暴される夢を相手に見せている、ということに他ならない。

 一度や二度ならば、嫌な夢を見た、悪夢を見たと思って忘れることができるかもしれない。だがその悪夢が何度も繰り返されるとしたら? そしてそれが、おれたちがそうであるように、現実と見紛うばかりの五感を備えたものだったとしたら? 心を痛めつけるのに十分な破壊力を持っているとは言えないだろうか。

 三階へと続く階段を見上げる。いまからでもセンパイ方に協力を申し出てみようか。きっとセンパイ方ならだれかを助けることに肯定的なはずだ。おれを助けてくれたことからもそれは明らか。

 いや、おれは少し先走り過ぎている。冷静じゃない。

 もしも五味先生が”そういった行為”に及んでいるとしても、彼がこの世界のことをほんとうにただの夢だと思っている可能性だってあるじゃないか。

 いくら異様な雰囲気に見えたとしても、頭から性犯罪者のごとく捉えるのはいくらなんでも失礼だ。まずは先生が行為に及んでいるのかどうかを確認して、仮にそうだとしても、ひとまず事情を説明してみるべきだ。おれだってアキラさんやシュウゴさんに話を聞いていなければ、NPC状態の人たちも本人自身だなんて知らなかったのだし、先生もそういったことを知らない可能性はある。そしてほんとうにただの夢だと思っているとしたら、そういった行為に及んでしまうことは、おれはそんなに責められないと思う。

 中には、学び舎において、日々、未成年の生徒たちと接触を持つ教師は、そういった妄想を抱くことすら許されないと考える人もいるかもしれない。たしかにそんなことなど微塵も考えないような清廉潔白な人間だけが世の中に存在すればどれだけいいだろうと思わなくはない。だが、性的な欲求を完全に否定することは果たして正しいといえるだろうか。そもそも人体の本能的な部分での欲求を消し去ることはできないだろう。そしてそういう欲求を催してしまうということは、それはヒトという名前の動物にとっては、それが正しい身体の働きであるからなのだと思う。肝心なのは、それを抑制する理性をしっかりと働かせることができるかどうか。社会というコミュニティを形成し、他者と関わりを持って生きるヒトにとって、自己の欲求をコントロールする自制心、理性こそが、ヒトが自身を人間と呼称するためにもっとも大事な要素だとおれは思う。

 だからそう、現実に他者を傷つけるはずのない、妄想や、夢の中で欲求を発散させることは、おれは悪とは思わない。それは理性を持って感情と戦う術のひとつなのだと思うから。

 だから、まずは五味先生と話をしてみよう。センパイ方に助力を求めるとしたら、五味先生がなにかよくないことをしていたとして、それを制止しても聞き入れてもらえなかったそのときだ。

 立ち上がり、廊下の先を行く五味先生の背中を追いかける。先生はすでにクラスを二つ分は廊下の先へ進んでいて、廊下に出ている生徒たちの姿でじきに背中が見えなくなってしまいそうなほど、おれとは距離が離れてしまっていた。

 おれは自身を透明化したまま、生徒たちのあいだを縫うように移動した。人にぶつからないように歩くのには慣れているので、人混みともいえないような廊下を歩み進めるのに苦労は感じない。

 そうして先生までの距離を詰めて視界が開けたとき、先生はひとりの女子生徒を伴っていた。どくんと心臓が跳ね、背筋がぞくぞくとするような嫌な予感が胸に去来する。

 自身に跳ね返ってくることでもあるし、人の容姿についてあまりどうこうと口にしたくはないが、先生が連れている女子生徒は大人しい雰囲気の可愛らしい人だった。彼女はどこか不安そうな様子で、先生はときおり振り返ってはなにやら声をかけてついてくるよう促しているように見えた。廊下にはまだ他にも生徒たちの喧騒が溢れ、会話の内容まで聞き取ることはできない。

 もっと近づくべきか、と思いながらも、現実逃避したい気持ちからか、なかなか足が前に進まない。現実逃避、本来なら現実から逃避したいという意味だが、おれはいま現実に逃避したい気持ちだった。

 やがて先生は廊下を折れ、階段を下っていった。いったいどこへ向かうつもりだろうかと、一階にある校内施設を頭の中で思い描く。五味先生は車通勤だったような気がするし、もしかして外に連れ出すつもりなのかもしれない。学校の敷地からは出られないはずだが、先生がそのことを把握しているかは不明だ。

 足音を立てないように階段を下り、先生たちを追う。いまはまだ木を隠すのは森の中といった具合にほかの生徒に紛れることも可能だろうが、姿を見られることにはまだ抵抗があった。といっても、話をするとなれば、さすがに透明化したままというわけにもいかないのだろうが、そのときは仕方がない。

 先生たちが、ひとつ、ふたつと一階にある校内施設を通り過ぎていく。頭の中に思い描いた施設の中からそれらが削除されていくと、とある施設の内装が思い起こされた。

 それは身体を休める際に用いられるものであり、また”そういった行為”に及ぶ際に用いられる設備としても、もっとも一般的なものではないだろうか。

 ひとつ、またひとつと、最悪の想像から外れた可能性が否定されていく。

 先生の後ろをついて歩く女子生徒は、授業開始の時間が差し迫ったことと、生徒が多く行き交う地帯を通り過ぎたことで人通りがなくなった廊下をとぼとぼと歩いている。教師の言うことだからと着いて来てはいるが、本心は不安なのだろうことが感じられるような足取りだった。

 それとは対照的に、先を歩く五味先生はいつになく気が大きくなっているように見えた。強い語気で女子生徒に追従を命令する彼の姿は、現実でよく目にした、少し猫背で、困ったように曖昧な笑みを浮かべる彼の姿とはまったく重ならないものだった。


「あ、あの、先生……そろそろ授業が……」


 女子生徒が足を止め、うつむきがちにそう言った。


「んーー?」


 それを振り返った五味先生の目は、もはや先生とは呼べないような冷酷なものだった。

 五味は立ち尽くしている女子生徒に無遠慮に歩み寄る。ふだんの彼から感じられる、男性教師ゆえの女子生徒への配慮、のようなものは微塵も感じられない。もともと彼に対してあまり大きいという印象はなかったが、小柄な女子生徒と並んだためか、はたまた彼が現実のように自信無さ気に猫背でいないためか、目の前の彼からは大人の男性なのだと思わせるような、ある種のたくましさが感じられた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ