016,知ってることだ系ヒロイン
「あんときは女子を探してたんだから、男子のことなんか見てねーよ」
わずかな沈黙。なぜだかおれまで責められているような感覚を覚える。
「えっと、スミレ君は机に顔を伏せて寝ていたと思うから、顔はわからなくても仕方ないよ。小柄で、髪はイセ君よりもちょっと長そうだったかな?」
イセ君、というのはおれを助けてくれた刀を持った男子生徒だろうか。タガメ先輩はおれのことも君を付けて呼んでいるし、イセ君は同級生である可能性もあると思う。同じクラスになった生徒の苗字くらいならあらかた把握しているけれど、イセという名前に覚えはない。そもそも、夢世界に招かれていない共通の知り合いと言う可能性もあるけど、刀の男子はたしかにおれよりちょっと短いくらいの髪の長さだったように記憶している。
「よく覚えてんなー。まさか生徒全員覚えてるとか、マンガみたいなこと言わないよな?」
「それはさすがに……。なんかひとりで寂しそうだったから、ちょっと気になっただけだよ」
感心したようなリンドウ先輩の声に、少し照れたようなタガメ先輩の声。
「そろそろ次に行こう」
短く告げた主人公系刀男子生徒の言葉にそれぞれが返事をしながら歩き出す。最後におそらくはタガメ先輩が、静かに扉を閉めて去っていった。
固まったまま耳を澄ませていると、廊下を歩いていく音が聞こえる。うちの高校は廊下側には窓がないので姿は確認できない。センパイ方の向かった方向には、まだ一年生の教室がある。「次に行こう」という言葉からも、きっと同じように教室の様子を見ていくつもりなのだと思った。
それにしても、だ。
なんで声をかけられなかったのか。
廊下の向こうから、隣の教室の扉が控えめに開かれた音が聞こえてきた。
おれは少し椅子を引いて机の上に上半身を預け、全身を弛緩させた。
センパイ方のあの様子はいったいどういうことだったのだろう。まるでおれがこの場にいないかのような物言いだった。
まさか本来なら男子生徒が座っているはずの席にいるのが女子生徒だからといって、そのことにまったく触れないはずもない。
そこにいるはずの人間を、あえていないかのように扱う、というのは、時にイジメなどで用いられる手法のひとつにあると思うが、センパイ方はそんなことをするような人柄でもなければ、そんなことをする理由もないと思う。一応の可能性として、おれが知らないだけでセンパイ方がなにかそうしなければならない理由があるのかもしれないが、おれのようなたかが一生徒に対してなぜそんなことを? という疑問は拭い去れない。
もしかしてセンパイ方の言うところのプレイヤーだからか?
しかし当然、おれの知らない事情について考えても答えなど出るはずもなく、廊下からはセンパイ方がさらに、べつの教室へと移動していく物音がかすかに聞こえていた。
これで、リンドウ先輩が故意におれのことを黙っている可能性を考えなければ、おれは二回もいないものとして扱われたことになる。
もしかしてセンパイ方にはおれの姿が見えていないのだろうか?
しかし、だ。確認してみた自分の腕は透明になっていたりはしない。まったくふつうに見えているし、影もできている。
そういえば、オバケに気づかれなかったこともあった。いや、気づかれはしたのか。あのときは、驚いて後ずさった拍子に石を踏んで音を立ててしまったのだった……。
まさか、という思い付きが脳内を駆け巡る。
おれは姿を隠す能力に目覚めたのではないか?
それならばリンドウ先輩の件もかなり単純に理解することができる。見逃すだのいっしょに行動しているタガメ先輩たちになにかを隠しているなどという複雑な事情ではなく、たんにおれの姿が見えていなかったというだけ。
にしても、オバケに気づかれたのはなぜなのだろう。思いつく姿を隠す系統の能力者たちを思い出していく。対象は当然、数多ある創作物のキャラクターたちだ。
なんとなく思いつくものとして、単純に姿を隠すものと、存在を認識されない、認識させないものとが思い浮かぶ。
前者は主に視覚に影響するもので、後者は視覚というよりは、相手の知覚全般に影響するものと言えるだろうか。
たとえば光学迷彩などは前者に分類され、やたらと影が薄くて相手に存在を気づかれない、などは後者にあたるだろう。
どちらがより強力か、といえば、基本的には後者になりそうな気がする。もちろん能力の程度によるのだろうけど、においや音を誤魔化せない前者に対し、後者はそれらはもとより視覚すら誤魔化す必要がない。
考えてみれば、どういった作用でもって効果を発揮しているのか次第なのだろうが、相手の脳機能を操作していると考えると、後者の類いはかなり強力なもののような気がする。といっても、いろいろな創作物の中のものはともかく、ここは夢の世界なのだから、脳機能がどうとかはあまり関係がなさそうではあるけど。
肝心なのは、自分の能力がどのようなものなのか、ということだ。いや、そもそも本当にそういう能力を扱うことができるのかが先決かもしれない。
おれは孤独を痛感した。
センパイ方のように、アキラさんとシュウゴさんのように、友人知人がいれば、自分の能力について実験もできるだろうし、相談もできただろう。
ないものねだりをしても仕方がないが、かといって、実際にどうやって能力を把握したらいいのか迷ってしまう。オバケを探して、というのは当然、却下だ。
同級生たちに話しかけてから能力を使ってみると言うのはどうだろう。
「あの……」
もしかしておれも特殊能力に目覚めたのか、という興奮で思考に夢中だったせいか、おれは隣の席の生徒にごく自然に話しかけていた。
そういえば女装させられているんだった。そう思ったときには、馴染みのある同級生の視線がはっきりとおれを捉えていた。
駄目だ。隠れなければ、と思った次の瞬間、おれを捉えていたはずの隣席の同級生の視線が泳いだ。
視線を落として自分の姿を確認する。すると、おれの姿は学生服もまとめて、半透明のようにうっすらと透けて見える状態になっていた。
これってべつに透明になってないし、ふつうに見えるよね……と、曲げたり伸ばしたりした腕を見ながらそうは思うが、話しかけて一度はおれを認識したはずの同級生は首をひねりつつ教壇へと視線をもどしていた。
おれは椅子を引いて立ち上がった。
すると、隣席の同級生は驚いたような顔をしてこちらを振り向いた。ほかの生徒たちの様子は相変わらずだ。
おそらくまだおれが話しかけたことによる、おれに反応する状態が続いていたのだろう。そして椅子を引いた音を聴いたにちがいない。
思い返してみると、オバケにも物音を立てて気づかれたのだった。そして怯えてじっとしていると、そのままオバケは去っていった。
ということは、おれの隠れる能力は、相手に存在を認識されないような強力なものではなく、光学迷彩などのように姿を見せなくするものなんだろう。それにしては自分の姿は半透明になって見えている。
なぜかとは思うが、同時に、マンガやアニメなど、映像を伴う作品において、ほんとうに見えなくなってしまうとキャラクターがなにをしているのかがわからないために、このキャラクターはいま透明になっていますよ、と視聴者や読者に示しつつ、作品の世界の中では透明として扱う表現に近いような気もして、それほど違和感は抱かなかった。
実際、自分自身の姿が完全に確認できないよりは、半透明くらいのほうがありがたいような気がした。感覚だけを頼りに歩き回ったりなにかを触ったりするのは大変そうだし、なにより自分の存在自体がなくなってしまうようで不安だ。なんとなく、オバケに呑まれたときのことを思い出してしまう。
思いのほかあっさりと自分の能力について知ることができた。棚からぼた餅、はちょっと違う? 災い転じて福と成す、というには、災いが自分の過失だから気が引ける。
ともかく、思いのほか隠れる場所の少ないこの学校という環境において、姿を隠せる能力というのは非常にありがたい。
もしかして、おれが身を隠したがったから、こんな能力に目覚めたのだろうか。夢の世界だし、いかにもありえそうな気がしてくる。体外離脱の体験談などでも、自分の望んだ能力を覚えていく、みたいのはたくさんあった。
そう思うともっと格好よく戦えるもののほうがよかったかもしれない。よくあるゲームのように、覚えられる能力に限りがあるとしたら、おれはもう純アタッカーみたいなキャラクターにはなれないだろう。
とはいえ、目覚めてしまったものは仕方がない。さらに性能を掌握すべく試しながら、活用方法について考えていこう。
自分の能力についての思考が一区切りつくと、今度はセンパイ方の行動が気になってくる。いったいなんのために教室を回っているのだろう。
おれの席がどうこうと言っていた。センパイ方からすれば、いまこの教室でおれの席だけが空席状態だったことになるか。あのときはあまり自覚がなかったけれど、着席していたのに見つからなかったからには能力が発現していたんだろう。持続時間などはまだよくわからないけど、隠れたい、と思ったときに発動できるみたいだ。思えば女装にノーパンでこの教室に放りこまれてリンドウ先輩に見つかりそうになったときも、おれは必死で隠れたいと思っていた。
というか、センパイ方の目的が知りたいなら、本人たちに教えてもらえばいいではないか。能力を獲得したとあって、おれにしては大胆な発想だと思うが、あんまりうじうじ考えこんでいても答えなんてわかりそうもない。
なにかを探っているのだとは思うが、その探っているのがなんなのか、なんのために探っているのかを手持ちの情報で推測するだけの推理力は、おれには備わっていないのだから。
手のひらを見ると、半透明状態はまだ持続していた。おれはとりあえず目をつぶって、元に戻りたいと念じ、ふつうに見える状態になった自分を想像した。
目を開き、透明状態が解除された手を確認する。同じような過程でもって、今度は透明化を実行する。半透明と化した腕を確認したあと、席を立った。