014,刀系主人公登場!
学生服姿の男子生徒は、こちらに背を向けた状態で離れていく。その手には学生服に似つかわしくない……いや、創作物的にはそんなこともなさそうな、すらりと美しい刀が握られていた。
周囲に見える景色から、自分がいま校舎の三階相当の高さにいるのだと知った。ふわりと浮き上がるような感覚が薄れ、体に重力が纏わりつく。直後に、背中側から落下していくような感覚を覚えた。
「オーライ!」
直下からそんな男性の声が耳にとどいたのを認識した瞬間、おれは馴染み深いやわらかなベッドの上に体を横たえていた。
◇
ようやく昼休憩にまで漕ぎ着けたおれは、今日も今日とてそそくさと食事を済ませ、机に突っ伏して眠っていた。といっても、ほんとうに眠ることはできない。それはなにも、さいきん巻きこまれている夢の世界が理由ではなく、授業がはじまるときにちゃんと起きられるのか不安だからだ。
考えなければならないことはたくさんあるような気がした。だが正直に言って、おれは疲れていた。
しつこいようだが、もうほとんど、二日間ずっと学校にいるようなものなのだ。
昨日の夜はそのほとんどを授業に出ることなく過ごしたが、避難先はトイレの個室。しかも暇つぶしのできるような携帯ゲーム機や携帯端末などもなにもない状態で、だ。
洋式に改修されていたおかげでずっと立ち続ける必要こそなかったものの、やはり疲労感は相当なものだった。
そしてその後、遭遇した件のオバケ。
あれに呑まれたときの恐怖はいまでも鮮明だ。あまり思い出したくはない……。
気にかかるのは、そんな虚無とでも言うべき暗闇からおれを助け出してくれたと思しきこの学校の男子生徒。
刀を手にした後姿は、まさに主人公といった風情だった。きっと下で『オーライ』と声を上げていた男の人……声しか聞いていないがきっと男子生徒だろう彼も、主人公の仲間にちがいない。
もしかするとどちらかは、女装姿で教室に送りこまれたおれの悲鳴を聞きつけて様子を見にきた男子生徒かもしれない。
刀を手にした主人公とは少し印象がちがったような気がするから、下でおれを受け止めようとしてくれていたほうだろうか。そう思うと、なんだか声が似ていたような気もしてくる。
それにしても、夢の世界にはいったい何人の主人公がいるのだろう。
アキラさんに、刀を使う高校生。そういえばアキラさんは素手であのオバケを引き裂いていたっけ。
それに比べておれはどうだ。
石の投擲がうまくいったまではよかった。経験もなにもないのに成功したのは、きっと夢の世界だからじゃないだろうか。いかに主人公たちがすごいといっても、現実で二階だの三階だのの高さまで跳躍できるはずもない。きっとあの夢の世界も、体外離脱の世界とまではいかないまでも、超人的な動きが可能になるなにかがあるんだろう。おれの投擲にもそんな力が働いたにちがいない。
しかし結局、おれは無様にオバケに喰われただけ。
体外離脱の体験談を嬉々として読んでいたときには、自分にもいろんなことができるんじゃないかと夢想したものだったけど、現実はあんなものだ。いや現実ではないんだけど。
「はぁ……」
ため息のひとつもつきたくなる。
現実紛いの夢世界に行くようになってまだ五日かそこら。だというのに、なんだかもう嫌気が差してきてしまった。
アキラさんたちと出会った直後はむしろ就寝時間が待ち遠しく感じていたはずなのに、人間、こんな短期間でも変われば変わるものである。
そういえば、あの世界に行かずに済む方法というのは何かないのだろうか。これまでは楽しみにしていたこともあり、考えたことがなかったが、五日前……不可思議な女性とバルコニーで遭遇して以来、いまのところは100%の確率で夢の世界に招かれている。
わかりやすい方法として、そりゃあ眠らなければあの世界に行くこともないんだろうけど、さすがにそんなわけにはいかない。意識は連続しているのだから、感覚的にはもう不眠と大して変わらないようなものだけど、現実に帰還したときには体の疲労はちゃんと取れている。効果がちゃんと発揮されている以上、やはり睡眠は必要だ。
と、なにやら教室の雰囲気に違和感を覚え、顔を上げてみる。
なにやら教室の入り口に見慣れない生徒が立って、教室の中をきょろきょろと見回していた。おれは慌てて顔を伏せて、眠った振りを続けることにした。
そこにいたのは、昨夜おれが悲鳴を上げたのを聞きつけて教室に様子見に来た男子生徒だった。あらためて目にした彼は、刀を手にした主人公よりも明らかに髪が短くさっぱりとしていた。体格もよく、いかにもさわやかなスポーツマンといった風貌だった。
「どう?」
「いや……つうか、やっぱわかんねーよ。落ちてくるとこ見ただけだし」
中学時代から培った地獄耳スキルで、教室入り口あたりの音声を拾ったところ、どうやら女子生徒がいっしょだったらしい。だが、夢の世界で彼を呼びにきたのとはまたべつの女性であるように思う。
教室の空気からしても、彼らは上級生。つまり現実での三年生だろう。おれと同じ状況なら、夢の世界では二年生か。
聞いたところ、どういう理由があってのことかわからないが、オバケに襲われていた生徒を探しているらしい。
周囲の雰囲気からして、彼らはあれこれ尋ねまわったりはせず、早々に去っていったようだ。もともと見つけられる公算は低いが、とりあえずひとしきり眺めてみよう、といったところか。
隣に立っていた女子生徒は一瞬しか見なかったけど、二人の見た目の印象は好感の持てるものだった。周囲の同級生たちも、男子も女子も、それぞれにふたりのセンパイに対して好意的な言葉を囁きあっていた。拾い集めた情報によると、男子のセンパイはリンドウという苗字で、実際にバスケ部の有力選手らしく、タガメという苗字の女子のセンパイは、生徒会に所属もしている才女のようだ。
オバケに襲われていたおれを助けてもくれたのだし、きっと良い人たちなのだと思う。なぜおれ――夢の中ではほとんど別人みたいなものだが――のことを探しているのかはわからないが、たとえば、助けた礼にと、法外な金銭を要求したりするためでないことはまちがいないだろう。
いっそ名乗り出てみるのはどうなんだろう……。そんな思いがよぎる。
はっきり言ってひとりは不安だ。日常生活ならまだしも、あんな異常な世界でだれも頼る人がいない状態でいつづけるのはつらい。
アキラさんたちを頼りたくなるが、学校の敷地から出られない以上、彼らと接触するのは難しそうだ。せめてもう一日、夢世界で学校に閉じこめられるようになるのが遅かったら、アキラさんたちと現実でも連絡を取り合えるようになっていたかもしれないのに……。
それにしてもアキラさんたちのことを信用……というか、頼りすぎだろうか。考えたくはないが、学校の夢に囚われている状態では、彼らがおれ個人の妄想である可能性を否定できる材料が少なすぎるように思う。
……先輩たちに名乗り出るか、という問題だ。
やはり気は進まない。そもそも信じてもらえるだろうか? リンドウ先輩に目撃されたとき、おれは体ごと女装させられていた。
というか、リンドウ先輩はおれがオバケに襲われる以前に教室で羞恥にうずくまっているおれを発見していたのではなかったか。いやそもそもあのときの男子生徒がリンドウ先輩だと確定したわけではないのだが、刀を持った主人公、おれを見逃してくれたおそらくはリンドウ先輩、それを呼びにきた女子生徒、そしてさきほど行動を共にしていたタガメ先輩。これだけでもう四人もこの学校の生徒が夢世界で自我を保っていることになる。
あの世界で自我を保って行動できる人がどれくらいいるのかわからないけど、あんまり多くはないように思っていた。たくさんの人がそうならば、もっと話題にされていてもおかしくないような気がしたからだ。
おれが夢の世界に関してネットで検索してみた限りでは、現在進行で、ああいう夢に関して話し合いが持たれている場所は見つけることができなかった。もちろん、自分が見つけられないからといって、存在しないとは言い切れないのだが、少なくともパッと見で探し出せるほど大きなコミュニティなどは形成されていないように思われた。思い当たることといえば、せいぜい電車内で聞こえてきた胡乱な会話くらいのものだ。
と、またしてもついつい考えすぎてしまった気がするが、教室に様子見に来たのがリンドウ先輩かどうかだ。印象ではまず間違いなく同一人物だと思う。あれこれ遠回りしてはみたものの、けっきょく第一感に帰ってくるのはよくあることだ。
しかしその先が問題なのだ。リンドウ先輩はおれを見逃してくれたはずで、そのときおれの女装姿を見ているはずなのだ。
だがあらためて考えてみれば、あのときのセンパイはおれのうずくまった後姿しか見ていない。だがオバケから助けられたときに見ていたのも後姿だろうし、同一人物だと判断できないものだろうか。できなくてもおかしくはなさそうに思える。だとしたら考えすぎか。
リンドウ先輩が、おれ、というか女子生徒を見逃したことを故意に黙っている、という可能性があるのかと思ったが、たんに同一人物と考えていないだけかもしれない。
もし意図的に情報を伏せているとしたら、リンドウ先輩はあんな爽やか青年然とした顔で実は黒幕だったりするのでは、などと勝手に盛り上がってしまった。そもそもなんの黒幕? って話でもある。
現実に、同級生の中にそんなに何人も、なにか世界的な重要人物が含まれていることなどあり得ないだろう。
そのとき、昼休憩の終わりが告げられた。思索、とも言えないような乱雑な思考に沈むうち、授業の始まる時刻となっていたらしい。
先輩たちに名乗り出るか、という勇気を必要とする問題に対し、おれはいつものように保留を採択した。