(5)
「えーーーーーーーーーーーー」
ちょっと待て。どういう事だ。さっき私の死を止められないって言っておきながらの剛速球。
もはや天変地異だ。言っている事が真逆すぎる。不意打ちにもほどがる。
「ほんと、何なのあんた!?」
大声をぶつけてやりたいし、そうすべきだしそうなって然るべきだと思った。けれど、いつものふわふわちゃらちゃらしたおふざけの空気を、今安藤君は完全に封印している。
そういうノリじゃないんですとでも言うように。
「言ってることが無茶苦茶だよ、安藤君」
だから代わりに静かに冷静に突き付けてやる。でも相変わらず安藤君は神妙な顔をして頷くだけだ。
「そうですか? 確かに対極な意見ですけど、俺の中ではどっちも真面目で嘘偽りのない真剣な気持ちですよ」
がしゃっと安藤君はフェンスを掴んで、下を眺めた。
一瞬ぞくりとした。何故だかふいに、安藤君が地面でぐちゃぐちゃに潰れているビジョンが見えた。
「さっきも言いましたけど、工藤さんが死にたいならそうすればいいと思いますよ。ほんとに」
「確かに嘘偽りのなさそうな言い方」
「第一、興味もないですし。工藤さんが何で死にたいかなんて。それこそ口出し出来るものでもないし」
「出してもいいのよ、別に」
「何かそのセリフ嫌です」
「変な事考えたでしょ」
「変な事考えさせられたんです」
「人が死ぬって時に変な事考えないでよ」
「いやまあ、ともかく。どっちにしろ、工藤さん話さないでしょわざわざ」
「ん?」
「他人に自分が死にたい理由なんて」
「……あー」
確かになと思う。それは――。
「そんな話しても仕方がない、面白くないって思うから」
「なんで全部バレてるのかねえ……」
「言ったでしょ。似てるって」
なるほど。確かに言った。
たまに空気を読めないこの後輩は、それをイイ事に平気で心の中に土足で踏み入ってくる。でも本人は一切悪びれない。気付いていないのか、はたまた気付いていながらそれの何が悪いと開き直ったように涼しい顔をして佇んでいる。
ずるい。人は人の事を気にして生きてしまう。私はずっと他人が放つ空気の塊に押されながら、皆が求める最善で必要で無難な答えに媚を売り続けた。逆に言えば、その答えから遠ざかれば遠ざかるほど不安で怖くて居ても立っても居られなくなるから。
それが全部ようやくくだらなくて意味のないものだと分かった時、その先には死という答えだけが残っていた。
でも安藤君は違う。安藤君は決してそんな事は恐れない。
「だから俺、工藤さん結構好きなんですよね」
そう思っていた。
「俺ってうまくやってるように見えるでしょ? 実際そうなろうと頑張ってます。でもね、不意に、そんな自分が滑稽に見えるんですよ。おもしろくもないのに、おもしろそうな顔をしてる自分が。おもしろい事しかしてたくないし、おもしろい人達としか一緒にいたくない。でももちろん、そんなの無理ですよね。だったら全てを切り捨てちまえばいいのに、でもそうする勇気もない」
彼は、私と似ている。
「類は友を呼ぶっていうか、なんとなく分かるんですよ。空気っていうか、匂いっていうか」
「匂いは、なんか嫌だね」
「ちょっと変態っぽいすね」
「謝ろっか」
「じゃあ、謝ったら死なないでくれます?」
なんでなの。
じゃあ、なんでそんな事言うの。
私と一緒なら、私の気持ち、わかるでしょ?
「屋上で工藤さん見た瞬間、あ、この人死ぬなってわかったんです。それで、その時自分でもびっくりするほど自然に思ったんです。死んでほしくないって。大事な仲間が消えるって思うと、すっごく寂しくて嫌だったんです」
なんだそれ。ただのわがままじゃないか。
なんだ。私、泣くのか?
「工藤さんの死を止める事は出来ないですけど、けどだからと言って、死んでほしくはないんですよ」
やっぱり無茶苦茶だよ、あんた。
あーもうなんだか、馬鹿らしくなってきた。
「はいはいはいはい、分かりましたよ!」
もう死んでなんかやらない。決して安藤君の為じゃない。私自身の為。
一つ彼に倣うなら、私も単純に感じたのだ。
こんな後輩ともう喋る事も出来なくなるのは、なんだか嫌だなと。
「やめた。死ぬの」
「意外とあっさりやめれてくれるんですね」
「何? じゃあ死んでほしかった?」
「工藤さんがそうしたいなら、どうぞ」
「もう死なないわよ」
だから生きたついでに私は聞いてやる事にした。
「ところで安藤君、本当は今日ここに何しに来たの?」
そう言うと、ばつが悪そうな顔をして、やっぱり彼は襟足をぽりぽりと掻いた。
「まあそれは、似たもの同士って事ですよ」
“工藤さんこそ、何してんすか?”
“いやー、ちょっとね”
“なんだ、俺と一緒っすか”
やっぱり、そうだったんだ。
ビルの下を見た時の彼の横顔。きっと最初、私もあんな顔をしてたんだろう。
「あんたがそうしたいなら止めないけどね」
そう言って私はフェンスから完全に身体を離す。もうここに用はない。
「工藤さん」
背中に声を掛けられる。
「また来週」
また。ちゃんと安藤君はそう言ってくれた。
「じゃあまたね」
いい言葉だな。何度も言ってきた言葉を、初めて私はそう思えた。
工藤瑞枝 終