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首が回らないほどの借金をしたわけでも、取り返しのない罪を犯したわけでも、ひどい裏切りを受けたわけでも、クスリでハイになったわけでもない。
面倒だし、疲れた。理由はと尋ねられたらシンプルに出てくるのはそれだけだ。だから今日、私はここで死んでやろうと思った。
「……台無し」
「え、なんか言いました?」
「別に」
惰性。私の人生を一言で表すのに、こんなにも最適で最低な言葉はない。だらだらと速度も気にせず、でもとりあえず前に進むものだと教えられたから、人生というレールの上を仕方なしに指し示される方向に進み続けてきた。そこに自分の意思はあるようで、でも全然なくて、結局思い返せば何かに全てを決められてきた。
学校、恋人、仕事。
勉強はしないと世間から冷たい目で見られるから。成績が悪いと親が怒ったり悲しんだりするから。良い学校に進めば、人生で有利だから。悪い学校に行けば、人生を損するから。
自分でそう思ったわけじゃない。そういうものだと教えられたから。だからその中で自分に合ったものを選んだ。選び取らされた。私が率先して選んだのではない。
恋人もそうだ。彼氏がいないとダサイ。彼氏にするなら優しくてカッコイイ人じゃなければいけない。一度も彼氏がいない人間はステータスが低い。誰から言い出したわけでもない謎のものさしが当たり前の共通認識のようにべらべらと口から並べられて、それが真実で真理で、そこから外れようものなら異端としてハブられる。
だから恋人をつくった。好きでもない。好きという感情をよくも分からず、ただそうすべきものなんだと思ったから、そうなるように振舞った。
仕事ももちろんこの式にあてはまる。
そうやって、なんとなく、そして、世間の世界の思考回路の中で私は生きてきた。私の頭の中で考えている事は、世界の認識からのコピーで私の中にペーストされただけのものに過ぎない。
全ては空気だ。周りが放つ常識や一般論という空気に押し込められていただけ。
私はどこにでもいて、どこにもいない、毒に薬にもならない、いてもいなくてもいい存在だ。
その全てに気付いてしまった時、私の生きる理由なんてものはもとからなく、道理で全てに対して気力が湧かず、なんとはなしに生きてきた自分自身に納得した。
楽しくもなんともない。チェスの駒のようにただただ盤上で佇み、誰かに自分の頭をつかまれるのを待ち、己で一歩も前に進む事など出来ない存在。
意味などどこにもない。ならばさっさと終わらせてしまえばよかった。
あまりに気付くのが遅すぎた。この考えに基づくなら、その終わりさえも自分で決めたものではなく、誰かに決められたものなのかもしれない。そんな事を考える事も面倒で嫌になる。
だから私は終わらせに来たのだ。
「ちょっとやらないといけない事があってね」
「ふーん、そうすか」
まるで納得していない様子の安藤君にはさっさとこの場から立ち去ってもらいたい所だが、彼は離れる所かスタスタと私の方へと近寄ってくる。そのままはぁーあ、なんて言いながらフェンスに背中を預けどこかのバンドのミュージックビデオさながら空を見上げた。
「ここいいですよね」
独り言のように安藤君は呟いた。
「そうね」
どっちだか分からなかったが、彼の意見には同意だったのでとりあえず彼の言葉に自分の言葉を重ねてみた。
「俺、邪魔ですよね?」
でも次の言葉にはすぐに反応出来なかった。そして残念ながら遅れた反応によって空いた不自然な間が、何よりも私の答えを物語ってしまっていた。
「ですよねー」
特段ショックを受けた様子もなく、なんだったら更に暢気さを増した声が横から返ってくる。
何なのこいつ。思わずふっと小さく笑いが漏れた
もとより彼はいつもこんな調子で、飄々とふわふわと漂うように存在しながら時に空気を読まない行動や言動をとったりする。でもそれを不快に思う人間は少なく「安藤だから」と免罪符のように皆笑顔で彼を許してしまう。とても不思議な人間で、正直私は自然体でそんんなふうに振舞える彼を羨ましく思っていたりする。
「だって工藤さん、死にに来たんですもんね」
何も考えてなさそうなのに、こうやって人の核心を平気で、しかも何ともないように軽く突いてしまえる所も。