寸説 《塔》
これはmaさんが中学のときに書いた物語の世界観を受け継いでいます。魔導士と人間の争い。そんな世界の一時です。どうぞご覧あれ!
かつて人間は魔女と戦争をしていました。
魔女たちが扱う魔法はとても強く、人間は負け続けました。
魔女たちは人間たちの故郷を焼き払い、子供は拐い、大人は殺し、人間に酷いことばかりをしました。
人間たちは魔女にいじめられて泣いていました。
そんな人間たちの前に勇者が現れたのです。
勇者は魔女たちよりも強い、神に与えられた力で悪さをする魔女たちを次々と懲らしめました。
勇者に負けた魔女たちは反省して森の奥深くで暮らしました。
めでたし、めでたし。
図書の魔女は絵本を閉じた。
「これは絵本棚へ」
図書の魔女が言うと、絵本は宙に浮いて一つの本棚に収まる。
「え~と次はーー」
「やっほー! 図書。今日も相変わらずに引きこもってるね」
扉を音を立てて開けたのは、いつも元気な家事の魔女。
「扉は静かに開けてよ。埃が舞っちゃう」
図書の魔女は咳き込む。
「たまにでいいから空気を入れ替えないからよ。ほら、綺麗にしてあげるから外で待ってて」
「いいよ、自分でやるから!」
「そう言って一週間だよ」
「でも君が掃除しちゃうと本が見つからなくなるんだ!?」
「それなら早く掃除しちゃえば良かったのに」
家事の魔女は指揮棒を振ると彼女が運んできたハタキに箒にモップ、雑巾に水の入ったバケツが踊るように掃除を始める。
「もう! 本が汚れちゃうじゃないか!」
図書の魔女は本棚に収まってなかった本を繋げて大蛇のように宙を滑らせて外に出した。
「棚の本は弄らないでよ」
はいはい、と家事の魔女は図書の魔女を外に追い出して自分も箒で床を掃いていく。
図書の魔女は座っていた椅子を地面に置いて宙を泳ぐ大蛇から本を一冊取って読み始める。
「大変! 大変! 薬草の魔女が帰ってきたわ!」
一人の魔女が叫ぶと家に居た魔女たちが慌てて外に飛び出す。
「もう! 心配したのよ」
「ごめんなさい」
一番年上の魔女が森に帰ってきた薬草の魔女を叱る。他の魔女たちも安堵した表情で薬草の魔女を囲む。
「何日も何処に行ってたの?」
一人の魔女が訊くと、薬草の魔女は瞳を輝かせた。
「私、塔の王子様に助けてもらったんです!」
薬草の魔女が言うには森に薬になりそうな草花を探していると大きな熊に出会ってしまったらしい。走って逃げると樹の根に躓いて足を怪我してしまう。熊はそんな彼女を食べようと襲いかかる。
薬草の魔女が死を覚悟したとき『塔の王子様』が彼女を助けたらしい。だが安心は出来なかった。なぜなら人間と魔女は仲が悪いのだ。
薬草の魔女が恐怖に震えていると『塔の王子様』は彼女に優しく語りかけて足の怪我が治るまで塔で看病してくれたという。
薬草の魔女の話を聴いて他の魔女たちは甘い溜め息を吐いた。
「私も会ってみたいわ」
「男らしい、お方」
「王子様になら真名を呼ばれてもいいわ」
森の魔女たちの間では『塔の王子様』の話題で持ちきりだった。
「ふん! 何が『塔の王子様』だ。浮かれちゃって」
本を読みながら図書の魔女は口を尖らせる。
「あらあら、あなたは興味ないの?」
家事の魔女は物干し竿に洗濯物を干している。
「興味ないね。人間が魔女に優しくするはずがないじゃないか。私たちに優しくするのは、どうせ美しい私たちに鼻の下を伸ばしている変態だよ。って!? 勝手に私の下着を干さないでよ!?」
家事の魔女は鼻歌を歌って図書の魔女の洗濯物を干し続けた。
図書の魔女は次の日も本の整理をしていた。家の外では未だに魔女たちが乙女になって『塔の王子様』に酔いしれている。図書の魔女はそれが煩わしかった。
この森の魔女たちは百年以上も前に人間に追いやられたのだ。彼女たちだってその時の記憶を忘れたわけではない。
なのにだ。人間の男に恋をするなど馬鹿げている。
図書の魔女は本を読み、知識を蓄え、知恵者になっても、それを披露する場はなく、本を棚に戻す。彼女の生活はそれの繰り返しだった。
恋などーー不要だった。
ある日のことだった。朝から森の魔女たちの祭りが催された。
この日は一年で一日だけ魔女たちが森で大騒ぎしても人間に許される日だった。魔女たちは家で作った料理やジュースを外に運ばれたテーブルに器がはみ出るほど並べ、食べては歌い、飲んでは踊った。
森の魔女たちが盛り上がっているなかで図書の魔女は祭りの隅でケーキを食べていた。いつも家に引きこもっている彼女も祭りの日だけは好きだった。まあ歌いも踊りもしないが。
「楽しんでる?」
「これでもね」
家事の魔女が笑いも喜びもしないでケーキだけを食べる図書の魔女の隣に座る。
「それならもっと楽しそうにしなよ……も~らいっと」
家事の魔女が皿からケーキを摘まむーーこの時代のケーキは固いので摘まんでも崩れないのだ!
「あっ!? 私の!」
図書の魔女がフォークで突き刺して取り戻そうとするが家事の魔女はひょいひょい避けてケーキを完食する。
「そういえば今夜は驚くことがあるみたいよ。早めに寝ないでね」
家事の魔女はウィンクして祭りの中心に戻った。
そして森に夜が訪れる。
明かりの魔法で光の玉が魔女たちを照らす。
「さーて! 今夜は祭りの最大イベント『王子様に告白しよう』だあああ!!」
「きゃああああああ!!」
魔女たちの黄色い喚声があがる。
「私帰る」
「まあ待ちなさいよ。見るだけで良いからさ」
森の魔女たちの催しに呆れた図書の魔女がドアノブに触れると家事の魔女に引き剥がされる。
「何が『王子様に告白しよう』だ! そんなことを率先してやるなんて。火炙りのほうがマシだ!」
「あなたは極端に考えすぎよ。人間にだって良い奴が居るんだから」
「良い奴が私たちを森に幽閉しない!」
「"あの子"は私たちに優しくしてくれた」
「"あの子"だって結局は人間の味方をした」
「それは私たちが間違えたからよ」
「間違い? 仲間を助けるために戦ったのが間違いだったって言うの!?」
図書の魔女は家事の魔女を睨み付ける。その瞳は憤りに満ちていた。
「そうじゃない」
家事の魔女は優しく語りかける。
「私たちはやり過ぎたんだ」
家事の魔女は昔を懐かしみ悲しげ目を細める。
図書の魔女は目を逸らす。彼女はいつも元気な家事の魔女が悲しむのが嫌いだった。
「見るだけなら」
図書の魔女がボソリと呟く。
「ホント! じゃあ行きましょう!!」
けろりといつもの元気さを取り戻した家事の魔女。図書の魔女は遅れて気づいた。自分を参加させるために家事の魔女が一芝居したことに。
「それで全員で行くの?」
「抽選で選ばれた一人が代表で行くんだよ」
「抽選?」
家事の魔女が指差した方を見ると魔女たちが自分の名前を書いて箱に入れていく。なるほど、そこから自分の名前が引かれれば晴れて『塔の王子様』に会いに行けるらしい。まあ私は行く気がないのでやらないが。
「じゃあ抽選の発表をしまーす! 選ばれるのはーー」
魔女たちが息を呑むなか一番年上の魔女が箱に手を入れて一枚の紙を取り出して司会役の魔女に渡す。
「えー選ばれたのは……なんとおおおお!? 図書の魔女だああああああ!」
発表に森の魔女たちは大いに沸いた。ただ一人を除いて。
「何で……私なのよおおおお!?」
図書の魔女は『塔の王子様』に会うことになった。
「何で私が選ばれるのよ!?」
「アハハ。何十人もいるから良いかなーと。当たっちゃたね」
苦笑する家事の魔女。
「笑うな!? どうするのさ! 私が行くはめになったじゃないか!?」
「良い機会だし行ってきなさいよ」
「ふざけるなあああああ!?」
家事の魔女の襟を掴んでガンガン揺らす。揺らされている本人はアハハと苦笑するだけ。
「ほら図書の魔女、ドレス持ってきたわよ!」
「お化粧は任せなさいな!」
「応援するから頑張って!」
森の魔女たちが図書の魔女を取り囲む。
「ああもう! ドレスも化粧も応援も要らないから!」
ええ~! と森の魔女たちが不平不満を漏らす。
「まあそんなに嫌なら他の子に譲っても」
「行くわよ」
家事の魔女がすまなそうに妥協案を言うと図書の魔女は手で制した。
「行って皆に人間の悪さを思い出させてあげる!」
図書の魔女は自信に満ちた笑みで胸を張った。
「ホントにそれで行くの?」
「ああ、これで良いんだよ」
森の途切れるところに森の魔女たちが集まっていた。
図書の魔女を見送る森の魔女たちの表情は不安げだった。何故なら図書の魔女があまりにも醜いお婆さんになっていたからだ。
「そんなんじゃ『塔の王子様』にOKもらえないよ?」
「もらわないために行くんだよ。それじゃあ」
図書の魔女はフードを目深に被り、百年以上ぶりに森の外に出た。だが彼女には感じることは何もなかった。ただ光が漏れる塔を目指して杖を突いた。
そして辿り着いたのは背を反らさなければ月明かりを反射する先端が見えないほどの高い塔。
「おっと。背は反らすんじゃなくて曲げないと。私は老婆なんだから」
図書の魔女は腰を曲げて一度咳払いをすると老婆のようなしゃがれた声に直す。
「さて、やろうかね」
図書の魔女は塔の扉をノックする。すぐに少年の元気な声が返ってくる。そこで図書の魔女は思った。森の魔女が『塔の王子様』と言うほどだから、とても格好いいのだろうと。
「はい、どちら様ですか?」
だけど現れたのは図書の魔女にとっては一目惚れするような王子様ではなく、何処にでも居そうな平凡な少年だった。
期待外れだったことに図書の魔女は溜め息を吐くが自分の目的を思い出してフードを脱いだ。
「道に迷ってしまいまして一晩泊めていただけないでしょうか?」
しゃがれた声の図書館の魔女を見て少年は驚きに目を見開いた。それは彼女にとって予想通りであり、自分の醜い姿を見て少年が蔑んだ眼差しで追い返すことも簡単に想像できた。
「それは大変でしたね。さあどうぞ中へ」
「そこをなんとか……へ?」
図書の魔女は呆けた。あっさりと入れてもらえた。
「どうぞこちらの椅子へ。すぐにお茶を用意しますね」
「は、はあ。どうも」
図書の魔女は呆けるあまり素の声で喋ってしまった。すぐにしゃがれた声に直す。
「お優しい方だ。『塔の王子様』と噂されるわけじゃ」
図書の魔女の言葉に台所で湯を沸かしていた少年が驚き振り返る。
「僕ってそう呼ばれているんですか! なんか照れちゃいます」
頬をポリポリと掻く少年。
「でも僕はそんな素晴らしい方ではありません。ただの見張り番の兵士です」
「おやおや、そうなのかい」
どうりで服が貧相なわけだ、と図書の魔女は心の中で思った。
お茶を差し出された図書の魔女はありがたく受け取りーー毒が入っていないことを確認して啜った。そして、ふと考えた。これが人間なのかと。人間はもっと馬鹿で意地悪で残酷だった。だけど目の前の少年は違うように感じた。
「ここで一人で暮らしているのかい?」
「はい。たまに仲間が食料を届けに来てくれますが、ひいじいちゃんのときから僕の家系は見張り番をしています」
こんな寂れた場所で一人とは。森で多くの仲間と暮らしている自分は幸せなんだと感じた。まあ少年に同情はしないが。
「あの! 良いでしょうか?」
「なんだい?」
醜い老婆といることに堪えられなくなったんだろう。お茶は出したので今すぐにでもお帰りくださいと少年が言うはずだと確信する図書の魔女。
「お話を聞かせてください!」
「へ?」
頭を下げてきた少年に再び呆ける図書の魔女。
「僕、子供の頃から塔で暮らしてきたので外の世界が知りたいんです! そしていつか罪が赦されたときに世界中を旅したいんです!」
「罪?」
目を輝かせる少年に図書の魔女は問う。すると少年はしまったと言う表情をした。
「忘れてください」
そう言われても気になった図書の魔女は優しく微笑む。
「私は身寄りのない老いぼれ。聞いた話は墓場まで持っていくよ」
少年は、でも、と渋っていたが図書の魔女が待っていると少しずつ語り出す。
「百年以上も前に僕のひいじいちゃんは魔女と仲良くしていたらしいんです」
図書の魔女は驚きに目を見開く。無意識のうちに口が名前を紡いでいた。
「ひいじいちゃんのことを知っているんですか!?」
少年は驚きに身を乗り出す。
「まあね。この歳にもなれば家族は居なくても知り合いは多くてね」
苦しい言い訳だと思っていたが少年は興奮する。
「やはり僕の目に間違いはなかった。ひいじいちゃんのことを知っているということは百年以上も生きているんですよね? お願いします。人間と魔女の争いを教えてください!」
少年の勢いに気圧された図書の魔女だったが口からは自分が経験してきた人間との戦争を語った。自分が魔女だとは分からないように主観は無しに自分が見てきたままの光景を少年に伝えた。
話しているうちに図書の魔女は悟った。自分たち魔女が人間たちにどれほど残酷なことをしてきたかを。
「やっぱり、ひいじいちゃんは間違ってなかったんだ! 魔女は良い人たちだったんだ!」
「へ?」
喜び叫ぶ少年に図書の魔女は三度呆ける。
「魔女たちが良い奴だって言うのかい?」
「あ!? すみません。失言でした」
平謝りする少年を図書の魔女は理解できなかった。
「どうしてそう思うんだい?」
問い掛けた図書の魔女に少年は顔を上げてボサボサの髪を掻くと壁に付いた石段を上がっていき天井の穴に消えた。しばらくすると大事そうに何かを抱いて下りてきた。
「これがひいじいちゃんの手帳です」
少年に差し出されたのはボロボロの革で装丁された手帳。図書の魔女はページを捲ると目を見開く。
「この字は"あの子"の」
手帳には子供の字で魔女たちとの生活が書かれていた。そして戦争中の魔女たちの行いも。
「ひいじいちゃんは魔女たちは仲間を救うために戦ったと言い続けました。そのため魔女の仲間だと罰せられて王様に赦されるまで塔で暮らすように命令されました」
話に耳を傾けながら最後のページを見る。
「ひいじいちゃんは死ぬときまで言っていたそうです。この人に会いたいと」
少年は図書の魔女が見つめていたページを指差す。そこには仏頂面で本を読む少女ーー百年以上も姿が変わらぬ図書の魔女自身が描かれていた。
図書の魔女の空虚だった心に感情が沸き上がる。家族のように過ごした"あの子"との思い出が頭を駆け巡る。そして彼を喪ったときに自分を戒めた深い悲しみから彼女は解き放たれた。
「私だって……会いたかった!」
図書の魔女は手帳を胸に抱き、厭わずに堰を切ったかように涙を流す。少年は空気を読んで二階から布団を運んでくる。
「僕は二階に居ます。何かあったら声をかけてください」
少年は図書の魔女の肩に毛布をかけて二階へ上がった。彼が居なくなった後も図書の魔女は泣き続けた。
小鳥がさえずり、窓から朝日が覗く。
「あれ? 私」
図書の魔女は自分が椅子に座ったまま寝てしまっていたことに気づく。涙が枯れた目を擦ると衝撃が奔る。
「魔法が解けてる!?」
節くれだっていた手は張りのある少女のものに戻り、触れた頬からは皺が消えていた。もしかしたらこの姿を少年に見られていたかもしれない。
逃げるために魔女は立ち上がる。すると紙が一枚ハラリと落ちる。図書の魔女は紙を拾う。
『昼には僕の仲間が来ます。それまでにお逃げください。あなたのお友だちが塔の近くで待ってます。お話ありがとうございました。さようなら』
「さようなら、か」
図書の魔女は塔を出て森へ戻った。森では森の魔女たちが彼女を笑って迎えた。
こうして一年に一度の魔女の祭りは終わり、再び図書の魔女が塔を訪れることはなかった。
わけではないらしく、何かと理由をつけて図書の魔女は塔を訪れた。そして塔はいつの間にかに森の魔女たちの溜まり場となったのでした。