ねえ、チューしよ【自分の文体でプロポーズの言葉を考えよう】
「ねえ、チューしよ」
隣に座る美加が、にへらと笑いながら僕に顔を近づけてきた。
化粧っ気のないその顔は真っ赤で、目はとろんとしている。
酒に弱い彼女。
どうやらビール一杯でほろ酔い気分になってしまったようだ。
「なんだ美加。もう酔っちゃったの?」
僕は慌てて顔を背け、目の前にあるピーナッツを口に運んだ。
「酔ってないわよ。ねえ、チューしよ」
ん~、と目を瞑って口を突き付けてくる彼女。
明らかに酔っている。
普段はとても真面目で、街中でイチャつくカップルを見ると顔を赤らめながら目をそらすほどなのに。
「さっきしたばかりじゃん」
僕はさらにピーナッツを口に入れながらそう答えた。
「さっきのはお帰りのチュー。今度のは……お疲れ様のチュー」
「なにそれ」
「だって、長い出張だったじゃない。労いのチューぐらい、してあげたいでしょ?」
んふふ、と笑う彼女の顔が、たまらなく可愛く見える。
でも、ここで折れてしまったら、この先も彼女から執拗にキスをせがまれそうで、僕は頑なに顔を背け続けた。
「長くないよ。たった3日じゃないか」
「あー、“たった”って言った! “たった”って! 私にとってはものすごく長かったんだから!」
「大げさだよ」
ケタケタと笑いながら、ビールを口に運ぶ。
正直、僕もあまりお酒は強くない。
でも、3日ぶりの我が家(といっても、1DKのボロアパートだが)で、しかも交際4年の美加が帰りを待ってくれていると知り、つい気分が高揚して帰りがてら近所のコンビニからビールを調達してしまった。
お互いに慣れない酒でほろ酔い状態。
でも、なんだかとても幸せな気分だった。
「ふんだ、もういい」
そう言ってそっぽを向いてむくれる美加。
その仕草が可愛すぎて、自制心を失いそうになる。
「怒るなよ」
そんな美加に後ろから抱きしめると、
「きゃー」
と言いながら彼女はのけ反った。
「え、あ、うわ!」
その反動で、僕は美加を抱きしめたまま床に背中を打ち付けた。
「いて!」
背中に走る鈍い痛み。
苦痛で顔をゆがめていると、腕の中で抱きかかえる美加がくるりと向きを変えて僕の頬に唇を寄せてきた。
「……?」
柔らかな感触。
熱い息づかい。
気が付けば、僕は美加にキスされていた。
「んふふ、チューしちゃった」
「やられた!」
彼女の作戦は見事という他ない。
怒ったふりをすれば、必ず僕が後ろから抱きつくというのを見越していたらしい。
本当に酔っているのかと疑いたくなってくる。
「やった! チューしちゃった!」
「やったってなんだよ、やったって。ていうか、無理矢理チューするなよ。逆の立場だったら犯罪だぞ」
「はてな」
「とぼけちゃって」
「ねえ、もう一回チューしよ。今度は口同士」
「口同士!? し、しないよ!! 酔ってるし」
「いいじゃない。ねえ、チューチュー」
「ねずみか、おのれは」
「ふんだ……もういいもん……」
泣きべそをかくかのように、静かになる美加。
「そうそう、静かにしてなさい」
僕はそう言って美加を胸に抱いたまま、しばらく天井を見上げていた。
ちょっと言い過ぎたかな、と思いながらも身じろぎひとつしない美加に少し安心する。
僕の腕の中で静かにじっとしている美加。
彼女のぬくもりが肌から感じられ、甘い香りが鼻腔をつく。
しばらく、お互いに身じろぎひとつしない時間が続いた。
言うべきか、言わざるべきか。
実は今日、僕は一大決心をしていた。
出張から帰ってきてから一度も脱いでない上着。そのポケットに、指輪が入っている。
今夜、このポケットの中の指輪を彼女に見せようと思っていた。
一世一代のプロポーズ大作戦。
が、なかなかタイミングがつかめず、今に至っている。
しかし、今なら絶好のタイミングではないか。
1DKのボロアパートでちょっとロマンには欠けるけど、今ならイケるのではないか。
そう思った。
「な、なあ、美加……」
僕は彼女の名前を呼びながらポケットに手を突っ込んだ。
中には、我ながらちょっと頑張って買った指輪の入った箱がある。
それを握る手がぶるぶると震える。
僕は震える手で箱をつかむと、胸に顔をうずめる美加の頭上に持っていった。
「え、と。その……。これを見て欲しいんだけど……」
ドクドク高鳴る鼓動をおさえながらそうつぶやく。
彼女は喜ぶだろうか。
涙を流すだろうか。
こんな場所でと怒られたらどうしよう。
いろいろな想いが頭の中を駆け巡る。
しかし、僕の耳に聞こえてきたのは彼女の寝息だった。
「ZZZ………」
「おおい、寝てるんかーい!!」
どうやら、美加は僕の胸の中で酔いに負けて眠ってしまったらしい。
あれだけ「チューしよ、チューしよ」と騒いでおきながら、なんて自分勝手なやつなんだ。
僕の胸の中で眠るなら、そう言ってくれよ。
「はあ、これはまた今度だな」
僕はポケットに指輪の箱を仕舞い込む。
今度、これを見せるのはいつになるやら。
僕は胸の中で眠る彼女に目を向けた。
顔を真っ赤にさせながら、にへらと笑うしまりのない顔。
「しょうがない奴だな、まったく」
僕は彼女の顔を自分の顔の前まで抱き寄せると
そっと、彼女の口に唇を寄せた──。
お読みいただき、ありがとうございました。
「自分の文体でプロポーズの言葉を考えよう」企画作品です。
しかしながらプロポーズの言葉がまったく入ってない、ということに後から気づきました(笑)
あれー……?