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刹那の鱗粉  作者: らびっとぉ
1/1

前編~Auch, wenn der Meet ...~

少女は立ち止まった。

「ねえ......」

「何?」

少年もまた、振り返り、立ち止まった。

「ちょっと......公園寄ってかない?」

「ん、まあいいけど?」

少年と少女は公園の中に入った。そして何をするでもなく、ただブランコに座った。その遊具で遊ぶには二人は少し大きすぎた。

学校帰りの夕暮れ時。二人だけの公園。紅色や山吹色、もしくは茶色に彩られた二人だけの世界。

「.........」

「.........」

「......なんか喋ったら?」

少女は少年に言った。

「えっ、あぁ.....こ...紅葉綺麗だね」

「うん、とっても」

「.........」

少年は照れた。

「ねえ、今週末って暇?」

「あ、うん。全然暇だよ」

「ふーん」

「.........」

「.........」

「......えっ?何にもないの?」

「は?」

「いや、『暇?』って聞いたから何かあるのかと思って......」

「あるよ」

「じゃあ誘ってよ!」

「えー。私、一人の方が好きなんだよね」

「それなら暇かどうかなんて聞かないでよ!」

「冗談だよ。そんな怒んないでって」

「......もう」

「今週末見たい映画あるから一緒に見てくれるよね?」

「いやいいけど、若干脅しっぽくなってるのは気のせいだよね!?」

「良かった」

「はぁ......」

「......楽しみ」

「そう......」

「.........」

「.........」

「何か喋っ───」

「───待って」

「え?」

少年はそう言ってから、一つ、深呼吸をした。

「......あ...あのさ」

「なあに?」

「......俺さ...」

「......うん」

「......有栖のことが好き......なんだよね」

少年はそう言ってから俯いた。

「うん。ありがとう」

「.........」

「......私も響のこと、大好き」

少女はそう言って微笑んだ。少年は顔を上げた。

「まあ、俺達、とつくに付き合ってるようなものだけどね......」

「確かに......」

「.........」

「.........」

日は既に落ちていて辺りは暗闇に包まれていた。

その静寂の中で、二人は静かに唇を重ねた。

公園の街灯に火が灯る頃には二人は来た時と同じようにそれぞれブランコに座っていた。

少年が立ち上がった。

「そろそろ行こうか」

「そうね」

少女も立ち上がった。

二人は公園を出た。

公園を過ぎた次の交差点が二人の別れ道だ。

その場所はあっという間に訪れてしまった。

「じゃあ、また明日」

少年が手を振る。

「......うん」

「有栖?もう一回しておく?......キスとか」

「......ううん、大丈夫。また明日」

そう言って少女もまた、手を振った。

これが二人の最後の瞬間だという事を少年は知る由もなかった。



君に告白をした日。

君と一緒に帰った日。

そして君が。

死んだ日。

俺は悲しんだ。

そして泣いた。



「俺は変わった。お前のことも忘れた。俺はお前よりもずっと先を歩いている。だから心配しないでほしい。お前は安らかに眠っていてほしい」

俺はそう言った。

この言葉は彼女には伝わっただろうか。伝わってなければいいな。

俺はそう心の底から望んだ。

もう嘘は吐きたくないんだ。

それでも彼女の前では強がる事しかできなかった。

俺はそうして再び歩き出した。

朝日に照らされた静かなその場所に冷たい秋の風が吹き抜けた。


それを遠くから眺める影が一つ。

その影は、微笑んでいた。



「おはようございまーす」

ドアを開けた。しかし、俺、言ノ瀬響(ことのせ ひびき)に返事をしてくれる人はいない。

誰もいないわけではない。[誰]かはいるのだ。だがその[誰]さんは個体ではなく、全体であり、[誰]でもないものなのだ。

簡潔にまとめると、この会社には人間関係というものが存在しない。

ここの社長がそれを望んだのだ。

完全にシステム化した仕事。社員のほとんどがアルバイトという社会の常識から逸れた空間。そして、手紙。正直言ってこの会社は謎だ。

まず、社長が謎だ。と言うか、それこそがこの会社唯一にして最大の謎と言ってもいい。

ここの社長は重度のお人好しだ。続いて重度の恥ずかしがり屋だ。

その二つがこの会社を作り上げた。そう言っても過言ではない。

俺のときの話をしよう。俺がこの会社に入ったときの話だ。


冬のある日。ポストに一通の手紙が投げ入れられた。

その手紙の内容はこんな感じだった。

『私は貴方の友達です。だから私は困っている貴方を放ってはおけませんでした。単刀直入に言うと、アルバイトをしませんか?面接の必要はありません。だだ一つ、この手紙の返事を書いてくれれば貴方を採用とします。それはそうと、[くじらの雲]という音楽グループをご存知でしょうか───』

手紙は長く続いた。

最後には『社長』と言う文字が書かれていた。心当たりは全くない......わけではないのだが、俺には関係ないことだ。

俺はそれを最後まで読んでから捨てた。

次にそれを手に取ったのは手紙を届いてから何ヶ月かが経った頃だ。次の週にはゴミに出そう、と思い続けて一向に手をつけなかった再生紙用の紙ゴミの山から何とか見つかったのは奇跡としか言いようがない。

すっかりやつれてしまったその顔にはいつの間にか忘れてしまっていた希望が満ち溢れていた。

それから俺は紙とペンを探した。もちろん返事を書くためだ。


話はそれだけではない。

返事は直ぐに返ってきた。便箋の封を開けると、三枚の紙が出てきた。一枚目の内容はこんな感じだった。

『採用おめでとうございます。此度は貴方の友達としてではなく、社長としてこの手紙を書かせて頂きます。我が社はあくまでも、困っている方を[一時的]に雇い、より良い未来の為の手助けとなる事を目的としています。具体的には──────つきましては、〇月✕✕日に以下の場所にある[百川ビル]の6階まで来てください。』

以下の場所を示した紙こそが二枚目だった。

そして三枚目は、友達として書かれた雑談的な手紙だった。最後には『───またお返事下さい。』と書かれていた。

そして〇月✕✕日。

俺は二枚目の紙を片手に百川ビル6階を訪れた。ビルと言っても10階までのそこまで高くない建物だ。そのビルの6階、7階が会社のある階のようだ。

俺は階段で6階まで駆け登った。

初めて会う[社長]という人。新しい会社への期待と不安。様々な感情が脳内を交差し続けていた。

しかし、ドアを開けた瞬間俺は不思議な空気を感じた。言葉で言うならば、人がいるのに殺風景。と、言ったところだろうか。

いやいや、ぼーっとしている場合ではない。とにかく手紙をくれたあの、[社長]という人がどこにいるのかを聞かなくては......。

「すみま───」

「───新人さん、席はそこ。あとは引き出しの中に入ってるからそれに従って」

俺が声を掛けようとした女性はそう応えた。応えたと言うよりかは、あらかじめそういうように指示されていたようだ。

「.........」

俺はその言葉に従うしかなかった。

女性が指さした先には机とパソコンがあった。逆に言うとそれ以外の物は出されていなかった。

俺は頭にクエスチョンマークを浮かべたまま引き出しの中を確認する。中に入っていたのは沢山の種類の紙だった。いくつかの封筒、クリアファイルに入れられた書類、束にまとめられた何かの紙、『今日からここが貴方の職場です by社長』と書かれたメモ用紙...。俺はそれらを1枚ずつ確認することにした。

「あ、椅子ならそっちにあるから勝手に持ってって」

「あ、はい、ありがとうございます」

こうして俺のアルバイト1日目が始まった。


そんなこんなあって、ここでアルバイトを始めてそろそろ半年になる。半年にもなるのに未だに[社長]に会ったことはない。しかし、手紙のやり取りだけは今でもしている。

ここに入る前、俺はどこにでもいるサラリーマンだった。そこで首を切られてから今に至るまで就職活動を全くしなかったわけではない。

それでも結果として残らないのなら意味は無い。そんなことは分かりきっていた。分かりきっていたはずなのに、俺はいつの日か新しい会社に入ることを諦めていた。

ある人が言っていた。[生きることとは努力することである。故に諦めは死である。]、と。

子供の頃の俺はこの言葉を信じて頑張って生きてきた。だが今ではそれを踏みつけて生きている。子供の頃の俺にとって今の俺はどんなふうに映るのだろうか。

いや、そんなことはどうでもいい。今は仕事に集中しよう。

現実逃避は俺のアイデンティティだ。現実逃避無しには俺を語れない。俺はそんな最低なやつなのだ。でも考えてみるとおかしな話である。だって現実逃避をする為に現実に戻っているのだもの。いや、でもここにおいての現実とは......───。

そんなこんなで結局今日も現実逃避をしながら仕事を始める俺なのだった。


「お疲れ様でした」

俺はそう言ってドアを閉めた。勿論返してくれる誰かなどはいなかった。

俺は歩き出した。

星は暗闇の中を綺麗にきらめいていた。そして俺もその暗闇の中を歩いていた。

「......あの頃の俺は天の星になってしまいましたとさ」

俺は独り言をつぶやいた。

そうでもしなければ寂しさに押しつぶされてしまいそうだった。暗闇には慣れていたつもりだったが、そういう意味では俺もまだ子供なのかもしれない。

「天の星......」

俺はまた思い出してしまった。

かつて、俺と共に生きようとしたその少女を......。

「........」

俺は彼女を救えたのだろうか......。

俺は知っていた。あの頃、彼女が母親から虐待を受けていた事を。

彼女の笑顔が無理して作っているものだという事を俺は知っていたのだ。......知っていた......知っていたのに。

俺ならば救えたはずなのに......俺は...見殺しにした。

俺のせいだ。

俺が殺したんだ。


『そんなことないよ!』


「───っ!!?」

いや、幻聴だ。

きっとそうだ。

そうじゃなきゃおかしい。


『貴方のせいなんかじゃない。全て私が勝手にしたことよ。』


また聞こえた!

声というよりかは囁きのような、響きそのもののような音。

俺は振り返った。

そして俺は息を飲んだ。

そこに俺の求めていた人はいなかった。......その代わりに求めていなかった人はいた。

そこにいたのが誰であるか......いや、何であるか、俺は直感で分かった。

不完全でありながら絶対を示す存在。命の管理人。片手でしっかりと握られた[鎌]。

それを人は───


───死神と呼ぶ。


不自然な程に辺りが静かだ。

「やあこんばんは、僕ちゃん」

今度は俺の知らない男性の声がした。きっとこっちが死神本人の声だろう。

「さっきのは......」

「少し君の記憶を覗かせてもらったよ。さっきのって言うのはあの台詞のことかい?よく出来ているだろう?」

俺は今死神と対面し、話をしているのか。実感が沸かない。

「まさか俺は......」

「その通り!......ってわけでもないんだなこれが」

死神は続ける。

「てことで、賭けをしようか!」

賭け!?この俺が死神と賭けだと?はあ?

「待ってくれ!俺が何をしたというんだ」

「なあに、ただのお遊びだよ。こっちにとっては暇つぶし程度のものさ」

死神の遊び?暇つぶし?不吉な予感しかしない。

「......賭けの、内容を教えてくださるか?」

俺は恐る恐る聞いた。

すると死神は小さく笑みを浮かべて言った。

「一週間以内に五人の人を殺せ。

不吉な予感は見事に当たった。

「んなもん出来るわけないだろ!」

「フフフフフ。さて、問題はここからだろう」

そうだ。賭けにおいて最も重要なもの......それによってはいくら内容が不利であっても挑戦することとなるだろう。それとは即ち......。

「チップ......」

「その通りだ」

俺は再び息を呑む。

「さて、ここまでの流れで片方は既に決まったようなものだな」

「まさか......」

「そのまさかだ」

「......俺が勝ったらあいつを生き返らせてもらう......と」

「うむ、そうしよう。ただし、うぬが負けたら......───」

負けたら......。

負けたなら......。

俺はどうなるのだ......。

「───そやつに会ってからうぬを殺す」

俺は耳を疑った。『そやつに会』えるだと?おいおい、笑わせないでくれよ。そんなもの......本望じゃないか!

「瞬間か永遠か......。どうだ?引き受けない理由がないだろう?」

確かにそんなものあるはずが無い。だが、だからこそ俺は聞いておかねばならないと思った。

「一つ、不思議な点がある」

「......ほう」

「その賭けにおいてそちら側の利点はなんなんだ」

俺は死神に尋ねた。

「利点?そんなものには興味ない。さっき言ったであろう?これはただの暇つぶしだと」

なるほど。ならばもう答えは決まっていた。

「ベット!......その賭け、のったよ」

俺がそう言うと死神は満足そうに微笑んだ。

いや、実際に死神の顔は見えないのだが少なくともそんな気がしたのだ。

「ただ......警察はどうするんだよ」

「そういう邪魔もあると面白いだろう?」

「そうじゃなくて、賭けが終わった後だよ」

「それについては大丈夫だ。全て無かったことにしてやる。......殺された五人の魂を使ってな」

「なるほど。じゃあ俺は一週間以内に警察に捕まらないように五人殺す事で賭けに勝てるという事か」

「その通りだ。では私はそこら辺からでも見守っているとするか......」

「その辺?」

「いやいや、気にしなくても良い。それよりもこれを渡しておこう」

そう言って死神は彼自身の闇からある物を作り出した。

「......これは?」

「これはただの短剣だ。......見た目はな。対霊体用の施しをしてあるのだ。念のために常備しておけ。まあ、普通に凶器として使っても良いぞ」

そう言って死神はその短剣を俺に渡した。

柄から刃先までもが真っ黒な短剣だ。見た目の割にずっしりとした重みがある。

その『念のため』というのが何を危惧してかは分からないが、持っておくに越したことは無いだろう。

「では余はここら辺で行かせてもらおう」

そう言って死神は俺に背を向けると、ゆっくりと闇に溶けていった。それと同時に、今まで止まっていたかのように感じていた辺りが再び動き出した。

「.........」

俺はしばらくその場でじっと短剣を眺めていた。



目を覚ますといつもの様に自宅のベッドの上にいた。

時刻は朝の4時だ。まだ空は薄暗い。

ああ、そうか。昨日らは帰ってそのままベッドに倒れ込んでしまったのだ。

にしても酷い夢を見たような気がする。

......変なおっさんに話しかけられたんだっけ。いや、おっさん?天使?はたまた......。まあいいや、どうせ夢の話だ。

俺はとりあえず手探りで机の上にあるはずのスマホを取ろうとした。

その時、俺の手に妙に冷たい物が当たった。

「嘘だろ......」

既に思い出していた。嘘であって欲しかった。

俺はそれを......短剣を手に取った。

嘘じゃない。

俺は死神の言葉を思い出した。残り時間は7日間。それ以内に五人の殺人を行う。

正直言ってそんな事1日あればできてしまうだろう。なにせたった五人殺すだけなのだから......。

「......なんてね」

言い過ぎだ。俺は人なんて殺せない。

寧ろ、問題はそこではないのだ。

「To be, or not to be: that is the question.」

俺はつぶやく。シェイクスピアの作品、ハムレットの有名な台詞だ。直訳すると、「生きるか死ぬか、それが問題だ」となる。言葉通りの意味だ。

俺一人の命と五人の命。天秤にかけてどちらが下がるだろうか......。

当然、俺......ではないな...。

俺は短剣を自分の胸に突き立てた。短剣の冷気が心臓に伝わって来るような気がした。

「......いや、ここで死んでは元も子もないな」

俺はそうつぶやくと、寝たまま短剣を思いっきり投げた。短剣は風をきるように部屋の反対側まで飛んでいき、そのまま壁に突き刺さった。

俺は再び目をつぶった。



ジリリリリリ

スマホのアラームの音が鳴り響く。

俺はそれを止めると、ベッドを出た。寝室を出てキッチンの前に立ったところで朝食を何にするか迷った。昨日米を炊かなかった為、食べるものがないのだ。生憎朝はご飯派なのでパンはない。冷蔵庫・冷凍庫を開けてもろくなものがない。

「ハァ......」

買いに行くか......。

俺は顔を洗って適当に着替えた。壁に刺さった短剣が気になったが、そのままにしておいた。

ガチャッ

今日は昨日に比べて少し寒い。だんだんと冬が近づいているのが分かる。


ボロっちいアパートの二階の階段から一番遠い部屋。ここが俺の住んでいる部屋だ。名前は[フローラ堂本]。周辺にはコンビニすらなく、最寄り駅までも30分以上はかかるという立地条件最悪の場所だからこそ、俺みたいな社会のゴミが住んでいられる。

「......しかし不便だ」

そんな事は分かっているのだが、口に出さずにはいられない。

でもあの家賃なら......。

いや、それでも愚痴くらい言わせてくれ!

......なんてことを考えながら俺は早足で、歩いて10分程の場所にあるコンビニに向かう。

バイトの時間まであと1時間程。まだ少し余裕があるが、もたもたしてもいられない。

俺は歩く足を少しずつ早めた。


コンビニの中にはほとんど客がいないようだった。

俺は店の奥のおにぎりやサンドイッチのコーナーに向かった。

よく見るとそのコーナーの上には[おにぎり100円セール]と書かれた紙が貼ってあった。

「今日は運がいいな......」

俺はつぶやく。

「さてと......」

おにぎりのコーナーの前に立った俺は悩んでいた。昔から俺は判断力がないのだ。

一番好きなのはツナマヨだが、ひねりがなくてつまらない。かと言ってカツだとか味玉とかまでくると100円セール対象外になるし、そういうやつは大抵値段の割に大して美味くないのだ。因みに梅は嫌いだし、おかかは飽きた。云々......。

ならば残すは────

と、俺は手を伸ばす。どうやら最後の一個らしい。

しかしそれを遮るように、一つの影が現れた。そして次の瞬間にはそのおにぎりは消えていた。

「鮭...か......」

いつからそこにいたのだろうか、そこには見覚えのある男が立っていた。

「お前は......」

「久しぶりだね、ひーびきくんっ!」

そう言って彼は俺に鮭おにぎりを投げてきた。

俺は慌てて落としそうになるが、なんとかキャッチした。

「さて、私は誰でしょう?」

「......マナ」

「せーかい!」

松風真愛斗(まつかぜ まなと)。あだ名はマナ。俺が中学生だった頃の友人である。

前にあった時と比べると随分と変わっているが、直感でマナであることは分かった。

「どーしたんよー、そんなどんよりとした顔して」

そんな顔をした覚えはない。

「失礼だな。これが俺の顔だ」

「あれ?前からそんなにブサイクだったっけ?」

「失礼この上ねーな。てか俺は急いでるんだが」

俺は更に赤飯のおにぎりを取ると、レジに向かった。適当に取ったのがこのおにぎりだったのだ。

「車?チャリ?」

マナは俺の後をついてくる。

俺はレジに並んだ。

「歩き!」

「それは丁度良かった」

「丁度良いって......」

一緒に帰るつもりなのだろうか。

ただでさえ急がなければいけないのに、コイツと一緒に帰っているといつまでも家にたどり着かないような気がする。

「まあまあ、いいではないか。てか、お前ん家どこ?」

おいおい、知らずに───。

と、俺はここで気付く。

数年前。俺が何故あのアパートを選んだのか......。今ではすっかり忘れていた。


『マナと同じアパートなら安心だな。』

数あるそれらの紙のなかでたった一つを手に取り俺は呟いた。

初めての一人暮らし。これからの日々に期待を膨らませている俺がそこにいた。


こんなところで裏目に出てくるとは思っていなかった。

「......フローラ堂本」

俺はその名前を言う。安定的にダサく、突っ込みどころすら思い浮かばないような名前だ。

「んー、なんだっけー。なんか覚えあんだけどなー」

「お前ん家だよ!」

言わせんなよ!

「あーあー!思い出した!って事は......」

「そうだよ!わざわざあのアパート選んだんだよ!なのにお前旅行中だっていうし!しかも、旅行って言いつつ五年間も戻って来ないとか心配したわ!」

「ックク...何それマジウケるわ」

「......いつから帰ってきてたんだ?」

「三日前」

よく今まで会わなかったものだ。

「て言うか、こんな長い間どこ行ってたんだよ」

「そうそう、よくぞ聞いてくれた。実は韓国に行ってたのだ」

「マジか!」

いつか誰かからそんな事を聞いたことがあるような気がする。

「土産話もたんとあるぜ!」

「おう、是非とも!」

俺はそう言ってレジにおにぎりを出した。

「んじゃ、外で待ってるから」

「え?あ、うん」

ふと気付くといつの間にかあいつの流れに乗せられていた。これは一緒に帰らなきゃいけない雰囲気だ。と言っても俺もあいつと話がしたくないわけではない。と言うかむしろ今回は是非とも話を聞きたいところだ。

「216円です」と、店員が言う。

俺は「袋はいりません」と言って220円を出した。一緒にお茶かなんかも買っておくべきだっただろうか。

レシートとお釣りの4円が返ってくる。俺はそれを財布にしまうと、おにぎりを持ってコンビニを出た。

それに気付いてマナがベンチから立つ。

「うっす。じゃあ言ノ瀬、行こうか」

「ああ」

俺が歩きかけたその時だった。


『じゃあ、ひびき君。行こうか。』

小さな少女の声。


っ!?

「おーい、どうしたー?」

マナの声で我に返る。

「......いや、なんでも」

今のは確かにあいつの声だった。

いや、惑わされてはいけない。これは死神の声だ。人の感情を弄ぶ悪魔の囁きに過ぎないのだ。

その少女はもういないのだから......。

───いや、まだいる。......もうすぐ会える。俺は死ぬかもしれないが、会えるのは確かなことだ。

俺は、少し先を歩くマナに追いつくべく駆け足をした。

「韓国、どうだった?」

「どうもこうも色々あったぜー」

「あ、そうだ。韓国語は喋れるの?」

「いやいや、韓国語って───」

俺達はそのまま話を続けた。

......何もかもを忘れるくらいに...。


「ほえー。いいなー、韓国」

「いやいや、日本の方がいいぜ」

「いやー、日本も大概だよ」

「ああ...。アレか?まあ、そう考えると日本は国はなかなかだけど、国民の方はクソってかー」

ふと、マナの言った『アレ』が耳に引っかかった。

俺はひたすら思考を巡らす。

が、明確な答えは出てこなかった。だから俺は話が流れないうちに聞くことにした。

「...アレって?」

「アレ?」

「今マナが言っただろ?」

「ああ、殺人鬼のこと?」

マナの口から出たのは、聞き慣れない単語だった。

「殺人鬼!?」

「知らないの?あんなに話題になってんのに」

そういえば、最近はテレビを見ていない。元々俺は新聞も読まなければ、ネットでもニュースは見ない人間だ。

つまり、最近はそもそも情報の収集先がなかったのだ。

「ごめん。知らないわ」

「おいおい」

「名前の通りの殺人鬼がここらで出没しててさ」

「ふーん。......って、ここらで?!」

「ああ。被害者8人のうち3人は市内だ」

「うわー」

「てか、なんでこの前帰ってきたばかりの俺の方がこっちのことよく知ってんだし」

「最近バイトが忙しくてね...」

「バイトやってんのか?」

「まあな」

「え?てことはあそこはクビってこと?」

「......まあな」

前の会社はクソみたいな場所だった。いくら給料が安くても俺は今の方がマシだと思う。

しかし、いつかはまたサラリーマンに戻らなければならない事を考えると、頭が痛くなってくる。

と、ここで俺は思い出す。

いや、何を考えているんだ。おいおい、俺はもうすぐ死ぬんだぞ。

死ぬんだぞ...。俺は死ぬ......のか...。

......やっぱりまだ実感が沸かないな。

「───まあ、そう落ち込むなって」

「なあ」

「......ん?」

「もし余命が近づいてるとしたら、何する?」

「え!?超唐突だな。えー、う~ん...」

やけに悩む。

「───......う~ん。好きな人にコクるとか?」

「あ、そう来る?」

「こう来る」

意外な返答だった。いや、コイツらしいと言えばコイツらしい答えなのだが......。

「え?てことは好きな人とかいるの?」

俺はふと、尋ねてみる。

「だから俺は結婚してるって」

「......へ?」

「.........うん。って、言ってなかったっけ。向こうで会った日本人でさー、」

「言われてないしー!」

「中学のダチとか忘れてたわー」

「酷すぎだろ」

「あ、因みに今はいないけど、明後日こっちに来るから紹介するわ」

俺は空を見上げる。

晴れているとも曇っているとも言い難い天気だ。

木の葉が空高く舞い上がっていくのが見えた。

彼女か......。

俺はふと考える。もうすぐ生き返る少女のことを。

「まあ、そんな落ち込むなー」

「落ち込んでねーよ」

そうこうしている内に視界の遠く先に俺の───俺達の住むアパートが見えた。

随分と時間がかかったものだ。

......随分と...時間が?

「───あ゛!!」

「あ?」

「ヤベー、バイト忘れてた!」

そうだった!そうだった!!ヤバイヤバイヤバイ。

「なるほど。道理で急いでいたわけか......」

そんな呑気に話している場合ではない。

「てことでまた今度なっ」

そう言って俺は走り出す。

途中でこのアパートの大家さんとすれ違ったが、申し訳ないが今は挨拶すらしている暇はないのだ。

「あ、おはようございます。西本さん。......ったく、相変わらずだなー。仕方ねー、再会祝いだ」

後ろの方で言ったマナの声は俺には聞こえなかった。


着替え終えた俺は、玄関まで行き靴を履く。

「っし!」

時計を見ると、その針は微量ながら少しずつ動いているのが分かる。

駅まで自転車飛ばして二十分。そっから更に電車で十分。降りた駅からはすぐそこだからカウントしないとして〇分。

この計算ならなんとか間に合う。

駅まで行って、都合良く電車が来ているかどうかは分からないし、駅からバイト先までをカウントしないのは少々無茶に見えるが、そこは考えないでおくことにしよう。

俺はドアノブに手を掛ける。

───どうかこの扉の先がバイト先に繋がっていてくれっ───なんて現実逃避をしながら俺は勢いよくドアを開ける。

ガチャッッ!!

「って、おわわわーー」

ん?

俺は突然の声に驚きながらもその声の主を見る。

「───......マナ?」

「ったく、あぶねーな。勢いよく開けんなって」

まさかドアの前に人がいるなんて思ってなかったし。

って今はもたもたしてられないんだった。

「何?用なら後にしてもらいたいんだけど」

「......間に合うのか?」

あ?そのなんお前にはかんけーねーだろ?───と、キレたいところを抑えつつ俺は答える。

「......間に...合う」

間に合わない。そんな事はとっくに知っていた。

とにかく今はマナなんかに付き合ってやっている暇はない。

俺は家を出て、ドアの鍵を閉めた。

「......フッ」

少しの沈黙の後、マナがわざとらしく小さく笑った。

俺はそれを無視しながら階段に向かう。

「へぇー、間に合うんだー」

なんだよその言い方。それじゃあまるで喧嘩を売っているみたいだ。

というか、元はと言えばお前のせいじゃないか。と、俺は心の中で怒鳴る。

「───なら良かった。俺がわざわざ車を出してやらなくてもな~」

「.........」

俺の足が自然と止まる。

ここで振り返ったら負けだ。ここで振り返ったら負けだ!

いや、問題はそこではない。自転車で二十分のところを車でなら十五分......運がよければ十分で行ける。

この五分や十分はこの状況においてはかなり高い価値を持つ。そんなものを簡単に手放していいのだろうか......。

......いい筈がねーだろ!

俺は振り返る。

「金でも何でも欲しいんだったらやるよ」

「お代はいらねーよ。お前はお前自身に負けた。それだけだ」

マナがドヤ顔を決める。

「キモチワリー」

「あ?お前、そんな事言ってると......」

「あーすみませんでした!てか急いでんだよ、さっさとしろ」

俺は逃げるように階段を降りる。

「ったく。しゃーねーなっ」

マナが俺を追うように後に続く。


二人が去った後、柱の影の中から一人の女性が出てきた。

彼女の名前は、マリスログ・ロンドメニア・ヘルヘイム。ヘルヘイム系の死神だ。

そもそも死神というのは明確な定義を持たないが、大抵は魔界、冥界、地獄、煉獄、黄泉の国、それらの王が死人の魂を再利用して作った使い魔、又はその王自体を大きな枠組みとして死神と読んでいる。

「あれが奴に目を付けられた野郎......。少しは期待してみたけど大したことなさそうね」

彼女が言う。

と、その刹那。何処からともなく鎌が振り下ろされる。

「ッツ!!」

彼女はそれをすんでのところでかわし、自らの鎌で空をすくい上げる。

ビギーン!!

鎌は敵の二撃目とぶつかり、重い金属音を響かせる。

「何も邪魔が無ければな!」

その声と共に、彼女の顔から汗が滴り落ちる。

不意打ちだ。まだ敵の性質すら掴めていないというのに、更に敵は姿を眩ませているこの状況。ミスって傷の一つや二つを負いかねない。ここは一旦退くのがベストだろう。

彼女はそう判断した。

彼女は力で敵の鎌を押し切る。それと同時に彼女は再び影の中に隠れた。

見えない敵はその勢いで後ろに下がる。その時にはそいつの戦闘態勢は解けていた。

こちらの死神は後を追うつもりはないようだ。

「響は......渡さない...」

そいつは姿も表さないままそう呟いた。

何も無いその空間。声だけが響いていた。


「.........」

「.........」

「なぁ......」

マナがハンドルを切りながら尋ねる。

「ん?」

「お前、嘘つくのやめたんじゃなかったっけ?」

いきなり何を言い出すかと思いきや......嘘?一体何のことやら......。

「いつの話だよ」

「卒業式」

オイオイ、何年前だよ。そんな話持ってくんなって。

俺は心の中でツッコミを入れる。

とにかくこの話はめんどくさい。ほかの話題に切り替えよう。

「てかなんで俺が車持ってないこと知ってたの?」

「親切な大家さんが教えてくれた」

人の個人情報ばらす親切さって.......。

思わず俺は苦笑いをする。

「......言ノ瀬、俺には嘘つくなよ」

「ははは、なんだよそれ」

俺は笑った。マナは笑ってはいなかった。

それからは長い沈黙が続いた。

車なんて乗ったのはいつぶりだろうか。

最近はお金を使わないようにしていたから、そもそも持っていない車どころかバスやタクシーすら使っていなかった。

朝日に照らされた街の風景が窓の外に広がっていた。


車が止まる。

「はいよっ」

「ありがとう。今度飯奢るから!」

「いらねーって。ほら、さっさと行け」

「本当にありがとう」

そう言って俺は車のドアを閉めて走り出す。

マナは見た目程悪いやつじゃない。俺はそれをよく知っている。

そういえば中学生の頃、あいつが死んで悲しんでいた俺を慰めてくれたのもマナだった。おかげで俺は何とか高校受験を乗り切り、今もこうやって生きながらえている。

マナへのお礼はしてもしきれない。

それでもできる事はなるべくやろう。......俺が死んでしまう前に。


ガチャッ!

俺は時計を見る。

どうやら間に合ったようだ。

本当に良かった。

「おはようございます」

返事はない。

別に慣れたことだからもう何とも思わない。それでもこうやって毎日挨拶をしていると時々返してくれる人がいる。そういう日はとても嬉しい気分で一日を過ごせるような気がする。

俺は静かに席に座り、黙々と作業を始めた。


百川ビル7階。その一角にある一つの小さな部屋。

その部屋こそが社長室であることを知っている人はまず、いない。

そんな部屋の中に一つの影があった。

「......また乱れた」

影はゆっくりと立ち上がった。

「......次こそは救わなければ」

影は一通の手紙を持っていた。


ガチャッ

「お先に失礼します。お疲れ様です」

今日の仕事は簡単だった。だから、早く帰ることが出来た。

まだ夕焼けが残っている時間帯だ。

「さてと......」

俺はスマホを取り出した。

連絡先一覧からある名前を探す。

「.......あった」

俺はそいつに電話をかける。

プルルルルルル〜プルルルル───

『───はい、もしもし、松風ですけど。』

「やあ、マナ。言ノ瀬だけど」

『なーんだ。お前か。』

「あ?彼女...いや、嫁さんかと思ったとか?」

『うん。』

「.........」

こいつという奴は......。

『で、何の用?今忙しいんだけど。』

「お前、飯食ったか?」

『まだだけど......あ、何?今朝の件?だからいいってー。』

「......うなぎ」

『!?』

「時期は過ぎてるが、上手いぞ~。特にあの店は格別だ。俺も伊達にこの町の住民やってる訳じゃないのさ」

『......う...うなぎ。』

「どうだマナ」

『どこに行けばいい。』

どうやら来てくれるようだ。

と言うか今忙しいんじゃなかったのか?

「駅まで来てくれ。時計の下辺りで待ち合わせしよう」

『了解だ。我が親友。』

.........。今朝散策酷い扱いされたんだけど......。

こうして電話は切れた。

まあいいや、俺も急がねば。


俺が去った後。そこに佇む少女がひとり。

彼女はバイトで俺の隣に座る人だ。俺も話したことは無い。と言うか俺はあの会社の誰とも会話という会話をしたことがない。

その赤の他人は俺を見つめてこう言った。

「社長の言ってた通り......。利用は無理かもだけど、協力ならしてもらえそう」

そして彼女は小さく微笑んだ。


「うんまいっ!美味すぎるよこのうなぎ!」

「気に入ってもらえて何よりだな」

「ところで今日って何曜日?」

「木曜日だよ。明日も仕事あるからあんま呑まないようにしないとな」

「仕事っつってもバイトだろ?まあそう言わずに飲もうぜ」

あれはもう仕事と言った方がいいような気がする。

「そういうお前は仕事してないのかよ」

千佳(ちか)の知り合いの会社で働かせてもらう事になってるから。あいつが帰ってきてからだな」

なんだよつまらない。

「その、千佳って言うのがお前の嫁さんか?」

「フフフ。めっちゃ可愛いぜ!」

「お前が結婚とか意外過ぎるわ。中学の時、あいつは一生独身だろうなー、とか言ってた覚えあるし」

「お前変なところで記憶力良いよなー」

「そんな事ねーよ」

「せっかくだから中学の頃の思い出話でもしねーか?」

「はあ?なんで急に......」

「いいじゃんいいじゃん。てか、中学のお前とか完全に陰キャラだったよな」

「あの頃は......ほら、有栖(ありす)の件とかあったからな」

「あー、梢坂(こずえざか)ねー。......そっか、お前の彼女だったからな」

「......うん」

「どっちが告ったんだっけ?」

「俺だよ。元々付き合ってはいたんだけど、最終的に告白したのは俺」

......そしてその後に有栖は死んだ。

「マジかー。あの梢坂がねー。......想像できねーわ」

「そうそう。あの、ドSで自己中で謎な梢坂がな」

「自分の元カノでも謎とか言うんだ......」

「元カノって言うな」

「......まあ、別にいいけどよ」

「何が?」

「いや、何でもないよ」

「......そう」

「ところでさ、今朝死ぬ前にしたいことの話してたやろ?」

「え?あ、あれ、別に忘れていいよ」

「いや、あれから少し考えたんだけど......。千佳に『ありがとう』ってさ......。思えば今まで一回も言ったことなかったから、言いたいかなって......」

ありがとう......か...。

「......一回も言ったことないのか?」

「本当に一回も、さ」

マナは昔から負けず嫌いなところがある。だからこそ人より下手に出ることができない。有栖もまた同じだ。

「.........」

「ああ、わりー、ちょっと白けさせちゃったな。とりあえず呑もうぜ」

そう言ってマナは俺に酒を注ぐ。

「......ありがとう」

俺の言葉に、マナは少し間を開けてから微笑んだ。

俺達はその後も取り留めない会話を楽しんだ。

帰りも仲良く帰った。

まるで、俺達が中学生の頃のように。



俺は夢を見ていた。随分と久しぶりに見る夢だった。

「なんて美しい景色だこと......」

隣にいる少女が言った。

有栖......。

俺は俯いた。

「響もそう思うでしょう?」

彼女は前かがみになりながら俺の顔を見てきた。

ああ、その通りだった。

俺はこの夢を知っている。この日の記憶は鮮明に覚えている。

中学二年生の夏休みの初め頃。俺と有栖は完璧な計画を立てて家出をした。何処かなるべく遠くに───そう二人で願いながら長時間電車に揺られた。これ以上遠くに行ったら帰れなくなる。そのぎりぎりの駅で二人は降りた。田舎のとっても小さな駅だった。そこからしばらく歩いた。麦わら帽子の有栖と手を繋ぎながら、歩いた。そして辿りついた菜の花畑───。

俺は見上げた。

その美しい菜の花畑をもう一度見たかった。......それだけなのに。

───何だよこれ......。

俺はその場に崩れる。

そこにあったのは、一面の茶色だった。

荒れ果てた大地。枯れて黒く汚くなってしまった菜の花。それでも照り続ける太陽の熱。

「あーあ、枯れちゃった」

見下すように向けられる有栖の瞳。

......違う...こんな景色じゃない!

「...枯れちゃった」

待ってくれ!まだ、生き返るかも知れない!

静かに首を振る有栖。

景色は引き離されるように遠くなっていく。

俺は真っ暗な世界で、うずくまっていた。

......有栖。

「大丈夫」

俺の涙は闇の中に溶け込んでいく。

「......私は大丈夫」

でも......。

俺は有栖を見た───

「だからさ、響は死んで」

───有栖の持っていたナイフが俺に刺さる。

胸の辺りが熱い。

流れ出る血までもが闇に溶け込んでいく。

「......ありがとう」

......そ...んな...。

最後に見た有栖の顔。その顔は......笑っていた。



ガバッッ!

俺は勢いよく上半身を起こした。全身は汗だらけだった。

とても、恐ろしい夢を見ていた。

目覚まし時計が鳴るまでは30分程ある。

次に寝たら目覚ましが鳴っても起きないだろう。このまま起きた方が良さそうだ。

俺は台所まで行き、水を飲む。

冷蔵庫を確認すると、何も無い。

昨日の朝も同じようなそうだった。バイト帰りに買い物をしてから帰るつもりだったのだが、昨夜はマナと呑んでいたからすっかり忘れていた。

「ハァ......」

少なくとも朝食は買い物に行かなくてはならないようだ。

俺は着替えてコンビニに行く準備をする。

今日は誰にも会いませんように。

俺はそんな事を願いながらドアを開ける。

ガチャッ......

「......寒っ!」

朝だから仕方ないが、また一段と冷えてきたものだ。

さあ行こうか。

俺は階段を降りてコンビニに向かった。


ふおー、さみーさみー。

俺は基本レトルト食品が沢山詰まったビニール袋を片手に早足で階段を上がった。

コンビニだと言うのに随分と買ってしまったものだ。

ガチャッ......

やはり家の中は暖かい。

「んー、今日は来てないかなー」

俺は念のためポストを確認する。

......何もない。

手紙......そろそろ来てもいい頃なのだがな......。


.........

ガチャッ......

うっす、今日もバイト張り切った行きましょうかー!

俺はそんなふうに気合いを入れながら靴を履く。

「っし!」

そう言って俺は駆け出した。


「.........」

誰もいなくなったはずの玄関。

影だけが静かに動いていた。


百川ビル6階。

ガチャッ

時計を見る。思ったよりも早くついてしまったものだ。

「ぼーっと突っ立ってねーでさっさと退けよ」

俺の後ろ斜め上から声が聞こえる。

「あ、すみません、笹原さん。おはようございます」

「ふんっ」

俺は慌てて自分の机の前に座る。

笹原さんは彼の机に荷物だけを置くと、トイレに行ってしまった。

彼は笹原智之(ささはらともゆき)。この会社の正社員で、背が高く口調があまり良くない人だ。俺もあまり知らないが、元不良だとかなんだとか......。

それにしても今日はやけに不機嫌なようだ。

「───不機嫌......」

「!?」

あれっ?うっかり口からこぼれてしまったか?いや、違う。この声は───

「───笹原さん、なにかあったんでしょうか......。

俺は隣の机の前に座っている彼女を見る。

夏村涼香(なつむらりょうか)。大学を出たばかりで今年の春に入ってきた新人だ。彼女のことも俺はあまり知らない。と言うか彼女の場合は話したことすらない。

そんな彼女が呟いたその言葉。今はトイレに行っているが、本人が聞いたら喧嘩を売っていると捉えかねない。

彼女は何の意思を持ってそう呟いた?

「.........っあの───」

俺は彼女に声を掛けようとする。

───と、同時に彼女がこっちを向く。

「言ノ瀬さんはどう思いますか?」

「えっ......!?」

この会社に入って私的な事で話しかけてくれたのは社長の他では彼女が初めてだった。だからこの瞬間、この場所だけが何か温かい空気に包まれているような気がした。


「言ノ瀬さんは......この会社の事をどう思いますか?」

夏村さんが俺に尋ねる。

「やっぱその質問か......」

「はい、この質問です」

今は昼休みだ。そして俺達は会社のあるビルの屋上にいる。昼休みに少し話しがしたいと言ったらあっさりオーケーしてくれた。

「まあ待ってくれ。誘ったのは俺の方だ。だから俺が最初に質問する権利を持っている」

「.........」

「それに、俺はお前を、お前は俺を何も知らないじゃないか」

「......まあいいです」

ハァ......と、俺はため息を吐く。

「で、まずお前は───」

「───お前じゃないです」

「......えー、夏村さんは、なんでここでアルバイトなんてしてるんですか?」

俺は若干力を込めて言う。

「はぁ?そんな事聞いてどうするつもりですか?」

「どうするも何も、お前の事を知れる質問としてはかなりいい質問だと思うがな」

あまりこう言いたくはないが、そもそもこの会社はまともに大学も出ている人間が働くには合わない場所だ。

元不良、謎まみれの元旅人、家出したっきり大人になってしまった女性......。そして会社を首にされたどうしようもない社会のごみ......。大半はここの[社長]に手紙で聞いたものだ。俺なんかほかと比べたらつまらな過ぎて笑えてしまう。

「......お前じゃないって...」

「夏村さんがどうしても話したくないっていうならこれ以上は追求しない」

「.........。社長さんからどう伝わっているかは知りません。けどみんな、これだけは誤解してると思う」

「......?」

「私は...大学を卒業してない」

その声は虚しく響いた。

「......え?」

「......私は親に捨てられた。街にも捨てられた。だから逃げてきた。......それだけ」

夏村さんが言う。彼女は空を見上げた。

「親は...分かる。でも街って───」

「───ごめんなさい。それ以上はやっぱり話せない」

「あ......。こっちこそ申し訳ない」

かなり気になるが、本人がそう言っている以上、追求はできそうにない。

察するに、家出の類いではないだろうか。とはいえどもこの年齢なのだから、普通に一人立ちできたと言ってもおかしくない。だがやっぱり、それがこの会社で働く事になった理由とは考え難い。

大体の人はそういう話を聞くと、印象が変わったりするものだが、彼女の場合は[謎]が[やっぱり謎]に変わっただけだ。つまりは変わっていない。

「.........。じゃあ言ノ瀬さんは?」

不意を打たれる。

考えればすぐに出てきたはずだが、質問を返されるとは思っていなかった。

「え?俺?」

「はい。私だけ話しておいて話さないなんて事はないはずです」

ないはずです。と、きっぱり断言されても......。

「......俺は別に何もない」

俺は事実を言う。

「はい?」

「普通に会社クビになったから再就職できるまであそこでバイトしてるだけ」

それが事実だ。

「何それ、私だけ話して損したみたい」

「俺は何もしてないし、されてもいない。......俺はね」

それも事実だ。

「ふーん」

「彼女が死んで、親友だと思っていた奴も変わっていて、みんな俺から遠ざかっていっていて......」

そして......。

「言ノ瀬さんだけは変われなかった......ですか?」

「.........」

その通りだ。

「再就職とか言って半年ですか?そのうちこの会社の正社員になっちゃうんじゃないですか?」

「..........」

言い訳の余地もない。

「......無様です。私なんかより最高に笑えます」

「......お前、性格悪いだろ」

「まあいいです。次は私からの質問です」

「お手柔らかにどうぞ」

俺はため息混じりに言う。

「じゃあ、知っている社長の弱みを全て話して下さい」

そう来るのか!

「.........」

俺は黙り込む。

明らかに段階が早すぎるだろ。そもそも私は協力するとは言っていない。

「元々笹原さんの話じゃなかったか?」

「あれはきっかけに過ぎません。全く、丁度よくいい餌が転がっていたものです」

それでいいのか......。

まあ、彼女がこの会社を変えたいのはよく分かる。だが───

「......この会社をより良くしてはいけない」

俺はそう呟く。

「逃げるための口実ですか?」

夏村さんは相変わらず強気な態度をとったまま俺を誘惑している。相手を煽ることで話に乗らせる。悪いやり方じゃあないが、今回はこちらの方が一枚上手だ。

「この会社は『困っている方を[一時的]に雇い、より良い未来の為の手助けをする』為の、いわゆるボランティア」

俺はあの手紙を思い出していた。きっと彼女も覚えがあるはずだ。あの手紙はこの会社で働いている誰もが一度は手にしている手紙だ。

「だ、だから?それでも皆の働く場所はより良くなくてはいけないはずよ」

夏村さんの口調が乱れる。

「違うな。より良い場所がこの会社ではいけない。より良い場所は『未来』でないと」

「それでもっ!!」

「もしもここがそうなってしまったら、俺みたいなのが増えちゃうだろ?」

俺みたいな[社長]の意思を汲み取れずにこの会社にとどまってしまうどうしようもない奴が......。だが、その俺ももうすぐ死ぬのだから......。

「.........」

「夏村さんは早いとこ他の会社に就職した方がいい」

俺は夏村さんの肩に手を置いた。

「さ、そろそろ戻ろうか」

俺は歩き出す。

「......ならば」

彼女が小さく呟く。

「───......ならば、いっそ死んじゃえばいいじゃん」

俺は足を止める。そして───

「......はぁ」

───ため息。

まるで、世界が止まったような......この感じ。そう。あの時と同じだ。

「今度は何の用だ。死神」

会うのは二回目になる。しかし、今回は夏村さんの身体を乗っ取っているらしい。

「まあまあ、なんて察しの早い。流石は奴の見込んだ野郎だ」

「あんまり出てこられても困るんだが。てか、いい加減にしてくれないか?」

俺は度々記憶をいじられたり幻覚を見せられる事にうんざりしていた。

「勘違いするな。あたしは奴とは違う。お前を助けに来たのだ」

いったい何を言っているんだ。

「最後の一週間くらい自由に過ごさせてくれよ」

「だから勘違いするなと言ってるだろ」

「何を」

「何もかもをだ。自己紹介をさせてもらおう。あたしの名はマリスログ・ロンドメニア・ヘルヘイム。奴と同じ死神だが、奴は敵だ」

まさかの死神二人目ってことか?ああ、訳分からん。

「とにかく死神が何人いようと構わねーが、決断するのは俺だ。用件だけ言ってさっさと消えろ」

当然ながら俺は何を言われようが、もう1人の死神との契約を破棄する気はない。

「そう悲しいこと言うなよ。まあいいさ、用件な」

ようやく理解したようだ。

「あたしは奴に勝負を申し込む。もしかしたら負けるかもしれない。その時はどうしようとあんたの勝手だ。だが、あたしは目の前に丁度いい道具を見つけておきながら使わない程馬鹿じゃあない。ただ一つ、あんたは指定された時間に指定された場所に来てくれりゃあいいだけだ。そうすれば奴は勝手に後をついてくるはずだ。時間はそうだな......」

「待て、勝手に話を進めるな」

「やっぱ協力は無理かな?」

「無理も何も俺がお前に協力する理由なんて一つもないじゃないか」

「そうだ。だが、あんたが向こうに協力する理由すらないのだ」

は?馬鹿なのか?この死神は。

「こっちは賭けの真っ最中なんだ」

「賭け...か......。奴はそう言ったのか。......なるほど」

「何なんだよ」

「なあ、あんた。本当に死んだ人が生き返ると思うのか?」

何故今更そんな事を聞くのか......。

「そりゃあ、常識的に考えれば生き返んねーよ。けど死神が目の前にいる時点でその常識なんてものは崩れてるじゃねーか」

「まあ、それもそうだな」

論破、と言ったところだろうか。

「───確かに死神が死者を生き返らせる事はできないことではない。しかし、一応死神にもルールというものが存在するのだ。もしもそれを破れば当然地獄行きだ。そして、そのルールの中には[死者を生き返らせてはいけない]というものがある」

「結局何が言いたいんだ」

「つまり、そこまでのリスクを侵してまで生き返らせる筈がない。奴の本来の目的は別で、あんたを利用しているだけだ」

「......なる...ほどな...。可能性としては十分有り得る」

「分かってくれたかな。あたしももたもたしてられない。決断こそあんた任せるけど、明日の夜十二時に〇〇公園まで来てくれ」

「.........」

「じゃああたしは行くよ......。あ、もう一つ言い忘れてたことがあった」

「さっさと行けよ」

俺は苛立ちを隠しきれずにいた。

「この身体の記憶を少し覗かせてもらったんだけどよ......。あんたんところの会社の社長さん。あれって───」

なに勝手に覗いてんだよ。社長?社長がどうかしたのか?

「───死神だな」


薄々そんな感じはしていた。

誰もあったことのない人。[社長]は恥ずかしがり屋なんかではなかった。会うことができなかったのだ。

けれど、これだけは変わらない。[社長]は物凄いお人好しだ。現に俺が助けられているのだから...。死神でありながら人を愛する。不思議な事だが、あってもおかしくない。

夏村さんはあれから直ぐに目を覚まし、今も隣で仕事に熱中している。

さてと、俺も少し集中しますか!

俺は少し伸びをしてからパソコンに向かった。

こうしていつもの日常は俺の元へ帰ってきた。あとは社長の秘密を知ってしまった俺が死ねば万事解決となるだろう。

俺はそう思っていた。......ただ一人、事の発端である笹原さんを忘れて。


いつも通り一人の帰り道。

『だからあのナイフを渡したってのに......。』

一人......傍から見れば完全に一人だ。

『ちょいちょい。聞いてますー?』

こいつ直接脳内に......!とはこういう事をいうのだろう。

その声は前にあった時の男性の声とはまた違った男性の声だった。

もう死神が何人いるか分からなくなってきそうだ。

俺はわざわざ人のいなさそうな道に入っていく。そして、誰もいない事を確認する。

ハァ......。

目を閉じて深いため息を吐く。それから目を開ける。

「だから!いい加減にしろっつってるだろ!」

『ふふふ、そう怒りなさんな。』

「俺は最後の一週間を安静に過ごしたいんだよ!」

『まあまあ、こういう縁は大切にしようさ。仲良くね。』

死神だったら[縁]くらい自由に操れてしまうものだろうが......。こうなれば何が本来の物事で、何が死神の策略かすら分かったもんじゃない。

『そう固く構えなさんな。最初は少し遊ばせてもらってたが、これ以上は干渉しないさ。』

「お前一人だけじゃない。マリスログとかいう死神と、[社長]という死神。...俺は死神に好かれる体質なのか?」

『そうだなー。私はお前の事は好きだよ。』

「そりゃあどうも」

と言っても男性の声でそれを言われても全く嬉しくないが......。

というかこの死神は元々どちらの性別なのだ?今まで会った2回とも男性だったからてっきり男性かとおもっていたが、女性と言うのも十分有り得る。いや、でも一回目に会った時は誰かの身体を乗っ取ってではなく死神本来の姿で現れた。という事は一回目の時の声が本来の声という事か。

『......ふふっ。』

「って、おい死神。今俺の頭ん中覗いただろ」

『の、覗いてなんかない!』

「超動揺してるし」

『全っ然、してない......わ...。』

「わ?」

『あーいや、声ごとにキャラ演じるのむっちゃ疲れんねん。』

なして関西弁......。

「はあ......」

『マリスログについては余が連れてきてしまったものだ。余が対処する。うぬは気にするな。』

あ、最初に会ったときのやつだ。とはいっても声が変わってるから、少し違った雰囲気を感じられる。

「......分かってるよ」

マリスログの言っていた言葉を思い出した。

今、俺に語りかけているこの死神が俺を利用してると言うのか。

まあ、あまりそういう事を考えてると、また脳内を覗かれかねない。とはいってもきっとこの死神はそんな事もお見通しだろう。思えばマリスログに会ったと知っても笑うばかりだった。向こうが俺に危害を加えない事を知っていたのだろう。とにかくこの死神は全てを見通しているようだ。───賭けの結果さえも。

『あとは、おぬし達が[社長]と呼んでる者だが、そやつは私とは全く無関係の死神じゃろうな。おそらくルールを破ってこちら側で生きる事を選んだ死神じゃろう。本来だったら取っ捕まえて主様にさしだしていたものじゃが、今は我も同じ身。今回は手は出さん。』

今度はおじいちゃん風か?

「───って?!お前、ルール破ってんのか?」

『まあね。人間と会話をしている時点でルール違反だ。それこそルールを破った死神を捕まえて来いなんて命令のでも出なければな。』

やはりあの死神の読みは間違っていたということだろうか......。とにかくこれで俺はマリスログ側につく理由はなくなった。

『だから言っているだろう?こっちは暇つぶしをしたいだけなのさ。言ってしまえばこれは賭けだ。お前が五人の人を殺せるかどうかをこちらはこちらで賭けてみたのさ。まあ、負けてもそれはそれだけどね。』

いつの間にか口調は元に戻っていた。その様子から言っても、どうやら本気らしい。

「お前は馬鹿だ」

『良い褒め言葉だね。』

「一つ聞きたいんだけどさ」

『なんだね?』

「俺は未だにお前の名前を聞いてない」

『.........。』

「......どうかしたのか?」

『いや、一応こちらもルール違反の死神だからね。名前は基本的にばらしたくないんだ。』

「なるほど」

きっと[社長]が名前をばらさない理由はそれだろう。

『そうだな......。私の事はイザナミと呼んでくれ。』

「イザナミ......何とも中二病臭のする名前だな」

イザナミ...即ち伊邪那美といえば古事記に出てくる日本を作った神様の名前だ。

『まあ、それは仕方ない。マリスログの名前を覚えてるか?』

「えっと...。マリスログ・ロンドメニア・ヘルヘイム?」

『 おお、いい記憶力をしているな。で、そのヘルヘイムの部分。私達は便宜上名前の最後に主の名前を付けて区別しているのだ。ヘルヘイムの場合は北欧神話のヘルの事だな。』

「ほうほう」

そんな死神世界の事情を知ったところで何の得もないものだが。

『そして私の場合はイザナミだ。』

「そうか。じゃあイザナミさん。簡単なお願いがあるんだが」

『なんだい?』

「とっても簡単だ」

『そんなもったいぶらないでくれよ。』

「残り5日間、俺の前に現れるな」

『あ、じゃあ脳内を───』

「───脳内覗くのも禁止だ」

『えー。それじゃあ賭けがつまらないー。』

イザナミさんは駄々をこねる子供のように言う。なんて馴れ馴れしい死神だ。

「マリスログの相手でもしてろ」

『すぐ決着ついちゃうっスよ。』

「......まずキャラ安定させろ」

というかそんなに弱いのか、マリスログさん。いや、どちらかと言うとイザナミさんが強いといった方が正しそうだ。

だから俺にまで協力を求めたのだろう。まあ、もう協力する気はないが......。

『仕方ないからマリスログで遊んでおこうーっと。』

マリスログさん、ご愁傷様です。

『じゃっ、そろそろ私は行かせてもらうよ。次会う時はどんな顔してるのか......楽しみにしてるよ。』

「ああ、またな」

それからしばらくは、俺が話しかけた時以外でイザナミさんが話しかけてくる事はなくなった。


そして俺はこの日から計画を始めた。

俺のこの手を血に染める計画だ。

実行するかどうかは分からない。ただ、実行してしまったら決して中途半端には終われない。

だからこそ完璧な計画が必要だ。



眩しい朝日がカーテンの隙間から差し込んで来る。

今日は土曜日。俺がバイトをしているあの会社は土日は形式上の定休日になる。賭けが始まってから初めての休日だ。

「ふわー。眠ーい」

俺はあくびをしてから立ち上がった。

昨夜は随分と遅くまで計画をいていた。そのせいかまだ寝足りない気がする。

さあ、今日は何をしようか、と俺はカレンダーを見る。枠の中には何も書かれていない。

「暇か......」

ふと、隣の枠を見ると[有栖]と書かれている。

「.........」

そういえばもうそんなに時期だった。

明日で有栖が死んでからきっかり十年目。明日が、彼女の命日。

死んでから十年も経って生き返れるなんて、墓の中の彼女は知らないだろうな。

その時に俺はどうしているだろうか。生きてるかな。死んでるかな。正直、今はまだ迷っている。やっぱり俺一人の命が五人の命よりも重いとは到底思えないのだ。

───ピンポーン...ピンポンピンポンピンポーン

誰だよ。......てかマナだろ。マナだったらパジャマのままでもいいか。

俺はドアまでいって確認する。

あ、マナだ。マナ...と.....女性!?

まさかあれか?嫁さん連れてきやがったのか?

こうなれば話は別だ。さっさと着替えなければ!

俺は引き返すと、タンスの中から適当なTシャツとズボンを取り出した。

ピンポーン

「もうちょい待ってー」

ドタバタドタバタ

ドタバタドタ......

.........

「はい、おまたせー!」

ガチャッッ!!

「おわわわわわわーー!」

マナは勢いよく開いたドアを両手で受け止める。

「───...ふぅ。危ねーだろ!」

チッ。今回は駄目だったか。

「おはよう、松風夫妻さん」

俺は若干の嫌味を込めて言う。

「あ、はい。104号室に引越して来た、松風です」

俺の言葉に返したのは意外にも千佳さんの方だった。

千佳さんを見たのはこれが初めてだ。

改めて見るとすらっとしたモデル体型で、背が高い。ストレートな黒髪は[清楚]という言葉を思い浮かべる。

「......ふーん」

「何が、"ふーん"だよ。惚れても譲らねーぞ」

「俺には有栖がいるし」

実際惚れかけたのは事実だ。でも、人は見た目によらないと言うものだ。一目惚れ、なんて当てにならない。

「あ、あの...これ、韓国のお菓子です」

そう言って千佳さんは紙袋から少し大きな缶を取り出した。

缶の表面には韓国語で何か書かれている。当然ながら韓国語は読めない。

「......結構美味いぜ!」

マナがそう言う。

中身は分からないが俺はそれを受け取った。

「まあ、よろしくお願いします」

「そう堅苦しくなるなって」

「礼儀ぐらいはきちっとしておきたいからさ」

「そういう所は昔から変わんねーのな」

「知らねーよ」

「ていうか、お前もいい加減相手見つけたらどうよ?いつまでも梢坂に構ってないでさ」

「は?お前───」

「───あ、すみません。今日、この後用事があるので、そろそろ失礼します」

俺の言葉を千佳さんが遮る。

「.........」

もし千佳さんがこの場にいなければキレていたところだ。危ない危ない。

「響?どうかしたか?」

「いや......何でもない」

俺は愛想笑いで誤魔化す。

「じゃあな」

「ああ。じゃあ」

そうして、俺はドアを閉めた。

「ハァ......」

思わずため息が出てしまう。

今日は少しぶらぶらと出かけてみようか。

俺はそう思った。

とにかく、今は何処かで暇を潰さなくてはいけないのだ。

───そう。夜十二時までは。

昨夜、俺が考えていた計画は一つではなかった。

賭けを邪魔する奴は排除しなくては......。この、ナイフで!

俺は壁に突き刺さったままだったその凶器を抜き取った。

「そうだよな、イザナミさん!」

そこにいるのは分かっているぞと、ばかりに俺は言う。

突如、世界が死んだかのような静寂に包まれる。

『......ええ。そうね、そうじゃな、そうでごじゃる。』

......相変わらずのキャラのブレ具合だ。

そしてその計画が敵であるマリスログにバレては元も子もない。だから今夜十二時までは奴に脳内を読まれない為にも俺の居場所がバレてはいけないのだ。


何処かのビルの屋上。

強い風に闇をたなびかせる女性が立っていた。

『まだぶっ殺せねーのか!?ぁあ!?』

魔法陣の中から声がする。この魔法陣は通信の為の簡単なものだ。

「申し訳ございません。しかし、今夜には奴を仕留めます」

『ふーん。なんか自信ありげじゃねーか。』

「計画は順調に進んでいます。後は一人の少年にかかっていますが、釘は既にしっかりと打たれていますので大丈夫だと思います」

『魂三つも与えてんだ。失敗は許されないのは、分かっての通りだぜ?やんならとことんやれよ。』

「はい。我が主、ヘルヘイム様」

そうして彼女───マリスログは魔法陣を消した。

「さてと、もう一段くらい重ねがけしておくか」

彼女は立ち上がると、公園に向かった。


「......また一つ何かが乱れた?いや、これは.....同職者か」

影は呟いた。

「......僕のテリトリーで暴れないでもらいたいな」

影もまた、動き始めた。

如何だったでしょうか

こちらは高校の学園祭で文芸部の部誌に載っけたものになります

念のため言っておきますが、前編の次は中編ですのでご了承下さい

又、サブタイトルにあります[~Auch, wenn der Meet ...~]は、ドイツ語で[〜もう一度会えるならば〜]と言う意味です

では、また中編でお会いしましょう

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