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雷は落ちる



 今でもはっきり覚えている。

 鬼ごっこをした、田んぼに抜ける道。青草のにおいと、よく晴れた青空。足にべったりとつく泥の冷たさ。ぬるぬるするのが面白くて、しょっちゅう田んぼに入りこんでいたっけ。夕焼け空にカラスを数えて、影踏みをしながらの帰り道。

 ご近所のお兄ちゃん、お姉ちゃんとお友達。そのなかでも、いちばん仲のよかったお隣の――――




「……凜。凜!」

「……! は、はい」

「ぼけっとしてんなよ。朝礼始まるぞ」

 廊下の曲がり角、中庭を眺められる空間で立ち止まっていた私は、朝礼に向かう同期に先を急かされた。

 そうだ。今は朝礼を行う広間に向かっていたんだ。

 いけない、いけない。気を抜くとすぐに、意識は遠い昔へ飛んでしまう。勇沙に声をかけられなかったら、いつまで思い出のなかを歩いていたことか。

 今日はもう、始まっているんだ。

 短く息を吸い、ゆっくりと吐ききった。

「ありがと」

 勇沙と並んで歩き出す。朝礼に遅刻するわけにはいかない。

「ここんとこ、椿のやつが機嫌悪いからな。八つ当たりされないよう、おまえも気をつけとけよ」

「そうだね」

 椿さんの八つ当たりか。そんなもの、日常茶飯事よ。どれだけ注意をはらっても、襲いかかるときは襲いかかる。うっかり標的にされてしまったときの驚きは、寝耳に水どころかお湯ね。跡が残る火傷を考えても、煮えくりかえる熱湯だ。

 だけど、勇沙が伝えてくれるということは、今回は相当にご機嫌斜めなのね。被害を被ったら大変。用心しなくちゃ。



 日常が始まっていく。日々が連なっていくなかで、あの子はいない。

 あの子を目にして、何日経っただろう。



 ねぇ、きみは今、なにをしているの。




「うーん」

「どうしたの? 梨史」

「神妙な顔で銭をいじっているのって、端から見たら不気味だよ」

 部屋には三人の少年。ひとりは畳の上で小銭をつまみ上げたりひっくり返したりしている。その仕草をすぐ横で見ている少年がふたり。

「ふたりとも、おれが休みの日に、和菓子屋で助っ人してんの知ってるだろ」

「知っているよ。お小遣い稼ぎでしょ」

「売れ残った菓子がもらえるって喜んでたよね」

 小銭をいじっていた少年が口を開くと、残りふたりがツツツ……と間を詰め、三つ葉のような形で座り、会話が始まる。

「そう。そうなんだ。先輩の紹介で雇ってもらったんだけどよ、外観がぼろっちいからこりゃハズレだと思ったんだ。ところが店主のおっちゃんは優しいし菓子は美味いしで万々歳だぜって、そうじゃない。問題はそこじゃないんだ」

「ひとりで喋っておいて、そうじゃないってなんなのさ」

 赤ら髪の少年が突っ込むと、その隣の麻呂眉の少年もうんうんとうなずく。

「問題って……梨史、なにか困ったことでも起きているの?」

 麻呂眉少年が、銭をいじくる少年に訊ねる。

 梨史と呼ばれた少年は畳に小銭を置くと、ふたりの少年に見向き、姿勢を正す。その動作を見たふたりの少年も、座り直して梨史の顔を真剣に見つめる。

「実は最近、おれに小遣いをくれる人がいるんだ」

「は?」

「小遣い?」

「そう、小遣い。おれに」

 続けざまに出た疑問符に対して、梨史は言葉を並び替え肯定した。

 疑問符を打ち消された少年ふたりは、さらなる質問を投げかける。

「店主のおじさんが、余分に給金をくれるってこと?」

 これは麻呂眉の少年。

「違うんじゃない。乃音吉。それだったら、給金を上げるって説明するよ。小遣いってことは、給金とはまったく別物だ」

 赤ら髪の少年が否定し、そのまま質問する。

「ねぇ梨史。小遣いをくれるのは、毎回同じ人なの?」

「そぉらしいんだが…」

 歯切れの悪い答えに、ふたりは首を傾げる。

「それがさ、おれ一度もその人を見たことがないんだよ。いつもおっちゃんか、他の人に預けるみたいでさ、おれは仕事終わりにもらうだけなんだ。また預かったぞって。どんな人か訊ねたら、どこにでもいそうな、ふくよかなおばちゃんだと」

 ふたりの首はますます傾く。


 梨史の話をもう少し解釈すると、次のようになる。

 

 梨史が和菓子屋で仕事を始めたのは三月ほど前。奨学生である梨史は、学費は学校に、生活費は保護者代わりであるお寺の住職に出してもらっている。しかし生活費の方は充分ではなく、自分でまかなう必要がある。そのため、学校の先輩に頼んで仕事先を紹介してもらった。この先輩も、梨史と同じ奨学生だ。

 梨史の勤務態度は店主に言わせると「花丸三つ」で、つまりとても良いらしい。それを裏付けるのが、

「卒業後はうちに入ってくれないかねぇ。待遇は保証するぞ」

 という店主の最近の口癖だ。

 こんなに励んでくれているんだ。給金を上げてやってもいいな……。

 店主がそう思い始めた一月前、不可解な客がやって来た。

 ふくよかでおっとりとした口調の女性は、品物を受け取ると梨史の方にちら、と目をやり「あの小さな店員さんに」とふくさに小銭を包んで店主に渡した。

 訳を聞くと、幼くして死んだ自分の子に似ていると言う。

「少しですが、あの子の生活の足しになれば」

 そう話すと、店主が梨史を呼ぶ前に姿を消してしまった。

 十日後、同じように梨史の目に映ることなく、小銭だけを残していった。そしてつい三日前にも。

「どうして、直接渡さないのですか?」

 店主の問いかけに

「私がただ、自分勝手に送りたいだけなのです。特別に感謝されたいわけではありません。紹介されて、『他人だから』と断られるのもつらいですし……。あの子が気味悪がって銭を使わないのなら、それまでです」

 そう言い残し、去って行った。

 このやりとりを、店の仲間から梨史が聞いたのは昨日のことだった。


「なんだか、気味の悪い話しだね」

 赤ら髪の少年が小銭を見ながらつぶやいた。

「由の助、はっきり言うねぇ」

 乃音吉が苦笑いしながら赤ら髪の少年を見やる。

「だってそうじゃないか。顔も見せない、声もかけないで銭だけくれるんだよ。話しからすると、名のってもいないじゃないか。どんな因縁があるのか知らないけど、充分過ぎるほど気味が悪いよ」

 由の助の言い分に、梨史も相づちをうつ。

「そうなんだよな。どんな理由にせよ、小遣いがもらえるのは嬉しい。けどそれが得体の知れない相手ってのが、気になるところでさ。なんつーか、素直に喜べない」

「そうだよねぇ」

 乃音吉も、異形なものを見る目で小銭に視線を向ける。

 由の助は、頭の中で自分の考えをめぐらせていた。今度梨史が仕事の日には、こっそりついていってみようか。怪しい人物も、自分たちにはそう注意をはらわないかも知れない。乃音吉とふたり、和菓子を食べながらの偵察というのも面白そうだ。

「ねぇ、ふたりとも……」

 由の助が梨史と乃音吉に声をかけたとき、部屋の戸が勢いよく開いた。

「おまえたち、風呂掃除忘れてるだろ! 早く掃除してくれよ。でないと汚い浴槽にお湯をはることになるぞ」

 同級生の大声に、由の助の言葉はかき消された。

 三人はわたわたと風呂場に駆けだし、風呂掃除にいそしんだ。湯を沸かす時間ぎりぎりに間に合わせ、そのまま入浴。その後は夕食準備、夕食、片付けと続き、話の続きができたのは消灯前だった。




 飛び散った赤を落として、一日が終わった。鉄のにおいはもう、染みついてしまっているかもしれない。いつかも想像しなかった、今の私。

 むせるような緑のにおい。花の香りもただよって――――あの日々はどこへいってしまったのだろう。

 思いっきり泣いて笑って、騒がしかった毎日。隣にいたのはいつも――――


 今すぐ、きみに会いたい。


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