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03. 琉枉

 はじめての馬車(くるま)旅は澄佳の目を楽しませるに足りて余りあるものであったが、同時に不安を呼び起こすものでもあった。窓からの景色は物珍しく、草の生えない地面の色や、嗅ぎ慣れない街の匂いも心の踊るものであった。それでも、心は揺れたままだ。草原と、都と。故郷である草原に馬車(くるま)など数えるほどしか訪れることはなかったし、まして人を乗せて走れる大型のものなど、澄佳は見たこともなかったのだ。ただ乗っているだけで、さながら外国(とつくに)に迷い込んでしまったかのような錯覚に苦しめられた。

 辺境ゆえの悪路からくる揺れとそれに追随する体の痛みは、半月も経てばさほど気にならなくなった。しかし、郷里を懐かしく、慕わしく思うがゆえの心の痛みは早々消えてなくなるものではなかった。それでも、澄佳は文句一つ漏らすことなく道中を揺られ続けた。小さい子どもではないのだから、という思いもあったし、敬愛する祖母に代わって、という気持ちもあっただろう。しかし、何より澄佳の神語としての矜持が泣き言を許さなかった。


 (あたしは、神語。神のカタリを許された、神語なんだから)


 車輪の伝える振動の質が変わった。石だらけの悪路から、整備の行き届いた街道へ。地を蹴る音さえ洗練されたように聞こえて、澄佳は息を詰まらせた。ひと月という時間を、体感した瞬間だった。

 「じきに皇都へ入りますよ」

 朗らかに告げた馭者へありがとう、と応えた澄佳は、いつの間にか握り込まれていた手をほどきながら車輪の音にかき消される程の小さな声で歌った。神語になることを決めて、最初に教わった歌だった。大きな神と小さな神の(あま)(かたり)は、澄佳の心を慰めると同時に奮い立たせるものでもあった。神語は、俯いていては歌えない。

 (ここでは、あたしがたった一人の神語になるんだから)

 顔を上げた澄佳は、宮殿に通されるその時も、決して顔を伏せたりはしなかったのである。





 「其方が、神語か」

 音の失せた皇の間には澄佳と皇、そして幼い少年の三人だけが残されていた。大勢の人間に囲まれることを予想していた澄佳は幾らか気持ちを楽にしたものの、高貴な方の前にいるという事実に身をすくませた。贅を凝らした紅の衣装を堂々と着こなした皇は、名実ともにその場の支配者だった。傍らに寄り添う少年もやはり貴色を当然の如く薄い体に纏わせており、皇の縁者であることは明白だった。

 「はい。あたしが、神語です」

 指先が白くなるまで握り締めた衣の裾に、強く皺が寄る。澄佳は緊張のあまり今にも泣き出しそうになりながら、それでも腹に力を入れて確と声を張った。神語としての己に誇りを持つ澄佳だったから、どうあっても無様な真似はしたくなかった。

 「病弱な祖母、瑞夜に代わって、ここへ」

 祖母の名を口にすると、不思議と力が湧いてくるような心地がした。あなたなら大丈夫と背中を撫でてくれた祖母。澄佳は、強い瞳で皇を見据えた。不敬であると騒ぎ立てる臣が居らぬゆえ、咎める者は皆無だった。その場にあって唯一声を発さない少年は、何を言うでもなく、ただ凪いだ視線を澄佳に送るのみであった。

 「あたしは、神語は、どうしてここへ」

 「琉枉(りゅうおう)

 澄佳の問いは、皇の声によって中断された。

 「はい」

 容姿から想像されるより低く、掠れたような響きを持つ少年の声がそれに応えた。皇に勝るとも劣らない上等の服を着込んだ少年、琉枉が一歩、進み出る。足音ひとつ立てることのない、うつくしい、貴人の動作だった。

 「神語よ、瑞夜に連なる娘よ。この琉枉、我が息子へ仕え、その職分を全うするように」

 おうじさま。声を出さずにそう呟いた澄佳のことを、琉枉はやはり凪いだ両の瞳で見詰めていた。

 「話は以上だ。下がるがよい」

 皇の声が、終わりを告げた。慌てて頭を下げ皇の間を辞した澄佳の背後で、巨大な扉が音もなく閉ざされた。

 (あたしは、皇子さまにお仕えするの?)

 皇からの使者であったから、てっきり皇自身に仕えるのだとばかり思っていた澄佳は、呆けた頭で先程の皇子の姿を思い浮かべた。綺麗な少年であった。編んだ長髪が揺れる様が、どこか動物のような風情を漂わせる不思議な少年。きっと、澄佳よりも年は若いだろう。十一、二といったところか。


 「神語さま」


 思考は、どこからか現れた女官によって遮られた。ご案内致します、と先導する彼女は、複雑に入り組んだ道を迷うことなく進み続けた。角を四つも曲がった段階で、もう澄佳には皇の間への道が分からなくなってしまった。明るい道と暗い道と、いくつもの部屋を横目に通り過ぎて更にその先。やがて女官は、宮殿の深奥にある一室の前で足を止めた。重そうな鉄の扉が守る部屋だった。

 「わたくしは、これより先へは入ること叶いません。ですから、神語さま、おひとりでお入り下さいませ」

 女官に促されるままに踏み込んだ扉の先には、巨大な寝具がひとつきり。何故か鉄格子の嵌められた窓の傍らに立っていたのは、間違いなく澄佳の「主」であるところの、皇子琉枉そのひとであった。皇の御前で身に着けていた貴色の衣は絹の夜着へと変わっていたが、彼の静かな黒の目は見紛うはずもない。

 「神語の娘か」

 吐息のように零された、琉枉の声。耳によく残る、生まれながらの支配者の声だと澄佳は思った。

 「はい。神語の、澄佳です」

 「私の元へ遣られた理由を、知っているか?」

 「いいえ、でも、祖母はあたしに『お宮のおうさまを、助けて差し上げて』と」

 「おうさま、か」

 表情を緩めた琉枉は、いとけなさの残る少年の顔をしていた。何が伝わって笑ったのかは分からずとも、澄佳は、このおうじさまは笑った顔の方が素敵だと、そう思った。

 「あたし、学はないけど、歌だけはたくさん知ってるんです。だから、歌います。おうじさまのために、歌います」

 「……そうか」

 だったら、と。琉枉は、主として最初の命令を、澄佳に下した。


 「私のことは、琉枉、と――――澄佳」


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